むさしのにようかい

矢多ガラス / 太陽花丸

むさしのにようかい

 角川かどかわ武蔵野むさしのミュージアムを訪れた帰りのこと。

 夜中でもまだ夏の暑さが気だるく、湿った空気が酒と食事ではごまかし切れなくなり、私たちはちょっとした怪談を始めた。


 取るに足りない妖怪話が地元民から語られる。武蔵野台地とは場所であるようだ。

 それならば、ついこの間の不可解な体験を話してみても、笑い話で一蹴いっしゅうされることはないはず。


 自分の番が回ってきて開口一番に、


「これは半分、つくり話なんだけどさあ? ―――― 」


 この次点でなんだそりゃと笑われるのはご愛敬あいきょうということで。




 ☆ ☆ ☆




「なにか、むさしのにようかい?」

 自販機で買ったペプシを取り口から拾うと、いつの間にか隣にたたずんでいたがそう問うた。

「………」

 そう、タヌキである。

「……えーと、こんにちは」

 挨拶は礼儀。

 彼は猩々しょうじょうの類いなのか、私が買ったペットボトルをじっと見ると、ふいにお酒の自販機へと目を向けた。

「地元の人じゃないね。匂いが違う。

 同類かと思ったけど、いやはや変な香りを持ってる」

 流暢に話しながら小銭の受け取り口をあさり出す。そのまま別の自販機でも確認を繰り返し、それが終わったらどこかへ行ってしまいそうだった。


 …妖怪、なのか? だとしたら初めて見るぞ

 しかも言葉を介するなんて……


 がこん


 話してみたいと思うなり、私はお酒の自販機からビールを選んでいた。

 音を聞くなりばっと振り向き、すぐさま駆け寄ってくる。

「いやあ悪い悪い」

 彼は自分のもんだと疑いがないようだ。


 タヌキの腕先を人間のそれに変化させると、ビールを掴み出すなりがしゅっと開ける。そしてぐっぐっと2~3回に喉元を鳴らし気持ち良さそうに息を吐いた。

「ぷは~~。あーたまんねえ。

 最近の酒は透き通ってて飲みやすいな。水みたいだと思っていたがこれがなかなかにやみつきだ。

 昔の酒、わかるかい? 大層ににごっててよう ―――― 」


 酒の味にご機嫌なのか、もう酔いが回り始めたか、彼のひとり語りが始まった。




 名前は教えてやんねえ。

 まあ見ての通り化けダヌキさ。

 人様の言う武蔵野台地に、古くから住む先住民よ。ははは!




 武蔵野台地。

 南の境界は多摩川たまがわ、そして北の境界は荒川あらがわ

 東の境界はJR京浜東北線・東海道線にほぼ一致する。

 西は青梅市おうめしまでを含み、西西北せいせいほくにある2つの湖はいずれも人造湖である。




 多摩湖たまこには行ったことあるか?

 たまに足を運ぶんだけどよ、ウォーキングマップは便利だぜ。

 若い人間なら1日でぐる~と回れるさ。

 公園や広場が多くて住みやすい所よ。


 …だが、狭山湖さやまこの方がやたら同類が多いな。

 実はあそこらの生まれでよ、つい地元に帰ると昔を思い出してやんちゃしちゃうわ~。

 今も昔も、人間を脅すのは面白いわな。ははは!




 『新東京百景』として東大和市ひがしやまとしのシンボルとなっている多摩湖は、桜と紅葉の名所として知られている。正式名称は村山貯水池。大正5年から昭和2年の間に建設され、歴史的な価値が高い。また周辺環境や生態系への配慮がなされており、バードヲッチング、縄文式住居跡などを目的に、多くの人々が訪れる場所である。


 狭山湖、正式名称は山口貯水池。埼玉県の南中部に位置する所沢市ところざわし入間市いりましの境界にまたがっており、多摩川の水を導水して昭和9年に東京都の水瓶として完成した人造湖である。湖周辺は自然公園となっており、『埼玉自然百選』にも選ばれている。




 ぐびぐび酒をあおっては一方的に話すので相づちばかりだ。

 他にも色々としゃべっていたが、それは人間の付けた地名なのかタヌキ用語なのかわからず、記憶に残っているのは特に興味深かった所ぐらい。


 中でも、まだ若い頃に1万円札の人と出会ったという話は驚いた。

 福澤諭吉が江戸に出たのが1860年ぐらいだろうか。つまり彼は、160年ほど生きている化けダヌキということに。大先輩だった。




 山の外側に人がわんさかと住み始め、タヌキ界は安住派と打倒人間派で大きく分かれていたらしい。

 安住派は人と関わらないことを良しとし森の奥を住処に。打倒人間派はタヌキの恐ろしさを人間に植え付けるべく日夜に人を化かし続けたそうな。


 打倒人間派だった彼は主に人の持ち物を奪い去って暮らしていたとか。


 その日は小腹が空いていたため、焼き鳥を持ち帰る若者を狙った。

 そしてなんやかんやと話す内に、焼き立てが上手いからと七輪しちりんで焼き鳥を温め直すことに。

 家に誘われ、若者がどこからか火種をもらってきては七輪に入れると、うちわで扇ぎだす。

 そうやって、タヌキが今か今かと食事を待っていると ――――


 ごほごほ!? ごっほごほごほ!


 体の異変にすぐ気付いた。

 なんと若者はタバコの葉を紛れ込ませており、それをタヌキへ浴びせたのだった。

 みるみる内に化けダヌキの術は解け、人間の前で正体を暴かれてしまう。

 そしてむんずと首根っこを掴まれ捕縛されたそうな。


 若者に捕まり檻へ入れられたタヌキは自暴自棄になっていた。自分の生まれからタヌキ界のこと、打倒人間派であることなど、聞かれるままに答え尽くし、


「さあ、煮るなり焼くなり、好きにしいさあ!」


「ははは! なんともまあ、威勢のいいやつだ」


 若者は何を思ったのか、タヌキを許したという。

 以降、このタヌキと若者は酒を飲みに行っては夜の町で暴れ回り、若者は大層に打倒人間派へ貢献したとか。


 ふたりで悪ダヌキを懲らしめるべく、術へ対抗するためにも彼がタバコを吸い出したり…ふたりのドンチキ騒ぎで『酒癖の悪い人物だった』と後生で語られるようになったり……妖怪たちの間でも『居合切りの達人』と恐れられた等々、これらはまたいつか、別のお話で。




 若者が本当に福澤諭吉だったのか、そもそも化かすことが本業のタヌキ様による作り話だったのか、私にはわからない。


 語り尽くした彼は物思いにふけっていた。


「なつかしいなあ…。

 あんな人間は後にも先にもあいつだけだった……」


 東京というと、超高層ビルが乱立する大都市、それこそビルの森のようなイメージがある。

 しかしビルが建ち並ぶのは全体のほんの一部であり、大部分は武蔵野台地のような自然の要素を残している。

 江戸から東京へと名を変えた今、少子高齢化で人口は減少の一途をたどり、都市が武蔵野台地を侵略し、埋め尽くす可能性はほぼなくなった。

 彼らタヌキ、そして魑魅魍魎ちみもうりょうはこれからもそこで住み続けるのだろう。

 そして私たち人間には、都会と彼らの自然環境を両立させることが重要な目標となっていくに違いない。


「あ、武蔵野うどん、食っとけよ。

 あれはうまい」


 言うなりこんと足元へ空き缶を置き、彼は野生のタヌキさながら走り去って行ってしまった。呼び止める暇を与えず、余分な言葉はいらないとばかりにワイルドな去り方である。


「………」


 結果としてタヌキに酒をおごらされた形だが、脳内の理解しきれない情報量に心地よい疲労感を覚えつつ、好奇心に従い私も動き出した。

 空になったペプシとビールをゴミ箱へ片付けるなり、車に戻ってメモに残す。

 そして宿に着くなりネット環境を整え、彼との会話をひとつひとつ調べ上げるのだった。


 やはりというか、武蔵野にタヌキの話はあっても、今日に出会った彼のような化けダヌキの話は見付からない。


 もしかしたら地元民ぞ知る彼の本名などありはしないのか?


 今はただ、情報を求むばかりである。

 彼は本当に、何者だったのだろうか。




 以上『武蔵野の妖怪』もとい『武蔵野妖怪』でした。




 ☆ ☆ ☆




「 ――― 情報を求む」


「…よおっ! 即興? にしてはよくできた話じゃん」

 ビール瓶を掲げた称賛にこちらもビール瓶を持ち上げ、ゴツン、と当てて答える。

 どうやらタヌキの話が前にあったので、それを元に物語を作ったと思われたようだ。

「いやよくスラスラと出てくるね。

 恐くはなかったけど、感心して暑さを忘れたよ、ほんと」

 周りもそれに相づちを打つ。

 さながら今の私は、彼らを騙しきれなかった化けダヌキ。

「しかしあれだ。福澤諭吉が酒癖悪いだの、居合切りの達人だの辺りで作り話ってわかっちゃうね」

「はは、まあ偉人でも酒癖悪いってのは共感ポイントかな。本当か知らんけど」


「ははは、ホントどうなんでしょうね」


 はしころんでもおかしい年頃、ではないが、酔いと雰囲気に合わせ大笑いすれば、みんなも合わせて笑ってくれる。

 別に納得など求めていない。

 これは冒頭で言ったとおり『半分つくり話』。そう、それでいいのだ。

「でも、武蔵野うどんか…。

 ラーメンでめるのもおつだけど、うどんもいいね」


「せっかく武蔵野まで来たんだから、いっちょ行きますか?」


「おーうどんかー。この時間でも空いてるところ知ってるぜー?」




 会計を済ませ、私たちは案内人を先頭に夜道を歩く。


「…!」


 それはポツンとそこにあった。お酒を買える自販機のすぐ側に、おそらく空であろうビール缶がひとつ。

 なんとなしに持ち上げゴミ箱へ入れる。


 都会のゴミで、自然を汚さないようにしないとね


 なんて感想を残す前に、捨てる位置がタヌキにはちと高いかな、なんて思いながら。




 ここは武蔵野。自然をたたえる台地なり。




 人と自然が、共に大地でめぐる。

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