エピローグ 闇を覗く
「沙也加先生、心拍数落ちてます」
「心音と呼吸音は正常かな?」
「はい、先生。大丈夫です」
「エフェドリン静注して様子を見て」
「はい」
今、加藤のオペをしている。
前回、加速器の事故で義手や人工眼球を入れた際に、自己修復機能つきナノマシンを投与していたのが良かった。救急搬送時には心肺停止状態だったのが、なんとかなった。
ただ厄介なことにマイクロブラックホールが複数、体内に入り込んでいる。それも非常に小さいものが。
「これで三つ目!」
取り出したマイクロブラックホールは一ミリ以下のもの。あと数十はある。
加藤のオペが終わったのは十時間後。
さすがに疲れた。
正直、助かるかどうかはわからない。加藤の体力と気力次第だ。
医者であるボクができるのはここまでだ。できることはすべてやった。
医者は患者の治癒能力を手助けしてやることしかできないのだから。
※ ※ ※
オペ後、ボクは警察署へ出頭することになった。
加藤が襲撃されたとき、最も間近で見ていたこと、大村逮捕時にいたことなどが理由だろう。
そう思って刑事課に顔を出すと、
「おお、高橋先生。お久しぶりですね。うちの科学捜査官がお世話になってます。どうです。その後具合は?」
声をかけてきたのは課長だ。
「ええ。まあなんとか……。まだオペが終わったばかりですので様子をみませんと」
「そうですか。今日お呼びしたのは、大村の事情聴取をお手伝いしていただけないかと思いまして」
はあ? ボクは警官でも何でもないんだが。首を傾げていると苦笑しながら、課長が言った。
「大村本人のご指名なんですよ」
他にも見張り役として刑事を数名つけるからという課長の説得もあり、ボクは重い足取りで聴取室へ向かった。正直、会いたくない。どんな顔をして会えばいいんだ?
部屋に入る。刑事ドラマのように狭く、窓も一つしかない薄暗い部屋だ。
そこにポツンと小さな事務机があり、元副院長が座っていた。
両脇に狛犬よろしく鎮座している刑事二人をチラリと見ると、どうぞと言わんばかりに小さく頷いた。
大村の前に座ると、彼は上目遣いでボクを見て言った。
「やあ、沙也加くん。来てくれないかと思っていたよ」
さすがに『やあ、ハゲ』といつもの軽口で返す気にもならない。多くの人たちを傷つけ、勤務先にも多大な迷惑を及ぼした。そのうえ許せないのは、ボクのテツローに手をあげたことだ。
ボクは彼を尊敬していた。オペの手技は素晴らしく多くの患者を救ってきた。医者としての腕ばかりでない。患者たちはもちろんのこと、大半の職員は副院長を慕っているのだ。誰にでも優しく接する彼がみんな好きだ。口の悪いボクなんかとは大違いだ。
それなのに……。どうして……。
重い口を開き、ボクは問う。
「副院長ともあろう方がどうしてこんなことをしたんですか?」
ジッとボクを見つめると、ぼつりと言った。
「世の中が憎いからだよ、沙也加くん」
どういうこと? すごく美人の奧さんと子どもがいて、地位もお金もあるリア充なのに、どうしてそんなことを……。
「どうしてですか……。みんな副院長を慕っていました。ボクだって嫌いじゃなかったからこそ、ハゲって呼んでたのに……」
「そうだな……でもそれはまやかしだよ、きっと」
「まやかし?」
「ああ、かりそめの姿さ。私はね、加藤くんや他の連中がうらやましくってしかたなかったんだ。みんな自分の好きな事に熱中できてるじゃないか」
元々、副院長は天文関係が専門だったな。
なんで医者になったんだろう。
「先生は医者になりたくなかったんですか?」
「しかたなくなったんだ。親が医者でね、どうしても家を継がなきゃならなくなったんだ。大学に入るときは天文の道に進んでも文句は言われなかった。けれども兄が海外に行ってしまったからね」
ふぅ、と当時を思い出したのかため息をついた。
家を継がなきゃならなくなったのか……。いわゆる家庭の事情で、自分の好きな分野を勉強できなくなったのか。そりゃあ辛いわな。
「そうでしたか。でもそういう人は多いじゃないですか」
医学部に来ていた連中の志望動機の多くは『家を継ぐため』なんだよね。
「嫌だったよ。人の体なんて興味もなかったから。そんなもん汚いだけだ。夜空を見てみろ、あんなにもきれいで何万光年も離れてる光が、今、見えてるんだ。神聖で美しい営みじゃあないか」
少しムッとした。
人の生命だって神聖で美しいぞ。
「命だって神聖じゃないですか? 違うんですか?」と、問いかけると、
「人なんて宇宙に比べればゴミじゃないか。比較対象にはならないな」
逆にあっさりとした答えが返ってきた。
この人は……そんなふうに感じながら患者対応していたのか。
どうしてボクらは彼が仮面をかぶっていたことを見抜けなかったんだろう。憤りと悔しさが入り混じる。心のうねりがボクの中に渦巻く。
「沙也加くん、君はブラックホールをどう考える?」
目の前の犯罪者からの思わぬ問いだった。何を考えてるんだ?
そうだなあ……。ボクが思うブラックホールは、
「闇ですね。すべてをのみ込んでしまう闇です」
そう、宇宙の蟻地獄。
一度捕まったら決して逃れることができない闇だ。
「ふふふ。そうか、闇か……。ならば私はすべてを闇に還したわけか。くくくっ」
なぜ笑っている。
ああ、そうか。こいつの言う『醜い人の体』が闇にのまれるのが嬉しいんだ。
ダメだ、こいつ。狂ってる。
「すべて闇にのまれることが、先生の望みなんですか?」
「ああ、そうだ。全部、闇にのまれてしまえばいい! 浄化されればいいんだ! あはははははははは、あーはははははっ」
壊れたおもちゃのように笑いはじめた副院長のなれの果てを、二人の刑事が両脇を支える。きっとこれから留置場へ連れて行かれるんだろう。
ちゃんと返事が返ってくるかどうかわからない。だけど聞かなきゃならない事がある。
「先生、最後に教えてください。このマイクロブラックホール……感染しますよね? どうやったら止められますか?」
「……簡単だよ、沙也加くん。装置を完全に破壊すればいい。感染じゃなくってあれはリンクだ。すべてのブラックホールはリンクしてるからな……フヘヘヘへ、あははは」
刑事二人に強引に連れ出される元・副院長。
「さようなら、ハゲ。嫌いじゃなかった」
ボクは最期のたむけに元恩人に告げた。
部屋に残されると、誰知れず一人で唇を噛みしめた。
※ ※ ※
数日後、病棟の看護師から加藤の意識が戻ったという報告を受けた。
ほんとか! 本当にほんとか!
ボクは病棟を走った。
診るのも切ないので、オペ後、山田先生に担当をお願いしておいた。
次に会えるのは遺体となってからだろう、と思っていた。彼の遺体を解剖することが、彼との最期の対話になるだろうと覚悟を決めていた。
「テツロー!」
勢いよく病室へ入り、名前を呼ぶ。
もっさりと体を起こして、ボクの顔を見る。
彼だ! 間違いなく生きている!
看護師や山田先生がいるのもかまわず、思いっきりボクは彼に抱きついた。
「バカ……バカ……バカ……このバカ加藤ぉ……」
全身で彼のぬくもりを感じた。彼の命を感じた。
涙が出てくる。
嬉しい……、生きていて嬉しい。
「加藤じゃない。テツローって呼べって何度言ったら……」
ああ、彼の声だ。間違いなく彼の声だ。
ボクが顔を上げると、そっと指で頬に伝わった涙を拭う彼。
安心する。また彼とバカなことを言い合える。
「……好きだ、テツロー。一緒になってくれ」
いつの間にか告ってしまった。
一瞬、ん? という顔をしたが、彼はボクの頭をなでるとこう言ってくれた。
「ああ、わかった。いいよ。サーヤ」
と。
数ヶ月後、ボクは加藤沙也加になった。
それはまた別の話。
きみと闇を覗く〜病理医沙也加と科学捜査官哲朗の事件簿〜 なあかん @h_mosa
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