第37話 寸勘(394日前)

 火曜日。俺は弁当をまだ半分以上残したまま、4人の精鋭部隊に囲まれてその時を今か今かと待ち構えていた。


「時間は?」


 心配そうな顔をした奈津が、俺に急かすような口調で尋ねる。ぎゅうぎゅうに俺の周りにバンドメンバーが固まっているせいで俺の肩と奈津の腕が少し触れているのだが、そこからはまるで自分のではないかと勘違いしてしまいそうなほど強力な鼓動が感じられた。


「1時1分前。」


 俺は携帯のロック画面を確認した後、一瞬でまた画面を切る。こんな時に時間にピリピリしながら待つよりかは、自分だけで集中して落ち着きたいのが俺の本音だ。


 結果発表。今回の全国決勝進出者はメールではなく、コンテストのウェブサイトの決勝進出バンド一覧に名前が載っていることで知らされる。俺のメールアドレスに通知が届くわけではないのだから、たった1台の携帯に集中することもなかろうに。


「いよいよだな。」


 落ち着いたように修也が俺の肩をポンと叩く。今回は俺はそれほど不安には思っていないのだが(なんせ真夜の占い結果を事前に暴露されたからな)、逆に俺の肩に手を乗せた修也の方が顔がコンクリートのようにカッチカチになっていた。


 修也は俺が顔を見つめていることに気づいたようで、俺の肩から手を離すと誤魔化すようにして大きく深呼吸した。どれだけ強そうに見栄張っていても、怖いものは怖いようだ。


「まあ、俺は上手くできたと思うよ。」


 俺はそう信じたいと願いながら浅く頷いた。真夜が言うには俺らは決勝に進めるようだが、所詮占いである。いくら高確率で当たるとはいえ、外れることもないことはない。


 mathilda という名前が載っている様子を想像してこの恐怖を乗り越えようとしたが、必然的に逆のパターンも思わず思い浮かべてしまう。もし俺らの名前が載っていない場面を想像してしまうと…… 死ぬわけではないのに、背筋がぞくっとする。この高校の入試の合格発表以来の恐怖だった。


 ✴︎


 ーースタンバイOK!!


 俺の視界の右端から親指を立てた手が伸ばされた。その方向を見れば、和歌葉が微笑みながら右腕を突き出していた。その奥に、ほぼステージの端っこあたりになってしまった奈津もこっちを向いて小さく頷く。


 俺は修也と実玲を交互に見て最後の確認をする。修也は俺と視線がクロスしたことを確かめるとニヤリと笑い、両手に持っていたスティックをクルクルと回転させて余裕さをアピール。実玲はまだ不安が残っていそうな表情を見せながらも、俺を見るとピースサインを返し、再び観客席の方へと視線を戻した。


 前を見ればスタジオ予選の約3倍ほどの観客が、真っ暗な空間にひしめき合っている。その前には10人ほどの審査員が横一列に並べられた長机に肘をたて、「さあ、見せてもらおうか。」と言わんばかりの威厳を放ってこちらを凝視している。


 こう見ると結構大きなプレッシャーを感じずにはいられなかったが、こんなのを意識しているから緊張するのだ。観客はまずはいないものと想定しよう。無イズザベスト。


 俺はギターの指板の適当なところを押さえると、そこから適当に指が動くままに一音一音アンプから放出して暗闇に響かせていく。特に何も変なことは考えずに、ただ左手の4本指が指板の上でバレエでも踊っているように。


「みなさんどうも、mathilda です。」


 女子の中では結構低い声で実玲が最初のナレーションを始める。こういう舞台になってくると、最初の言葉というのは印象づけの上で重要な意味を持ってくる。太いハスキーボイスの残響が壁に跳ね返り、どこか聞いていて気持ちいい響きになって俺らの耳元にも届く。


「私たちは性格も違えばこれまで歩んできた道も違います。好きな音楽も全員違って、これまで考えの食い違いでちょっと喧嘩しかけたこともあった。」


 ほぼ無意識にピッキングしながら、そんなこともあったなーと思い出す。まだ結成された当初、どうしても先に進まんとする修也と着々と場数を増やしていくべきだと主張する和歌葉が対立して、一時は解散危機にも陥ったことがある。


 残りの3人でなんとか仲直りさせることができ、今ではもうその面影は何処へやら、大切なバンドメンバーとして今ここに立てている。なぜか我ながら感動した。


「それでも私たちは共通の目的があるからここまで来れました。だからここで燃え尽きても惜しくないです。そんな私たちに、この曲をやらせてください。Martyrdom」


 最後の単語あたりで急に声のボリュームを下げて曲の題名を囁くように言った後、ホール全体が沈黙に包まれた。俺もギターの単音弾きを徐々に弱め、アンプからは音が一切漏れなくなった。


 数秒の感覚をおき、実玲が大きくマイクを振り上げ、そして下げる。完璧とでも言っていいほどにタイミングが合い、思わず小さく微笑んでしまった。


 修也は宣言通り、イントロからアドリブをぶち込んできた。スタジオ予選の時とは違うリズムで、スネアドラムを細かく叩く回数が増えているのが聴きながら感じ取れた。しかしこういうのでブレないのが我らの強み、ドラムの拍が少し変に聞こえようともモノにせず、これまで通りのリズムを刻みながらAメロへと突入していった。


 実玲氏の太くて高い声は今日も安定してマイクを伝って観客席へと放たれている。気づけばキーボードからも聴き慣れないメロディーが耳に飛び込み、さらにはベースパートも、和歌葉従来の指弾きからスラップ奏法(弦を弾くようにする奏法)へとチェンジしている。これでもメロディーにはなんの違和感もない。


 2回目のサビの後はお決まりのギターソロ。ここで俺は、5人の中では一番遅くなったがアドリブを入れてみることを決意した。


 こういうギターソロなんてのは、雰囲気などが崩れず不協和音が鳴らなければ適当でいいと思っている。俺は思い切って、思いつきのまま高音の方に動かす指を集中させ、荒さを出すために複数の弦を同時にかき鳴らした。


 観客からは「おお!」というどよめきと、思わず熱狂して拳を天に向かって突き出して振る者もいた。これまでにないなんという優越感。これが、いやそれ以上のものが、俺が死ぬまでに経験したい、大人数での前で感じる熱狂なのか……


 ✴︎


「なったよ!!」


 ソワソワしながら腕時計を見つめていた和歌葉が、秒針が12の数字を指した瞬間に俺の机をバンバン叩き始めた。まるでドラマで見るような警察の取り調べのように、一回一回叩く手にものすごい力がこもっている。頼むから、みんな見てるからやめてくれ……


 俺は急いで携帯を取り出して指紋認証を完了すると、あらかじめ開いておいたコンテストの公式ウェブサイトをリフレッシュさせる。ほんの10秒もなかった時間なのに、それはそれは永遠に感じられた。


 やがて更新が終わった時には、ちゃんと決勝大会進出が決まったバンド名が記載されていた。


「決勝大会出場組一覧(全10会場、11組)」


 俺は小刻みに震える人差し指をどうにか力を入れて固定しながら、米浦会場からの進出バンド名を探した。


 決勝大会は日本の全10会場(札幌、仙台、新潟、米浦、東京、名古屋、大阪、広島、松山、福岡)からの精鋭たちが集まる大会。真夜曰く、俺ら mathilda の名前は米浦会場の欄に載っているはず!


「…… え?」


 俺の机の周りだけ少し気まずい空気が充満した。恐る恐る見つけた米浦会場からの進出者は、なんと俺らではなかった。


「仕方ないよ。」


 和歌葉が諦めたように呟く。負けず嫌いの彼女らしく目は少し潤っているようだったが、悔しさは露出させていなかった。


「いい思い出だったな。」


 奈津が口に出した言葉に、修也と実玲が頷いて賛同する。ただ俺一人だけが、呆然と携帯の画面を見つめていた。


 真夜の占いははずれた? もちろんそんなことも十分あり得るわけだが、どうしてもこの結果が腑に落ちない自分がまだ健在だった。スマホを床に叩きつけてぶち壊したい気分にさえなってしまう。


 ん? 待てよ? このページのトップにはなんと書いてあったか。思い出していただきたい。


「決勝大会出場組一覧(全10会場、11組)」


 全10会場から1組ずつ決勝に進出するのであれば、あと1組はなんだろうか。


 ーーまさか!!


 俺はわずかに感じた希望を硬直した指に送り込み、恐怖に怯えながらも画面をスクロールダウンする。米浦、東京、名古屋…… 福岡を通り過ぎたあたりで俺は勢いよく動かした指を止めた。勘、当たり。


「敗者復活枠」


 各地方予選では会場ごとにランキングが作られるのだが、それで惜しくも2位になってしまったバンドのうち、最も高得点、高い評価を得たバンド1組だけが特別に決勝に進出できるという制度。最後の望み、確率は低いが、これに賭けるしかなかった。


 俺は人差し指でそっと画面に触れ、画面の下から少しだけバンド名が見えるように上にスワイプした。


 ーービビらせやがったな。


 思わず笑みと安堵がこぼれ出る。


「おいおいまだ終わってないですよ。」


 悔しがる4人を背に、俺は声をかけた。


 俺は後ろに立っていた奈津に、カッコよく俺のスマホを手渡した。


 あんな残念な空気が、光の如く去っていった。


 mathilda:全国決勝進出(敗者復活枠)

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