エゴは慈悲よりも強し「ピエロ」②

 ピエロを手放すことにしたルフェーヴル夫人。唯一残された方法は、「泥灰土でいかいどに食わせる」と呼ばれているやり方でした。

 一体それは何でしょう。


 野原の真ん中に屋根みたいな蓋のついた穴があります。それは井戸のように20メートルぐらい深く掘られていて、地底には泥灰土という石灰と粘土の混じった成分の土があります。昔は年に一度この穴へ潜って、畑の土壌改良のため泥灰土を採取していたそうです。


 で、それ以外の時にこの穴が何に使われていたかというと……犬の墓場。

 要するにいらなくなった犬をこの穴の中に落とし、飢え死にさせるのです。

 

 この井戸のそばを通りかかると、捨てられた恨みと怒りと絶望に満ちた犬の吠声が地底から響いてきます。狩猟犬や羊飼いの番犬はその鳴き叫ぶ声に恐れをなして逃げ出します。そして穴の中を覗き込めば、腐敗臭が鼻をつきます。闇の中で起こっている惨劇のにおいです。想像がつくでしょう。置き去りにされて瀕死の犬は先客の死骸で命を繋いでいます。そこへ新しい犬が降り落ちてくる。目をぎらつかせてお互いをけん制するのもつかの間、飢えが勝つ。強いものが弱いものを食らう、共食いの情景です。


 ピエロを「泥灰土に食わせる」ことにしたルフェーヴル夫人は、執行人という嫌な役目を誰かに頼むことにします。しかしそのたびに6スー(20スーで1フラン)だの5スーだのと。ローズは他人に任せて犬に勘づかれるよりは、自分たちで捨てに行った方が賢明だと判断し、二人の女は夜更けにそれを実行することにします。


 最後の晩餐、とでもいうのでしょうか。美味しいスープとバターまでご馳走になったピエロは嬉しそうに尻尾を振っています。そんな犬をローズはエプロンの中に抱き、夫人とともに穴へと向かいました。


 夫人は穴の入り口に耳をすませます。──何も聞こえない。生きている犬はいない。ピエロだけになるはずだわ──。

 仕方ありません。ローズは泣きながらピエロにキスをし、穴の中に放ちました。


 鈍い音と、傷を負った痛々しい鳴き声のあと、地底へ突き落とされた犬は、乞うような嘆願するような声で外へ向けて激しく吠え始めます。

 二人の女はすさまじい後悔の念から逃げるようにその場を去りました。


 その夜、マダムは悪夢を見ました。まるでピエロに呪われているような恐ろしい夢。たまらなくなった彼女はその明け方、半狂乱で穴へとやってきます。

 ピエロはまだ吠え続けていました。おそらく一晩中主人を呼んでいたのでしょう。

 マダムは思わず泣き出します。私が悪かったわ。助けてあげる。死ぬまでちゃんと面倒をみるから──。


 夫人は泥灰土を採取する男のところへ行って、どうか犬を助け出してくれないかと頼みました。すると男は、

「じゃあ4フランだ、マダム」

 夫人はびっくり。今までの心の痛みが一気に吹っ飛んでしまいます。

「だってさ、道具を準備して穴ぐらの中に降りるんだぜ。腹を空かせたあんたの犬に噛みつかれるの覚悟でよ。そんなもん親切でやってられっかよ。だいたい後悔するぐらいなら捨てなきゃよかったんだ」


 マダムは怒り心頭で帰ってきました。あの男、ひとの足元を見て、4フランも要求するだなんて、許せない!

 そんな主人の言葉にもう諦めきった様子のローズは、

「奥様、それじゃ穴の中に食べ物を投げてやりましょう。そしたらきっと飢え死にすることはありませんわ」


 それはいいアイデア!

 ルフェーヴル夫人は目を輝かせて喜びます。

 それから一日に一度だけ、二人はバターつきのパンを持って穴へ行き、代わる代わる声をかけながらパンをちぎり、穴の底にいるピエロに投げ込んでやるのでした。


 ところが、そんなある朝。

 パンを投げ込もうとした夫人は、穴の中から響くものすごい犬の声に驚きます。もう一匹いる! 夜のうちに、誰かがもう一匹、捨てて行ったんだわ!

 明らかにピエロより大きくて強そうなその犬は、二人が投げ込むパンを片っ端から横取りしてしまいます。

「ダメよ、これはピエロのためなの!」

 そんなこと言ったって分かるわけない。哀れなピエロはキャンキャンと叫び続けるだけ。


 呆然とした目で女中と顔を見合わせたあと、夫人は苦い声でこう言いました。

「無駄だわ。ここに捨てられる犬をみんな養ってやるなんてできない。もう諦めましょ」

 飢えた犬全部にエサをやるという想像に息を詰まらせ、夫人はその場を立ち去りました。結局持ち帰った残りのパンを自分でかじりながら。

 ローズはエプロンの端で目を押さえながら、そんな主人のあとをついて行くのでした──。



 金のことになると気持ちがコロリと変わってしまうルフェーヴル夫人。こうなるとむしろ滑稽に見えてくるから不思議です。現実的な問題の前には、慈悲も愛情もきれいさっぱり消えてしまうのでしょう。

 19世紀の田舎の話と割り切れない、やたらと普遍的なエゴイズムが漂いまくる一篇。こういう物語はまさに先生の十八番です。


 願わくは、ピエロが天国で美味しいものを食べていますように。




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