第28話 殉恋(430日前)

 ああああぁぁぁぁーーーー!!!! 俺は何てことをしちまったんだ!!


 ベッドに潜り込んでから、あの言葉が頭から離れない。消えたと思えばまた脳内にエコーし、午後の行動が幾度となく悔やまれる。


 あの時、あんなバカみたいな返事をしていなければ……!!


 ーー 私だったら…… いつでもオッケーだから…… ね。


 ああもう聞きたくもなくもない!複雑な感情が更なる混沌を引き起こす。


「ピコンッ」


 薄暗い部屋の中で、携帯のディスプレイが眩しく輝く。俺は布団から抜けたくなくもない気持ちでゆっくりと立ち上がり、机の上で光を放つスマホを手にする。


 LINE

 Wakaba:いいねー賛成!


 我らがベーシスト、さすが話に乗ってくれたな。


 俺はついさっき、真夜から聞いたバンドコンテストの話を早速LINEで mathilda のメンバーに報告してみた。特にこういう競争好きの和歌葉ならすぐに賛同してくれると思っていたが、全くその通りになった。


 ネットで詳細を調べてみたところ、このコンテストは全国展開しているアークフリートスタジオが主催するコンテストであり、バンドメンバーが全員10代であれば誰でも出場することができる。つまり小学校高学年から大学生あたりまで、年代層は様々ということだ。


 そのせいか、毎年出場者は8,000組以上にも登るため、優勝するにはバンドとしての連帯であるとか、一人ひとりの技術やリズム感覚、センスなどはかなり高度なものが要求される。なかなか勝ち抜いていくのは思った以上に簡単ではない。


 熾烈な戦いを勝ち抜いた優勝者には副賞として、アークフリートスタジオの1年間の無制限使用権、そしてインディーズデビューのプロデュースまでもがついてくる。俺らがいつもお世話になっているスタジオだから、無制限使用権と聞いただけで喉から手が出てしまう。


 ピコンという音とともに、チャットに新たに吹き出しが現れる。奈津からだ。


「私は全然いいと思うんだけど」


 数秒の間隔を開けてまたメッセージが到着した。よくある文分けというやつか。


「何の曲をやるの? オリジナル?」


 このコンテストはオリジナルやコピーバンドなどを問わない。そのため曲は他のアーティストのコピーでも、自分たちのオリジナルでも構わない。


 演奏する曲のジャンルもアコースティックな弾き語りから激しいパンク調、さらにはジャズっぽいものなどでもよく、幅がとても広い。いかに自分たちに合った選曲をして自分たちらしさをアピールするかが重要となってくる。


 俺はこれまで色々見聞きしてきた情報を整理しながらキーボードをタップしていく。


「オリジナルでもコピーでもいいけど、決勝に行ってるバンドはほとんどオリジナルだったよ」


 速攻で既読がつき、10秒もたたないうちに返事が返ってきた。


「オリジナルにするとしたら誰が作曲とか作詞とかすんの?」


 画面に触れようとしていた指の動きが止まる。確かに、自分たちでまともな曲を作ることができなければ本末転倒だ。


「てかそもそも決勝とかその辺りまでいけるか」


「それな」


 奈津の心配事に、和歌葉が即座に反応した。俺だって承知している。現実は思っているほど甘いものではない。


 次第に俺の中で参加意欲が薄れ、ネガティブな思考が充満していく。もちろん決勝に進出しなければいけないわけではない。しかし自分の中では、第1、2予選あたりで落ちてしまうのであればその時間を後悔しないためにやりたいことに注ぎたいという思いも湧き上がり始めていた。


 そんな淀んだ空気の中、声を上げたのは修也だった。


「おれできるよ」


 自分の中の重い雲が一斉に去っていき、天から木漏れ日が差していく。


「言ってなかったけどさ、おれボカロ作ってっから」


 修也は確かに万能なやつだ。勉強はそこそこであるとはいえども、ドラムの才能はピカイチであるほか、バンドのパートはボーカル以外全てやってこなせるような楽器ハイスペック野郎だ。


 しかも動画編集も音楽編集もしていたっけ。実際に桜隆祭の実行委員からウェルカムビデオやBGMの作成を依頼されるほどの腕前のはずだ。


 それにボカロに手を出しただと? 完全に自分の世界を作ってしまっているところがあいつらしい。


「作詞作曲はおれがするし、出場も賛成」


 メッセージの後に、大きなグッジョブスタンプが続く。


「私も出たい」


 最後にコメントしたのは到着が遅れた実玲だった。引っ込み思案傾向にある実玲が珍しく自分の意見をはっきりと言っている。


 これで全員揃った。


 実を言うと、俺はあの「後悔しないためにやりたいことリスト」にもこんなことを書いた。


「大勢の人前でギターを弾きたい」


「大爆音でかっこいいソロを決めたい」


「スタジオに何時間も入り浸りたい」


 死ぬ前に、決勝にまで上り詰めて自分の望みを叶えたい。こんな理由も相まって俺はバンドメンバーに今回のような相談をしたのだ。もちろん、死ぬことは伏せて。


「でもさ、1曲できるまでには時間なくない?」


 あーもう、いいところで突っ込むなよ奈津! でもその指摘は妥当だ。予選まではあと3週間ほどしかないし、テストとも被ることを考えると完璧に通し練習を行うことができるだろうか。


 しばらくして修也から返事が来る。文体からして、なぜかやけに自信満々のようだった。


「ふふん、えっとね、自信作ができるところだったんだよね。」


 続けてリンクが送られてくる。YouTubeに限定公開された動画には、ただ真っ白な画面が写っているだけにしか見えなかった。


 まあ百聞は一見にしかずと言う。まずはイヤホンを両耳に突っ込み、再生ボタンを押す。ローディングアイコンが消え去った後にはただただ純白の背景しか残っていなかったが、イヤホンからはポジティブな激しめのロック調の音楽が流れてくる。


 イントロの後に流れてきたのは、機械らしい歌い方をする高い女声。


「光の三原色、全て混ぜたら君になるのか……」


 やがて曲がジャーンとバンドらしく終わり、イヤホンからは音が流れなくなった。それでも俺は尚白い画面に目を奪われ、ニヤリと不敵の笑みを浮かべた。


 うん、きっとこれならいける!


 根拠はないがなぜか確信を持った俺は、早速LINEにフライバックする。


「これはいいな。これでいこ」


 俺の発言に連れられ、聞き終わった他のメンバーたちも続々と呟き出した。


「いい!!」


「修也結構センスあんじゃん」


「まじかすごかった」


 褒め言葉がズラリと並んだ。


 俺は期待を込めた両手で小さな文字盤をタップしていく。


「この曲のタイトルは?」


 しばらくの沈黙。


「色々候補はあるけどー」


 胸の鼓動が高鳴る。


「mathilda をもじって、Martyrdom ってのはどう?」


 殉教、殉難。いいじゃねえか。


 ✴︎


「送信が完了しました」


 表示されたこのページに安堵して、俺は疲れを蓄えた体をベッドにどさっと預けた。今日1日の疲れが吸い込まれていく気がして気持ちがいい。あー極楽極楽。


 色々詰め込んだ脳内が整理されていく中で、俺の頭の中であの言葉が再び響き始めた。


 ーー私だったら…… いつでもオッケーだから…… ね。


 今は今日の自分の行いを消し去る気力もなく、ただただ思い出される真夜の言葉を味わう。


 次第に顔に熱を感じ、さらに早くなっていく脈拍が耳にまではっきりと聞こえていた。俺は掛け布団にうつ伏せになり、唇を布に密着させた状態で硬直した。


「真夜……」


 朦朧とする意識の中で、今初めて、こんなにもあの人のことを恋しく感じた。

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