第38話 冷星(393日前)
水曜日。朝、俺は目覚ましがやかましく鳴る15分ほど前に、下から聞こえる音を聞いて目が覚めた。ゴォ、ゴォ、とした音の中から、誰か女の人の助けを求めるような声が聞こえた。
俺は半分寝ぼけたまま、階段を手すりを頼りに1段ずつ降り、まだ外は日が出ず暗い中電気がついているリビングへと向かう。
「6時15分! 6時15分!!」
ドアを開けて耳に飛び込んできたのは、目覚まし時計の擬人化がまだ真っ暗な東京を背に喋っているという、なんともシュールな光景。やがて目覚まし時計君は消え、バックグランドがスタジオへとフェードしていった。
「おはようございます。6時15分になりました。今朝の最新情報をお届けします……」
真面目な顔をしたニュースキャスターが、まるでプログラミングされたかのような喋りで番組を進めていく。よく思うのだが、365日毎日同じセリフを言って飽きないのだろうか。
「あら、今日は早かったね。パン今から焼くからちょっと待ってて。」
キッチンから顔をひょっこり覗かせた母親が、寝ぼけた俺の背後から声をかける。俺は特に礼を言うでもなく、まだ頭がボーッとしたままダイニングテーブルの一席に座った。
「兄ちゃんおはよー。」
口周りにパン屑をつけながら頬にパンを詰め込ませた愛海が話しかける。口に物を詰め込んでいるせいで声がモゴモゴしていて聞き取れない。
「ちゃんと口の中を空っぽにしてから話せ。」
愛海は急いで口を大きく動かしながら口の中のパンを喉に流し込んでから口を開けた。お兄ちゃんの言うことに素直に従うとは、思春期のJCの割にはいい子ではないか。
「兄ちゃん、今度東京行くの?」
やっと眠気が失せ始め、俺はコクッと頷く。2週間足らずで、俺はバンドコンテストの全国決勝のために東京へと赴かなければいけない。幸い終業式などとは被らずに済むのだが、楽しいクリスマスとお正月を目前にして忙しいスケジュールをこなさなければいけないのは少々惜しくも感じた。
「ねえ、私も見に行っていい?」
「だめ。友達とかもみんなお断りしてるんだから。」
希望を込めた瞳でおねだりしてきた愛海に、俺はバレなさそうな嘘をついてコップに注がれた真っ白な牛乳に口をつける。俺の家族は誰も見に来ていないはずだから、どれだけ誤魔化し下手の俺でもこの嘘ならい……
「え、結華ちゃんと真夜さんは違うの?」
俺は口に流し込んでいた牛乳をコップに吐き戻し、さらに一部が喉につっかえてむせる。
「なんで…… ゲホッ、 知ってるんだ……」
「結華ちゃんが言ってたの。」
今度はお前か結華! このクソギャルビギナーで俺と真夜の関係を邪魔してくるスポイラーめ!!
「はい、パン焼けたよー。」
皿2枚を持ってテーブルまで運んできてくれた母さんもクスッと俺を見て笑っている。
「母さんまで笑わなくていい案件でしょ……」
俺は無力なまま、こんがり焼けた美味しそうな食パンにかぶりついた。
「ここで、朝早くからお出かけの皆さんに、今日の星座占いです!」
「あ、占いだ! おとめ座来いっ!」
この番組では朝のこの時間と番組終了時の2回、1日の運勢を占ってくれるようだ。愛海は口をもぐもぐさせながら、食い入るように画面を見つめる。まあ所詮星座占いなんて、相手に思わせぶりなことを言って受け手が都合よく解釈するバーナム効果でしかないだろ。
「1位はおとめ座のあなたです!おめでとうございます!」
「やったーー!!」
早速1位に自分の星座が表示されたことで、愛海が両手をあげて喜ぶ。こんなのにランクインしても日常なんて変わらんだろうに。
それから2位から順に今日1日の運勢が並び立てられていくが、一向に俺の星座が出てこない。11位になってもおひつじざがない、ということは……
「そしてごめんなさい! 12位はおひつじ座のあなたです! 思わず口を滑らせて災難! 発言には十分注意です!」
星座占いなど信じないと豪語していた俺の鼻から、大きなため息が漏れた。バーナム効果でしかないとはいえ、発言に注意なんて言われたら少しは気にかけてしまうじゃないか。
「しかしご安心を! 悪運を吹き飛ばしてくれるあなたのラッキーアイテムは、チョコチップアイスクリームです! それでは、行ってらっしゃい!!」
大抵こういう時のラッキーアイテムなんてもんは身近にあるもんじゃない。ていうかそれにはなんか魔力でも備わっているのだろうか。
「あ、兄ちゃん最下位だったねー。お気の毒にぃ。」
愛海がばかにするような目で俺を嘲笑う。俺は全く気にしていないフリを装って、愛海とは視線を逸らした。
✴︎
放課後。日が傾き始めた頃に、俺は少人数教室のドアをガラッと開けた。
「わりい、遅くなった。」
「全然大丈夫。バンドの話し合い?」
「そう。まあざっくりだけどね。」
さっきまで俺ら mathilda は学校の一角に集まり、およそ2週間後に控えた全国決勝に向けての話し合いを進めていた。
なんでも修也が自信を持っていた Martyrdom で、やっと敗者復活枠にギリギリ滑り込むことができたことを修也は悔しがっていたのだ。これでは全国でこっぱ微塵にされると、修也は新しく構想を練っていた新曲で勝負したいと言い出し、最終的にその曲(タイトル未定)で決勝に挑むこととなった。
DTMで作られた下書き音源を共有されたあと、俺は待ちぼうけているであろう真夜のアシストのため、わざわざ戻ってきたということだ。
「そっかー、大変なんだね。」
俺は真夜からの労いの言葉に頷きながら、真夜の隣の席の椅子を手繰り寄せてドスッと腰を下ろした。いつものように、真夜からはパソコンを手渡され、もう何十回目だろうか、慣れた手つきで楽々と起動させた。
「そうだ、言ってなかった。」
真夜が思い出したようにトランプを切る手を止める。顔を俺の方に向けて、真夜はにこっと微笑んだ。
「地方予選通過、おめでとう!!」
直々に言われるとどうも照れ臭くなってくる。むしろ感謝したいのはこっちだ。
「ありがとな。」
俺は少し俯きながら返事をした。
「まあ、真夜の占いがなかったら正直わからなかったよ。真夜が占ってくれたから安心できたというか。」
真夜が苦笑する。俺は真夜のパソコンに向き直り、画面にまだペロペロキャンディが回っているのが鬱陶しくなりながら、マウスパッを人差し指でタップしてビートを刻んだ。
「真夜の占いは当たるけどよ、逆に星座占いなんてのは当てになんねえよな。あんなんただのバーナム効果だし。当たるわけ……」
「当たるよ。」
真夜が結構真面目な顔をした。俺は思わず驚いて流暢に出ていた言葉が止まり、顔が自然と真夜さんの方に向くように誘導される。
「ああいうのもちゃんとした占い師さんたちが作ってるからね。占い方法とかは人それぞれだけど、神級のプロとかだったら的中することとかあるんだよ。バーナム効果もあるかもだけどね。」
へぇ、と文字で表しにくい言葉が口から漏れる。さすが、ツイッターでも名が知れた占い師さんだ。
俺は再び画面に戻り、やっと開いたツイッターのDMを詮索しながら呟いた。
「まあ俺はそういうの信じないけど、所詮ガチでああいうの信じるのは小笠原みたいな奴ぐらいだろ。」
「私が何ですってー?」
後ろに悪女の囁きが聞こえたと思うと、俺が振り返る暇もなく両耳が強い力によって引っ張られ始めた。このままだと耳なし芳一にされてもおかしくないほどの強さで。くそ、小笠原が後ろで待機していたなんて!
「痛い痛い、許してくれっ……」
「ダメです。」
聞こえてきたのはおそらく結華の声。それを聞いた小笠原は力を弱めようとしないどころか、本気モードに突入し始めた。激痛を伴う中、俺は藁をも掴む思いで、目の前で観戦している真夜に助けを求めた。
「真夜っ、どうにかしてくんね、痛っ!」
「いや、あれは確実に陽佑が悪いよ。」
撃沈。もうこうなったら仕方がないか。
「ごめんなさい、悪かったから! 何でもしますから!」
「おっ、言ったね?」
ピタリと両耳を裂く力が引いていき、普段のポジションに耳が戻った。痛みで押さえた耳はホットプレート並みに熱くなってしまっている。
「じゃあ売店でアイス奢って。」
俺は反論する権利もなく、ただこの条件を飲み込むしかなかった。
✴︎
学校の売店は午後の4時半まで開いている。閉店間近の時間に滑り込みで突入した俺たちは、アイスケースの前に立って中に入っているアイスをじっと見つめていた。
「1つしかないね、アイス。」
真夜が静まり返った店内で静かに言う。俺と小笠原と結華も、真夜の言葉にうなずいた。
とりわけ俺は残っていたアイスを見て内心信じられないような感覚に陥った。なんせただ1つ余っていたアイスがチョコチップアイスだったのだから。
「まあこれしかないんだったら仕方ないかー。冬だから仕入れ少ないんだね。」
「これが望みじゃなかったけど仕方ねえから買ってやるよ」みたいな雰囲気を出しつつ、小笠原はアイスケースの冷たい窓に手を触れ、取り残されていたチョコチップアイスを拾い上げた。長い間ケースの中に埋れていたせいか、カップの周りには大きく硬い結晶がまとわりついている。
「はい、じゃあお会計行ってきて。」
「へいへい。」
小笠原は俺にアイスを突き出すと、他の女子2人を引き連れて売店からそそくさと出て行った。売店のおばちゃん以外たった1人売店に残され、ケースに残ったこのチョコチップアイスの気分を味わうことになった。
教訓:星座占いは適度に信じるのがいいのかもしれない。
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