第83話 第四章最終話
「愛する者を失った時、きっと僕は、あのアロイスみたいに復讐心に駆られて、なりふり構わず突き進むんじゃないかなって……」
私の髪を撫でる彼の手は、あくまで優しい。
「でも、それじゃあ、駄目なんだ。だって僕は王太子だもの。国王がそんな真似をしたら、多くの人が犠牲になる。僕の判断一つでたくさんの命が失われる。理性ではそう分かっていても、あの時は止められなかった。感情が先走って、引きずられる。僕はこの先、ああなった場合、自分を止める自信が無い……」
切々とした彼の思いが伝わってきて、胸がきゅうっと締め付けられた。
オスカーは自分の心の闇を恐れているかのよう。あるかもしれない一つの未来に囚われて、そこから抜け出せないのだろうか?
でも、オスカーならどんなことがあっても、きっと正しい道を選べるはず。だって、オスカーから感じる光はとても明るくて、とても優しいもの。
私はそう思うけれど、でも、未来の数なんてそれこそ星の数ほどもある。一つの選択が次の選択を生み、そして数え切れないほどの未来を生んでいく。あるかもしれない未来、けれど、単なる杞憂かもしれない未来……囚われて抜け出せないのなら、
「オスカー……」
「うん?」
「愛してる」
私は思いの全てを込めてそっと囁いた。
「オスカー、愛してる。この言葉を忘れないで?」
私がそう言うと、オスカーが不思議そうに首を捻った。
「忘れないよ?」
「思い出して? もし、また理性を失いそうになったら……」
驚いたようなオスカーの顔を、私は見つめ返した。
「何度でも、何度でも私、そう言うわ。オスカー、愛してる。忘れないで? 思い出してね? どんな時もこの思いを受け止めて? そうしたらきっと、どこにいても、どこへ落ちても、きっとここへ帰ってこられるから」
オスカーを励ましたくて。明るい未来はあるのだと、そう信じてもらいたくて、私は彼を抱きしめた。だから今、オスカーがどんな顔をしているのか分からないけれど、
「どんなに時が経とうとも、消えないわ。あなたが忘れない限り、ずっとずっと輝くの。だから、忘れないで、諦めないで、思い出してね? オスカー、愛してる。この思いは永遠に変わらない」
そう伝えると、そっと抱きしめ返される。宝物のように何度こうして抱きしめられただろう。どれも大切な一欠片だ。温かくて嬉しい気持ちにさせてくれる。
「愛してるよ、ビー……」
そんな彼の囁きが耳をくすぐった。
そう、私も忘れない。この一時は永遠だから。この輝きは遠い未来まできっと届く。そしてあなたを導くわ。天に輝く星々のように。
「なーに、くだらないことで、うじうじ悩んでんだよ!」
突如そんな怒声が響き、ぱんっとオスカーの頭をはたいたのは、スカーレットさんだった。彼女は腕を組み、憤然と言い放った。
「起こってもいないことで悩むなんて馬鹿馬鹿しい。んなもん、起こってから考えろ」
オスカーが苦笑する。
「……起こってからじゃ遅いでしょ?」
この時にはもういつもの彼で、
「んじゃ、起こさなけりゃいい。嬢ちゃんを守るんだよ。そんだけの権力と魔術の腕をあんたは持っているじゃないか。出来ない、なんて言わせないからな?」
「……そうだね、そうするよ」
オスカーがそう答えて笑う。見惚れるほど綺麗な微笑みだったけれど、
「全部排除すればいいだけだものね?」
そう付け加えた台詞は、ちょっと物騒だった。ほ、ほどほどにね?
「そうそう、その方があんたらしいよ」
スカーレットさんが満足気に笑う。
「で、嬢ちゃん。オスカー殿下をデレさせる第二弾は?」
え? そんなのあったっけ?
「そりゃー、私の代わりにチョコレートを食べてと言ったのなら、その次は、私を食べてに決まってるじゃないか。ほらほら、自分にリボンをかけて可愛らしくせまれば……」
あ、それ、もう言っちゃった……あ!
「え? 言ったのか?」
口を押さえて、そろりと後ずさるも逃してくれなくて。
「えぇ! どんな反応だった? 見たい見たい見たい! なら、ほら、もう一回!」
いやあああ! お願い、見逃してぇ!
「ここであれは禁止。怒るよ、もう」
オスカーが割って入ってくれて助かった……。ほっと胸をなで下ろす。
「えー?」
「えーじゃないの。可愛いビーは全部僕のだから。人の目があるところでは絶対駄目」
周囲には護衛騎士さん達や侍女さん達がいる。
スカーレットさんはあきれ顔だ。
「……おっそろしく独占欲強いな、お前。まぁ、分かっちゃいたけど」
「誰にも迷惑かけてないからね?」
「まぁ、そりゃそうだけどさ」
スカーレットさんが、しぶしぶ引き下がる。
その後、私はオスカーと一緒に市井へ降りたのだけれど、
「おやおや、これまた可愛らしいカップルですなぁ」
そこで行商人さんに呼び止められた。
オスカーが幻術を使っているから、今は普通の都民に見えているんだよね。街中はカップルであふれかえっていて、どこもかしこも甘い雰囲気だ。色彩豊かな衣装に身を包んだ行商人さんは、にこにこと笑いつつ、手にした商品を差し出した。
「如何です? 聖バレンティノ用に作られたカップル専用のマグカップです。あ、お皿もありますよ?」
行商人さんが手にしたそれを見て、私はにゃーっと妙な声を上げそうになってしまった。だって、ハート型に切り抜かれた絵柄の人物はどう見ても、その……私とオスカーだ! しかもそれが、王室記念の時みたいに二人並んでお上品に微笑んでいる、とかじゃなくて、今にもキスしそうな体勢で抱き合ってるんだもの! 何これ! 恥ずかしすぎる!
行商人さんは私の動揺などまったく意に介さず、
「どうですか? これ、今一番人気の商品なんですよ? これを持っていると、熱々カップルになれること間違いなし! お二方もどうですか? 王太子殿下と妃殿下の幸せをわけてもらっては?」
上機嫌で、ペラペラと売り口上を披露してくれるけど、右から左だ。
こ、こんなのが街中に? みんな買って帰ってるの? 熱々カップルになれますようにって? 皆の目には、私達ってこんな風に見えてるって事だよね? 普段から私、オスカーにひっつきすぎ? もうちょっと離れた方が良いの?
ぐるぐる思考が回っていると、
「あ、マグカップ頂戴。そのお皿もね?」
「まいどありぃ!」
オスカーが上機嫌で買ってるしぃ! え、これ使うの? 使っちゃうの?
「書棚に飾っとくの。ビーが可愛い」
笑顔でそう言われてしまう。本当に嬉しそう。
オスカーがもの凄く嬉しそうに笑うので、何か毒気を抜かれてしまった。ま、いいか、なんて思ってしまう。オスカーが嬉しいのが一番だものね。書棚に飾られてても、見なければ多分、大丈夫、うん。
で、その夜、私はお菓子の家の夢を見た。
多分、チョコレートの甘い香りに誘われたんだと思う。
オスカーと一緒に手をつないで森を歩いていたら、綺麗にデコレーションされた可愛くて美味しそうなお菓子の家が、目の前に現れたのだ。
私が喜んでお菓子の家のドアを叩くと、中から老婆姿のスカーレットさん出てきて、いらっしゃいと言って手招きし、さあさあ、お菓子の家をお腹いっぱいお食べ、ひーひっひっひって笑うんだよね。
妙に悪役くさい笑い方なのに、やたらと親切な魔女さんだった。お菓子の家のこの部分が美味しいよと教えてくれる。スカーレットさんだもんね。
頃合いを見計らって、お茶をどうぞと勧めてくれた。出されたお茶は珍しい緑色。甘いお菓子に合うんだとか。東の国の飲み物で、スカーレットさんのお気に入りだ。
ちょっぴり不気味だけれど、とっても素敵で、笑っちゃうくらい楽しい夢だった。オスカーも同じ夢を見てくれていたら嬉しいな。
翌日のおはようの口づけは、もうチョコレート味じゃないけれど、やっぱりとっても甘い。で、どんな夢を見たのか、オスカーに聞いてみたら、
「ん? チョコレートの海で溺れて水死体になった夢を見た」
そんな風に答えられ、ちょっとだけ苦笑い。
オスカーだよね、うん。夢の中まで怪談?
「ビーの夢は可愛いね」
オスカーがそう言って笑う。
彼の笑顔だけでも心がほんわか温かくなる。また一つ、心の宝石箱に綺麗な宝石がしまわれた。今日は何のお菓子を作ろうかな。お城の皆がとびきりの笑顔になりますように、作るお菓子にそんな願いを込めようか……。
骸骨殿下の婚約者 白乃いちじく @siroitijiku
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