その男、肥満につき「トワーヌ Toine」①

 またまたノルマンディーを舞台にした話です。ですが今回はほとんどナンセンスコメディーですので、どうぞ気楽にお読みください。


 風曲がり村というヘンテコな名前のその集落は、片田舎の谷間にあります。家は10軒ほどしかないからみんなお知り合い。中でもアントワーヌ・マシュブレ、通称「ブランデーのトワーヌ」は村人のリーダー的存在です。

 彼を有名にしているのはまずその巨漢っぷり。この地方一番の巨漢。家が馬鹿馬鹿しいほど小さく見える。日がな一日その家の前で過ごす姿を見て、あのドアからどうやって中に入るのだろうと思うぐらい。


 で、なんでブランデーのトワーヌかと言うと、彼が20年来飲み屋の親父をやってるから。そして、客である村人に自慢のブランデーを浴びせ続けているからです。


「今日は何を飲もうかねえ、トワーヌ親父」

「決まってんじゃねえか、フランス一のブランデーだよ。これさえありゃ、はらわたの中からポッカポカよ。さあ飲みねえ婿さん」


 娘もいないのになぜか村人全員を「婿さん」呼ばわりするトワーヌ親父はみんなの人気者。冗談を言っては客たちを大笑いさせ、場を和ませるのが上手。そこにいる誰もが愉快な気分になってしまいます。

 そしてその豪快な飲みっぷりで客たちを唖然とさせるのです。あっちで一杯、こっちの客からも一杯。飲むわ飲むわ。「ドリンク一杯頂きましたー」ってなもので売り上げにも貢献できる。お客は面白がってどんどん飲ませる。


 しかしここにそれが気に食わない人間がいます。誰でしょう。

 トワーヌの奥さんです。

 彼女はニワトリの飼育マスターとして名を馳せ、ニワトリを太らせたら右に出るものはいないと言われています。生まれつき不機嫌で、それをキープしたまま現在に至っている人。痩せた体の上に野良猫のような顔を乗せ、いつも世の中をすごんでいます。一番の標的は自分の夫。彼が陽気で、人気者であり、何にもしないで金を稼ぎ、しかも肥満体のくせに健康で、一人で10人分の飲み食いをすることが許せないのです。


 この飲み屋のもう一つの名物、それはトワーヌとおかみさんの口喧嘩でした。30年来連れ添っているこの夫婦は、朝から晩までどーでもいいことで諍いを繰り返し、客たちの間ではそれがちょっとした余興になるわけですね。何というか、夫婦漫才をタダで見せてもらってるって感じでしょうか。お金を払わないのが申し訳ないくらい。


「あんたみたいなブタはあっちの家畜小屋の方が似合ってると思わないかい!」

「ちっとは痩せたらどうなんだい、この米俵! あたしゃ知らないよ。そんなに膨れ上がっちゃそのうち張り裂けるよ!」


 おかみさんがこんな剣幕で喧嘩を吹っ掛けてくるにも関わらず、トワーヌ本人はどこ吹く風で、自慢の太鼓腹を叩きながらこう言い返します。


「どうだい、おめえのニワトリもこんぐらい太らせちゃあ。ほうら、この手羽を見てごらんよ。ひとつどうだい」


 袖をたくしあげてムッチムチの腕を見せ、奥さんを挑発するもんだから、見てるお客さんたちは大笑い。

 頭にきたおかみさんは呪いのひと言を放ちます。


「まあ見てなよあんた、そのままブクブク太り続けたらね、そのうちどういうことになるか、まあ見ててごらんよ……」



 で、どういうことになったかと言うと、トワーヌは卒中で倒れました。店の裏の小部屋にベッドを置いて、そこへずっと寝たきり。頭ははっきりしてるのに体がまるで動かない。一週間に一回、藁布団をひっくり返すためには4人の村人の助けが必要です。できるとすれば右、左に寝返りを打つことぐらい。

 こうなると今までの豪快な明るさは少し影を潜めてしまうのですが、それでもおかみさんは容赦なく罵倒を続けます。

「ほうらごらん、役立たずのブタめ! 言わんこっちゃないよ!」

 もう黙るしかないトワーヌ。この奥さん怖すぎる。


 そのうち仲のいい客がトワーヌの寝室へやって来るようになりました。

「このおデブウサギはスキップもできねえのかい。あーあ、おめえが飲まねえ飲み屋なんて飲み屋じゃねえよ」

「おう、おれもそれが辛えところだよ、婿さん。喪に服してるような気分だ」


 慰め仲間は増え始め、レギュラーメンバーができて、トワーヌのベッドの周りにたむろし始めました。そしてベッドの端にドミノゲームを置いて一日中遊んでいます。そうするとトワーヌも調子づいてきて、また例によって冗談を飛ばしてみんなを大いに盛り上げます。


 もちろんおかみさんは面白いわけがない。ものすごい勢いで部屋に入って来ると、ドミノの台をひっくり返し、駒を取り上げ、この役立たずの巨漢を食わせるのはもうごめんだとまた暴言を吐きます。


「おかみさんよ、まあそう怒りなさんな。おれに考えがあるんだ」

 見かねたメンバーの一人がおかみさんに耳打ちしました。


「あいつの体温、オーブンみたいに熱いんだよ、多分ベッドから出ないからだ。なあ、いっちょあんた、あいつの体を使ってニワトリの卵をかえしてみたらどうだ? おれならそうするがね」


 え――っ、なに言ってんの!?

 なんてくだらない、いや、突飛なことを考えるんでしょう。


 さあ、おかみさん、どうする?


 次回へつづきます。


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