いつもモーパッサンの該当作品を読んでからこちらに伺って、柊さんの訳し方や感想を自分のと照らし合わせるのを楽しんでおります。他の方のコメント欄にもありましたが、私も子供と動物虐待ものは苦手です…。
人間の弱さや狡さをテーマにした作品は好きなのですが、そんな人間らしさをどこか愛おしむ視点があるといいのですが、この作品は「剥き出し」でしたね(^^;;
モーパッサンの作風が厭世的な理由に興味を持ち、そういう人って不遇な子供時代の人が多いよなと調べてみたら、やはり両親不仲で離婚し、辛い寄宿舎時代だったようですね。
純文学の作家は精神病罹患者が多いですが、不思議と発病してからもいい作品を沢山残していて、モーパッサンもまた然りですね。
人間の汚さや本質に向き合い続けると精神に支障をきたすのは分かる気がします(モーさんは先天的梅毒由来も大きいみたいですが)。
真正面から向き合ったからこそ彼の作品は心にささるのかもしれませんね。
作者からの返信
葵さん、コメントありがとうございます。
該当作品を読まれてから、ということはこの作品もどこかの短編集に入ってるんですね。これはマイナーだと思っていたので意外でした。
僕は訳し方も感想も自分が受け取った通りに書いているので、正式な日本語版とズレがあったらすみませんm(__)m
モーパッサンの書くものは笑える余裕があるものと剥き出しになるものの両方がくっきりしていますね。なかでも命に関わる話、根っこの尊厳の部分に当たる話はかなり剥き出しだと思います。そこまで描き切ることが個人的にすごく好きです。皮肉なユーモアは必ずと言っていいほど入っていますが、それもよく切れるナイフみたいですよね。この夫人の言動を描写する言葉にはその切れ味を強く感じます。
色んな経験から厭世的な性格が助長されたところもあるでしょうね。同時に僕はモーパッサンはとても健康的な文章を書くと感じます。上手く言えませんが、内向的に閉じ籠っていく文章ではなく、外へ向かって発信する強さがあるというか。ボートが趣味、みたいなスポーツマン的なところが関係あるのか……。
その強さが作品に説得力を与えて読者に刺さるのだろうなと思います。
エゴイズムが虐待を生み出す根源であり、いつの時代にも起こっている恐ろしさに身震いを覚えました。現代でも悲しいニュースがよく流れてきますが、虐待の問題は社会問題としても捉えられるべき側面もあり、教育現場では大きな悩みをを派生させる一因だと思いますが、モーパッサンはこういった人間心理の負の側面に目を背けられない作家だったことが改めてわかりました。
作者からの返信
中澤さん、コメントありがとうございます!
エゴイズムが虐待の根源であるという言葉がとてもしっくりと響きました。自分を守るのと同じエネルギーを自分が庇護するべき存在に注げないことが悲しいニュースを増やすのでしょうね。この夫人のように外面は良く見せて本音が違うこと、自分が被害者であるというスタンスが基本になっていること、人間見本市のような人物像が描かれていると思います。モーパッサンはこういう負の部分を端的に見せてくれますね。
おおう……。
モーパッサン先生、よくここまで人間の嫌な部分をお書きになりますね。
今読んでる先生の短編集はバラエティにとんだ内容ですが、やはり読後感の悪い話が多そうです。(お目当てのシモンのパパは可愛かった♡)
本来、ハッピーエンドが好きなんですけど、次はどんな話が出てくるのか怖い物見たさで読んでしまいます。
やはりモーパッサン先生が卓越したストーリーテラーだからですかね。
作者からの返信
陽咲乃さん、もうこんなに読んで下さってありがとうございます!
抵抗のできない相手に対する仕打ちだけに、この話は特にきついですね。
怖いもの見たさ(笑)それでも読んでしまうのは確かにストーリーの巧さによるところも大きいですね。
今読んでおられる本、ほかにどんな話が入っているのか分からないですけど、ここで紹介した短編もあるかもしれませんね。またご感想をいただけたら嬉しいです^^
柊圭介様
現代では動物愛護団体等が黙ってはいないお話かもしれませんね。
「泥灰土に食わせる」なんて…残酷すぎます( ;∀;) 昔は命がこんなにも軽く扱われていたのですね。日本にも姥捨て山というものがあったと言いますから。否、現代も…。
自分に必要でなくなれば、その命を絶つことに躊躇しない神経に怒りを通り越して恐怖すら覚えます。ルフェーヴル夫人、犬税を払うのが嫌ならピエロは犬ではないと言い張れば良かったのにと思いました。ピエロは犬ではなく狐です、と。したがって犬に非ざる狐ゆえ犬税を支払う義務は生じない、と。ピエロの見た目が狐っぽかったのなら、なおさら残念な気がします。
それにしても、モーパッサンって、ほんと……(;´∀`)
作者からの返信
ブロッコリー食べましたさん、ご感想ありがとうございます。
こういう話って今だったら出せないんでしょうかね。でもこの話の言いたいことは動物愛護団体の趣旨に反したものではないと思えますね。要は人間のエゴで命を失われる動物の話なので、外側のストーリーだけでこういう物語を排除して欲しくないなと思います。現代はちょっと外側にばかり気を取られすぎるような気もします。
すみません、最近思っていたことなのでついこぼしました(^^ ;)
本当に、狐と言い張ることができればよかったでしょうね。でもこの夫人のような人は金が絡むとその都度揺らぎそうな気がします。
今フランスでは犬の店舗販売が消えて、飼育者のところへじかに買いに行かなければならないそうです。ルフェーブルのような人が減るといいのですが。
モーパッサンは人間のエゴを描かせると素晴らしいですね。もちろんコメディも面白いですが、やっぱり皮肉や毒が入っていて、そこがとても好きです。
編集済
僕はどうしても立ち入ることができないお店があります。いや、近寄ることすらできない。自分のエゴと無力さを見せつけられるのです。結局、近寄らぬことで見ぬふりをしているだけなのですが。
分かっている。かといって、彼らを解放することもできない。野生に戻った彼らは、時に我々を凌駕する身体能力を持つ。ならば、滅ぼすのか?いや、そのような発想は生態系を取り返しのつかないところまで破壊する帰結へと導く。それは『人が住む環境』を滅ぼしかねない。
・・ならば。種の保存のため管理しながら飼えばよかろう?飼うなら、売らねば・・
結局、僕は目をつぶり耳を塞ぐだけで、夫人とどれだけの差があるというのだろう。ペットショップで売られ、飽きたら捨てられ。殺処分される彼ら。僕は、それを知っている。増えたら困ると避妊処置を受け、血統だといわれ繁殖させられる彼ら。悪魔というものが存在するなら、僕はそれをよく知っている。今朝も洗面台で見た。
許されるわけが、ないのですね。
作者からの返信
コメントいただいて、本当に呪文堂さんは敏感で純粋な方なのだなあと……参りました。恐れ入りました。こんなに我がことのように受け止めて読んでくださるとは。その感性の柔らかさ繊細さ、きっとご自身に少年の部分をたくさん残しておられるんでしょうね。
人間ならば、心の中を吐露できるすべを持っていますが、彼らには鳴き声でしか訴えられませんね。夫人は最後にピエロの声を聞かないことにしてしまった。塞いでしまえば見ないふり聞かないふりができますもんね。ペットを棄てる人がいるというのは話でしか聞いたことがありませんが、何と何を秤にかけるのだろうなと思います。
考えれば繁殖という自然の営みに手を加えるというのはおこがましいことなんですよね。しかしそれはペットや商売という括りになると当然になり、人間にとって都合のいい種だと「改良」される。人間は何に変わって生命をコントロールしているんでしょうね。
ガラスの中で売られている彼らは自分の運命をどこまで分かっているのか。せめて最期まで看取ってくれる人間に出会ってほしいと思うしかありません。
今までの後味の悪い話は主人公に同情の余地がありましたけど、これは酷い話ですね……((((;゚д゚)))) 前半のピエロが可愛かっただけに。ローズは結果的に女主人の片棒を担ぐ形になりましたが、本当は助けてやりたかったのも伝わってきます。
お金が絡むとコロッと態度を変えるルフェーブル夫人がコメディのようで、かえって醜さが際立っているところが秀逸ですね。
作者からの返信
橋本さんありがとうございます。この女主人公に関しては突っ込みどころが多すぎて、腹が立って来るよりも滑稽に見えてきますね。ローズの態度に女中の主人への距離感も表れていますね。どんなに近くても言いたいことが全部言えないという。仰るように片棒を担がされるのはつらかったでしょう。同調してみたり妥協案を出してみたりしましたが、最後にはあきらめの境地になったのだと思います。
これはあまりにも酷い話ですね。玉ねぎはどうなっちゃったんでしょう?
なんか、ルフェーブル夫人が本当に滑稽に見えて来ますね。
ただ、金を出したくない、というケチ精神が、滑稽さと残酷さで見事に彩られたと感じました。
ピエロくん、本当にかわいそう。
作者からの返信
この話は犬を相手にしているだけに、人間相手とはまた違う、より一方的なエゴイズムを感じますね。ただのケチ精神からここまで抉ってくるのもさすがだと思います。目の前のことばかりに囚われる夫人の姿はもしかしたら自分にも、と思わせたり。そう言えば玉ねぎの話は最初だけでした。これも結局目の前のことばかりを心配していた、という表れでしょうか。
コメントありがとうございます。感想を頂けると書き甲斐が出ますね。
この後味の悪さがさすがモーパッサン…!
「こんな悪いやつ絶対にいない」とは言い切れない、絶妙な加減の人間描写です。
お金がないわけじゃないのにケチる、時々気まぐれでいいことをしようと思う…というあたり、マダムほどじゃないにしても割とありそうなお話。
今の日本は、穴には落とさないけど、動物愛護センターへの持ち込みが後を絶たず…こういう人たちは、マダムと近いところがありそうです。
私がローズだったら、何とかしてピエロを引き取ってあげたいところですが…(・・;)
作者からの返信
黒須さん、ご感想ありがとうございます。
マダムの人間描写はほんとに絶妙に現実的だと思います。人目と財布の中身を見比べながら生きてるような。リアルですよね。
動物愛護センター、黒須さんのゲームブックの犬たちを思い出します。これとどこか通じますね。
物語の中でローズがだんだん主人に愛想を尽かしていくところも上手いです。本当は生かしてやりたかったでしょうね…
虐待されるのが、無垢な犬というところに、この話の残酷さがありますね。こういう人は、現代でもいますよね。子供を埋めて児童手当だけはもらい、猫を飼うという信じられない鬼畜な事件が日本でありました。言葉がありません。
作者からの返信
コメントありがとうございます。動物を扱うと残酷さが増しますね。喋れないし。
ハナスさんが同じ事件のこと教えてくれました。日本ってたまに、一般に思われている国民性と正反対の事件ありますよね。きっとそういう思考の人間には国も時代も関係ないからでしょうね。
編集済
まさに「エゴは慈悲よりも強し」ですね。
「泥灰土に食わせる」という表現は初読のころから印象的でした。
あまりにも自分本位(T_T) 変わり身の早さが滑稽です。
これは動物に喩えられていますが、人間社会の縮図のようでもありますね。
現代に通じる普遍的なエゴイズムを感じます。
ピエロには天国で美味しいものを好きなだけ食べていてほしいですね。
柊さん、追伸、失礼しますm(__)m
短編集の翻訳版、私も所持しておらず確認できませんが、興味深いですね! 現実の社会で多いのは確かにローズタイプかもしれません。本心を隠して従うしかない立場。程々に従っているほうがラクな人もいるでしょうから、考えるのが面倒な多数派として一定数、存在するでしょうね。
唐突ですが、「ピエロ」を日本語に訳して気付いたことがあります! 日本語で「道化師」つまり「滑稽な者」なんです。モーパッサン先生は「ピエロ」という犬を通して「人間という生きものこそピエロで滑稽なんだよ」と仰ったのではないかと、想像をめぐらせてしまいました。
何処に感情移入して読むか……読み手の精神状態にも感応するでしょうね。自分を犬の「ピエロ」に当て嵌めて読みますと、無残に捨て去られる被害者意識が生じるでしょう。マダムに当て嵌めますと、彼女の狡さを自分も持っているのではないかと思い、自己嫌悪するでしょう。皆、ローズ的・ピエロ的・マダム的な側面を持ち、だからこそ人間の心の解析は多岐に及び、モーパッサン先生の掘り下げたエゴに果てしなさを感じます。それを紹介される柊さんもまた果てしない御方です(どんな御方でせう?)
次回作の見当をつけております。コメディと言えば卵? 違うかしら? あの御話、たぶん3回くらい笑ってしまったので、印象に残っているのです。次回も期待しております( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )❤
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます。
この表現はどう訳せばよいか悩みました。翻訳版があれば知りたいです。
そのまま人間の社会、そうですね。一番多いのはローズではないですかね。思うところがあっても何も言えず従うしかない立場です。
これはどこに自分を置いて読むかで人が表れる気がします。自分をピエロに当てはめる人は自己憐憫が強く被害者意識が強い、とか。マダムに当てはめる人は自分に厳しく自己嫌悪に陥りやすい、とか。どう思います?二度目なのでひいなさんにちょっと訊いてみたくなりました。
次回はコメディを持ってきます。いつも感謝しています。
醜悪過ぎて絶句ながら、現代にもゴロゴロしている話だなあと思わずにいられません。
ただただ自己満足のために、ピエロが苦しむ時間を引き延ばしてしまうという。
「少しはわたしだっていいことしたわ」くらいに思っていそうなのが、また恐ろしいです(*_*;
作者からの返信
鐘古さん、コメントありがとうございます。
動物と子どもが犠牲になる話は特に醜悪ですが、先生は和らげることなく真正面から書いていますね。確かに現代でもゴロゴロしている話……。そしてこの主人公の自己正当化ぶりも時代を越えていますね。動物というモチーフを変えたとしても、こういう自己満足ってどこかに隠れているようで怖いです。