第31話 乱頭(417日前)

 落ち着け、落ち着くんだ、俺。


 身体中に言い聞かせても歯止めがかかるどころか更に手汗が滲み出てくる。俺はその手で必死にギターのネックに力を込めて握り締めながら、手汗ですぐに弦が錆びないかと心配していた。


 広い会場に拍手が響き渡る。ついに俺たちの番が来てしまったようだ。ついには汗だけでなく、歯が緊張でカタカタ音を立てながら震え始めた。


「なあ、お前大丈夫か?」


 隣で俺の様子を見ていた修也が俺の肩をポンと叩く。ガチガチに硬直している俺とは裏腹に、修也はなんの緊張感もないらしく、むしろ俺らの番が回ってきたことに興奮しているようだった。さすが、自分の作ったものには絶対的な自信を持つマン。


「ぽりぽりこのみなさん、素晴らしい演奏をありがとうございました! 続いては、エントリーナンバー6534、mathilda です!」


 司会からのコールとともに俺らは立ち上がった。右の方に視線を向けると、和歌葉と奈津が修也同様、自信に満ち溢れた凛とした顔つきで気合を入れている。その二人の向こうでは、実玲がどこか浮かないような硬い表情で、これから登ることになるステージに目をやっている。弱気になっているのは…… 俺だけなのか?


「安心しろ、」


 今度は修也は俺の背中を強く、餅を喉につまらせた時のように叩いた。


「お前だけじゃねえから。俺らがいる。Mayaさんも行けるって言ってたろ?」


 少々言い方がナルシストっぽくでうざいが、そのおかげでかこれまでの緊張が少しづつほぐれていった。


 ちなみにだが、かのMayaさんからの返信はこんな感じだった。


「火と善と空の反応が強く出ています。どこまでかはわかりませんが、快進撃があるかもしれません。」


 俺が書いた文章で俺自信が励まされるなんてな。


 スタジオ予選。全国のアークフリートスタジオで行われる、バンドコンテストの最初の関門。各スタジオの参加者が多いため、先週の土日、そして今週の土日の4回に分けて選考が行われる。しかし、そこから這い上がれるのはたったの2組だけ。過酷な戦なのだ。


 この発表の舞台の前に座る参加者たちは、この日のために練習を重ね、「我らが勝ち進まん」と闘志を燃やして自分たちの音を奏でる。己のプライドをかけて、皆日々努力を重ねに重ねてきた。それは俺らも変わらない。


 でも俺には勝つ理由がある。思い出づくりという名目でバンドメンバーを誘ったわけだが、俺にはもっと大きな目的がある。


「大勢の人前でギターを弾きたい」


「大爆音でかっこいいソロを決めたい」


「スタジオに何時間も入り浸りたい」


 そうだ、俺は死ぬ。死ぬまでに、俺はこんなことをやりたいって決めたんだ。有言実行、言ったからには行ってやる……!


 一段高くなったステージに足をのせ、俺は長らく握っていた俺のギターのストラップを首からかける。さっきまで持っていたネックと胴体との接続部分は体熱で熱くなってしまっていた。


 そこから用意したシールドケーブルをギターに差し込み、マルチエフェクターを経由させてアンプへと繋ぐ。電源スイッチを押してしばらく経ってから、試しに効果をつけずにギターの素の音(クリーン)で一度ジャーンと弾く。使ったことのないアンプだが、その綺麗な響きが染みる。


 確信した。大丈夫だ。


 準備を整え終え、タイミングを見計らった実玲が舞台挨拶をする。


「えー、皆さんこんにちは、mathilda と申します。同じ高校の軽音部で活動しています。今回は、ドラムの修也が作ったオリジナル曲を披露したいと思います。」


 名前を呼ばれて照れたのか、修也は一瞬にやっと笑った。調子に乗ったのか、スネアドラムを手短に叩いて「俺が作詞作曲したんだぜ」アピールをぶちかます。


 ここで実玲は一呼吸置いて静かに口を開いた。


「聞いてください、Martyrdom」


 綺麗な英語の発音が部屋の壁に吸収されてシンと静かになったのと同時に、実玲がマイクを持った手を力強く天に突き出し、そして勢いよく下にふりさげる。それを合図として、俺らは一斉に最初の一音を力強く掻き鳴らした。


 実玲が手を上げた時にはまだ俺の中で不安が埋めいていたが、ぎこちないながらも練習通りに音を鳴らしていくといつの間にかさっきのネガティブな感情は消え去ったり、気持ち悪いほどの爽やかさで満たされた。


 最初のインパクトが強かったためか、思っていたほどの手拍子やノリは少ない。が、観客がぽかーっと口を開けて俺らの演奏を見ているのを見るのは、優越感からだろうか、俺にはなんとも気持ちがよかった。


 ✴︎


 あれから30秒も経ったのかと感覚が狂ってしまうくらい、俺らの演奏はあっという間に終わってしまった。ある意味ゾーンに入っていたと言えば説明がつくのだろうが、数十秒前の記憶がすっからかんになるほど俺は無意識になっていたようだ。


「ありがとうございました! 続いてはエントリーナンバー7440のアウストラロピテクスの皆さんです! ではスタンバイをお願いします……」


 客席から聞こえる拍手を浴び、まだ何が起こったのか自分の中で納得がいかないまま、俺はギターを持ってステージを降りた。


「良かったな。」


 満足したような顔をした修也が背後から俺の肩に腕を回す。俺は混乱したような顔で折角の修也の言葉に何も反応できずにいた。


「どうしたお前? なんか浮かねえ顔してんぞ?」


 異変に気付いた修也が俺の目線に割り込んで話しかける。


「あーそのー…… さっきまでの記憶が無くて、どんな感じで俺ギター弾いてたのか覚えてなくて。」


 修也はしばらく黙った後、心配そうな表情を明転させ、俺の肩に回していた腕を更にきつくし、俺の首を絞めようとした。


「なーんだお前ゾーンに入りやがってよお! お前いいことじゃねえか!」


「イィ痛いから離せよこのクソ野郎がっ……」


 もがく俺をしばらく弄んだ修也は俺に回していた腕を戻し、俺の耳に囁くように言った。


「俺マジでびっくりしたんだけど、お前のソロんときの動きがヤバかった。」


 俺は急いで記憶をプレイバックさせる。しかしゾーンに入っていた以上、思い出せるはずもない。普段は首への負担を減らすためにもキャラ維持のためにも、ヘドバン等はしないようにしているのだが……


「なあ、こいつのソロまじでやばくなかった?」


 修也が振り返り、後ろからついてくる女子3人に笑いながら確かめる。これを聞いた3人は大きく口を開けて爆笑しながら話し出す。


(奈津)「陽佑さー、あの時ソロでヒートアップしちゃってグルグル回転するわ、ギターを高々と掲げるわ、激しすぎるヘドバンするわでびっくりしたんだからね?」


(実玲)「ヘドバンの時観客引いてたよ。責任取って。」


(和歌葉)「頭あんな風に振り回してさ、こんな風に!」


 和歌葉は俺がやっていたとされるヘドバンを再現して見せる。思い切り後ろに反った反動で胸のあたりまで前に振る。これはスタジオ予選レベルなんかではない。和歌葉の髪がユッサユッサ揺れるのを見て、さすがに俺も寒気を感じずにはいられなかった。


 ✴︎


(和歌葉)「ほんじゃ、みんなお疲れー!」


(実玲)「明日の結果発表忘れないでよー。」


(修也)「お疲れぃ!」


(奈津)「バイバーイ!」


(俺)「乙ー。」


 予選が無事終了し参加バンドが続々と解散して帰っていく中、俺は喉の渇きに限界を覚え、何か飲み物でも買おうかと近くのコンビニの方へと足を向けた。


「よっ、お疲れ陽佑ー!」


 後ろから勢いよく突き飛ばされ、大切なギターごと倒れてぶっ壊してしまいそうになる。幸いコンクリートに膝をつけ、なんとかバランスを保った。大抵こういう時に来る奴と言えば……


「やっぱり真夜じゃーん、しかも結華まで。お前ら来てたのぉ?」


 今日1日のストレスで怒り声になる。てか来るなら連絡よこせよ。


「折角見にきてあげて、お疲れってまで言ってあげたのにその態度はないっしょー。うわーきっしょ最低。」


 結華が俺を見下すように仁王立ちして罵声を浴びせる。おい恥ずかしいからやめてくれ。俺はなんとかして再び立ち上がった。


「今日陽佑ヤバかったね。ソロとか。」


 ニヤッと俺に詰め寄る二人に俺は思わず目を閉じる。また一つ大きな黒歴史作っちまったな。


「まあでも、」


 真夜が一呼吸置いた。


「あれも結構カッコ良かったよ。」


 目を開けた俺は照れのせいでずっと目線を上げられなかった。

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