第82話

 聖ヴァレンティノ当日。昼食のデザートとして振る舞われたホットチョコレートは、大好評だった。こういった洒落た企画は初めてだったそう。

「妃殿下ありがとうございます!」

 そう言って皆に感謝されたけど、作ったのは城仕えの調理士さん達だ。私がそう言うと、

「企画したのは妃殿下ですからね」

 ジャスミンがそう答えて笑い、

「でなければ、一人寂しい聖バレンティノを送った方もいたと思いますよ?」

 そう言い添えた。一人寂しい……。それはちょっと嫌かも。

「ですから堂々とお礼を言われて下さい!」

 ジャスミンが明るく笑う。

 午後はもちろんお気に入りのサロンでお茶会だ。聖バレンティノ用のお茶会なので、チョコレート菓子であふれている。

 トリュフはもちろんのこと、チョコレートケーキにチョコレートプティング、チョコレートの焼き菓子などが生花と一緒に飾られていて、とても素敵な光景だ。どれから食べようか迷ってしまう。

「うーん……ここにずっといると、帰りたくなくなるのはどうしてかなぁ」

 そう言ったのはジスラン殿下だ。手にしたチョコレートティーを幸せそうな顔で口にしている。いまだにここでのんびりしているのは、ノエル皇子がまだ居座っているからなのだそう。

 ジスラン殿下はチョコレートボンボンを一つつまみ、

「だってさ、あいつ一人ここに残すなんてとんでもないものね」

 そう言って、手にしたそれを美味しそうに平らげる。

「あ、でも、大丈夫、明日には一緒に帰るよ。顔が、何て言っているけど、そんなの知らないから。ここは一つ、皇太子の権限を使わせてもらう。今度あいつが何か仕出かしたら、それこそオスカー殿下に何されるか分からないもの。僕の首が飛びかねない」

 ジスラン殿下が笑いながらそう言った。

 けど、ジスラン殿下が言うと、物騒に聞こえるのは何故なんだろう? 首が飛ぶって比喩じゃないとか? 本当に飛ぶ? えーっと……深く考えない方がよさそう。

 私を見るジスラン殿下の目が、ふっと細まった。

「本当、ルドラスもここみたいに平和だったら、君みたいな王妃でもよかったのかもね」

「え?」

「いや、何でもないない。君を見ていると、何か癒やされるなーって思っちゃってさ。何だろう? 心がほっこりする? 僕もオスカー殿下に感化されてきたかな? あぶないから、とっとと退散した方がよさそう」

 そう言って立ち上がった。巨体なのに、ジスラン殿下の身のこなしはいつも軽やかだ。その目の前を子犬天竜さんが、てててーっと走って横切り、ぱっと私に抱きついた。それを目にしたジスラン殿下が、ん? って感じで首を傾げる。

「美味しかった? そう、よかったね」

 私がそう言うと、天竜さんのしっぽがパタパタ揺れる。ジャスミンがチョココーティングした果物のお菓子を沢山用意していたから、きっと満足したんだろう。あれ? もしかして私からのチョコをねだってる? んー……後でね? そう伝えたところで、ジスラン殿下と目が合った。顔が幾分青ざめているように見える。どうしたんだろう?

「あの、あのさ……」

「はい?」

「いや、それ……光ってない?」

 え?

「その、僕達、これでも神徒の末裔だからね? そういったもの、見えるんだよね? んでもって、気のせいかなぁ? もんのすごく神々しい光が、その子からもれてるんだけど? それ本当に犬? 犬なの?」

 んー……ちらっとオスカーに目をやると、いいんじゃない? って顔される。

「天竜さん、かな?」

 えへへって可愛らしく笑ってみせる。驚かないでね? という意味を込めて。

 でも、無駄だったみたい。ジスラン殿下は、それこそ目の玉が飛び出るんじゃないかって顔になって、

「えええええええええーーーーー!」

 絶叫されてしまった。

「何何何? 天竜がこんな姿になるの? 人に懐くの? ありえないでしょ? 何これ何これ何これ! オスカー殿下!」

 ジスラン殿下が、傍にいたオスカーに詰め寄ると、

「ああ、ビーは多分、天竜の愛し子だから」

 オスカーがさらっとそう言った。

 再びジスラン殿下が目を剥く。

「愛し子? 天竜の? じゃ、じゃあ、もしかして妃殿下は、半神半人ってこと? え? そんなのを傀儡にしようとしたの? 手込めとかありえないでしょ? いやいやいや、待って待って待って! そんなの神官達が黙っていないから! 流石に皇族でもそれないから! 皇帝でも大神官ともめる! めちゃくちゃもめる! 不敬だって叩かれるからね! 先に言ってよおおおお!」

「でも、君、お飾り……」

 オスカーの言葉を遮るように、ジズラン殿下が叫ぶ。

「僕はお飾りでも大神官は権力あるよ! やめてやめてやめて! 僕達これでも信仰心厚いから! 魔術は足蹴にしても、神を足蹴にしたりしないから!」

「で、どうするの?」

「どうするもこうするも、チクるよ!」

「大神官に?」

「そう! きっぱり宣言する! ルドラス帝国民総意を代表して、今ここに宣言します! 今後一切ウィスティリアの王太子妃に手は出しません、出させません! 出したら絶対、大神官が天の審判下す!」

「天の審判……使えるんだ?」

「だから大神官なんだよ!」

 ジスラン殿下がきっぱりとそう言った。神殿に伝わる秘技である「天の審判」が使えなければ、大神官の資格を得ることが出来ず、神官長止まりなんだとか。秘技中の秘技なので、知っている者は少ないらしい。それでオスカーも知らなかったのか。

 ジスラン殿下が私の肩を掴んで懇々と諭す。

 笑顔なんだけど、何だろう? 何やら鬼気迫る表情だ。

「もう大丈夫だからね? 大神官にチクった後は、広く、広ーく君のこと、国中に知らせておくから、安心して? 大神官もの凄く怖いからね? 天の審判が発動すると、審判者が降りてきて、犯した罪の重さによって、その場で地獄に連れて行かれたりするんで、あれの逆鱗に触れようなんて奴まずいないから。そんでもって、僕の事は見逃してね? 叩いたらホコリ出る体なんで、生存中の天の審判発動は、ほんっと嫌だから。絶対命持ってかれる」

 そうなの? でもそうそう地獄行きなんて……。

「何言ってんのぉ! 神に対する冒涜は地獄行きに決まってるじゃない!」

 私、神じゃないけど……。

「半神半人! 君に対する冒涜は、神に対する冒涜に値します! お願い、自覚して!」

 涙目だ。よく分からないけど、頷いておく。

 ジスラン殿下はほっと胸をなで下ろす。

「分かってくれた? ありがとう。で、僕の事は悪く言わないでね? お願いね? これでも神殿から手に入れた免罪符使って、死後は天国に行くつもりなんで」

 再三頼み込まれてしまった。再び頷けば、ようやくほっとしたようで、例の柔らかなマシュマロのような笑みを浮かべてくれた。でも、そもそもジスラン殿下の悪口なんて言う気も無かったから、問題ないと思うよ?

 その後、ジスラン殿下が立ち去ると、オスカーの視線がサロンの外に広がる庭園の方へ向いた。何だろう? ぼんやりしている?

「オスカー?」

「ん?」

「どうかした?」

 どうしても気になって、そう聞いてしまった。何かを気にしているような、何かに囚われているようなそんな感じだ。椅子に座っているオスカーの顔をのぞき込むと、彼の手が私の髪に伸びる。例の優しい手つきで、オスカーが私の髪をすいた。

「もし、君を失ったら、僕はどうなるんだろうって、そう考えた」

 オスカーがそんなことをぽつりと漏らす。


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