二度目の出会いはストリートピアノの前で
八百十三
二度目の出会いはストリートピアノの前で
きっかけは本当に偶然だった。
別に誰かからオススメされたわけではない。元になったゲームを遊んだこともない。たまたま、動画視聴中の関連動画に出てきたから、何の気なしに選んでみただけだ。その時見ていた動画は、確かピアノ演奏がBGMの動物動画だった気がする。
とある人気ゲームのBGMを、二人のピアニストが、二台のピアノで演奏してみた、という動画。
この動画投稿サイトには何人も、いや何十人も、いろんな楽器を演奏する様子を動画に撮って、アップロードして視聴者を集めている動画配信者がいることは知っている。ピアノの演奏を撮影する人がいるのも同様だ。
本当にピアノの演奏でお金を稼いでいるプロのピアニスト、アマチュアだがコンテストでの優勝経験がある人、全くの趣味で演奏しているが恐ろしく上手い人、上手い人と一言で言ってもいろいろな人がいる。
とはいえこうしておすすめとして動画が上がってくるくらいだ、それなりに人に見られていて、それなりに上手い人が演奏しているんだろう。
そう、変に構えることなくその動画を再生したのだ。
が。
「……うっ!?」
思わずそんな声が、私の口から漏れた。
圧倒的なのだ。
ただ、音が大きくて迫力がある、と言うわけではない。
音の粒が大きい、という表現が適切だろうか。音一つ一つがはっきりと聞こえるのだ。
はっきりと一つ一つの音が聞こえて、それでいて他の音を邪魔していない。両の耳にものすごい圧力で音の粒が押し寄せてくる。
それでいて、とてつもなく、上手い。リズムが崩れないし、多分メインのメロディーなんだろうという音も、多分装飾として追加されているんだろうという音も、強弱も、抑揚も、きっちりと考えて演奏されている。
だから私は、五分間――五分間もだ。動画投稿サイトの画面から目を離せずにいた。
ぽかんと見ていたから、動画が終わって次の動画が始まるまでの、シャッフル再生のインターバルに入っていたことに、半分以上経ってから気付いたくらいだ。
慌てて、次の動画に進む動きをキャンセルする。画面上に表示される、関連のおすすめ動画のサムネイル。
しかし私はそれには目もくれず、画面を下にスクロールさせた。
「すごかった……誰、この人たち」
こんなものすごい演奏を見せるピアノ演奏系動画投稿者、有名人でないはずがない。動画の概要欄を開き、投稿者を見る。一緒にコメントも見る。
なるほど、コメント欄は賞賛のオンパレードだ。日本語でないコメントも多数。やはり、二人ともそれ相応には有名人らしい。
先程は手元とピアノの鍵盤にしか目がいかなかったが、もう一度。動画を再生してもっといろんなところに目を向けてみる。
演奏しているのは二人とも男性、それも若い男性だ。高校生の私よりも幾分か年上、大学生くらいに見える。それでこれだけの卓越した演奏、一体どれくらいの時間をピアノに捧げてきたんだろう。
別タブで投稿者のページを見ると、本名があった。それと経歴も。そこに目を向けた私は「えっ」と声を発した。
「……プロのピアニストだ」
動画の投稿者は、まぎれもない、ピアノの演奏で生計を立てている人だった。
一緒に弾いている
こんな、こんなとんでもない技術を持つ人たちがごろごろして、神がかった演奏を無料で配信しているのか。恐ろしい話だ。
「すごい……」
彼ら二人の演奏する様子に目を奪われながら、私の口からそんな言葉が自然と漏れた。
すごい。とにかくすごい。
何がすごいって、私もピアノを弾いてみたくなったのだ。
全く触れたことが無いわけではない。小学生の頃に習っていたし、家にはアップライトピアノが置かれている。今でも弾けない、わけではない、はずだ。
時計を見る。午後八時半。まだ、いけるはずだ。
動画の視聴を一時停止して、私は椅子を蹴った。部屋を飛び出しリビングへ。夕食の後片付けを終えた母がきょとんとしている。
「あら
「お風呂は後! お母さん、ピアノ、今弾いてもいい?」
母に声をかけつつ、私はリビングのアップライトピアノの蓋を開ける。ちら、と時計を見ながら、母が苦笑した。
「いいけど……九時には終わりにしなさいよ、周りの人に迷惑だから」
「分かってる」
生返事を返しながら、ピアノのキーカバーを外す私だ。ピアノは私よりも母がよく弾くから、ちゃんと手入れがされている。調律も定期的にお願いしているとのことだ。音については心配は要らない。
問題は、私自身の腕前の方だ。絶対錆びついているが、それを理由に弾くのを辞めるほど、私の情熱は冷めてはくれない。
「さっきの曲……楽譜があればいいんだけど、無いしなぁ」
ないものを探しても仕方なし、と、私はピアノの上に並べて置いていた流行りのポップスをピアノで弾けるように編曲した楽譜集を取り出した。
改めてちゃんと楽譜を見てみると、結構、馴染みのある曲でも複雑な構成をしている。今見て、パッと弾ける自信は無かった。
「……うーん」
「どうしたの、急に」
「ちょっとね、すごいの見ちゃったから」
母の声にも振り返ることなく、私は楽譜と鍵盤を、にらむようにじっと見ていた。
それから、私がまずやったのはあの曲の楽譜を探すことだった。
元となった曲の紹介は該当の動画にあるから、それを元に探したのだが、販売されて市場に出回っている楽譜は無いらしい。動画投稿サイトにだれかが採譜した楽譜の動画が、僅かにアップされているだけだ。
つまりあの演奏者たちは、曲の聞き取りから譜面に起こすところまで、全部自分たちでやったことになる。それだけでも並大抵ではないが、ピアノを弾いて動画投稿をする人たちにとっては、きっと何でもないことなんだろう。
先達に感謝しながら楽譜をダウンロードし、読み込んでみる。が、それだけでも随分時間がかかった。ゲームのBGMだからと舐めてかかっていた。
「すごいな……」
その曲から取り掛かるのは諦めて、ちゃんと弾けていた頃の勘を取り戻すべく、私は基礎練習からやり直すことにした。
昔習っていたからと言って、今でも同じようにすらすら弾けるとは限らない、と気付いたからだ。せいぜい、楽譜がいくらか読める程度の話である。
初心者用の楽譜を引っ張り出して、もう一度弾けるように練習して、ようやくそれなりに弾けるようになって、ネットでダウンロードできる、初心者向けに編曲されたそのゲームの曲の楽譜に手を付けられるようになって、少しだけあの人達と同じ世界を垣間見たような気になった。
あの人達の投稿する動画を追いかけるようになって、過去の演奏動画を視聴して感動して、採譜動画が上がっていたらそれも視聴して、ダウンロードできるところに楽譜があったらダウンロードして読みこんで、そうして少しずつ、またピアノが弾けるようになってきた、年末年始、三が日のある日のことだ。
私はちょっとばかり、友人たちと出かける用事があって都心部のそこそこ大きい駅に足を運んでいた。
その駅の改札外、コンコースにはストリートピアノが設置されていることは知っていて、用事の帰りにちょっと見て行こうか、という話をしていたのを覚えている。
そして、そのピアノのある場所に行くと。
「わっ……」
「すご……」
そこはまさしく、黒山の人だかりが出来ていた。駅の構内、改札口の前にあってそんなところで溜まっていたら一部の人の邪魔になりそうなものだが、そんなことはお構いなしと言う様子で聴衆は演奏に耳を傾けている。
そしてこの演奏が、またはちゃめちゃに上手い。大きい音も小さい音もハッキリと聞こえてくるし、情感たっぷりに弾いているのがよく分かる音だった。
有名なピアノ演奏系の動画配信者が、ストリートピアノで演奏してその様子を動画にでも取っているのだろうか、と思わせるほどだ。
友人の一人である
「今弾いてるのって、あれ、マリィさんだよね」
「うん……そうだと思う」
私も小声で返しながら頷く。と、私の反対側に立っていたもう一人の友人の
「美夏ちゃん、あれ、戸部さんじゃない? ほら、あそこに立ってるの」
「えっ」
言われて、私は彼女が指をさす方に目を向けた。
確かに、いた。服装はあの動画の時よりもカジュアルだが、あの顔立ちと髪型の組み合わせは、見間違えるはずもない。
演奏しているマリィさんにカメラを向ける撮影担当の青年の隣に立って、彼が演奏する様子をじっと見ていた。もしかしたら、動画投稿サイトにアップロードする動画を撮影している最中なのかもしれない。
「美夏ちゃん、戸部さんのチャンネル追いかけてなかったっけ」
「うん……最近、めっちゃ見てる」
「行こう! 今なら間近で聴けるよ!」
私が戸惑いながらも頷けば、すぐに真実が私の手を引いた。手を引かれるままに人の輪の中に加わると、ちょうどマリィさんの演奏が終わって、拍手を送られているところだった。
お辞儀をしてピアノの前から離れていく彼と、入れ替わりにピアノの前に座る戸部さん。しん、とした空気が彼らの周囲に満ちている。
「(うわぁ……本物だ……)」
私は声も出せずにいた。改札口前のコンコースに置かれたストリートピアノだから周囲は駅の利用客でざわついているが、それでも戸部さんの演奏を間近で見る数少ない機会だ。
「準備オーケー?」
「はい」
マリィさんが戸部さんに声をかければ、戸部さんがこくりと頷いて。
その短いやり取りに、観客が水を打ったように静まり返った。
これから、演奏が始まる。
「始まるね」
「うん」
私と悠里が小さく呟いて、しかし視線をまっすぐ前に向けたままでいると、戸部さんの指が鍵盤を押し始めた。
と。
「(うわ……!)」
いきなり圧倒されるかのような音の奔流が押し寄せてくる。
聞いたことがある。とある人気音楽ゲームの難関曲だ。ピアノの演奏動画も多く上がっていて、「これをフルで弾けたら一流」と言われるほどの有名な楽曲である。
私も楽譜をダウンロードして譜読みをしたことがあるが、ところどころ未だに理解できない箇所がある。
それを、戸部さんはアレンジも加えて、フルで弾いていた。
そして四分強、弾き続けて戸部さんの指が最後の音を押すか、と思ったその時だ。
再び戸部さんの指が滑らかに動き出す。先程まで弾いていた曲ではない。同じ音楽ゲームの、別の曲だ。それもこれまた難関曲。
「(うそ、これって……メドレー!?)」
私は驚愕した。曲を知っているからこそ驚愕した。
さっきまで弾いていた曲も今弾いている曲も、単独で演奏される動画が多数アップされて、高評価が次々付くほどの難しい曲だ。それを、フルで弾いて、かつメドレーで弾くなんて芸当、並大抵のことではない。
加えてこのストリートピアノという環境だ。家のピアノで弾くなら失敗してもまた撮り直して編集すればいいが、公共物であるストリートピアノは使える時間が制限される。
つまり、一発勝負。ミスタッチがあってもそれを苦にせず弾き続ける胆力が必要になる、ということは、素人の私にもよく分かる。
「(やっぱり……すごい)」
すごい。本当にこの人は凄い。
そう思いながら、私は目の前の演奏を食い入るように見つめていた。
指の一本一本の動きを見逃さないように。ペダルを踏む瞬間を見逃さないように。
そうして都合八分と半分ほど。その時間を途切れることなく弾き切った戸部さんが、ピアノの鍵盤から指を離して立ち上がった。
駅のコンコースに、惜しみない拍手が響き渡る。
「ふわぁ……すご……」
「うん……!」
私の隣で、悠里と真実が感動のあまり、拍手しながら声を漏らしている。
私は、何も言えなかった。胸に込み上げてくる何かが、声を出すことを許さずにいた。
凄すぎて、頭がどうにかなっちゃいそうだった。
「おつかれ」
「お疲れ様です」
だから、ピアノの傍から離れた戸部さんとマリィさんが、撮影係だった人と挨拶を交わしながら集まる人込みを避けるようにこちらに向かってきた時だ。
「あっ、あのっ、戸部巧人さんに、マリィさんですよね! すごかったです、今の演奏!」
私は観客の人混みから抜け出し、先程まで衆人観衆を魅了していた三人に、感動のあまり声をかけていた。
悠里も真実も、私がそんな突拍子もない行動に出るとは思っていなかったらしい。ぎょっとして私の方を振り返っていた。
だが、戸部さんもマリィさんも一瞬きょとんとしただけで、すぐに笑顔になった。優しい表情で私に声をかけてくる。
「ありがとうございます」
「もしかして動画の方も見てくれてる子? ありがとう」
「あ、さっきの撮影で顔が映っちゃったかも。ごめんね」
戸部さんも、マリィさんも、撮影係の人も、優しく私に接してくれた。
よかった、邪険に扱われて突き飛ばされたりして、幻滅することになったらどうしよう、と不安だったのだ。
悠里も真実も状況を把握したようで、すぐに私の両隣にやってきては口を開いた。
「はい! いつも拝見してます!」
「顔出しは全然大丈夫なので、お気になさらず!」
「この子、戸部さんの動画に影響されて、ピアノ弾き始めたんですよ」
「ちょ、悠里ちゃん!」
これから移動するところだったんだろうし、踏み込まない話をしようと思っていたら、悠里が爆弾を落としてきた。突然の勝手なカミングアウトに、慌てる私だ。
それを見て、ピアニストとして一流な戸部さんとマリィさんが、揃ってくすりと笑った。
「いいじゃない、頑張ってね」
「分かりやすい目標があるのは、いいことだしね、うん」
「これからも、勉強がてら視聴してもらえたら嬉しいです」
撮影係の名も知らぬ彼も加わって、口々に私に激励の言葉を投げてくれる。
嬉しかった。喜びに頬が熱を持つのを感じながら、頭を下げる。
「は……はい! ありがとうございます!」
「それじゃ、僕達は次の予定があるので」
「またどこかで逢ったらよろしくねー」
頭を下げる私に手を振って、戸部さんとマリィさんは駅の改札口の中に消えていった。
もう次の演奏者の人がピアノの前には座っていて、クラシック楽曲の流麗な音色が聞こえている。雑踏に紛れて、あの三人の姿はもう見えない。
改札口の方をただ無言で見つめる私に、友人二人が両側から肩をポンと叩いた。
「……」
「いい人達でよかったねー、美夏ちゃん」
「すごかったねぇ、神対応」
にこにこ笑いながら、二人が私に話しかけてくるが、私の視線は改札口に向いたままだ。
なんだか、今の出来事が夢だったような気がして、しかし耳にはあのピアノの音が焼き付いていて。
だから、私が現実を飲み込んで、視界が急に明瞭になった時、私は自分でもびっくりするほどに落ち着いていた。
静かな声で、隣に立つ友人二人に声をかける。
「悠里ちゃん、真実ちゃん、私、決めた」
「決めたって、何を?」
何事か、と目を見開く真実に、私は告げる。しっかと告げる。
「もっとピアノ練習する。動画撮ってサイトにアップロードできるくらいに。いつか、あの人達と同じ場所に立てるくらいになりたい」
駅の雑踏の中で発せられたその宣言に、それまで以上にきょとんとする二人だ。
普段だったら、何を言い出すのかと背中を叩かれて終わりだっただろうが、先程のことがあってすぐのことだ。
二人も、私の意を汲んでくれたらしい。
「へーえ? いいんじゃない、応援してる」
「……ありがと」
悠里がにっこり笑って軽く背中を叩けば、私もそれに小さく頷いて。
私のピアノ人生は、今日ここから、本当の意味で始まるのだ。
「さ、行こ! そろそろ帰らないと、ママに怒られちゃう」
そして、真実と悠里が二人して、私の手を引いて歩き出す。
そうだ、そろそろ帰らないとならない。いつまでもここで長居しているわけにはいかないのだ。
私は二人に手を引かれながら、それまでの自分とは比べ物にならないほど確実に、しっかりと一歩を踏み出した。
いつかあの場所で、私も演奏したい。
そう思いながら、夕日に照らされる駅を後にするのだった。
二度目の出会いはストリートピアノの前で 八百十三 @HarutoK
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