第32話 進肩(416日前)
月曜日。いつもよりも人通りが少なく見える廊下を通り過ぎ、階段を下って購買に向かおうとしていた時だった。
「やあやあ、久しぶりだねえ君ぃ。」
2年生フロアを通過しようとした背後から聞いたことのある声がする。俺は売り切れ御免のジュースをゲットしたい心を抑えながらも足を止め、声のする方向へと振り向いた。
「うっわぁ、七実だ。」
「ちょっ、何がうっわぁなわけ!? 説明してもらいましょうか?」
俺の反応にむすっとした
「あのー、俺ジュース買いたいから行っていい?」
少し煽るように俺は七実の詰め寄りをかわそうとしたが、そんなの効くはずもなく、七実は俺の左肩を掴み、男子に劣らぬほどの怪力で骨ごと粉々にしようとしていた。
「ああ痛い! 痛いってば!」
俺が喚きもがけばもがくほど、七実の右手には力がどんどんこもっていく。
「わかったわかった、ごめんなさい! 離して離して!」
「この度は! 言って!」
強迫的な口調で七実が叫ぶ。俺の顔に若干唾が飛んで気持ち悪い。
「こ、この度、は……」
「私の親愛なる小塩七実様を!」
「私の、親、愛なる、小塩、なな、み、様を……」
「ディスってしまい申し訳ございませんでした!」
「ディスって、しまい…… うぐ、申し訳、ございませんでした…… ああ痛え!」
「はい、よろしい。よく言えました。」
ここまで言うと七実は途端に力を緩め、俺の肩から手を離す。痛みから解放されたとは言え、俺の左肩には握られていた時以上にジンジンした感覚が残った。
教訓、七実は小悪魔になると身体的に壊滅させられる、と。
「あのー、俺ジュース買いたいから行っていい?」
2回目だが、俺は向こうが折れるまで諦めるつもりはない。
「まあそんなことはさておきー、」
おい無視かよ。
「君、昨日大会出てたね? ロックの。」
驚きを隠せず、俺は肩を擁護したまま七実の目を見る。なんでそんなこと知ってるんだ? 大会に出ることは家族とか真夜と結華、数えられるほどの人間しかいない。SNSでも拡散してないのに。
「な、なんで知ってるの?」
「君の準カノから聞いたんだよ。」
「てことはあいつか……」
「そう、真夜ちゃん。」
やっぱり。たくさんの知り合いが見に来ると緊張してしまうからという理由で、大会出場のことを誰にも口外しないように口封じはしていた。しかしさすが天然真夜さん、思わずポロッと口にしてしまったようである。
「実は私も出てたんだよねー。」
ようやく痛みが引いてきた肩を驚きのあまり勢いよく動かしてしまい、再びジンジンし始める。
「え、七実も出てたの!?」
俺の質問に、頭を垂れた俺を上から目線で眺めながら答える。
「当たり前じゃないっすか。」
へっへーんと何故か鼻を高くする。いや、あなただけじゃなく俺も出てたんだけど。
「君は昨日が本番だったんだよね? 私たちは先週の日曜だったから遭遇しなかったんだよ。」
4日に分けて行われるスタジオ予選では、希望する日程で参加を申し込むことができた。申し込み担当になていた俺は2日目か4日目にしようかと30分以上悩んで最後の日に決めたのだが、七実たちと鉢合わせする羽目になっていたことを考えると、4日目にしておいて本当に良かったと思った。俺氏って天才っ。
「ところでなんの曲弾いたの?」
「え?
痛みの第2波がやっと消え去ったところで、俺はゆっくりと体勢を立て直し、およそ120秒ぶりに七実と対等に話す準備が整った。と思ったのだが七実の「当たり前でしょ」と言わんばかりの答えに俺はすぐに硬直してしまう。
あのギター殺しの曲を大会で弾いた…… 別になんら悪いことではないのだが、俺は会場の雰囲気を曲名と七実のギターだけで容易に想像できた。
「観客はどんな反応してた、の?」
「うーん、引いてたね。」
やっぱり。こうなってしまうために、俺はハードロックを人前で演奏するのには抵抗がある。(ハードロックやメタルに対する冒涜ではございません。素晴らしい音楽ジャンルだと考えております。)
「おーい七実ぃー!」
七実の後ろから、彼女のバンドのベーシストが七実を見つけて近寄ってくる。このベーシストさんも結構うまい。
「あ、チカじゃん! どうしたのー?」
「どうしたのーじゃないよー。今日結果発表の日だってば!」
七実は忘れていたのかはっと思い出したように目がキラキラ光りだし、ベーシストの両肩を持って揺さぶる。
「そうだった! ねえ、どうだったの!? ねえ!」
チカさんは七実の力に対抗しきれず、七実が肩を動かすままに頭も前後に連動する。チカさん、この七実さんとは変に関わらない方がいいですよ……
「あーっと、それがねー。」
揺らすのをやめた七実は両手をチカさんの肩から離す。
「ウチら通らなかったんだよねー。」
七実はあちゃー、と右手を目に当てて天を仰ぐ。
「行けなかったかー。まあ何十組中たったの2組だし。宝くじの一等に当たるようなもんか。」
どれだけ自分に自信があっても勝ち残れるのはそのスタジオのスタジオ予選参加バンド中2組のみ。「俺たち、私たちはできる!」と思っていても、自分たちより評価されたバンドが2組出てきてしまった時点で残りが負け組となってしまう。このスタジオ予選の一番残酷なところだ。
「何がいけなかったんだろうねー。」
チカさんが腕組みをして考え込む。
「うーん、もっと私のソロをかっこよくすれば良かったかなー?」
いや、多分選曲が間違ってたんだよ七実。
そんな時、俺のズボンのポケットにしまってあったスマホが震える。ポケットから取り出した俺は、届いた通知を見て一瞬で鼓動が跳ね上がった。
「ティーンズバンドウィンターパーティー 修大寺スタジオ予選 結果通知」
それに目が奪われ頭の中があたふたしていると、数秒後にLINEの通知が届いた。
LINE
シューや:おいお前早く来いよ
シューや:結果発表
✴︎
「わりいわりい、遅れた。」
「もおどこ行ってたの?」
待ちくたびれた様子の修也と和歌葉、その他二人が(めんどくさいので省略)既に4組の俺の席の周辺に群がっていた。4人が見守る中、俺は運命の通知メールが届いたスマホを握ったまま着席する。
「通知は来たの?」
実玲が心配そうに尋ねる。俺は安心させるようにしながら優しく頷く。溢れ出る俺の兄性。
「言っておくが、俺らが通る確率は低い。宝くじに当たるようなもんだからな。」
スマホのロックを解除する前に、俺は厳しい目つきで4人に忠告しておく。そう、どれだけ自分たちには自信があっても、落ちる確率の方が圧倒的に高い。現実を突きつけられ、期待感を膨らませていたメンバーたちは顔を硬くして覚悟を決めた。
俺は恐る恐るスマホのホームボタンに、親指の指紋を当ててロックを解除する。緊張からか指から汗が止まらず変な感触になる。
ホーム画面の下に固定されたメールアプリのアイコンには1のバッジ表示。俺は一つ一つ行動を何故か意識しながら、そのアイコンをタップする。受信箱のトップに現れたのは、もちろん結果通知のメールだった。
メールを読み込むまで読み込み中のマークがグルグル回転する。この時間がなんとも永遠のように感じられた。
「ティーンズバンドウィンターパーティー 修大寺スタジオ予選の通過者は以下の団体です。」
この結果通知メールは全参加バンドに一斉に同じものが配信される。載っているのは受かったか落ちたかではなく、スタジオ予選を見事勝ち抜いたバンドの名前2つだけだ。
「No. 4355 Eagle Yardeck」
「No. 6534 mathilda」
しばらくは誰も声を発することができなかった。え、俺らの mathilda で合ってるよな?
俺は半信半疑で、エントリーナンバーを控えたメモ用紙と届いたメールに記載されたエントリーナンバーを何度も照らし合わせる。間違いない。俺らのだ。
全員の顔が円の中心で交わる。しばしの沈黙の後、次第ににやけが抑えられなくなった。
「「「「「やったーーーー!!!!」」」」」
mathilda : スタジオ予選通過
全員とハイタッチ。女子たちは女子たちで抱き合い、修也は安心したのか、全体重を預けるようにして俺に抱きついてきた。
「怖かったー。」
なかなかこういう修也も珍しい。俺は優しく背中をポンポンと叩いてやった。
「ま、油断はできねえんだけどな。」
いつもの男らしさ、というかナルシストらしさを取り戻した修也が俺から離れる。
「明後日から期末試験ですよー。」
うっわぁ、すっかり忘れてた。
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