第29話 端触(425日前)

 土曜の放課後。授業もとっくに終わり昼がすぎた4組の教室で、俺は机を向かい合わせて真夜と顔を合わせていた。教室を貸し切りにして誰もいない中で二人で試験勉強(変な下心等はないことをご承知いただきたい)! …… のはずだった。


「あのな……」


 若干フラストレーションが溜まった俺が声を放つ。


「なんでおめえらが勝手に来てんだよ。」


「いいじゃん別にぃー。お邪魔しまーす!」


 俺らの横に堂々と机をくっつけてやる気満々の小笠原と結華が、イライラしている俺に向かってニコニコする。妙に機嫌がよく、何度も言うがキモい。俺ら二人だけの甘酸っぱい勉強会を邪魔しに来やがって。


「ま、まあ、二人っきりよりももっと多い方がきっと楽しいはずだしね。」


 真夜が小笠原らに気を使ってフォローを入れるが、その顔には明らかに困惑が丸見えだ。


「そうそう! 四は二を兼ねるからね!」


 結華の上手いことを言ったかのようなドヤ顔。全然うまくもないし新しくことわざを作るな。


 今日から2週間後に控えた期末試験に向けての勉強は、このメンツではかどるんだろうか……


「よぉし! 早速始めるぞぉ!」


 勢いに乗った小笠原が開会宣言とともに、我先にと数学Ⅰの問題集を開く。それに連なって次に結華が物理基礎に手をつけ始めた。雰囲気的に俺と真夜も、戸惑いながら問題集やノートのページをめくった。


 ✴︎


 開始からわずか2分後。


「結華ぁ、ここわかんないよー。」


 問題集に顔をべったりくっつけた小笠原が早くも考えることを放棄。おいおい、なんでも早すぎるだろ。


「べったりされたままじゃわかんないんですけど。」


 結華の要望で小笠原は体を起こし、問題集を逆さに向けて結華に見せる。


「ほうほう、2次方程式ね……」


 結華は黙ったまま文章題を読み込む。一通り問題を理解した後、腕組みをしてしばらく解法を探っていたようだが……


「わかんないや!」


 お前もか! 考え始めてから30秒も経ってないぞ! お前よくそういう脳みそで中学の間やってこられたな。


「こういうのなら陽佑の方が得意っしょ?」


 白羽の矢が頭にグサッと刺さる。こういう時って大抵俺に全部回ってくるんだよな。成績優秀ってのもいいことばっかりではない。


「少しは自分で考える努力をしろよ、結華。」


 呆れた顔で俺はわざと断る。しかし向こうは反撃に出た。


「陽佑くん、ダメ?」


 さっきまで普通だった小笠原の目が急に潤い、今にも泣き出しそうな顔。俺はどうにかして振り切ろうとしたが、小笠原の強烈なぶりっ子キャラに負けてしまい、要求を飲み込まざるを得なかった。おかげで英語の長文読解の内容も吹き飛んだ。


「はいはい、で、どんなの?」


 俺は結華から問題集を強奪した。問題文を読んだが、こんなの10秒考えなくたって解き方はわかるものだった。


「ここは、こいつをこうすれば……」


 俺は問題集の余白に小さくメモをつけながら解説する。小笠原と結華は身を乗り出しながら俺ん解説に耳を傾け、時折ウンウンとうなずく。


「なるほどね! ありがとね陽佑!」


 なるほどとは言っていたものの、本当に言いたかったことを理解しているのだろうか。


「言っとくけど、ウチの数学のテストはそんな甘くないぞ。数学クラスの担当小野田っちだろ? あの人のテストむずいって言うから。」


 そう、我ら(結華を除いた)4組の担任である小野田和紘おのだ かずひろは結構ハイレベルな数学教師であり、大学院生の頃には10年以上解かれていなかった、なんとか公式ってのを証明したんだとか。


 故にテストも他と比べれば難しく、毎回のテストでは彼の犠牲者が後を絶たない。学力的には問題ないのにレベルを1つ下げられることなんてザラにある。


「わかってるからー。気をつけますよ。」


 小笠原は真面目に忠告した俺を揶揄うように適当な返事で返す。この瞬間俺は思った。こいつ、次のテストで死ぬわ。


「そういえば小野田っちってさー、ほんとモテなさそうだよねー。コワモテだし。」


「まじそれなー!」


 不意に思い出したように結華が言い、それに小笠原が反応する。まだ開始2分なのに集中して勉強する気ゼロだ。


「あれれ、噂をすれば陽佑、キミも恋愛がしたいとかしたくないとかー?」


 刑事のような目で小笠原が俺の方に振り返って威圧する。あの時、俺が恋愛したいと言う事実が小笠原によってばらまかれ、4組どころか全1年の耳に入ってしまうことになった。もちろん結華もそれはご存知のようだ。


「はいはい、そうですが何かー?」


 冷淡な口調で俺は返す。「いや、ちげえし」などと嘘を付けばいいなどと思うほど俺も馬鹿ではない。


 俺の反応ににやけ始めた結華が思春期にありがちな質問を俺にのし掛けてくる。


「陽佑ってどういう人がタイプー? 好きな人とかいるんじゃないの!?」


 一瞬背筋が凍った。ここで急に真夜の名前も出せないし、逆に「いないよ」などと言えば、あんな事を書いてしまった以上好きな人特定の嵐に巻き込まれかねない。悩みに悩んだ結果……


「……」


 沈黙を貫き通す。沈黙は金なり。


「シカトしないでよー。私だったらどう?」


「ぜっっったい、嫌。」


 結華の誘惑(?)を俺は速攻で拒否する。今のギャルビギナー状態では到底彼女としては生理的に無理だ。昔の可愛さ全開の頃であれば、「僕、結華ちゃんと結婚するんだー!」なんて言って少しは考えていただろうが。


「えーじゃあ私はどうなのー?」


「ないわ。」


 横から顔を突っ込んできた小笠原にもアウト判定を下す。何しろ最近急に方向性を変えてぶりっ子キャラ的なオーラを出し続けているところが気に入らない。彼女として付き合うと大きく世話が焼けそうだ。


「じゃあー、真夜ちゃんはどうなの?」


「無ーー」


「理」と言おうとする前に、いったんできる限り「う」音を伸ばし続けた。ここで見栄を張ろうとして、「無理に決まってんだろ」なんて言ったら、俺が全然真夜のことを気にしていないみたいでチャンスがなくなってしまうかもしれない。


「ーー」


 しかしここで「あり」なんて言ったらこいつらから恋バナ砲を何千発も浴びることになる。ファイナルアンサーを出す前に、俺は慎重に考えた。


「ーー理。」


 言い終わった瞬間に、結華と小笠原の目がギラリと光る。クソ、遅かったか。


「あれれーおっかしいぞー? 無理とか言ってるけどほんとは見栄張ってるだけでしょー?」


 俺に顔を急接近させた小笠原が俺を問いただす。うーわ、誤魔化しきれなかったぁー!


 追い詰められた俺は小笠原の鼻息が当たるのを感じながら、ただただ荒めの呼吸をする。


「本当は、真夜ちゃんはーー?」


 1分ほどプレッシャーをかけられた俺はもう耐えられなくなり、こういうしかなかった。本当だ、信じてくれ。


「なくも……ない、かな。」


 結華と小笠原の目が輝き始め、真夜は赤面する。俺は自分の言動が何度も暗唱され続けながら真夜とは逆側を向き、俺の赤い面を見えなくした。あーもうこれ、黒歴史認定だわ。


「ということは陽佑クン、キミは真夜ちゃんに言うことがありますねー?」


 ムヒヒ、とにやけが止まらない小笠原が、顔を火照らせた俺らをさらに煽り立てる。え、なんで今から付き合う前提なんですか!?


「ね、ねえよ!」


 俺はすかさず反論するが、恋愛ハンターの彼女たちの目を破ることはできなかった。こいつらはさらに俺をガンガン煽り始めた。


「嘘ですねぇー。じゃあ指チョンでもしてみたらどうよ?」


 結華刑事が、ドラマの取り調べのような圧力をかける。俺は口では抗議しなかったものの、睨みを聞かせて対抗しようとした。結華はさらに右手の人差し指で真夜を指差す。ニヤニヤしながら。


 仕方なく、俺は羞恥心を我慢しながら真夜の方をゆっくりと振り向く。真夜はただ俯いて、いつもより格段に赤くなった顔で俺を上目遣いで観察していた。この顔を見て久しぶりに思った。やはり真夜は可愛い。


「ほうら君たち、ゆ・び・チョン!」


 小笠原が俺の肩をポンと叩いて促す。俺は躊躇したが、このままじーっと待っていただけでは何も始まらない。仕方なく、右手の人差し指を突き出した状態で机の上に出してみた。


 その様子を見た真夜は、左手の人差し指を机の下から召喚した。俺は心臓の大きな鼓動を聞きながら、少しずつ真夜に向かって動かしていく。


 ようやく俺らの机の境目あたりまで俺らの指は接近した。真夜の温かそうな手の熱が、これくらい近くなると感じられる。もうここまで来るといつ指先が触れ合ってもおかしくない。俺と真夜はハラハラしながら、結華と小笠原はニヤニヤキュンキュンしながら、この状況を固唾を飲んで見守っていた。


 ツン。


 微弱ではあったがこの感覚。指先が触れ合った瞬間、俺の中ではアドレナリンが体内を暴走しまくった。真夜も触れた瞬間に鳥肌が立ったようで、綺麗な黒髪が一瞬逆立った。傍観者の二人はキャーキャー騒いでいる。


 3秒という短い時間ではあった。俺らの指が反発した後、俺は机にべったりと寝そべり、真夜と顔を合わせにように気持ちを整えた。あー、まじで緊張したー!!


 下敷きになったワークには、俺の汗がべっちょりついていく。これはもう試験勉強どころではない。


 本当にうざくて、ぶりっ子で、余計な邪魔を入れてくる結華と小笠原。それは今でも変わらないが、心の片隅では、こんなチャンスをくれたことに初めて感謝していた。

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