第二幕 夢と、居場所と、三匹の子トラ その8

 お昼を挟んで、眠気と戦う午後。

「……っはあ。で、できたわよ」

 最後にテスト問題を埋め終えたのはだった。

「お疲れ様です。これで三人の答案が集まりましたので、チェックしていきますね」

 子供たちに休憩を与えながら、答案に目を通していった。

 は一番早く解答を終えたが、ざっと見ただけでも凡ミスや勘違いでの誤答が多い。染みついた癖というものはそう易々と矯正できるものでもなさそうだ。

 次に。慎重に時間をかけただけあり、ほとんど正解だったが、と協力しても手元の参考書で調べても答えがわからなかった問題はいくつか空欄になっていた。

 そしてかすみ。……全問正解。しかし、全問正解者が一人いるのにもかかわらず、残る二人の解答に間違いや空欄があるのは、彼女がそれを仲間と共有できなかったためだ。

「……みんな、惜しいな」

 思わず、口に出すべきでない言葉を口走ってしまい、慌てて取り繕う。

「い、いえ! 現時点で惜しいということは、ここから余裕をもってぐんぐん上を目指せるってことですから! 順調なスタートですよっ、頑張っていきましょう!」

「フォロー下手かっての」

 採点を終えたテスト用紙をそれぞれに返却していく。一喜一憂の表情だ。

「皆さんの苦手分野、弱点はおおむねわかりました。うまく弱点を克服していけば、皆さんはきっと素晴らしい竜医になれるはずです」

「えへへっ。がんばって、三人で絶対に竜医になるぞーっ! おーっ!」

「へっ。お、おーっ」

「…………ぉー」

 決意を新たに団結する三人を見て、ふと。

 今の今まで大事な質問をしていなかったことに気づいた。

「そういえば皆さんは、どうして竜医になりたいのですか?」

 三人の情熱と執念の、原動力。竜医になりたいと思った動機を。

「はいっ! あたしは、夢を叶えるため!」

「夢、ですか。それは一体どんな?」

「世界中の竜とお友達になる! それがあたしの夢なんだっ! そのために、竜と一番近くに居られるお仕事がしたい! だから竜医になる!」

「それは、素敵な夢ですね」

 途方もなく大きな、文字通りの夢物語。だが不思議と、なら成し遂げそうに思えた。

「私、は……医者になればうちのボロ病院を助けられるから」

さんは親孝行者ですね」

「っ、お、お父さんにはコレ言わないでよ!」

 きっと院長なら泣いて喜ぶだろうに。でもそれが鬱陶しいんだろうなと苦笑する。

「…………おん、がえし」

「恩返し。どなたか、お世話になった方が?」

「…………(こくり)」

かすみはね。昔、竜に命を救ってもらったことがあるの」

 事情を知るが補足して説明してくれる。

「海の上で事故に遭ったところを、大きな海竜に助けられて。それからその竜とずっと一緒に暮らしてきたそうよ。その恩返しに、たくさんの竜を癒してあげたいんだって」

「竜に育てられた、と……?」

 何それ羨ましい、とよだれが垂れそうになるのを抑えつつ、彼女の持つ不思議な雰囲気の由来に思い至った。竜に育てられたというのなら、多少の無口も納得できる。

「ね、せんせーは?」

「僕ですか? 僕は……」

 の期待に満ちた眼差しに、遠い記憶を呼び起こす。


『どんな病気も、治してあげられるドクターになりなさい』


「父……養父が、竜医でした。小さな頃は、いつも周りに竜がいて……病気や怪我をすれば、父が即座に治してくれた。ずっと憧れていました。ですがある日父は、」

「……んでしょ」

 僕のもとを去った、と言おうとしたところに、が割って入った。

「あれ。どうしてご存知なんですか?」

「ご存知も何もないわよ。お父さんってことは、大人でしょ? なんて、竜医の歴史上

 知ってて当たり前、とばかりにが溜め息をつく。

「まさか先生が、あの伝説の竜医、なるたきゆうろうの息子とはね」

 成滝熊二郎。世界で唯一の大人の竜医。そして、今から三十余年前、世界で初めて竜を治療した最初の竜医でもある。現在ははるか海の向こう、「竜の生まれる地」と称される特別禁止区域指定の秘境・てんえんじまへと渡り、医療と研究に従事している。

「そんな凄い人が身内にいたら、そりゃ憧れもするわよね……」

「憧れも、確かに理由の一つです。けど僕は、父が僕に託していったこの国の竜たちを、さんのように世界中とまでいかなくとも、この目と手の届く範囲の全ての竜たちを。どんな病気からも救い守ると誓いました。それが、僕が竜医を目指した理由です」

 窓の外、遠く広がる空を見つめ、遥か向こうの父に想いを馳せながらそう告げた。

「……せんせー、カッコいい」

「…………(きらきら)」

 本当は、守れなかったんだけど。などと口にするのは、この羨望に満ちた眼差しに泥を引っかけるような行為にも思えたので、野暮な口は閉じておいた。

「皆さんにも、そんな竜医を目指してほしいです。それでは休憩終わり。解いてもらった問題を解説しながら、本日の復習を始めていきますよ」

「も、もうちょっとだけ休ませてよ!?」

 その日一番情けない、の悲鳴じみた抗議が飛び出すのだった。


 ◇


「ふふふ~」

 その日の夜。仕事から帰った緋音が、なんだかとてもご機嫌だった。

「むふふふ~」

「どうしたの、あか姉ぇ」

「ふふ~、何だと思う、トラくん~?」

「うーん、何だろう」

 こういうのも男ならちゃんとわかるべきなんだろうか、と思いつつ何の心当たりもない。

「実はね。ひそかにオーダーしておいたものが、ちょうど今日届いたの~」

 そう言って、緋音は三つの紙袋を取り出した。

「ちゅうも~く! 今日はみんなに、プレゼントがありま~す!」

「えっ、何なに、あかねぇ!?」

 どうやら自分ではなく、三人のことで喜んでいたようだ。こういうところが緋音らしい。

 予期せぬサプライズに目を輝かせたたちに手渡された、紙袋の中身は。

「……白、衣?」

 医師の象徴。穢れ無き、純白の装い。

「わっ、わぁあ! うわーっ! 白衣だー! こ、これ、ホントにもらっていいの!?」

「ふふっ、どうぞ~」

「ありがとうっ、あかねぇーっ! だいすきーっ!」

「ふわぁ。んふふっ、わたしもよ~」

 全身全霊ではしゃぐはもちろん、涙目で宝物のように白衣を抱きしめるも、無言でひたすら目を輝かせるかすみも、全員が心の底から喜んでいるのが伝わる。

「ねえねえねえ、せんせー! 着てみていい!?」

「ええ。竜医になるまで着ちゃダメなんてことはありませんよ。どうぞ」

 竜医にとっての白衣は、万能の鎧でもある。あらゆる局面を想定し、耐熱耐寒耐電耐蝕耐刃と様々な機能を備えた最新鋭の防護衣。竜の脱皮殻など貴重な素材を利用して製造するため大変高価ではあるものの、値段に見合った安全性は保証されており、竜医になるまで着てはダメどころか研修生であっても着用が推奨されている。

「わぁ……! ぴったりだ!」

 真っ白に煌めく白衣を羽織り、くるりと一回転。

「ね、似合うっ? ピュリィ!」

「ぴゅいぴゅーいー!」

「ちょっと水かけてみて!」

「ぷぴーっ!」

「水! スッゴイはじく! ぼーすいスゴいっ!」

「ぷぴゃー!?」

 興奮ボルテージマックスのが流れるようなスピード感で白衣の耐水性を検証した。

「うんうん、一気に雰囲気出るね~。みんな似合ってるよ~」

「ありがとう、緋音さん……嬉しい……」

 にこにことご満悦げな緋音の耳に、そっと囁く。

「……けどあか姉ぇ。これ高かったんじゃないの」

「未来の竜医さんへの、先行投資だから~。でもトラくんが三人を合格させてくれなきゃ、無駄になっちゃうけど~?」

「い、イジワル言わない。そこは安心して大丈夫だから」

 この希望に満ちた笑顔を、絶やすつもりはない。

「ねえ、せんせー、みてみて! 三人お揃いだよっ!」

「…………(にこっ)」

「ええ。よく似合ってま……って、えっ」

 そこでようやく、白衣の胸に縫い付けられたお揃いのアップリケの存在に気づく。

「ちょっ、あか姉ぇ! までつけたの!?」

「あ、気づいた~? チビトラくんマーク~」

 胸元でガオーっと存在感を主張する、デフォルメされたトラのアップリケ。

 わかとらが七年前に着ていた白衣についていたのと同じものだった。

「え、これせんせーともお揃いなのっ!? わーい!」

「ふ……くくっ。チビトラっ……可愛いじゃない先生……子供、みたいで……ぷふっ」

「かっ、からかわないでくださいよ……!」

「…………(にこにこ)」

 何だか無性に恥ずかしい思いをしつつ、ひなわかとらの魂が受け継がれていくのを感じるようで、内心ちょっぴり嬉しかった。

 バラバラな夢を見据えながらも、同じゴールに向かって走る、三匹の小さなトラ。


 ──小さき者らの集いの名は、やはり盟友が決めるがよい。


 自然に、すとんと胸に落ちるように。その名前はわかとらのもとに「降りてきた」。

「──『リトルタイガー』」

 彼女たちに、ぴったりの名前。

「チーム・リトルタイガー。……なんて、どうでしょうか。皆さんのチーム名」

「っ……!」

 嬉しさが限界値に達したのか、わかとらの胸にダイブする

「最っ……高だよっ!!」

 顔を真っ赤にし、慌てて引き剥がしにかかる

「ちょっ、何ひっついてんのよ、このロ……先生!」

 余った白衣の袖で口元を隠しながら、くすくすと笑うかすみ

 それぞれの長所、短所はバラバラでも……三人でひとつのチームなら、きっと一人ひとりより大きな力を生み出せる。もっと遠くへ踏み出せる。

 今までは別々に竜医を目指してきた三人が。

 揃いの白衣で、並んで踏み出す、今日が最初の第一歩だ。


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試し読みは以上です。


続きは2020年8月25日(火)発売

『落ちこぼれ天才竜医と白衣のヒナたち』

でお楽しみください!


※本ページ内の文章は制作中のものです。実際の商品と一部異なる場合があります。

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落ちこぼれ天才竜医と白衣のヒナたち【先行公開】 林星悟/MF文庫J編集部 @mfbunkoj

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