壊世記

ドント in カクヨム

壊世記


 あるときに、神は「あれえっ、別にこの世界とか、いらなくね?」と気づかれた。

 そのためまず神は「光なし」と言われた。すると光がなくなった。

 光がなくなったため昼はなくなり、朝も夕方もなくなり、闇だけになった。

 生きとし生けるものは混乱に包まれた。

 その混乱を見て神は「ヤバ、チョーウケるんだけど」と言われて、よしとされた。

 神は六日と一日をかけてこの世を作ったので、六日かけてこの世を少しずつ壊し、最後の一日に全てを無にしてしまうことにされた。

 昼と夜はなくなったが、神は全知全能であったために、この世でいう一日という時の感覚を知っておいでだった。これが第一日である。



 神は言われた。「まぁ六日かけて壊すんだから、ガーッといかずにゆっくり楽しむべ!」

 そこで神はまた言われた。「青草と、種を持つ草と、種のある実を結ぶ果樹は、すべてなしとせよ」。そのようになった。

 草はいっときに枯れ、花は落ち、実は崩れた。

「うわ~、緑全滅だよ~。大変じゃんこれ~」と神は言い、よしとされた。第二日である。

 




 世田谷の保育園に勤める山中友美は、懐中電灯で花壇を照らした。園児たちが育てていたパンジーやツツジは枯れきっていた。

 世界が突如として真っ暗になってから一日であった。子供たちや迎えに来た親たちに「こわくないよ!」「明日にはきっとよくなってますよ!」と声をかけた。

 山中友美の目から涙がこぼれた。

 あの子たちがこれを見たら、どう思うだろう。

 桃色のエプロンで涙をぬぐった。エプロンには園児たちが作ってくれたフェルトの飾り物がたくさんついていた。





 神は言われた。「次どうすっかな~、まだ三日目だしな~。あっ、そうだ」

 神はそれから言われた。「家畜と這うものと地の獣、水の生き物、天を飛ぶものは少しずつ弱ってゆき、七日目に死ぬようになれ」。そのようになった。

 昨日まで元気であった牛や豚、魚や鳥、猫や犬や兎などはぐったりとし、ほとんどが動けなくなった。

「あと四日の命、大事にしなよ! まぁ七日目にみんな死ぬけど! ダハハ!」と神は言い、よしとされた。第三日である。

  




「ボビー、どうしちゃったの?」 

 カリフォルニアの小さな家に住むルシアは、暖炉の前で苦しそうに横たわる犬のボビーの腹をなでながら言った。

 暖炉に火を入れていると暑くて汗が流れたが、そうしなければ暗くて何も見えなかった。

「具合が悪いのよ。この暗さだものね」

 母親のマーサは答えた。

「とても苦しそう」

「そうだね。苦しそうだね」

「お母さんもなでてあげて」

「そうだね。私もなでてあげようね」

 マーサは娘の前では泣くまいと思っていた。不安のただ中でも、しっかりした親でいようと心に決めていた。

 父親は昨日の朝出かけた会社から、まだ帰ってきていない。

 ボビーをなでているうちに、ルシアが泣き出した。「これからどうなるんだろう」と言った。

「大丈夫だよ、大丈夫。ちょっと疲れたから、お日さまもお休みしてるんだよ」

 せりあがってくる不安をおしとどめながら、マーサはボビーを優しくなで続けた。

 ボビーは小さな目で、母子を見つめていた。





 神は言われた。「今日はちょっと様子見の日にすっか……あ~、みんなしてパニックになってるわ~爆笑だなこれ~!」

 神はまた言われた。「ほらみんな、末世来てるよ! 祈ってごらん! なんもしないけど! ダハハ! ウケる~!」。世はそのようであった。

 世界の隅々までを見渡した神は終始よしとされた。元々気まぐれで作ったもんだし、別にいつどうやって壊したってよし! とされた。第四日である。





 カイロのはずれに住む青年アハメッドは、燃えて明るくなっている街をぼんやりと見つめていた。 

「神の御業なり」「終末きたる」「ついに終わる」などという叫びが、遠くから聞こえてくる。

 煙が流れてくるので、アハメッドはバラックの入口に板を立てて再び閉じこもった。

 彼はここで生まれ、ここで育った。

 バッテリーからつないだ充電器にさしてあるスマートフォンを手に取った。

 インターネットでも同じようなことが、それぞれの言語で叫ばれていた。

「いいことがない人生だったな」とアハメッドはひとりで言った。 

 それから、「いいことがない人生だったな」と、ネットに書き込んだ。

 ほとんどひとりで生きてきたから、ひとりで死んでいくのだな、と思った。

 バラックの中に煙が入ってきた。アハメッドはむせたが、横になった。このままでいるつもりだった。

 父の顔も母の顔も知らなかったが、顔見知りの露店商のじいさんと、街でたまに見かける可愛い娘のことを考えた。

 あの人たちは、どうしているだろう。

 




 神は言われた。「さ~て今日はどうしてやっかな。天地がなくなるようなド派手なのは最終日にとっておくとして……あっ、いいこと思いついた」

 神はまた言われた。「すべての草と、海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物と、それに自分の形に創造したものとは、互いに憎み合うようになれ」。そのようになった。

「バトルロイヤル来たぜこれ。どの生き物が勝つかな? あっ、これ獣を弱らせる前にやっときゃよかったなぁ~」

 神はまぁそれはそれでよし、とされた。第五日である。





「黙示録なんてウソっぱちだったじゃないか」と、北京のアパートに住む李樹明はネットに書いていた。

 李樹明は昨日から会社に行かず、どこかの誰かが律儀に作って送り続けている電気を使って、主に欧米人たちを煽り続けていた。 

 聖書の文句はデタラメだらけだ。天使がラッパを吹くとは何だったのか。神がいかに気まぐれであるか。

 この世に昼も夜もなくなってから、李樹明は異様な高揚感に襲われていた。

 これが世界の終わりか。これが世界の終わりなのだ。やっと来たのだ。世界の終わりが。

 李樹明は、田舎を出て北京の会社に勤めていた。

 友達も恋人も知り合いもいない、働きづめの生活を送っていた。この世の終焉は一種の救いであり、祭りであった。

「ざまぁみろ、みんな不幸になるんだ。これが平等ってもんだ」と李樹明は言った。

 言いながら、机に飾ってあるアロエの鉢をどけた。日々心を癒していたその植物も、もはや邪魔に思えたのである。

 アロエの葉が、李樹明の指に巻きついてきつく締まった。 

「は?」と言った直後に、ばちんと音がして、部屋中の電源が落ちた。

 ライトもパソコンもすべてが消え、部屋が闇になった。

 そのただ中で、アロエの葉が指から腕へと伸びてくるのが感じられた。

「お母さん」李樹明は言った。

「やだよ。怖いよ」





 神は言われた。「そろそろドーンと、絶望一撃ぶちかます感じで行ってみようかな!」

 神はまた言われた。「生むな、増えるな、実も肉も食えなくなれ、水よ乾け、子よ育つな」。そのようになった。

「あ~可哀想可哀想! とうとう食い物も飲み物もなくなっちゃった! さ~てどんな様子かな?」

 神は絶望と悲嘆、怒りと苦悩の言葉に満ちる世界を見て、ヨシッとされた。第六日である。





 銀河系の端に位置する惑星の村で、レイノンは少し前に生まれた我が子を抱いて揺らしていた。

 ここしばらくの闇のせいでなかなか眠らなかった我が子が、今ようやく眠ったのだった。

 そばに伴侶のカイオンが戻ってきた。

「ダメだった」カイオンは言った。「どこの泉も川も枯れてしまっている」

「じゃあ、いま家にある分で、飲み物はおしまいということだね」 

「そういうことになる……それから、“子の木”が実を結ばなくなったらしい」

 レイノンはぞくり、とした。「子の木が? 子を産まなくなった?」

「そう……今朝、アナキとバナが木の下で祈ったのだが……子はできなかったそうだ……」

「そんな…………」

 レイノンは腕の中の我が子をぎゅっと抱いた。もし子供を願う行事が少し遅れていたら、この子は授からなかったかもしれない。 

 いや、それよりも恐ろしいのはこれからだった。

 食べ物も飲み物も少ない。この子と共に、これからどう生きていけばよいのかわからなかった。

「…………神は、神様はどうされているんだろう」

 レイノンは奥歯を噛み締めながら言った。

「わからない……わからないよそんなこと!」カイオンは地面を蹴った。

「自分は神を恨む……! だが神がおられるなら、こんな事態を見逃すはずがないのだ……!」

 レイノンはカイオンの肩に手を置いた。

「触ってカイオン。我々の子に……」

 カイオンは手を伸ばして赤子に触れた。

 その青い体は、やさしく桃色に光った。

「綺麗だ……本当に綺麗だ」カイオンは言った。「我々の子……」

 自分たちが死んでも、まだ名前をつけていないこの子だけは生きてほしい。

 ふたりはそう思っていた。





 第七日であった。

 神は言われた。

「さあっ、いよいよ七日目! いっちょ盛大にやっちゃいますか! 大惨劇! スペクタクル! 生き地獄! 全生命、どんなリアクションとるかなぁ~?」 

 神はどのように世を終わらせようかしばらく考えた。


 天の下の水を全体にあまねく広げて、乾いた地をなくすことを考えた。

 太陽と呼ばれる大きな光を動かして、世を余すところなく焦げ付かせることを考えた。

 生きとし生けるものが呪われ、一日かけて腐り溶けていくことを考えた。


 神はよしとされ、ではまずこれからやろう、と取りかかろうとした時であった。

 うしろに気配があった。



 神が振り向くと、そこにはいないはずのものがいた。



 巨大なゴリラであった。



「は?」

 神は今の今までこれを知らなかった。



 神は全知全能である。


 それであるがゆえ、全知全能ではない生命たちの、全知全能ではないがゆえに生まれる苦悩を一度とて理解することはなかった。

 神が世界を壊すことにより、その悩みや苦しみや嘆きがより多く世にあらわれた。

 そのあまりの多さに川の如く流れができ、よどみ、かたまり、ひとつの形となった。

 神の知りえぬ感覚の集合体であったがため、その存在は今まで神に知られることはなかった。

 

 それがこのゴリラであった。


 人や獣が「ゴリラあれ」と言ったわけではなかった。

 それらの悩み、苦しみ、嘆きが、たまさかゴリラの形としてできあがっただけであった。

 ゴリラは男でも女でもなく、また男でも女でもある、そのようなゴリラであった。



 神はこれらのことを一瞬のうちに理解した。全知全能だからである。

「あ~ビックリした。ちょっと面白かったね。はい、もう消えていいよ」と神はゴリラに向かって言われた。 



 ゴリラは消えなかった。



 ゴリラは全知全能の神の埒外から生まれたものであった。

 ゆえに、神の定めや言葉はひとつとして通用しなかった。

 このゴリラは神の司る世界にはじめて現れた、神の決まりが通用しないはじめてのものであった。 



 ゴリラは神に近づき、その体を殴った。第一発である。

 神に肉体はなかったが、神の決まりの外にあるゴリラが、生命と自然と宇宙の名のもとに、悩みや苦しみや嘆き、さらに大いなる怒りをもって、神に肉体を与えたもうたのである。


「イッテェ!」


 神は叫んだ。

 神が痛みを感じるはずはなかったが、神の決まりの外にあるゴリラが、生命と自然と宇宙の名のもとに、悩みや苦しみや嘆き、さらに大いなる怒りをもって、神に痛みなるものを与えたもうたのである。


「ちょっと! ちょっと待って! マジで! ちょっと待って!」


 神は後ずさりしながら言った。 

 神のおわす所に空間という概念はなかったが、神の決まりの外にあるゴリラが、生命と自然と宇宙の名のもとに以下同文。ここに空間と時間を作り上げたのである。 



「ちょっと待って! 待ってって! わかったわかった! 戻すから! 光あれ! はいっ戻した! 戻したから! ねっ!」



 神は言われた。

 こうして世界には光があった。光は昼であり、闇は夜であった。夕となり朝となる一日が世に戻ってきた。



 ゴリラは消えなかった。

 創世より最大の混乱と混沌の中で形となった生命たちの巨大な感情は、その程度では消えなかった。

 それゆえゴリラも消えなかったのである。 



 ゴリラは神を殴り、神は倒れた。第二発である。

「ちょっと! ちょっ…………ゴメンって! わかったわかった! 草木、生えろ! 花は咲いて実がなれ! はいこれでいいんでしょ! 緑戻ったよ緑!!」 

 神は言われた。

 青草と、種を持つ草と、種のある実を結ぶ果樹が世界に戻った。 

 ゴリラはこれを見てよしとされたが、姿は消えなかった。



 ゴリラは殴り、また神は倒れた。第三発である。

「痛い痛い痛い……ちょっ……あのね、あーわかったわかった! メンゴメンゴ! 獣、健康になれ! はい元気になったよ! 動物もゴリラもみんな元気!!」

 神は言われた。

 家畜と這うものと地の獣、水の生き物、天を飛ぶものは元の体力を取り戻した。

 ゴリラはこれを見てよしとされたが、姿は消えなかった。



 ゴリラは殴り、また神は倒れた。第四発である。

「痛いって! もう冗談じゃん冗談! な? お前そんな……そんなに殴るならなぁ! この世を一気に消すぞ!? それでもいいのか!」

 神は脅された。

 ゴリラはこれを見てよしとされなかった。



 ゴリラはかまわず殴り、また神は倒れた。第五発である。

「…………ちょっ……ちょっと…… わかった…… 生き物が……生命が互いに憎み合わないようにした……今、今したから…… あと時間を戻して…… 何も起きなかったことにするから…………」

 神は言われた。

 ゴリラは生命間の憎悪が消えたのを見て、よしとされた。

 しかし全てをなかったことにするのはよしとされなかった。

 悲劇も喜劇も、起きたことは起きたことであり、何人たりともそれを改変することは、よくなかったからである。


 

 ゴリラは殴り、また神は倒れた。第六発である。

「…………もうホント…………あのう…… 実も肉も……水も…… 子供も……育つように…… あのう…… ちゃんと…… ちゃんとしたんで…………」

 神は言われた。

 植物の実も動物の肉も手に入るようになり、川は流れ泉がわきあがって、子は育つようになった。 

 ゴリラはこれを見てよしとされた。

 しかし、その姿は消えなかった。

 


 ゴリラから神への六度の暴行は、このようにしてあった。



「…………ちょっと……なっ……もう……なんで帰ってくんないの? もういいでしょ……! なんでこんなことすんの……? いじめないでよもう……!」

 神は言われた。

 ゴリラはこれを見てよしとされなかった。



 神はこれらのように言いながら、ゴリラを消すために全知全能の力を全面的に、あますところなくこっそり使われていたが、なおゴリラは消えなかった。

 生命と自然と宇宙の名のもとに、悩みや苦しみや嘆き、さらに大いなる怒りをもって生まれた、神の力の外にあるゴリラとは、実にそれほどのものだったのである。


 ゴリラは拳をかたく握りしめた。

 そうしてひとこと、こう言われた。 




「慈悲なきものに、かける慈悲なし」



 

 第七発目に、ゴリラは休まなかった。

 第七発からは、神に口を挟ませず、自分も話すことなく、一切の休息なしに、神の肉体に拳を打ち込み続けた。


 それは、一生命で一発の換算であった。


 すなわち、神が「光なし」と言われた瞬間の、地球の人口76億5929万8462人分。

 それに人ではない生物8620億4626万5321匹/頭分。

 それに加えて地球外生命体の数2兆538億6004万1116体分。

 合計3兆3866億7223万6279発。


 これらを肩代わりしたゴリラの拳が全て、まだ生きているもの、死にかけているもの、死んでしまったもの、

 終末を悲しんだもの、終末を待ち受けていたものの別を問わず、まったく等しく、限りなく強い力で神の肉体に打ち込まれた。

 神はゴリラにより3兆3866億7223万6279回の痛みを与えられた。

 神は全知全能であるがゆえに傷を負わず、死ぬこともなく、また失神することもなかった。

 ただ3兆3866億7223万6279発の、絶え間なく同じ強さで続く拳の打撃だけが繰り返された。

 


 ゴリラは3兆3866億7223万6279発を殴り終えると、フンッと鼻息をひとつ立てて、音もなく消えた。

 ゴリラがその怒りと哀しみのわざを終えたからである。



 神はぐったりと倒れ伏し、しばらく動かなかった。

 全知全能の外側から与えられた3兆3866億7223万6279発分の痛みは引くことなく、延々と神を苦しめ続けた。




 このように世界は元通りになったが、全生命たちの心は簡単には癒えなかった。物質的に、文化的に、社会的に損なわれたものも多かった。

 そのうち、ゆるやかにではあるが、「世の中、何があるかわかんないね」「憎み合ってる場合じゃないね」との声が上がりはじめ、各地でみんなしてまあまあ、仲良くやりはじめた。

 各宗教でも「これは神からの警告であろう」と意見が一致し、お互いにあまり揉めぬよう、取り計らわれた。

 天と地にはおおむね平和があり、正の感情と負の感情が概して調和してあり、まずまずそれなりに、いい具合になった。



 神はゴリラに殴られた痛みとショックにより、それから7777日間休まれた。

 主なる神はもう二度と、造ったものを壊そうとは思わなかった。 

 軽々に手を出せば再び、ゴリラがやって来て3兆3866億7000万発ほど殴られるためである。

 神が休まれた7777日間は、特に聖別もされなかった。

 神は痛みとショックでシクシク泣き続けているだけであった。



 このようにしてゴリラはあり、ゴリラは行ない、ゴリラは去った。そして世界は残った。



 ゴリラはここにいないが、おそらくこれを見て、よしとされるであろう。

 これは、神の外のものによって成された、最初の奇跡であった。 





 

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