戦兎
「両者見合え見合え」
「ちぃっ!」
「………」
腰を落とし、行司の号令を待つ間もメイの目は血走っていた。
よほどイナトの態度が勘に触ったのだろう。
号令を待たずして今にも飛びかかりそうな様子である。
イナトはそんな鬼気迫るメイを一瞥するも特段意に介する様子もなく、冷静な出立を保っていた。
格下だからといって決してメイを舐め切っているわけではない。
片足が使えぬ状態でどう立ち回れば勝てるのか。
既に戦術指南役の頭の中ではメイに勝つための算段が行われていたのだ。
「はっけよーい!のこったっ!」
「でりゃあああああああ!」
行司の号令と同時にメイは力強く飛び出した。
奴国の兵の中で最高戦力を誇る三猛将とはいえ、片足であれば機動力もたかが知れている。
避ける間も与えずに一瞬で近づいて奴の体勢を崩してしまえばいい。
俺を子どもだからと舐めている以上、小細工なんて必要ない。
メイは勝利を確信していた。
これが最善的確な手だと。
実際片足だけでは前後左右の移動ですら通常の倍以上の労力を要する他、バランスも満足に保てず踏ん張りが効かないため力勝負に持ち込めばこちらが有利なのは明白だった。
「この勝負…もらった!」
やはりハンデにしては重すぎる。
この取組の一部始終を見ていた行司も子供達も同じ思いを抱いた。
メイはイナトの衣服を掴みあげようと両手を伸ばした。
どうやら先程の農民の子供と同様一本背負いを繰り出すつもりのようだ。
メイの腕っぷしの強さも考えると一度掴まれば最後確実に投げられてしまうだろう。
しかしここにいる誰もが知らなかった。
出雲の忍を捕らえることなどまさしく出で立つ雲を掴むが如き所業であるということを。
「馬鹿な!?」
メイの両手が空を切る。
手を開いてみてもそこには何もない。
掴みかけた衣服はイナト共々風となって消えた。
「消えた…一体何処へ……」
メイは動揺を感じながらも先程までイナトがいた地点に目を向けた。
ほのかに土煙が舞っているがイナトの足跡が残されている。
しかしその足跡はよく見ると普通の足跡よりも更に地面に深く減り込んでいた。
「!?まさか!」
メイは全てを理解した。
イナトは消えたのではない、移動したのだ。
それは前後でもなければ左右でもない。
「若いですねぇ…しかしその思いきりのある攻めはいい」
メイの頭上から二丈も上の地点にイナトはいた。
「上!イナト様は上にいるばい!」
「馬鹿な!?一体いつの間に」
予備動作が無かったのではなく、あまりに瞬間的な出来事だったから一連の動作が目にも止まらなかったのか。
俺を含めここにいる誰もが奴のことを追えなかった。
これが……三猛将の実力なのか。
クソがッ!
メイは天高く舞い上がったイナトを見上げ大きく舌を打ち鳴らした。
「ご覧にいれましょう。出雲神流の秘伝奥義——風車の舞を」
イナトは自らの体を風車のごとく回転させながら急降下しメイのいる土俵目掛けて強烈な飛び蹴りを繰り出した。
「グッッ」
メイは間一髪イナトの飛び蹴りを避けることに成功するもイナトが蹴り抜いた土俵はお碗型に砕け、傾斜が出来たことにより地面に足を取られた。
落下するほど強まる重力と回転するほど強まる遠心力にイナトの常人離れした脚力が合わさり、火山の噴火口のような巨大なくぼみを生じるまでに至ったのだ。
イナトは片足のみで踏み込んで間合いまで迫ると渾身の張り手をメイの胸部に炸裂させた。
「せい!」
「うわぁぁぁ!」
もたれついた所を的確に攻められ、バランスを崩しメイは盛大に尻餅をついた。
「そこまで!」
誇りをかけた一番勝負を制したのはイナト。
反撃すら許さぬ一方的な勝負だった。
「勝負ありです」
「なんで……」
「片足の僕ではまともに避けることは出来ない。そう鷹を括ったのがあなたの敗因です」
「……」
メイは何も答えられなかった。
事実イナトの言う通りであったからである。
苦虫を噛み潰したような顔を浮かべながらも沈黙を続ける。
「戦場でもし片足を負傷し使えない状態になってしまったら?今回はそれを想定した演習でした。決してメイ様を侮っていたわけではありません。あなたは子どもでありながら既に大の大人を凌ぐ程の力がありますからね。あの突進をまともに受けていたら僕もただでは済まなかったでしょう。しかしまだまだ甘いですね」
「何が言いたい?」
「要するに今のメイ様が奴国の兵として戦場に赴いても間違いなく死ぬってことです。
メイ様にはこの国の誰にも負けない武人の才能がありますがそれだけではこの大乱の世は生き残れません。才能だけで通用するのは遊戯までです」
「はっきり言うなお前…」
「戦場では常に命の奪い合いが行われます。奪わなければ奪われる。奪われたくないから奪う。命より大切な物が無ければ到底守り抜けるものではありませんし、そもそも戦う意味すら無いのです。メイ様にはありますか?己の命より大切な物が」
「自分の命より大切な物があるわけないだろ。オレは奴国の王になりたい。そのためには武勲を立てなきゃならない。だから早く兵として戦場に出なきゃならないんだ」
「王ですか……少なくとも今のメイ様ではお父様を超える王にはなれないと思いますよ」
「さっきから一々勘に障る奴だな…じゃあイナトにとって命より大切な物ってなんなんだよ?」
「僕のですか?ふふっ…僕はあれです」
イナトは微笑を浮かべメイの後ろを指差した。
指差した方向に広がっていたのはこの国の象徴。
燦燦と大空を照らす太陽である。
「僕はこの国が大好きです。森も山も川も海も…そこに暮らす動物達もみんな」
「そして国も仲間も失い絶望の淵で死を待つだけだった僕を救ってくれた奴国の皆さんを心の底から愛しているんですよ」
「ふんっ…」
下らない。
オレの命はオレの物。
他人なんかの為に使ってられるか。
メイにはイナトの言っていることの意味が理解出来ずにいた。
「もちろんメイ様のこともね」
イナトはしゃがみ込みメイの視線に合わせると優しく頭を撫でた。
「こ、子供扱いすんなよな!さっきから恥ずかしいことばっかしいいやがってよー!」
「おやおや…僕に言わせたらメイ様はまだまだ子供ですとも」
「うるせぇ!やっぱりオレはお前のことが嫌いだぁ!」
「うーん…一筋縄ではいきませんねぇ……難儀なことです」
伸び切った天狗の鼻を元通りに直すのはいささか時間がかかりそうである。
「やっほーーーー!メーーイ!イーーナーートーーーー!」
天高くそびえる巨木のてっぺんに聞き知った女子の声が轟き渡る。
「あ、姉上!?」
「わーー!ななななんたってアマミコ様があんな所にーー!?」
「アマミコ様…なのか…………なっ!?」
声の主はアマミコだった。
どうやって登ったのか高さにして三丈以上はある巨木のてっぺんで胡座をかきこちらに向かって手を振っていた。
三者三様反応はそれぞれであったが、ただ一人イナトの反応は違っていた。
元は出雲で狩人をやっていたイナトだからこそ感じた異質な気配。
「一体なんなんだ…アマミコ様の背後にいる獣は……」
この時イナトはアマミコの背後に巨大で恐ろしい姿をした白虎の幻影を見て全身の毛穴から汗が噴き出る感覚を覚えたという。
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