第35話 勇救(399日前)

 木曜日。いつもの4時間目の前の賑やかな休み時間のはずなのに、俺は携帯に表示されたカレンダーを見て呆然としていた。


 もう400日過ぎた!? 早っ!!


 既に俺は余命の20%を通過してしまっていたのだ。その間特に何もなかったわけではないが、あまり意識せずに過ごしていたらあっという間に100日も経っていた。クソ、思い出せ、あの和尚さんを! 死ぬまでの人生を楽しまないといけないという自分で決めた使命感を、俺は改めて実感させられた。


「なあ蓮田ぁー。」


「わっ!!」


 画面に神経が集中していたせいで周囲の状況が全く見えていなかった俺は、突然かけられた声に異常なほどビビった。声のする方向を向けば、若干申し訳なさそうな顔で俺を見る皇太が立っていた。


 そのせいか、さっきまで俺の周りで自由に会話していた女子たちが、皇太を睨みつけながら数メートル下がる。最低半径2メートル以内には、俺以外に皇太しかいなくなっていた。これぞソーシャルディスタンス。


「なんの用……?」


 俺は冷たい女子たちの目線を気にしつつ皇太に話しかける。女子たちは俺らの様子をキモがりながら、自分たちでの会話に再び意識を戻した。


「お願いがあるんだよ、蓮田。」


 皇太は周囲の目を気にするかのように俺の耳元に口を持ってきて、俺の耳に囁く。


「俺、好感度取り戻したいんだけど、作戦に協力してくんね?」


 俺は一瞬渋った。こいつがどんだけこれ以上カッコつけようとしても、女子たちからは修正不可能な変態として処理されるだろうということは、これまでの経験上分かっていた。こんな好感度アップ大作戦なんてものに手を貸せば、下手すれば俺の好感度までもが下がりかねない。


「のすけ達も協力してくれるっていうからさ。な、頼むよ蓮田っ!」


 切なさそうな声を耳元で詰まらされ、俺はしばらくの躊躇の末同情の念に負けてしまった。人間恐るべし。


「わーったわーった。わかったから。で、どういう作戦?」


「おぉ、ありがとよぉ!」


 皇太は耳元から顔を離し、昔話アニメに出てくるような爺さんの声で感謝を伝えながら合掌した。


「で、作戦ていうのはな……」


 再び耳の中にささやき込まれる。俺は頷きながら大作戦の全貌を頭に詰め込んんだ。


 ゴニョゴニョゴニョゴニョ……


 自信ありげに顔を耳から離した皇太に俺は目を合わせた。


「そんなんでうまくいくのかよ。」


「大丈夫、それは保証する。」


 腰に両手で作った拳を当ててドヤ顔。本当に成功するんかいな……


 ✴︎


 昼休み。いつもよりも2倍ほどのスピードで安定のボッチ飯を食い終わった俺は、リュックを背負って早速約束通り2階と3階の中間にある踊り場へと向かった。


「やっと来たかー。待ったんだよー? で、用って何ー?」


 必要以上に小笠原が俺の顔に近寄る。俺が昼前に呼び出しておいたのだが、なぜか小笠原は異様にウキウキしているようだった。


「まさか、私と付き合ってくださいなんて言うんじゃないのー? 真夜ちゃんはどうしたのかなー?」


 執拗に煽ってくる小笠原に腹が立つ。いっそのこと階段から突き落としてやりたい。


ちげえってば!」


 俺は数歩引き下がり、小笠原と一定の距離を取る。否定してもなお、小笠原はニマニマしていた。


「まあそれは置いといて、お前に運んでほしいもんがあるんだよ。」


 そう言って俺は背負っていたリュックを肩から下ろし、床に一旦ドサっと置いた。皇太がこの中に、学校裏に積み上げられていた石を合計約25kgほど詰め込んでいるため、男の俺が背負うにも肩が壊れてしまいそうなほどだった。ちなみにリュックの中身が変にバレないように、石の周りにはブランケットも詰め込んでいる。


「うわぁ重そー。なーにそれ?」


「これはな…… 体育館の倉庫で見つかった教科書らしいんだ。これを事務室に運んでくれねえかって先生に言われてよ。」


 もちろん教科書が体育館倉庫の中に置いてあったなどというのはとんだでっち上げ。一瞬で考えついたものの、教科書が体育館倉庫に普通置かれているわけがない。


「…… ふーん、そうなんだ。わかった。これ運べばいいのね。」


 なんとか小笠原のネチネチ追求は逃れることができたようだ。こいつのノリがよくて良かった。小笠原は置いてあったリュックの持ち手に手をかけ、両手で支えながら肩にかけた。


 よし、順調だ。残りは大丈夫だろうな? 半信半疑で、俺は階段の上をチラッと見る。皇太とかのすけがそこにいるはずなのだが……


 ここで一応、皇太の「好感度カムバック大作戦」の概要を簡単に説明しておこう。


 まずは俺がターゲットの小笠原を呼び出し、架空の説明でどうにか重いものを運ばせる。重いもののため、小笠原はバランスを崩しやすくなるだろう。そこに皇太とのすけの軍団が急いで階段を駆け下り、その途中でのすけがすれ違った小笠原の足を引っ掛けて、怪我しない程度に転ばせる。


 ここでのすけの後ろからついて来ていた皇太が即座に反応し、小笠原を全身で受け止める。ここで皇太が大声で、「小笠原、大丈夫か!?」と叫ぶ。おそらく彼女の側近達はこれを聞くと駆けつけるだろうから、皇太のナイスセーブを見せて女子達を見返してやる、というものだ。


 足を引っ掛ける時点で傷害罪になりかねない危険な作戦だが、皇太はなぜかこれは成功すると強い自信をもっていた。俺はそうは思わないが。


「よいしょっと、重っ!!」


 およそ25kgのリュックを背負った小笠原はゆっくりと立ち上がり、少々足をフラつかせながらも体勢を整えた。それを非常扉あたりからこっそりと観察していた皇太はニヤッと笑っていた。


「それじゃ、いってきますねー。」


 小笠原が重そうな足で上行きの階段へと向かう。


「おいおめえら行くぞー!」


 それを待ってましたのごとく、のすけが大声で仕掛け人の男子達に声をかけ、待ち伏せしていた廊下から飛び出す。それに皇太を含めた数人の男子が背後に続き、2段飛ばししそうな勢いで階段を駆け下り始めた。


「おっとっとっとぉ!」


 本人に気づかれないように、のすけがしれっと小笠原に足をかけ、バランスを崩させる。のすけはあたかも偶然足がかかってしまったかのように声を上げ、前にこけるような演技をして見せた。


「あーっ!!」


 被害者の小笠原はまんまと罠にかかり、バランスを崩して体が前に倒れ始める。


「あーぶなーいぞー!!」


 キラッと目を光らせた皇太がのすけの背後から倒れ中の小笠原に飛び込み、水泳の飛び込みのように小笠原の下にスライディングしていった。


 ✴︎


「小笠原、大丈夫か!?」


 案の定、異常をかぎつけた小笠原の下っ端が、階段の上から事件を見ていた。しかし、その目には「皇太ナイス!」というような称賛の色はなく、逆にこれまで以上に冷ややかなゲス視線を集中的に照射させていた。


 俺、のすけとその後ろからついて来ていた男子達は、予想だにしなかったこの事態に今にも心臓が飛び出そうなほどのアドレナリンが大量放出されていた。これまでの人生において、これほどまでに冷や汗が噴き出たことはあっただろうか。


 皇太が無事に滑り込んだのはいいのだが、あまりにも運が悪すぎたとしか言いようがない。小笠原は偶然にも皇太が飛び込むのと平行に倒れてしまい、皇太の頭部は一部が彼女のスカートの中に入り込んでしまっていたのだ。


 しばらく経って、小笠原が黙って体を起こした。何も言葉を発さないまま、まだうつ伏せ状態だった皇太の首の上に体重を乗っける。


「おっ…… なんか柔けえな……」


 全く空気が読めない皇太は、自由に動かせた左手を首の上に持っていき、皇太の上に乗っかっているものの正体を触って確認する。それは俺でも吐きそうなほど、あまりにも汚らわしい光景だった。


 やがて沈黙を貫いていた小笠原が勢いよく右手を振りかぶり、涙目で下敷きになっている皇太を睨んだ。


 べチン!!!!


「あんたね…… 」


 怒りどころではない眼差しで、頬が真っ赤に染まった皇太に罵声を浴びせる。


「今度こそ殺してやる!!」


 それを聞いた下っ端の女子達が、正気を失ってコントロールされているかのような目でザッ、ザッと階段を降りてくる。ようやく立ち上がった小笠原は皇太から少しばかり離れ、それと同時に、先頭を進んでいた結華がうつ伏せの皇太の襟を力強く持ち上げる。


「生きる価値なんてねえよ、このゲス。」


「ぐ、ぐるじい……」


 女子達は体の向きを180度変え、もと来た道を戻っていく。結華はお構いなしに皇太のワイシャツの襟を強く握って、もがき苦しむ皇太の体を引きずって行った。


「蓮…… 田……」


 もはや聞き取れないような小さな声で、皇太が俺を呼ぶ。


「ちぼう、よぜん…… がんばれ、よな……」


 そう言い残して、女子達と皇太は廊下の影に消えて行った。


「お、おう……」


 俺は動揺したまま、そう答えるほかなかった。

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