記録に挑戦!「トワーヌ」②

 寝たきりのトワーヌ親父にニワトリの卵を温めさせる!?


 奇抜すぎるアイデアにおかみさんは目が点になりますが、

「右のわきに5つ、左のわきに5つ、これで10個の卵がかえせるぜ」

 という村人の囁き声に、フム、と頷きます。

「そうねえ、これでちっとはあの人を働かせることができるってもんだわ」


 ええー、ホントにやるの?


 やるんです。一週間後、おかみさんは生みたて卵を10個エプロンに入れてトワーヌのベッドへやって来ます。そして、


「ほら、あんたの分。割らないように気をつけるんだよ」


 トワーヌは何のことか分かりません。

「いったい何がしてえんだ?」

「決まってんだろ、あんたがこの卵を孵すんだよ、役立たず」


 最初は笑っていたトワーヌも、おかみさんがマジだと知るとさすがに怒り出して、絶対にわきの下に卵を入れさせるもんかと必死の抵抗をします。が、おかみさん、


「やらないんならメシは抜きだよ!」

 

 そりゃあねえだろうよ…。もうこれが冗談でないと判ったトワーヌは、しようがなくわきの下に5つずつ、卵を温めることになってしまいました。


 午後になると例のドミノ仲間がやって来ます。しかしわきの下の卵が気になってゲームに集中できません。

「おめえ今日はどうしたんだい、やけに大人しいじゃねえか」

「いやもう肩が凝っちまって仕方がねえよ」

 

 そこへ地方のお偉いさんが店にやってきて、なんだかヒソヒソ話を始めた様子。壁一枚向こうの話が気になるトワーヌは、聞き耳を立てようと卵のことを忘れて寝返りを打ってしまいます。

 オムレツ一丁あがり。ギャー!


 叫び声を聞いたおかみさんは即座に現れ、惨事を目の当たりにすると激怒し、その太鼓腹を両手でペチペチ叩いて責めます。悪友たちはまたも大笑い。トワーヌは猫パンチに耐えながら、これ以上潰してはまずいと、もう片方のわきの下に入れた卵を必死で守るのでした。やっぱりこの夫婦ついて行けない。


 そしてまた新しい卵を温めることになったトワーヌ。なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ!?

 それでも与えられた義務は果たさねばならぬのです。現在、彼の両わきには計10個の卵たちが眠り、殻を破るその時を待っています。トワーヌはその豪快な話し声を潜め、身動きもせず、ずっと天井を向いたまま。羽のように腕を広げ気味にして卵を守るその姿は、まさに鶏小屋のめんどりそのもの。

 そしておかみさんはと言えば、トワーヌのベッドと自分の鶏小屋の往復を繰り返し、万事順調かと神経を尖らせております。どこまでもプロフェッショナルなニワトリ飼育マスター。


 トワーヌが卵を温めているという噂は村中に広まり、みんな好奇心と真剣さの入り混じった面持ちで寝室へやって来ます。お見舞いの時みたいにそうっと入って来て、

「どう、調子は?」

「調子はいいんだけどよ、かゆいよお。暑くってよお…」

 だよねえ。大変だねえ、卵を温めるって。普通やらないけど。


 そんなある日、おかみさんが興奮した様子でトワーヌのもとへやって来ました。


「鶏小屋のは7つ産まれたよ! …でも3つはダメだった」


 それを聞いたトワーヌはドキッ。

 ──おれの卵たちは、大丈夫だろうか──?

「…そういう、ことも、あるのか…?」

 まるで出産を控えた妊婦のような顔でおかみさんに訊きます。

「信じるしかないよ!」

 まるで夫のような顔で答えるおかみさん。


 そしてついに「予定日」がやって来ました。村中の人が店に詰めかけています。

 午後3時。眠っていたトワーヌは、くすぐったいような感触で目を覚まします。目を開けた彼が見たものは、左手の上で小さな体をフルフルさせている、黄色い羽毛のかたまり。


 産まれた──っ!!


 トワーヌの歓喜の声に部屋へなだれ込んできた客たちは感動のあまり声が出ません。が、その感動の渦の中でも冷静なおかみさんは、産婆のごとくその小さなヒヨコを鶏小屋へ連れて行きました。

 それからもう1羽、そして今度は4羽続けて、順調にひなが孵っていきます。トワーヌは村人たちが見たことのない、誇りに溢れた顔をしています。ああ、母になるとはなんと素晴らしいことか!


 しかしまだ眠り続けている卵が残っています。

「いくつ産まれた?」

「今んとこ6羽」

「よし」

 そして温め続けること数時間、ついに10羽目のひなが殻を破って出てきました。そう、トワーヌは全部の卵を孵すことに成功したのです!


 記録達成! おめでとう!


 もうすっかりお母さんの気持ちになっているトワーヌ。ああ、いつまでもこの可愛い黄色い羽毛をなでなでしていたい。せめて最後のヒヨコとだけは一緒に朝まで眠りたいとおかみさんにすがりますが、現実的なおかみさんはあっという間に鶏小屋へ連れて行ってしまいます。


 村人たちがこの奇跡の出産の感動を分かち合いながら帰って行く中、一人残った男、最初にこの話をおかみさんに持ちかけた例の友人がトワーヌにこう言います。


「なあ、最初に生まれたやつ、お祝いにソテーにしておごってくれるってのはどうだい?」

 ソテー、と聞いた途端、食いしん坊の血が戻ってきたトワーヌはひと言、

「もちろんさあ、おれのおごりだよ、婿さん」


 了。


 モーパッサンには珍しく、ほんとに馬鹿馬鹿しいだけのドタバタコメディ。母性に目覚めてしまうトワーヌ親父がちょっとかわいい。

 でもやっぱり、オチは微妙に黒いですね。 




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