第33話 裁酸(408日前)
1週間後の火曜日、3時間目後の休み時間。
「はぁーーーー……」
机にばら撒かれた紙の上に俺は無気力な頭をぶつける。声帯を通過するほどのまともな声も出ず、ただ虚しい呼吸を繰り返しながらこれまでの行いを後悔していた。手に一枚握り締めた答案用紙が、俺の耐熱と握り潰す力でふにゃふにゃになる。
「お前、やっちまったようだなー。」
俺が絶望している横から呑気な声でお邪魔してきたのは皇太だった。俺の右隣で寝そべっている俺を上から見下しているような姿に腹が立つ。
「お前が口出すような管轄じゃねえだろ。」
俺は少しイラッとした声で体を起こし、明らかに不機嫌さを見せるような目で陽気な皇太を睨み付ける。皇太は俺の攻撃には怯むことなく、ただ俺を宥めようとしながら引き下がった。
「まあまあ、こんな点数でもマシな方だぜ?」
バンドコンテストに追われていたせいで置いてけぼりにしてしまっていた試験勉強を、俺は試験初日までの2日間でカバーしようと試みた。しかし結果はズタボロ、これまで99.9%の確率で90点以上は取れていたような教科のテストでも、今回ばかりは珍しく80点台が多く並んだ。これまでの俺の結果を顧みれば惨敗と言っても過言ではない。
「それと、地方予選進出したんだろ? なら別にいいじゃねえか。」
俺はハッとして、何の前触れもなく皇太の両腕をガシッと掴む。もしやこれは、あのパターンか?
「お前、なんでバンドコンテストのこと知ってんだよ?」
「え? お友達から聞いたの。」
「もしやそれって……」
「真夜ちゃん。」
やっぱり。人に聞かれりゃどんな秘密であろうと見事に晒し上げる。流石に真夜でもお人好しが過ぎる。こんな奴が政府にいたら、記者たちの前でポロッと国家機密でも漏らしそうだ。
「私が何だってー?」
うわっ、と驚く声を上げて振り返れば、皇太の背後から何も知らない天然真夜さんがひょっこりと顔を出してこちらを覗き込んでいる。
「あのねー真夜さん……」
俺は苛立ちを込めたような声でゆっくりと体を真夜の方に向ける。苛立ちと言っても、好きな人を本気で叱り付けるわけにもいかないから、あくまでも演技、カモフラージュだ。真夜は何について問われているのか知る由もなく、俺の方を見てキョトンとしている。そんな顔をしている真夜がちょっと可愛く見え、ついニヤケが出ていてしまいそうになる。
「なんで俺の秘密をよくもあんな簡単にリークするわけ?」
「え、だって本当はそれ秘密じゃないんでしょ?」
平然とした真夜の意外過ぎる返答に、俺の怒りは一瞬で幾多のクエスチョンマークに変わった。ポカンとしたまま、俺は返す言葉も見つからない。まじ何言ってんだこいつ?
「結華が言ってたよ。陽佑が秘密にしといてって言ってる時は拡散してほしい時だって。」
「はぁぁぁぁ?」
よく見れば教室のドアの方から、小笠原軍団がニヤニヤしながら俺らの方をじっくりと観察している。俺の反応を見た彼女たちはクスクス笑いながら、逃げるようにして姿を消していった。
ーー結華ぁぁぁぁ!!!!
真夜が人の言うことを何でも飲み込む性質を利用した悪質な洗脳。真夜が将来詐欺に合わないか心配になってくる。
「うわっ、蓮田ちゃんかわよー。」
「うっせ黙ってろっ!」
馬鹿にするような口調で皇太が煽り立て、そのお返しに思わずいつも表に出さないような激しい口調で黙らせる。真夜は俺の言動が信じられないと言うような顔をして驚く。
「落ち着け、これまでコンテストで大変だったから疲れてんだよな、な?」
真夜の顔を察したような皇太が俺をなだめる。俺もこれ以上恥をかかまいと真夜とそのグルを咎めるのは諦めた。
「なあ蓮田、放課後フィオレ行かねえか? テスト明けだしよ、我慢してたし行こうと思ってたんだけど他のやつら全員今日部活で来れねえっつーから。どう、来るか?」
「まあいいけど。」
俺の余り物感が強いのが少々むかついたが、俺は皇太のイタリアンへの誘いに乗った。
「そうだ、真夜ちゃんもどう?」
「いや、私はいいよー。」
真夜は申し訳なさそうな素振りで丁寧に断った。
「じゃ蓮田、放課後校門集合な。」
そう言い残して皇太は次の獲物を捕らえたかのように他の男子グループに飛び込んでいった。
この時、真夜というスパイがいたとは。
✴︎
本桜山駅のすぐ目の前にあるイタリアンレストラン、フィオレンティーナはいわゆる学生たちの神様だ。安くてうまい。料理の量もちょうどいい。ドリンクバーだけ頼んで勉強なんてのもOK。遊びに出かけて昼飯に困ったら、とりあえずフィオレに行けばどうにかなる。しかも全国いろんな場所にあるもんだから、金がない学生にとっては本当にありがたい存在だ。
中高生やペチャくるカップルなどに囲まれる中、俺はひんやり冷たいメロンソーダを前に皇太と向き合って座っていた。
「そんで、地方予選はいつなの?」
真っ黒なコーラをストローで贅沢に飲み干しながら、皇太が最初に話しかける。
「12月の8日だから、来週の日曜だな。」
皇太が口笛を鳴らす。
「へえ、早いんだねー。」
ろくに関心も示さない様子で、皇太は3秒前に飲んだはずのコーラに再び口をつける。
「何の曲やったの?」
「え? えっとー、修也が作ったオリジナル。」
「え、まじかよ! 地方予選どこでやんの?」
「米浦らしいよ。」
「俺見に行ってもいい?」
「絶対来んな。」
そんな調子でだらだら会話を進めていると、入店して5分も経たずに話題のタネが尽き、沈黙が訪れる。俺がもう少し陽キャであれば、あと50分はノンストップでいろんな話を続けられただろうに。俺はやることもなく、まだ口をつけていなかったメロンソーダをチューチュー吸い込んだ。
「なあ蓮田、」
皇太が再び口を開ける。俺は目だけを皇太の方に向け、口だけはストローにつけたまま緑の炭酸液体を口の中に流し込んだ。
「お前、真夜ちゃんのこと好きだろ。」
喉を通過しようとしていたメロンソーダが突っかかり、突発的に激しくむせる。何で知ってんだこいつ!
「お前真夜ちゃんに怒ってるようなふりしといてちょっと照れてたぞ? それって恋以外ねえだろ。」
「ん、んなわけねえだろ、黙っとけクソがっ!」
俺は一生懸命誤魔化そうとしたが、俺の顔が熱くなっている時点でこんなの効果ないことはわかっていた。それに気づいた皇太がさらに攻撃を仕掛ける。
「あれれ、秘密にしといて、は拡散して欲しいのかな?」
俺は何も言い返せず、ただただ俯く以外に方法はなかった。諦めのため息が漏れると、皇太はさらに興味を持ったかのようにグイグイ攻めた質問をし始める。
「な、お前真夜ちゃんのどーいうところが好きなんだよ?」
俺は目を瞑り、心で落ち着く暗示をかけながら黙々とメロンソーダを一気に飲み干す。皇太の顔は余計ニヤニヤしていくばかりだ。
「その顔からして…… お前真夜ちゃんのココが好きなんだろ。」
皇太は胸の下に若干丸めた手を当てて見せる。言いたいことはわかるが、残念ながらポイントはそこではない。俺は黙秘権を行使。
「まあでも真夜ちゃんはちっちゃいよなー、せいぜいあってもAとかBあたりだろうし。」
急に始まった。俺は氷だけになったコップをテーブルに置き、冷たい視線を送りながら聞き流す。
「クラスでいうとあいつか、リョーコはすごいよな。あんな巨乳で高校生はグラビア級だぜ、あれは! あと2組のカナも結構すごいぞ。痩せてるから余計あれが目立つんだよなー!!」
一人で変に盛り上がっているせいか、だんだん声が大きくなってきて、両隣の席に座る同世代の学生たちがキモい目で見てくる。俺は関わってないからね? あくまでこいつだけの世界だから。
「あー忘れてたわ。ユイカアイカワはそこまで大きくはないけどエロいよな! 体育の短距離走の時とか見たか? 左右に揺れてて俺まじで興奮したわ! それと……」
幼馴染をそんな目で見られては困る。どうにも終わりそうにないこのエロトークに、俺は目を瞑ってため息を漏らした。少し経って顔を上げた時、俺の背中には10万ボルトの電気が走った。
皇太の後ろに誰か立って睨んでいる! 見たことある長い黒髪の女、若干レッドヘアのギャルビギナーっぽい奴、そしてもう一人。
ーー真夜と結華と小笠原……!!
何でここに来てんだよ!
そろそろまともに冬が始まるのに額からは汗が止まらない。声に出して注意しようと思っても息が突っかかってただの呼吸音にしかならない。まずい、皇太は3人に気づかず引き続き安定のエロをむき出しにしている。
「逆に言うとよ、小笠原はひでえな。あいつあんのか? 俺はまともに見たことがないね。」
ーーう、し、ろ! う、し、ろ!
怖すぎて俺は口パクで身の危険を知らせようとするが、俺の信号に皇太は気づく素振りも見せない。
「あんな貧乳とは付き合いたくないね! 正直言って損す……」
後ろで待機していた女子の堪忍袋がついに切れ、我慢ならなくなった、特にひどい悪口をとことん浴びせられた小笠原が、皇太の肩をグイッと掴む。皇太は何の危機感も持たず振り返ったが、肩を触れた正体に気づいた時には、人生の終わりを悟ったような真っ青な顔に変わった。
「へ、へへ…… ど、どうもー……」
鬼のような形相をした3人がゲス皇太を強烈に見下す。
「ちょっと来てもらおうか。」
小笠原は皇太の腕を掴み、無理やり立ち上がらせて、店の外へと連れ出していった。店内の注目が集まる中、俺の背中は雨に濡れた時のようにグッショグショになる。
…… この先のことは触れたくないので、今日はこんな終わり方で。
To be continued
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