第30話 来知(421日前)

 水曜日。5時間目が終われば帰れるという特別な時でさえ、俺はいつも学校に残されて真夜の仕事に付き合わされているが、今日はそんな束縛から久々に解放された。帰りのHRが終わるとだれよりも早く教室を抜け出し、速攻で本桜山駅の改札をくぐり抜けて修大寺へと向かった。


 いつも通り下校中の中高生と買い物客でごった返している修大寺のメインストリートを横目に、俺は細めの路地を早歩きで進む。30秒ほど歩いたところで、いつもお世話になっているアークフリートスタジオの看板が目に入った。


 俺は受付をスルーして、すでに実玲がスタンバイしている301スタジオを目指した。


「あ、意外と早かったね。」


 落ち着いた様子の実玲は、冷静な口調で俺を出迎える。こんなに静かなのに、迫力のある綺麗な歌声が出るようには見えない。


 俺は軽く微笑んで、まだ新鮮な空気が漂う11畳のスタジオに足を踏み入れた。


 スタジオに入ったら俺は即リュックと上着を捨て、持ってきたギターをケースから取り出してアンプに繋ぐ。今回は特別に思い入れのあるマルチエフェクター(ギターやベースの音に効果をつける機械。マルチであれば、1台でいろいろな音を作り出せる。)も持参したため、これも繋いでやった。


 まずは試しに、適当にセッティングしておいたアンプから音を出してみる。左手でどこも押さえないまま6つの弦を一気にかき鳴らす。ジャーンという音が緊張感の漂った空気に響き渡り、やがて壁の中へ消えていった。うん、良い。


 色々と細やかなセッティングを済ませた俺は、近くにあった椅子に腰掛け、覚えたフレーズを反芻しながらゆっくり弾く。確か……こうだったよな。


 そうこう頭を働かせているうちに、バンドメンバーが続々と到着する。入ってくるや否や、彼らはパッパと楽器のセッティングを終わらせ、5分後には全員がいつでも弾けるような状態にまで準備は万全だった。


「さてと、」


 ドラムスローン(椅子)に腰掛けた修也が言葉を述べる。


「みんな耳コピできた?」


 他全員が自信を持って頷く。無論、俺も同様だ。


「ま、まずは1回合わせてみようよ。」


 事実上のリーダー和歌葉が提案し、一斉に俺らは戦闘態勢に入った。皆が準備できたことを確かめた修也がリズムをとる。


「1、2、1234!」


 ✴︎


「……良かったんじゃない!?」


 張り詰めていた演奏後の空気の中、和歌葉が最初に期待を込めた声を発した。それに流されて俺も含めた全員が緊張を緩め、思わず笑みが溢れる。満足いく程の出来だった。


「直すとことかほとんどなさそうだしな! 陽佑のソロのところとか結構良かったし。」


 偉そうに腕を組んだ修也が俺を見て褒める。


「原曲のソロ打ち込みだろ? 完コピはむずかったから自分なりにアレンジさせてもらったよ。」


 右手で汗をかきそうな顔を仰ぎながら俺は答えた。


「さすが我らがギタリスト。作者冥利に尽きますなー。」


 ウンウンと頷く修也。うぜえ。「このむずい曲俺が作ったんだぜ? すげえだろ!」と言わんばかりに鼻が高いのが俺の鼻につく。


「結構暑いからさ、ちょっと休憩しようか。」


 奈津が冷房をつけ、俺らは近くにあった椅子を手繰り寄せて座った。11月ではあるが、南国化したスタジオに流れてくる涼風はやはり気持ちがいい。


「修也てさ、よくそこまでボカロ作ったり動画編集して金稼いだりさ、いろんなことするよねー?」


 思いついたように奈津が喋りだす。この方、緊張感がある程度抜けているときはよくおしゃべりになるのだ。


「そうそう、もう音楽業界ぐらいでしか生き残れないっしょ。」


 笑いながら実玲も奈津に続いた。


「まあな、俺もう就職とかせずにミュージシャンとして生きていくしかないって思ってっからさっ。」


 どこか自慢げなところがやはりうざい。入学当初からそういうとこある。


「でもミュージシャンになって飯食っていけるようになるのって絶対簡単じゃねえじゃん? どんだけ才能持ってるやつでも売れないような時代なんだよ。だからさ、俺はこの大会で優勝、とまではいかなくても上位に入って、プロに見出してもらいてえんだよな。」


 頭の後ろに手を組んで上を見上げながら修也が呟く。こんなやつでも、ちゃんとビジョン持ってるんだな。俺はどうせ死ぬ運命だが……


「私は音楽の道には進まないかなー。ダンスとかあるし、どっちかっていうとそっちの方に私は自信あるから。」


「そうだなー、私は大学行って文学やるかな。」


「私もー。」


 和歌葉の後に、奈津と実玲が自分の夢を語った。女子3人が音楽の道に進むのにあまり興味を示さないことに修也は少し落胆している。


「陽佑はー?」


 奈津が振り返り、俺に問いかける。突然振られた質問に、俺はあたふたした。変に「死にます」なんて言わないようにと。


「そうだな…… 俺は大学行って就職してサラリーマンかもなー。」


 たまたま思いついた文章でなんとかその場の状況をかわす。バンドメンバーたちが結華や小笠原ほど敏感じゃなくて良かった。


「ええーなんだそれーつまんなー。」


 呆れたように奈津が言い返す。和歌葉と実玲はクスクスと笑い、修也はまだ天井と睨めっこしたままフンッと鼻で笑った。


「まあでも、」


 俺は訂正するような口調で付け足す。


「将来どういう方向に進もうとも、この大会で手を抜く気はないからね。」


「陽佑にしては真面目すぎるコメントだね。」


 俺の漫画みたいなセリフに皆からからかわれる。さっきのかっこつけた台詞の恥ずかしさに、俺の手汗がギターにねっとりとついていく。しかし皆の笑いには、「私、俺も同じだ」という意志がこもっていることを俺は感じ取った。


「そうだ!!」


 とっさに思いついたように修也が立ち上がる。その勢いで、ドラムスローンが後ろの壁に激突した。


「優勝祈願にさ、占い師さんとかに占ってもらって願掛けしようぜ!」


 実玲や奈津が賛同の声を上げる。和歌葉や俺は少なからずとも頷いた。占い師さんと聞いて真夜のことを思い浮かべた俺の顔が少し熱くなる。少し冷房の温度を下げていただきたい。


「あ、私良い人知ってるよー! ツイッターの有名な占い師さん。」


 しばらくして、奈津が携帯画面を俺らに見せる。俺は一瞬鳥肌が立つのを抑えられなかった。


「Maya@占います」


 このアイコン、このツイート! 間違いない、俺が嫌と言っても死ぬほど見せられたアイコン、真夜のアカウントだこれ!


「へえーよさそうじゃん! 送ろー。」


 実玲が賛成する。それに連れて他全員も同意した。唯一硬直した俺だけを除いて。


「よし、じゃあ送信!」


 ✴︎


 その夜。ギターの演奏動画を見ていると、上からLINEのバナー通知がお邪魔する。


 LINE

 M@Y@:ねえ聞いて!


 立て続けに2件目が姿を現す。


 LINE

 M@Y@:桜隆生から相談きたんですけど!


 俺はその正体をわかっていながらも、見ていた動画を途中で止め、ホームに戻ってお馴染みの緑のアイコンをタップする。現れた真夜の吹き出しの下には、1枚の写真が添えられていた。


「こんにちは!


 私は今度自分のバンドでコンテストに出場するのですが、実際どこら辺まで進めるのか知りたくてご連絡させていただきました。先見があるととても心強いです。Maya先生、教えてください!


 よろしくお願いします!」


 その画像の上にはメッセージの送り主のユーザーネーム。ツイッターをやっていなくともわかる。明らかに奈津だ。


 更に追い討ちをかけるように、真夜から新しいメッセージが送られてくる。


「明日、こういうの占うから放課後いつもの教室集合ね!」


 俺は返事も返さないまま、携帯画面と俺の顔を机に伏せる。頭の中ではバンドメンバーの顔が何度も浮かび上がる。


 あーあ、俺は自分のバンドの運命を知ることになるのかよ……

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