真夜中の訪問者
長月そら葉
扉の向こう
トントン……
んー(夢うつつ)……玄関? なわけないなぁ。インターホンあるし。
部屋? ないなぁ、私、寝るときにドア閉められないし……
出窓!? (ドアじゃない)ここ上階なのに!?
——そこに座っていたのは、漆黒の長いローブを風にはためかせ、月明かりを受けて光るスェードの三角帽を被った女性だった……
❀❀❀
上記は、蜜柑桜さまのエッセイの一部抜粋です。
❀❀❀
「こんばんは。良い月ね」
「……いや、あなた誰ですか?」
現代日本ではコスプレとしか言い表せないその衣装は、まるでアニメから出てきた魔女のようではないか。
みかんの正論は、満月を見上げ物憂げな彼女には効果はなかった。
女性は名乗ることなく、「実はね」と話を続ける。
「あなたにお願いしたいことがあって来たのよ、みかんさん」
「(全く聞いてない……)お願いしたいことって何ですか?」
女性はにこりと微笑むと、つい、とみかんの部屋の本棚を指差した。そこにずらりと並んでいるのは、様々なお菓子作りのレシピ本やお菓子に関する書籍の数々。それを見ただけでも、みかんがどれほどお菓子作りが好きかがわかるだろう。
振り返っていた首をみかんが戻すと、女性は茶目っ気のある笑みでこう言った。
「あなたに、行ってほしい場所があるの。そこは、こことは違う場所であり、違う世界。そこの住民たちをあなたのお菓子で幸せにしてほしいのよ」
「…………は?」
異世界転移、というラノベによくある設定が脳裏をちらつく。たっぷり十数秒かけ、みかんはこの非現実が夢だと思い込もうとした。
「……これは夢、これは夢。わたしは寝てる。明日になれば、目が覚め……」
「覚めないわよ? これ、現実だし」
女性は三角帽のひさしの端をつまみ、肩をすくめてみせた。そして、みかんの傍に立ち、彼女の頬をつねる。
「……いひゃい」
「ね?」
つねられた頬をさするみかんに、再び出窓に腰を下ろした女性が言った。
「時間はないわ。あそこの住民たちが元気にならなきゃ、世界樹は育たない。育たなければ、世界が終わるのだから」
「なんか、物騒な言葉が聞こえた気がしましたけど?」
「気のせいよ~」
真夜中に向かって口笛を吹く女性に飽きれたみかんは立つのに疲れ、手近な椅子を引き寄せた。背もたれを前にして、そこに体を預ける。
「わたしに、そんな世界を左右することを押し付けられても困るんですけど」
「世界は左右しないわよ、たぶん。あなたがするのは、美味しいお菓子で笑顔を広げる事だけ」
「そもそも、なんでわたしなんかが……」
みかんの独白に聞く耳を持たず、女性はそのローブの何処に隠し持っていたのか、ステッキを取り出した。ステッキのてっぺんには、大きくてブルーサファイアのように輝く珠が一つ。その周りを、文字の羅列がくるくると回っている。
女性はぽかんと自分を見つめるみかんに微笑み、ステッキをくるりと振った。
「え? ……ええぇっ!?」
その瞬間、みかんの姿は透明になって部屋から消えた。問答無用である。
みかんが消えた後に残ったのは、きちんと鍵の閉められた出窓と、乱れたタオルケットだけだった。
❀
どしんっ
「いったあい!」
思いきり尻もちをつき、みかんは目に火花が散った気がしてその目を瞬かせた。どうやら、両目は無事らしい。
じんじんするところを手でさすりつつ、周りを見渡す。あの魔女(魔女っぽかったので魔女)と出会った時は丑三つ時とも言えそうな深夜だったのに、太陽が出ている。むしろ、頭上にある。
「ここ、何処よ!?」
叫べども、答えをくれるものはおらず。
仕方なく、みかんは立ち上がって歩き出した。誰かに出会って、情報を集めたかった。ここが何処なのか、知りたい。
先程周りを見た時にも思ったが、ここは何処かの森の中らしい。何処を見ても、木と草しかない。時折、花が咲いていたり実がなっていたりする。
「これが所謂、異世界転移ってやつ?」
そんなことを呟きながら、とぼとぼと歩いて行く。
しばらく進むと、小川にたどり着いた。ぼおっと川の中を覗き込み、そういえば寝間着のままだったなと思い出す。これでは、人前に出るのは恥ずかしい。
「とはいえ、どうしようもないよね。あ~あの魔女め」
ちょっと毒を吐き、小川に沿って下流へ進む。きらきらとした水が、ささくれだった心を少しだけ落ち着かせてくれた。
てくてくと進んで行く。いつの間にか再び森に誘われ、みかんは立ち止まった。何処からか、甘くて懐かしい香りがする。
「これは……お菓子? クッキーとか、バターケーキみたいな匂いがする」
そういえば、歩き疲れておなかも空いた。香りの出どころを見つけようと、無意識に歩くのが速くなる。徒歩が早歩きとなり、いつの間にか走り出す。
匂いの帯を辿り、みかんがたどり着いたのは山小屋のような建物だった。幾つかの果物がなる木がその周りに生え、風に葉を揺らしている。
高鳴る胸を押さえ、みかんはそっと窓から小屋の中を覗いた。
「……うわあぁ!」
そこには、たくさんのお菓子があった。バターケーキやアイシングクッキーの他、どら焼きやおはぎ、タルトやチョコレート、そしてゼリーに生ケーキまで。ありとあらゆるお菓子が所狭しと棚に置かれているのだ。
その更に奥にはオーブンでもあるのか、白い湯気が立ち上っている。そして誰かの影も見えた。一体どんな人が作っているのか、そう思って身を乗り出した時。
「あなた、だあれ?」
「ひゃあああ!」
「きゃううん!」
同時に悲鳴を上げる。みかんが心臓をバクバクさせながら振り向くと、そこには犬がいた。二足歩行の。コック服を着ている。
「……犬?」
「はい。ぼくはソラ。ボストンテリアのオスだよ」
まんまるの目をみかんに向け、黒タキシードを着たような姿のボストンテリアらしき生き物が、そこに立っていた。
「……ソラ? っていうの?」
「そうだよ。……きみは、にんげん? この辺りでは滅多に見ないけど」
「……みかん、っていうの」
「みかん。ねえみかん、どうしてこんなところにいるの? この森には、人間はいないはずなのに」
「人間はいない? それってどういう……」
きゅるるるる~
どういうこと? とみかんが尋ねるより早く、彼女の腹の虫が限界を訴えた。恥ずかしくてお腹を手で押さえるみかんに笑いかけ、ソラは彼女の手を引いた。
「お腹すいたんでしょ? ぼくとリクのお菓子、食べて行くと良いよ!」
「い、いいの?」
「うん。だってみかんは、お告げの人かもしれないしね」
「……お告げの人?」
再び意味不明な言葉が出てきた。それを追求しようにも、みかんは限界だ。自分の欲求に正直に応じ、ソラに手を引かれて小屋へと入る。
テーブルに案内され、目の前に幾つかのお菓子が置かれた。ブルーベリータルト、葛餅、クッキーである。
みかんは目を輝かせ、ソラが「めしあがれ」というのと同時に「いただきます」と言いながらフォークを握った。
「……ふう。ごちそうさまでした」
瞬く間にそれらを平らげて紅茶も飲み干したみかんの前に、ソラ以外の影が現れる。
「ようこそ、
「……リクは、シマリス?」
「そう」
こくん、と頷いたのは、確かにコック服を着たシマリスだ。ふさふさで触り心地のよさそうな豊かな尻尾を持つ彼女が、更に続ける。
「ソラから聞いたよ。みかんっていうんでしょ? それで、きみは救世主さん」
「……パティシエ? わたしはただお菓子作りが趣味なだけで」
「だから、女神様が呼んだんだ」
みかんの言葉を遮り、ソラは嬉しそうに言う。
「みかんは、本当にお菓子作りが好きなんだ。そうでなきゃ、お菓子の精霊に好かれたりなんてしないもん」
ソラはみかんの周りを指差して、笑った。気が付けば、みかんの周りにはふよふよと淡い色に光るものが幾つも浮いている。それが精霊なのだろう。
「精霊に好かれたみかんがここに来たってことは、あたしたちのなすべきことは一つ」
「うん。おいしいお菓子で、森のみんなを笑顔にするんだ!」
「……え? ええ?」
ソラとリクの間で何かが共有されたが、みかんは置いてきぼりを食らって呆然としていた。
「あの、わたしは……」
そんな特別な存在ではない。そう言う暇も与えられず、ソラとリクにきらきらと輝く丸い目で見つめられてしまう。
「ね、みかん。ここで一緒にお菓子を作ろう?」
「ここにはたくさんのしょんぼりがあるんだ。ぼくらは、それを笑顔にしたいの!」
「「お願い!!」」
「……わ、わかった」
勢いに押し負け、みかんは承諾した。喜びで小躍りする2人に、「でも」と条件を出す。
「わたしが、元の世界に戻る方法を見つけるまでの、期間限定だから!」
「うん!」
「わかった!」
「……本当かな」
一抹の不安を感じつつ、みかんはソラとリクとの共同生活をスタートさせることとなった。
❀
チリリン
「「「いらっしゃいませ~」」」
今日もまた、何かを抱えたお客さまがこのパティスリー・みかんを訪れる。
お客さまが食べたいのは、一体どんなお菓子でしょう。
この小さなお店には、ボストンテリアのソラ、シマリスのリク、そして女神によって呼ばれた人間のみかんがいて、あなたの笑顔のためにお菓子を作っています。
世界の思惑など知らず、鮮やかなお菓子という魔法が宿る店。
あの真夜中から始まったのは、陽だまりのような物語。
真夜中の訪問者 長月そら葉 @so25r-a
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