北限、漏刻院へ!

 俺は、酒場で一角鹿の干肉を齧りながら、トーヴェという女を待っていた。埃っぽい店内は昼間だというのに騒がしい。こんな時間に酒場にたむろしている連中は、だいたいは傭兵か、『冒険者』などと名乗る傭兵たちだが、俺もその一人だった。今日は仕事の依頼主との待ち合わせに来ているのだった。

 そろそろ来ていい頃合いだが……と思ったその瞬間、大きな影が店に入ってきた。身長3メルトンはあろうかという巨躯。黒い法衣を着ていたので、一瞬クマかと身構えてしまった。法衣と右手の円盤錫杖は、彼女がウーフォ教の僧であること、白髪とゆったりとした法衣越しにもわかる筋肉質な巨体は、彼女が北方の雄、ギサムス連邦の出身であることを示している。

 このチウセン市では、ギサムス連邦出身者はめったに見ない。女僧となればなおさらだ。俺は彼女が待ち人であるトーヴェだと確信した。

「ジオンさんはいらっしゃいますか? ジオン・ノウェーさんは?」

 トーヴェはその巨体に見合った大声でいった。酒場にいる全員の視線が集まる。

「俺だ! 頼むからすこし静かにしてくれ……」

 手を挙げてトーヴェを呼び、手を下すまでに、俺は客たちからの突き刺さるような好奇の視線をたっぷりと浴びて、いたたまれなくなっていた。

「ああ、すみません!」

 トーヴェは速足で俺の居るテーブルまで近づき、対面の席に腰を下した。椅子が小さすぎて据わりが悪いようで、腰を落ち着かせるまで、何度も位置を調節していた。

 身長1.6メルトンほどの俺と比べて、トーヴェの身の丈は倍近い。実際に向き合ってみると、すさまじい圧を感じる。遠目から見ても迫力があったが、想像以上だ。

「あなたが護衛をしていただけるジオンさんでよろしいんですね?」

 トーヴェは柔和な笑みを浮かべていった。ギサムス連邦の出身らしい彫りの深い顔立ちに白い肌。藍緑色の瞳のくりくりとした目が、冷たい雪渓のような彼女の顔に、例外的な暖かみを与えている。

「あ、いやいや、待ってくれ。気が早いぞ。俺はまだ今回の仕事を受けると決めたわけじゃない。ただ、教会からの斡旋で、あんたの話を聞いてみて欲しいと言われただけだ」

「あら! そうなんですね。わたし、早とちりをしていました……」

 トーヴェはうつむいた。しかし、次の瞬間には顔を上げ、また笑みを浮かべた。

「では、改めまして。わたしはトーヴェ・ビョルク。未だ修行の身ではありますが、ウーフォ教の僧です。このたび、わたしは北限の漏刻院まで行く使命を担いました。ジオンさん、あなたには漏刻院までの道のりの護衛をしていただきたいのです。」

「……漏刻院か」

 遥か北方、塔のごとき漏刻院。ウーフォ教の僧たちの中でも、突出した才気と信仰心をもったものたちが、特別な修行を積むための施設。

「わたしは訪れたことはありませんが……地図をいただいています」

 トーヴェは懐から地図を取り出し、机に広げた。

「ここです」

 トーヴェは地図の赤点を指さした。地図の中央には、このチウセン市を示す黒点がある。そこからセン川を北上し、ヒレー平原を通過し、ギサムス山脈を越えたその先。北限のレヴ岬に赤点がある。

「あなたは漏刻院を訪れたことがあると聞きましたが?」

「まあ、一度だけな。あんな僻地へなにをしに行く。あんたもそこで修行するのか?」

「いえ、わたしはあるモノを漏刻院まで届にいくだけです」

「あるモノとは?」

「それは言えません」

 トーヴェは首を横に振った。断固とした口調。部外者に教える気はないということか。『あるモノ』とやらは、よほど重要なものらしい。飛竜便で郵送しないのも、ウーフォ教会が自身でその『あるモノ』を届けたいということなのだろう。

 俺は天井を見上げた。漏刻院までの道のりは厳しい。馬も使ってひと月ほどの距離。道中、山脈を越える必要があるし、治安の悪い地域も通過しなければならない。襲撃を受ける可能性もある。運ぶ『あるモノ』が高価値であればなおさらだ。リスクは高い。

「あなたはこの街で一番の腕利きだと聞きました。けして、依頼に失敗したことのない傭兵だと」

 トーヴェはこちらにぐいと顔を近づけてきた。

「それはさすがに買いかぶり過ぎだな」

 俺が護衛につく必要があるのだろうかと、トーヴェを目の前にしてあらためて思った。見た目からすれば、俺よりトーヴェのほうが圧倒的に強そうだ。ウーフォ教の僧たちは超常の祝福の業に加えて、円盤錫杖を用いた杖術を扱うと聞く。戦闘に長けた武僧なら、いくらでも居るはずだ。なぜ、『あるモノ』の中身を護衛に教えないほどの警戒心を見せておきながら、その護衛を外部の傭兵に任せるのか、不思議でならない。きな臭い。

「悪いが。依頼は断らせてもらう。リスクが高すぎる」

「あなたの借金をこちらが肩代わりする、と言ってもですか?」

 俺は生唾を飲み込んだ。

「家賃は滞納。武器の修理費は未払い。ツケは方々に。相当な金欠だそうですね」

 トーヴェは目を細めていった。

 前回の依頼は散々だった。楽な山賊狩りなはずが、逆に待ち伏せされ、ひどい目に遭った。なんとか依頼も達成できたものの、装備品をほとんど失ってしまった。報酬金では賄えない完全な赤字。早急に新たな仕事が必要だった。

 とはいえ、命あっての物種だ。

「……自分で何とかするさ」

「待ってください!」

 俺が立ち上がろうとした瞬間、トーヴェが左手でこちらの肩を抑えた。凄まじい膂力だ。俺はまた椅子に座りなおすことになった。

「教会が3万キュロス出します。借金の肩代わりとはまた別に」

「本当か?」

「本当です。前払いで1万。成功報酬で2万。手形でも金貨でも支払いができます」

 トーヴェがいった。

 3万キュロスあれば、余裕で一年遊んで暮らせる。金欠の俺からすれば、めまいがするほどの大金だった。

 脳裏に請求書の束と大家の苦い顔、この仕事で対面しうる危険が、走馬灯のように次々と思い浮かぶ。やるか、やらざるべきか。数秒の逡巡。

「……わかった。受けよう」

 俺はそういいながら、将来この決断を悔いるであろうことをわかっていた。後悔することがわかっていても、そうせずには居られない瞬間が、人生には存在するのだ。 

 金に目がくらんだ、ともいう。

「やった! ありがとうございます。これからよろしくお願いいたしますね。ジオンさん!」

 トーヴェは満面の笑みで俺へ手を突き出した。俺は彼女の手を握った。

「よろしく。トーヴェ」

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小説のかきあげ デッドコピーたこはち @mizutako8

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