第27話 始走(430日前)

月曜の昼休み。最近多かった昼飯への誘いは今日は珍しくなく、俺は数日ぶりに一人での優雅なランチを楽しんでいた。誰もギャーギャー話していない中で弁当の卵焼きを啄むのが、久しぶりすぎて新鮮な感覚のようにも思えてくる。


「やあキミ、おしとやかなお昼中失礼するね。」


 背後から接近してきた真夜が俺の上からニュッと顔を出した。一瞬ホラー映画の幽霊かと思い、俺は椅子ごと後ろに転げてしまいそうになる。幸い真夜が受け止めてくれたおかげで頭ごつんは避けることができた。


 まだビビリが残っている俺の許可がないまま、真夜は空いていた前の席の椅子を引っ張って俺の方に向け、対面するように座った。


「アレ、考えた?」


 大きな期待を持っているような煌めいた瞳で俺を見る。いきなりお邪魔して何だその目は。ぶっ飛ばしたい。


「何だよ、アレって。」


 少々苛立ちながら俺は答えた。箸を握っている右手に力が籠る。真夜は何か面白い企みがあるようにフフーンと鼻を鳴らした。


「陽佑が天に昇る前にやりたいことっ!」


 いつもより女子女子している真夜が気持ち悪い。しかも俺の死を結構馬鹿にしているようで腹が立つ。


「まあ考えたけど。教えてやっからそのキモいのやめろ。」


「なっ、何がキモいの!?」


「話し方全般だ。」


 うぅと唸る真夜を前に、机にかけていたリュックを漁る。後悔しないためにやりたいことリストは完成してからは通学用のリュックに入れておいたはずだ。


「ほらよ。一番新しいとこ。」


 取り出した緑のノートを真夜が強奪した。掴み取るや否や、リストが書かれているページを秒で開いてスキャンし始める。


「へえー、いろいろ可愛い趣味してんじゃん陽佑ぇー。」


「うっせぇ。」


 真夜はニマニマしながら読み進めていく。


「山の上から叫びたいとか、カラオケで8時間歌いたいとか、放置していたプラモを完成させたいとか。こんなどインキャ陽佑でもこーゆー子供心はあったわけかぁー。へぇー!」


 真夜はからかうような目と周囲に暴露するような声を俺に向ける。これを聞いた数人の女子がクスクス笑い出してネタにし始める。あーもうこいつらまとめて窓から投げ落としてやろうか。


 そして大体の読み込みが終わったであろう時だった。


「どこか綺麗な海を見たい!そして……」


 真夜の声のボリュームが急に低くなる。


「誰かと…… 恋愛したい……」


「……」


 シーン。


 一か八かで書いてみた恋愛について。真夜はしばらく何の反応も示さず、ただただ沈黙のまま約10秒が経過した。


「ま、大体やりたいことは…… わかった。」


 さっきまでの元気がパンクしたタイヤのように抜けている。真夜はパタっとノートを閉じ、俺に戻そうとした。


「はい、御拝借しますねっ!」


「ひみの!?」


「小笠原っ!!」


 急に横から妨害に入ってきた小笠原によってノートが彼女の手に渡ってしまった。よりによってあんなことが書いてあるやつを!


 小笠原はパラパラ紙をめくって内容を検閲する。最初の数ページは考えたギターのコード進行とか、適当に思いついた歌詞とか、ただ単なる落書きとか(個人的には芸術だと思っているが)しょうもないものしかない。小笠原もこれらには何のリアクションも示さず、俺の欲望が1ページ半にわたって連なったところまで来てしまった。


「おっ? 後悔しないためにやりたいことリストぉ?」


 悪知恵を思いついた小学生のような目つきだ。俺はギクッとし、覚悟を決める。


 小笠原は一旦黙って1ページ半の条項を読み込む。ざっと目を通すだけで30秒もかからなかったはずなのに、待っている間の時間はその10倍以上に感じられた。


「プッ…… ブブブ…… ブァハハハハ!!」


 堪えきれなくなった笑いが溢れてきたようで、小笠原は腹が痛いのかしゃがみ込みながら1人笑いに浸っていた。これを見るとハロウィンの時を思い出してムカつく。


「いやぁまじで傑作これは! 陽佑クンだったっけ? 案外可愛すぎてヤバいんですけどぉ…… あははは!!」


 賑やかな教室を一瞬で黙らせるほどの大声で再び超音波級の笑いをあげる。周囲でつるんでいたクラスメーとたちの注目が一斉に俺と小笠原に集中する。


 ようやく腹をくすぐる虫の暴れが治ったのか、深呼吸で普段のテンションを取り戻しつつあった小笠原はゆっくりと立ち上がった。久しぶりに見せた顔からはまだ笑みが消えない。いやな予感がする。


「陽佑クン、これで文句は言わないでよね?」


 嫌な微笑みで小笠原は俺に顔を近づける。いつもより女子オーラが何倍も強くなっていて、さっきの真夜並にキモい。


 俺は額に怒りマークがついたまま答弁を控えた。沈黙は同意なり、という言葉でもあるのだろうか、小笠原は俺の反応を見るなり俺らから体をそらし、教室のドア目掛けてダッシュしていった。


「結華ぁー! みのりぃー! 我らの友蓮田陽佑クンは恋愛したいんだってぇー!」


「ああ!! コンニャロぉぉーーーー!!」


 大声で叫ばれたらたまったものではない。俺は即座に座っていた席から立ち上がり、俺の秘密を聞いた野次馬共の中をすり抜けながら小笠原を追いかける。


 走り抜けていく中で、女子のクスクス声や男子からの煽りが耳に続々と届く。


「蓮田ってそんな奴だったんだのー!?」


「おい蓮田、俺らの童貞置いてくんじゃねえぞ、おん?」


 真夜がどういう反応をするか考えていたが今度は小笠原かよ……!


「ちょっと、陽佑!」


 背後から引き留めようと追いかけてくる真夜になんか目もくれず、俺は一目散に逃げ回る小笠原ひみのを力の限りチェイスするのに、午後用の体力を全部使ってしまった。


 ✴︎


「ねえもうやめにしねえかぁ今日は。もう疲れたんですけどぉ!」


「そりゃだってあんなに全力でひみのを追いかけるからでしょ?」


「お前それで俺がどんな目にあったか知ってんのかよぉ。」


 俺の絶望の声が放課後の少人数教室に響き渡る。スタミナが切れてしまっていた俺は、真夜のパソコンのマウスパッドに顎を近づけてだらけていた。画面にはツイッターに寄せられた相談が無数に並べられている。


 あれから俺の身に何が起こったかは皆様のご想像にお任せしたい。この2学期が始まってからというものの、俺は黒歴史を積み重ねてきてしまった。もう思い出すのも懲り懲りなんだが。


「ちょっと今集中するから邪魔しないで。」


 そう言って真夜はジョーカーを手に取り、タリスの中央に積み上げられた約50枚のトランプにかざす。淡い怪しいオーラを放ったトランプはやがて浮き始め、真夜が右手を素早くスイープすると浮いていたカードのうち8枚が散らばった。


 もう見慣れた光景。最初はあれだけびっくりしていたが、今ではもう何でもないただの日常と化してしまっているのがなぜか寂しい。


「えーっと、喧嘩をどうにかしたいって相談だったよね。テンゼメルドに強い赤反応が出ているから、相手の怒りの火を沈めるのは大変そうだね。まあ努力次第、だけど。あと、モロステーニにはダイヤの8が出ている。優しさを持って接すれば喧嘩を抑えることができるかも。」


 俺は真夜の言葉をテンプレートに収め、神の名を「火」と「感」に変換して送信する。送信した時には、やっと今日1日の業務が終わるんだと心中安心しかなかった。


「あ、そうだ。陽佑、この前の件、覚えてる?」


 唐突に話のトピックを変えてきた。俺はげんなりしながら真夜の方を振り向き、適当な返事で返す。


「何のこと?」


「昨日紹介しようと思っていたやつ。陽佑が法事で無理だったけど。」


 あーあれか。真夜がなんか面白そうなものを紹介してくれるんだっけ? てっきり和尚さんのお話で頭からそのことは弾かれていた。あれが昨日のことだなんて信じられないな。


「で、何を紹介してくれんのかい?」


 グダーッとしている俺を横目に真夜がフッと笑う。


「12月にティーンズバンドウィンターパーティーってのがあるらしいんだよ。優勝すればー、1年間スタジオ使い放題…… とか?」


 ビクン!! 一瞬俺の中で強い電気が駆け巡った。1年間スタジオが使い放題だとぉ!? いつも愛海からギターの音がうるさいだどうちゃら言われている俺からすると夢のような話だった。


「おい、それっていつだ!?」


 気づけば俺は興奮で、座っていた椅子をガシャんと床に叩きつけていた。


「え、えーと、予選が今月の下旬…… とかだったかな?」


 最後の「な?」もろくに聞こうとせずに、俺はそばに置いてあったリュックを取って、颯爽と教室を抜け出そうとした。これは1秒でも早くバンドメンバーに話をしなければ!


「あ、待って陽佑!」


 教室のドアのレールを踏んだまま、俺は真夜の方を振り返る。早く行きたいんだが。


「あのぉ、そのぉ、リストの最後のやつさ、」


「えっ」と思わず声をあげる。なんか言われそうで怖い。


「えーっと、私だったら…… いつでもオッケーだから…… ね。」


 意外な言葉に思わず仰天する。バンドのことに加えて真夜のよくわからない話が脳内をぐしゃぐしゃにシャッフルしてしまう。


「う、うーんと、わかった! ほんじゃ!」


 俺はその場しのぎの言葉を残して、階段を駆け下りた。


 まさか、ああいうことになろうとは。

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