決意

 桜の乱れ咲く春を越え、照りつける真夏の日差しを一頻ひとしきり浴びた頃になればあっという間に秋風が冬の幼子おさなごを連れてやって来る。


 すでに奴国なこくは残暑を終え、田に植えられた稲は収穫の季節を迎えていた。

 水田には田植えを生業とする農民達が黙々と作業に明け暮れていた。

 そんな農民を横目に眺めながら畦道あぜみちを歩く男女の姿があった。



「今日は元気そうだなミコト」



「何日も陽神ひのかみの御姿を拝まないのでは陽巫女は務まりませぬ故」


 奴国の王イサナとその妻のミコトである。

 ミコトは重い病を抱えており普段は床に伏せ表に出ることはほとんどない。

 ところが今日に限っては体の調子が普段より良いようでイサナと一緒に何ヶ月ぶりかの散歩に勤しんでいた。


「それに陽の光を浴びているせいかいつもより体に力が溢れておりますわ。陽神様のご機嫌も良い様子で」


「そうだな。確かに今日は一段といい天気だ」



「あの子達がまだ小さかった頃は特に干ばつが酷くて大変でしたけれどここ数年は陽神様のお怒りも治まってきたように感じます」



「ろくに食い物が無かったとはいえもう食い気のねえ動植物を口にするのは御免だ。特に虫を食うのはあれで最後にしてぇもんだ」



 ここ数年の間、奴国では干ばつもなく安定した気候が続いていた。

 身分や稼ぎによって口にする食糧の質に差異はあったものの食べるものがなく餓死することはない。

 大乱の最中に訪れた束の間の安息である。


「そう言えば…聞きましたよ。半月後の禍国との大戦でイサナ様は先陣を志願したのでしょう」


「なんでお前がそれを知ってんだ……さてはガオウの奴だな?」


 あの野郎余計なことを。

 さてはまた砂金で買収されたな。


「また戻られるのですね?国士無双の戦神いくさがみと称されていたあの頃に」



対馬つしま伊都いと末慮まつろ、これまで様々な国と出会い戦を繰り広げてきたが禍国まがこくはおそらく今まで戦った国の中でも別格に強い。これまで以上に厳しい戦となるだろう。なんたってあの出雲いずもを落としたんだ。だからかなぁ…戦ってみたいんだ。やはり俺は王なんかより武人として戦場に赴く方がよっぽど性分に合ってるらしい」


「私には無理をするなと言っておきながら……相変わらず自分を顧みないのですね。あなたはもう一国の王。あなたの命には文字通り国の命運が掛かっているのですよ?」


「ヒノにも同じこと言われたよ。同じ女同士、考えることも似通ってくるのだろうな」

 

「イサナ様……」


 ミコトはイサナの胸に顔を埋め、消えそうなほどか細い声で訴える。


「どうかわたくしを…此度の大戦に同行させてください」


「……」


 イサナは黙ってミコトの話に耳を傾けていた。

 そしておそらくミコトならそう持ちかけてくるだろうということがわかっていた。

 ミコトにしてもそれは同じだった。次にイサナが言うことが分かってしまった。

 誰よりも永く一緒にいるからこそ、誰よりもお互いのことを思いやっている二人だからこそ言葉以上の深い部分で繋がっているのだろうと。


「力が弱まったとて陽神鏡ひしんきょうの力は絶大。必ずあなたを天下統一を果たした名君にして見せます故」


「ミコトよ。俺が心の底からなりたいと願うものは名君だとか奴国の王なんて肩書きなんかじゃない。ミコトの最愛の夫でアマミコとメイにとっての尊敬出来る父親なんだ」


「イサナ様……」


「愛の値打ちじゃ男は女に及ばない。アマミコにもメイにもまだ母親おまえが必要なんだよ。父親おれにできることはお前達が少しでも永く一緒にいられるように時間を作ることだけだ」


「やはり…あなたは死ぬ気なのですね」


 ミコトの問いかけにイサナは何も応えなかった。

 死ぬつもりはないが命を賭けて臨まなければ大敗を喫する相手であることを彼自身も分かっていたからである。


「もうすぐだ。もうすぐ手が届く。誰もが笑顔で朝日を迎えられる時代がこの大戦の先にきっと……それまでお前には生きて貰わねば…俺の隣にいて貰わねば困るのだ」 


「陽巫女の役目は奴国を脅かす存在を聖なる力の元に浄化すること。ならばこそ私はその役目を果たすためこの命を賭して…禍国との大戦を勝利へと導く光となる覚悟にございます」


「はぁ…相変わらず頑固な女だな」


「フフフ…イサナ様ほどではありませんよ」


 分かってはいた。

 この女の鉄のように頑固な心と生き様に俺は惚れたのだ。

 今俺が命短し最愛の女に出来ることはその生き様に花を添えてやることだけだ。


 倭国統一という平和の花を。


「お前の人生だ…好きに選ぶといい。一家の母親として役目を全うするか、奴国の陽巫女として役目を全うするか」


「どちらか一つだけを選ぶことは出来ませんね。なので私はどちらも選ぶことにします」  


「ハッハッハ!それでこそ王の伴侶というものよな!」


 奴国と禍国。


 どちらが歴史の闇に沈むのか。


 天下分け目の大戦が始まる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

閻魔童子と太陽の王女 鳳菊之介 @soleilbrilliant

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ