第34話 恨霧(403日前)

 日曜日。12月にも入って肌を指すような寒さが顕著になり、今日はみぞれまじりの雨がポツポツと降っていた。元々は皇太とその仲間どもと遊ぼうぜと誘われていたのだが、今日は難しいということでお蔵入りとなった。


 そんな中俺は真昼間に真夜に呼び出され、家からさほど遠くない神宮児童公園という小さな公園の藤棚の下のピクニックテーブルで、俺はネックウォーマーに口と鼻を引っ込めながら、どこか様子がおかしい真夜を見つめていた。


「どうした…… そんな怖い目をして。」


 真夜は俺の言葉を跳ね除け、一心不乱にタリスの上のトランプを見つめ続けている。いつもなら見せないような目の開けっぷりで、苛立っているような勢いで右手を素早く動かす。


「あの近藤皇太とかいうクズを呪ってんの!」


「お、落ち着け落ち着け!!」


 結果に満足いかずもう一度挑戦しようとした真夜の右腕を掴んで、俺は恨みを剥き出しにした真夜の感情をどうにか鎮めようと試みた。あれから皇太は結構シバかれ、女子からは見向きもされないような(元々そうだったが)クズ野郎のレッテルを貼られたのだが、真夜は今でもかなりお怒りのようだ。


 必死の抵抗の末、真夜はようやく右腕から力を抜き、力強く潰すように握っていたジョーカーを大人しくタリスの上に置いた。


「どうせ私なんか選ばれない小ちゃい女ですよ!」


 そう言って、まだトランプが束になって置かれているタリスの上に寝そべっていじける。トランプが数枚、濡れた地面の上にぱらっと落ちた。


「つーか何でここに呼び出したんだよ。」


 ネックウォーマーの中で口をモゴモゴさせながら尋ねる。


「今日家に親戚が来ててさ。可愛い従兄弟なんだけど占い見られたら困るし。今日は雨だからさ、占いを不特定多数に見られるわけでもないじゃん。」


 こっちには顔も向けずに真夜が答える。確かに、周りを見ても遊具で遊んでいるような子供は一人もいなかった。


「ま、通常業務か。」


 俺はタリスの隣に置かれていたノートパソコンを引き摺らないように自分の元に手繰り寄せ、いつも通り電源を入れる。ようやく真夜も体を起こし、地面に落として若干濡れてしまったトランプを丁寧に拾い上げた。


 ツイッターを開き、いつも通り未開封のDMの中から一番古いものを見つける。


「Maya先生こんにちは。相談があります。私は比較的裕福な家に生まれ、父親が大企業の社長というような家庭で育ちました。それゆえ、この資産などを継いでほしいと親から言われ、最近はしょっちゅうお見合いの日々です。


 しかしお見合いした人の中に私の好みはおらず(一部からはセクハラもありました)、言ってしまえば私には別に彼氏がいます。ただ親はどうしても高貴な人と結婚させたいらしく、私の彼氏は多分親からすればど庶民でしかありません。


 私は自分の恋を貫きたいです。あんなセクハラ男を振り切って、私は彼氏と結ばれることはあるのでしょうか? ぜひMaya先生に見ていただきたいです。長文失礼しました。」


「なるほど。すごい深刻だけど贅沢な悩みだね。」


 真夜はカードをシャッフルしてタリスの中央にそっと置く。怪しく笑うジョーカーを右手で挟み束にかざすと、紫のベールを纏ってカードが徐々に浮いていく。


「へぇ、何やってんのー?」


「「わっ!!」」


 突然上からかけられた声に俺は驚き、急いで上を向こうとするが、俺の脳天と誰かの顎がごっつんこしてしまい、俺は頭を抱えて伏せる。真夜も驚きのあまり神経を集中させていた右腕が勢いよく動かされたことで、大量のトランプが宙を舞い、再び地面に落ちる。


「いってぇ……」


「いったぁ…… もう! なんてことすんの!」


 声の主の正体を見た真夜が立ち上がる。


「結華!」


 俺も数秒遅れで振り向こうとすると、痛めた顎を押さえようとした結華の腕が偶然、今度は俺の左頬に直撃する。


「いたーーっ!!」


「あ、陽佑ごめん!」


 こいつがいると本当にろくなことが起きない。


「こんな時にトランプごっこは楽しそうだね! 私も混ぜてよ。」


 痛みが引いたところで、明らかに怪しいことが行われていたことを知っているような口調で、結華は俺らの顔を交互にニコニコと見つめる。でもこいつって、占いのことは知ってたよな?


 厄介なことは後回しにしようと、俺は反射的に時間稼ぎという作戦に出た。


「つーかお前こんな寒い時にミニスカ履いてくんなよ。」


 俺は結華の右腕を軽めに握った拳で殴る。セクハラだと思われるかもしれないが、これは昔から分かり合っている友であるからこそできる、ジョークのようなものだということをご理解いただきたい。親しい友ならまだしも、これを他クラスの女子や先輩にやったら無論嫌がらせである。


「いーったたたたーー!! 骨折したーー!!」


 結華は殴られた腕を手で覆い、赤ちゃんでもわかるほどの痛い痛い演技で俺を非難する。もちろん助けなんて来るわけない。


「てかミニスカでもいいじゃん! 可愛いし!」


 今度は結華が反撃に出る。結華は右手で簡単な拳を作ると、俺の頭を軽く殴った。もちろん痛くも痒くもないレベルだが、無闇に他人にこんな攻撃をすると嫌がらせになりかねない。


「いたーーっ!!…… 」


 シーン。俺のギャグセンスのなさが明るみに出てしまった。黒歴史を新たに追加。


「まあそんなことはいいとして、」


 結華が話を戻す。ちぇっ、俺は無視かよ。


「それ真夜ちゃんの占いでしょ? 何占ってたのー?」


「えーっとー、個人情報だからなー……」


 真夜が困ったような表情で答える。やはり顧客の情報をアシスタント以外に漏らさないというふうに個人情報管理は徹底しているようだ。それに対して結華は「ケチ!」と言わんばかりに頬を膨らませた。


「皇太を呪ってたんだとよ。」


 俺は場を和ませるつもりで言ったのだが、逆に結華はハッとしたように顔色を変えてイラつき始める。


「もう何なのあいつ! マジでクソゲス野郎じゃん。私の胸が揺れて興奮したとかふざけんな……」


 突然、何かを思い出したかのように俺を見つめる。すると俺を見る目も急に厳しくなった。


「あの時ゲスと一緒にいたのって陽佑でしょ? もしかしてあんたも私を見て興奮してたんじゃないの!?」


「んなわけねえよ!!」


 俺は突然向けられた疑いの目に戸惑ったが、この戸惑いが逆に怪しまれてしまった。


「ほぉーーそうですか!! 私がそんなにもエロく見えたんですね! まさか私の光景を思い出してはあんたのおかずにしてたんじゃないんですか!?」


「してねえよ!!」


 顔が赤くなりながらも俺は必死に否定した。助けを求めようと真夜の方を振り向くと、真夜は呆れたように俺に冷たい視線ビームを放っている。


「だからちげえっつーの……」


 その時、俺の頭に一滴の雫がポツっと滴った。おかしいな、さっきまで藤棚のおかげで雨にも濡れずに居座れたんだが。


 それを皮切りに、2滴、3滴と続々雨粒が上から降り落ちてくる。さっきまで弱かった雨が急激に激しくなり、温度も急激に下がる。今の自分の装備だけでは足りないほどの寒さだ。


「うわっ、雨強くなっちゃった! 真夜ちゃん隣失礼するね!」


 結華が急ぎ足で真夜の隣に座るが、すでにガタガタと震え始めていた。ミニスカ履いてくるからだろ。


「うぅ、寒いよぉ……」


 いやミニスカ履いてくるからだろ。


「ならこれ、使っていいよ。」


 隣でその様子を見守っていた真夜が、来ていたコート脱ぎ、結華の脚にかける。


「え、いいの?」


「大丈夫、私一応ヒートテクノ来てるから。」


 真夜は何でもないようにニコッと笑って見せる。結華さん、笑顔ってこういう使い方が一番正解なんですよ。


 しかし数分後には真夜も結構耐えられなくなったらしい。


「ヒートテクノだけじゃダメだったかなー。」


 心配していた結華が気を使って真夜のコートを返そうとするが、真夜は頑なに拒否する。それからは少しばかり我慢を続けていたようだが、やはり寒さには勝てず、次第に体の震えが激しさを増していった。こうなれば……


 俺は来ていた厚手のジャケットを一旦脱ぎ、着ていたパーカーも脱いで、長袖一枚になった。シャツ1枚の俺を見て引いている2人を横目に、俺はその上からジャケットを着る。暖かさは減ったが、寒さに耐えられないわけではないようだ。


 俺は脱いだパーカーを真夜に差し出す。


「多分サイズ大きいけど、寒そうだったから……」


 どうしても照れてしまい、俺はここで言葉を途切らせる。最初は押し返されていたが、3回目の粘りでようやく受け入れてくれた。


 真夜にはオーバーサイズだったが、緑のぶかぶかパーカーでネックウォーマーのように口元を隠しているのには少し見惚れてしまった。


「フー! 陽佑カッコいい!」


 結華が俺の事情を知っているかのような口で煽った。


 この後、俺は家に帰ってくしゃみが止まらなかったことを告白せねばならない。

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