第39話 幼夢(386日前)
翌水曜の夜。俺は遅めに帰宅した後真っ先に自分の部屋へと向かった。部屋のドアを閉めると、背負っていたリュックとギターをそっと床に置き、布団が畳まれずにシワクチャになっている上にどさっと倒れ込んだ。
「はぁ、疲れた……」
思わず心の声が漏れる。
今日は学校が早く終わってから速攻で修大寺へと向かい、毎回の如くアークフリートスタジオでのバンド練習に入った。全国決勝を4日後に控え、メンバーの顔はいつもに増して緊張一色に染まっていた。
4時間もスタジオに浸り続け、途中休憩を挟みながらも合計10回以上は合わせただろうか。俺らは徹底的に納得がいくまで通し練習を続け、退室を促す警告灯にも気づかないほどだった。おかげでスタッフさんは迷惑そうな顔をしてたが。
「兄ちゃん? ご飯食べないの?」
ドアをノックした愛海が、部屋に引きこもってしまった俺を心配してくれたのか、わざわざリビングから訪ねてきてくれたらしい。しかし今はそんな気力はない。
「わりい、後で食べにいくから。」
布団に沈み込んだ頭を動かすだけでももう面倒くさい。
「本当に来てよ?」
疑わしそうな声を出しながらも、愛海は大人しく退散していった。悪いな、こんな兄で。
最近はバンドのことで頭がいっぱいになってしまい、授業中でもボケーっとしてしまうことが多くなっていた。定期テストが終わった今、それほど成績に関連するほどの一大事でもなさそうだが、このせいで授業を理解するための集中力はいつもの何十倍をも要するようになった。
エナジードリンクで補充しようとしても、俺には目立った効果など現れやしない。過剰な集中力の消費というのも、俺の疲れの原因の一つのようだ。
バンドコンテストまで後4日。俺からすると来てほしいけど来てほしくないような複雑な思いがブレンドする。
全国決勝はこの日本の中心、東京で開かれる。場所は渋谷にある大きなホールであり、アークフリートスタジオが所有するライブハウスの中で最大と言われるステージだ。
大会の開始は夕方だが、俺ら mathilda は距離の都合上、前日の土曜日には東京にお泊まりをすることになる。ホテルなどの手配はすでに済んでおり、宿泊費や交通費などは運営が負担してくれるようだ。少しだけ地元を離れるのは些か不安でもあるが、同時に俺の親抜きでの小旅行には少し胸を躍らせていた。
こうやっていつまでも寝そべってグダグダしていても始まらないと思った俺は、来たる出発の日に備えて荷造りを始めることにした。少々怠さが残る中ようやく二足で立った俺は、光の届かないクローゼットの中をあさって中学の修学旅行で使ったようなボストンバッグを見つけて引っこ抜いた。
まず必要なのは着替えだろう。東京には前日に到着して1泊、翌日大会終了後も夜遅いため1泊。つまり2泊3日だから、必要なのはそれぞれ3枚ずつといったところか。
別にファッションにそれほどのこだわりがない俺は、タンスの中から適当にスカウトしたシャツやズボン、靴下やパンツを早速整理してボストンバッグに詰め込む。ファッションや整理に厳しそうな和歌葉が見たら怒るだろうか。
衣服の準備が終わると、今度はなんだろうか。ゲーム機や充電コードなどを詰め込みたくもなるが、俺には出発前までそいつらがそばにいてくれないと困る。他には何だろう…… そうだ、ギターを持っていかなければいけないのだから、メンテナンス用品は必須だったな。
俺は学習机の横の棚にひっそりと埋れていた大きめの緑色の箱を取り出した。この中にはギターのメンテナンス用品の他にも、ギターとは全く関連のないものが容赦なく凝縮されている。
小さい頃愛用していた戦隊ヒーローのフィギュアから、何年か前に誰かからもらった飴まで(食べたくもないし捨てたいのだが、ただそれが面倒くさいために何年も実行できていない)。宝箱とゴミ箱の中間という位置づけかもしれない。
俺はその箱から、決勝に必要なメンテナンス用品を探り出す。まずはギターポリッシュだろうか。自分のギターを輝かせてカッコよく見せるのもパフォーマンスの一つだ。それと指板潤滑剤。これは左指の動きをスムーズにするために愛用している。
ちなみに弦の張り替えは、演奏中にチューニングが狂うのを防ぐためあらかじめ家でしっかり行っていくと決めているのでご安心を。
そうやって色々探していくと、何年もお目にかかれなかったレアもんが多数出土する。カードゲームのランダムパックで当たったレアなモンスター。どっかのガチャポンで当てたようなミニおもちゃ。よくこれで遊んだなぁと、古き良き懐かしさが湧き上がってくる。
「これは……」
俺は箱の底に埋もれていたと推測される1枚の白い封筒を取り出した。中には手紙が入っているようで、封筒の片面には可愛い文字でこう書かれてあった。
「ようすけくんへ ゆいかより」
いつもらったかはわからない、子供っぽい汚い文字で書かれた結華からの手紙。何度もいうように、結華は今となってはとことん俺の邪魔に徹する子ギャル悪魔だが、昔はそんな汚さは微塵もない、純粋なとても可愛らしい女の子だったのだ。現代と比較すると類似率は0%に近いだろう。
俺は真っ白な封筒に新たな折り目を付けないようにそっと開封した。十何年だろうか、それほどの期間眠っていただけに、強い紙の香りがツンと鼻を刺激する。
中に入っていた2つ折りの手紙を開いてみると、大きな文字で6行の文が並んでいた。
「ようすけくんへ
いつもいつしょにあそんでく
れてありがとう
おとなになったらけつこん
しようね(ハート)
いとしのゆいかより」
解読するのに少し時間を要したが、読み終わるとクスッと笑わずにはいられなかった。「っ」が大きく「つ」と書かれているのも、「わたしね、将来〇〇くんと結婚するんだ!」という子どもらしい発想。そしてこれは某女の子の憧れ戦隊の台詞から取ったのか、「いとしの」という決めゼリフが入っているのが何とも面白い。いとをかし。
何歳ごろまでかは忘れたが、俺たちは母親が公園で井戸端会議に熱中している約2〜3時間の間、よく2人っきりで飽きることなく遊んでいた。
結華をお姫様に見立て、いやしない怪獣に向かって銃を撃ち続けては、「お嬢さん、大丈夫ですか。」なんてロマンチックな言葉を並べ立てたり。時には結華が好きだったおままごとにも付き合い、適当に作った泥団子を俺ら2人の赤ちゃんに見立てて夫婦生活を送ったりもしたっけな。今の俺のインキャっぷりから見たらありえないおとぎ話かもしれないが。
そういえば結華はよく家にも来たりしていた。お母さんたちの世間話に興味も何もわかなかった俺たちは、俺の部屋で会合が終わるまで遊び呆けていた。大抵は公園でやっていたことと大して変わらなかったが、時には俺がまだ触り始めたばかりだったギターを弾いて聴かせていた。それくらい俺のギター歴は長いものなのだ。
ギターを弾いていたといっても、適当に弦を押さえては乱雑に弾く程度。5秒にやっと1本の弦が弾けるというくらい、俺の体の大きさにそぐわないアコースティックギターはドデカいものだった。
そんな適当で耳を押さえたくなるような演奏でも、当時の心の澄んだ結華は、物珍しさからか目を輝かせて俺の弾いている様を見てくれていた。演奏が終わると熱烈な拍手を送り、俺の精一杯の演奏を褒めちぎりまくった。
「すごいねようすけくん!」
「でへへ〜」
こうやって褒められてはデレデレしまくり、優越感に酔いしれていた。
「きっとしょうらいはすごいひとになってるよ!」
「そ、そーかなぁー?」
「わたししんじてるよ! ようすけくんはきっとすごい、ギターをひくひとになる! わたしはそれをずっとみてね、かっこいいなっておもってね、ようすけくんのおよめさんになるんだ。そのときはさ、けっこんしようね!」
「うん! けっこんする!」
こんなやりとりが脳裏で蘇ってきそうになる。
そうか…… すごい人になる。これは俺がこれまでずっと抱いてきた夢だった。大きな舞台に立って、爆音でギターをかき鳴らして、観客を熱狂させる。今はもう思っていないことだが、ギタリストとして成功した暁には結華と結婚する。こんな将来ビジョンを頭の中に描いては、それを忠実に追ってきた。
「ごめんな、結華。」
でも「真夜暦」曰く、俺はあと400日弱で死ぬ。一流のギタリストになった姿を見せられないことは残念だ。それでも、今度のステージで最高の自分のパフォーマンスを見せることはできるはずだ。
「待ってろよ、絶対勝ってやる。」
心の中で燃え上がる炎が、1日の疲れを全て灰にしたかのように体中にエネルギーがみなぎった。よし、覚悟は決まった!……
「兄ちゃーん、いつになったらご飯食べに……」
ろくにノックもせず入室してきた愛海が、言葉を途中で失ったまま部屋と廊下の境目で突っ立っている。俺は何があったのかわからず、結華からの手紙を両手に持ったまま凍ったような愛海を見つめていた。
「兄ちゃん、それって……」
愛海が俺が手に持っているものを驚いたように指さし、俺はそれにつられるように手紙に目をやる。ただの汚い文字で書かれた手紙なのだが、何か問題でも? 呪われているとかあるまいし。
「ん? これ、手紙だけ……」
「お母さーん!! インキャの兄ちゃんがラブレター貰ってるー!!」
「はぁ!?」
すっとんだ勘違いをした愛海がとっさに廊下へ飛び出し、母親の待っているリビングへと急行する。ちょっと待て、いくらインキャだからって手紙もらうとかそんなにあり得ないか!? あとラブレターだとか簡単に決めつけんなって。
「だから違うっつってんだろがっ!!」
俺もあとに続き、誤解満載のゴシップをばら撒こうとしている愛海の口封じに向かった。想像力豊かな妹が申し訳ない。目の前にいるあなたに謝罪したいほどだ。
まさか俺が、「兄ちゃんを部屋から引き摺り出して飯を食わせる作戦」の罠にまんまと引っ掛かったとはな。
「真夜暦」曰く、500日後に俺は死ぬ ぴいじい @peagea
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