第36話 連果(396日前)

「おっと、ここか?」


 スマホを片手に持った修也が、スマホに表示された名前と看板が一致しているかを交互に見ながら確かめる。


「間違いないみたいだね。」


 横から奈津も確認した。ついに来てしまった、ここまで。


 朝早くに修大寺駅の米浦行き電車のプラットフォーム上で待ち合わせし、そこからバンドメンバー全員で終点の米浦まで電車に揺られる。我らが県の県庁所在地、そしてかつ今回の戦いの舞台である米浦に林立するビル群が俺の緊張を加速させた。


 ティーンズバンドウィンターパーティー地方予選。修大寺予選から上がって来たバンドは、この地方随一の大都市米浦にある本格的なライブハウスで、しかも本格的な審査員の見守る中自分たちの演奏を披露する。


 ここから勝ち上がれるのはたったの1組であり、「こいつらは絶対に全国いくぜ!」とまで言われているようなバンドでも涙をのむことなど普通に越したことではない。明らかにスタジオ予選よりもプレッシャーとハードル、そして求められるレベルというのが格段に大きくなっているのだ。


 Beats 2000 Yoneura と書かれたネオンサインの下を潜り、スタッフの案内で控室に通された。応募者が多いスタジオ予選では控室なんぞなく自分の番が終わるまでずっと立ち見であったが、この地方予選では参加組数が限られているゆえ、ステージ裏の大きな部屋が控え室として用意されていた。


 部屋の中には俺たちと対戦することになる参加者たちが痺れを切らして自分たちに集中していた。ある人は、もらったペットボトルの水を既に飲み干してしまっているし、またある人はイヤホンを耳の穴に突っ込んで、俯きながらブツブツ念仏を唱えるようにリズムや歌詞を確認していた。


 俺らは空いていたスペースを確保して自分たちの荷物や楽器を置き、ひとまず床に直に座り込んでふうっ、と深呼吸する。あまりにも静かで空気が張り詰めているせいか、自分の呼吸が普通の喋り声並みに大きく聞こえた。


「おい、陽佑。」


 ぼーっと天井を眺めていた俺の肩を修也が叩く。


「一旦5人で外に出るぞ。」


 そう言うと修也はサッと立ち上がり、一人で控え室のドアの方へと歩いて行った。残された俺ら4人は置いて行かれるわけにもいかず、修也の背中を追いかけて、最後に部屋を出た実玲が音を立てないようにドアをしめた。


「よし、ここならいいだろ。」


 先を突っ走っていた修也は、控え室から3ドアほど通り過ぎたあたりで歩みを止めた。つられて俺ら4人も足を止める。そこは少し薄暗く、誰も使っていないような部屋が並ぶ少し小汚い廊下のど真ん中だった。


「なんでここに来たの? 話だったらコソコソででも控え室でできるじゃん。」


 和歌葉が最初に口を開いたが、修也は自信を持って首を横に振った。


「あんなに静かだったら隣のバンドとかに色々聞かれちゃうかもしれなかったから。念のためだよ。」


 修也にしては結構な慎重っぷりだ。


「やる曲は例の曲でいいわけ?」


 奈津が心配そうに修也に尋ねる。もちろん例の曲というのは、修也が作詞作曲した「Martyrdom」のことだ。


 実を言えばこの地方予選までの2週間、LINE以外ではバンドメンバーと全く接触していない。故に当日の動きなどの連絡もゼロ。練習も話し合いもしないで重要なステージに立っていいのだろうか。


「あれでいい。新しく2週間で曲書いて練習なんて時間ないし、変に新曲やると場合によっては評価が落ちるかもしれないし。俺らはあれで勝ち抜けたんだから自信持って同じ曲やる方がよくね?」


 確かに。ここで大事なチャンスを落としてしまうよりも慎重に枠を勝ち取りにいく方がいいのかもしれない。俺は頷かざるを得なかった。


「最初は思い出作りって思ってたけど、」


 和歌葉も頷き、思い出すように話し出す。


「せっかくスタジオ予選勝ち抜いたんだから死ぬ気で行かないともったいないよね!」


 俺を含め他の3人もフッと笑みを浮かべた。今となっては全員目指すべきものは1つ。上を取るのみ。


「それと、今回俺アドリブ入れるつもりだから。」


 付け加えた修也の言葉に、俺らは一瞬ためらった。こういう舞台になってくると、きっとそういう技術というのも取り入れなければいけないのかもしれない。場の雰囲気や演奏曲によって臨機応変に変えていくのはミュージシャンとしては必要不可欠なものでもある。


 しかし修也は違った。あいつはここぞという時にアドリブを取り入れるのだが、そのせいでドラムの刻むリズムが乱れ(慣れればこういうのも楽勝になるというが)、せっかくのアンサンブルがずれて台無しになってしまうこともあるのだ。それで先輩からボロクソ言われていたこともあるらしいが、それでも諦めないという強心臓を逆に俺は尊敬したい。


「あくまでもリズムはちゃんと守れよ。」


 俺は少し鋭い目で修也に忠告した。修也は真剣な目つきを崩さず、先輩からの言葉を心に留めているのか、それを覚悟でアドリブを実行するつもりのようだ。


「よし、戻って気でも落ち着かせよう。」


 修也はそう言い、他のメンバーよりも早く控え室へと踵を返して戻って行った。


 俺も修也の背中を追おうとしたその時、ズボンのポケットに入っていた携帯が勢いよく震えはじめた。マナーモードにしていたため最初はただの通知かとも思っていたが、携帯がポケット越しに足に触れるたびに複数回バイブを感じた。電話か?


 俺は携帯を取り出し、いつもよりも明るく光っているように見える画面に表示されている名前を見る。


 ーー真夜か……


 嬉しくないわけじゃない。ただこれから集中しようなんて時にこういう連絡が来たら、変にやる気が出てしまう。それでイキりまくった結果、スタジオ予選みたいなヘドバンという醜態にもつながりかねない。俺ははぁーっとため息をしながら、通話ボタンを押した。


「もしもし、陽佑?」


 スピーカー越しに聞こえて来たのは、呑気そうな、こちらの状況を全くもって考えようとしない真夜の声だった。


「許可なしにライブ見に来ちゃったんだけどー、まだもしかし…… ねえちょっと!!」


 まだ外にいるのだろうか、人混みの中のガヤガヤ声が挟まり、せっかくの真夜の声が遮断されてしまった。


「ヤッホー陽佑!!」


「うっわー結華までぇ?」


 真夜と一緒に来るだろうなとは軽ーく予想はしていたが、いざ本当に来たとなると落胆の声を出さずにはいられない。向こうの結華は俺の返しに怒り始めた。


「私が来たことがそんなにも悪いわけ!?」


 いやそこまで言ってないんですけど。


「あ、そっかー! 私が来ちゃったら私をおかずにしちゃうんだっけー?」


「だからそうじゃねえっつってんだろ!」


 思わず誰もいない廊下で大声を出し、俺はとっさに口に手を当て周囲を見回した。誰も見ていないようでよかった。あと結華、そのことはもう忘れてくれ……


「そんな陽佑に大ニュースです!!」


 少し間をおいて結華が嬉しそうに話し出す。何か嫌な予感がする。結華は間を開けずに話を続けた。


「真夜ちゃん曰く、陽佑たちのバンドは地方予選突破するそうです!!」


「ちょっと結華!?」


 ああああぁぁぁぁーーーー!!!! 言うな言うな! 今一番聞きたくなかったやつ!! 電話越しでも、真夜が焦って取り消そうとする声が聞こえてくる。


 真夜が言っているということはほぼ正確に起こりうるということ…… 俺はこういう被害にあって、しょっちゅうドラマの第一話でネタバレを喰らったような感覚に陥る。ありがたみというよりかは絶望しか感じられない。


「……ごめん陽佑! 私の占いの結果はどうであれ頑張って!!」


 ようやく携帯を取り返したのか、真夜が早口で俺を鼓舞しようとしてくれた。後ろでは「退行」とでもいうのか、結華が子供のように、「あーん、スマホ取られたぁー!」と泣くふりをしている。めんどくさい奴らめ。


「そりゃ死ぬ気で頑張るよ。それと、お土産に結華のお口チャック用のファスナー買ってきてあげるから。」


「頼んだよ。」


 なぜか真夜が本気トーンで答え、電話は切れた。沈黙が再び帰って来ても、頭の中では真夜の占い(であろう)結果が頭の中でリピートされる。


「陽佑? どうしたの戻ってこないの?」


 控え室のドアからひょっこり顔を覗かせた実玲が心配そうにこっちを見る。


「あ、いや、大丈夫。今行く。」


 ✴︎


「続いては、No. 6534、修大寺予選通過、mathilda です。 」


 アナウンスが鳴ると、一気に鼓動が高まる。スタジオ予選ほどの緊張は無くなっていたが、やはり経験したことのないような大舞台で演奏するとなると、アドレナリンの大放出は誰であっても避けられないだろう。


「陽佑、こっち来て。」


 さあステージに出ようと足を動かす前に、後ろからチョンチョンと突かれ、俺を呼んだ奈津が手招きする。その向こうでは、他の3人が既に円になって俺を待っていた。


「みんなやってるしやっとくかって思って。」


 少し照れながら和歌葉が言葉を発する。


「いつも通りやるのみ、私は絶対できるって信じてるよ。」


 和歌葉がそう言って拳を真ん中に差し出し、俺らも続いて握った手をお互いくっつけあった。


「頑張るぞっ! おー!」


「…… おー!」


 せっかくの気合入れなのに、合言葉が分からず和歌葉以外の人間は黙ってしまった。約2秒遅れで修也も続く。


「グダグダじゃん。」


 実玲の言葉に俺ら4人も苦笑した。こんなんでバンドとか普通はやっていけるんだろうか。


「まあそんなことはどうでもいいっしょ。」


 修也がイキったような口調でステージの方を向く。


「さあ、行くか。」


 そして俺らは、眩い照明とたくさんの拍手の中に埋もれるステージに足を踏み入れた。

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