四、再び 試衛館
試衛館は昨年閉鎖され、門は固く閉ざされていた。
正月に伏見で大きな戦が起きた。新選組を含めた公儀の軍は薩長軍に敗れ、関東へ流れてきた。彼らは江戸で立て直し、甲州で薩長と再び戦うという。
これが最後の機会だ。甲州へ向かう軍に入れて貰おう。劣勢の今なら、俺のような者でも紛れ込めるかもしれない。そう思ったが、鍛冶橋の屯所では門前払いを食らった。
ならば、と試衛館を訪ねて現状を知った。そんな事も知らない程、俺は天然理心流から遠ざかっていた。
「こんなもんか……」
三年前、近藤先生から逃げた時と同じく踵を返す。その時、塀の奥から音がした。素早く木剣を振る音。聞き間違えじゃない。
裏庭の塀の外には、榎の気が一本生えている。その幹に足をかけて塀を越える。かつて土方が女を撒くために使っていた出入口だ。
無人のはずの道場の庭。案の定、男が素振りをしていた。土方歳三だ。
「よう!」
俺に気付いた土方は、剣を止めて声をかけてきた。
「どうしてここに……?」
「久しぶりの江戸だぜ。来ない訳にはいかねぇよ」
そう言いながら土方は、俺を眺め回す。
「お前こそどうした、近藤平三さんよ?」
臓腑が凍りついた。何故その名を……?
「はっはっは! やっぱお前か!」
土方は固まった俺の顔を見て笑う。
「 前に近藤さんがこっちに戻った時、近藤の名を騙る奴がいると聞いたらしい。その話で、何故かお前の顔が浮かんだ」
偽名に感激する者は減っていた。だが、今ごろ気付かされた。減るも何も最初から見透かされていたのか。
「悪いか! そうでもしないと俺なんか……!」
「悪いとは言ってないさ。でも、もうやめとけ」
土方の声色は妙に穏やかだった。
「天然理心流の近藤だぜ? 官軍に何されるかわからんぞ?」
「その官軍と戦うために甲州へ行くんだろ? なら俺も」
「勝てやしない」
噂に聞く新選組の戦上手の言葉とは思えなかった。
「皆知ってる。近藤さんは百万石の恩賞を約束されたが、上の方針は恭順だ。体の良い厄介払いさ」
土方は木剣を置き、地面に腰を下ろした。
「まぁ座れよ」
土方は顎を動かし、隣の場所を示す。俺は促されるままに腰を下ろした。日暮れが近い。西から赤い光が二人の顔を照らす。
「お前までこっちに来る事はない」
「お前まで? 俺の気持ちも知らないで……」
「 知ってるよ。いつも言ったろ、お前の剣はわかりやすいって」
たしかに昔、そう言って俺を挑発していた。
「俺と同じだからな。お前の考えはお見通し、だから試合はいつも俺の勝ちだった」
「同じだと? ふざけるな」
あの頃の俺は稽古に明け暮れる毎日、土方は遊び歩く毎日だった。
「同じだよ。俺もお前も近藤さんに気に入られたかった」
頭の中で何かが止まった。俺と土方の何が違う? あの日からずっと考え続けたことだ。
「形は違えど、目指すものは同じだった。例えばお前があの時、試衛館に入ったとしよう。そして大喧嘩の末、俺が道場を飛び出したかもしれない。そうすればあの人と京へ上ったのは、お前だったろうな」
考えた事もなかった。俺の「もし」はともかく、こいつの「もし」なんて……。
「たぶん武蔵中に、同じ奴がいたんだ。武名に魅せられて突っ走りたかった奴が。その中で、俺だったのはたまたまさ」
土方は立ち上がった。
「だが俺は俺を全うする。お前は、俺にならずに済んだお前を全うしてくれ」
そう言い残すと、土方は立ち上がり裏庭のあの榎の方へと歩いていった。そして、二度と会うことはなかった。
-完-
新選組になりそこねた男【角川武蔵野文学賞参加】 九十九髪茄子 @99gami_yutorifortress
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