鉄仮面あるいは殺人の記憶

下村アンダーソン

鉄仮面あるいは殺人の記憶

     *

 死んだ姉の部屋に置き放されていた仮面は鉄でできている。

     

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 姉が死んだ頃、街では若い女ばかりが次々と殺される事件があった。姉は殺されるのを恐れるあまり死んだのだと、私は思っている。


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 死んだ姉を見つけたのは私だった。痩せ細ってこそいたものの体は原型を保ったままだったから、死後すぐに発見できたことになる。自室の机に伏して、手首を切って死んでいた。


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 死んだ姉が鉄仮面をどこで拾ってきたのかは知らない。なぜ大切に持っていたのかも知らない。何の変哲もない、目と鼻と口にあたる部分に穴が開いているだけの仮面だ。誰を象っているでもない、いわば顔のない仮面だ。

     

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 冷たい鉄仮面にほんの少しでも姉の残り香が宿っていないかと、ある晩、思い付く。私は空っぽになった姉の部屋に行き、軽い気持ちで仮面を身に着ける。


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 仮面をかぶった途端、私は外にいる。


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 より詳細に記す。仮面越しに景色を見ると、あたかも自分が外にいるように錯覚する。そうした幻覚が生じると言ってもいい。歩き回ると景色も変わる。住み慣れた街の光景が、記憶通りに再現される。外せば瞬時に、体は姉の部屋へと戻る。同じ場所で空想と足踏みを繰り返していただけの自分に気が付く。


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 仮面越しの世界では、私は誰にも知覚されない。


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 実体のない影、あるいは幽霊として、仮面越しの世界を放浪するのが日課になる。なにを覗き見てもそれは幻なのだから、気に病む必要はない。姉もこうして空想の旅を楽しんだのかもしれない。


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 姉を見つけた!


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 仮面越しの世界では、姉が生きている。殺人者に怯えて自室に閉じ籠ることもなく、伸び伸びと外を出歩いては遊び回っている。こうあるべきだったと私が空想するがゆえの現象なのだと理解してはいるが、それでも健全な姉の姿をまた見られたのは嬉しい。


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 姉がよく会っている友人のひとりの秘密を、私は知る。彼女は姉を汚すことを考えている。


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 女の部屋には隠し撮りした姉の写真が無数にある。声を録音したテープがある。姉の話している部分だけを切り貼りして繋ぎ合わせた音声を、女は繰り返し再生する。姉の笑い声を、囁きを、押し殺した喘ぎ声までも、私は女とともに耳にする。


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 姉は幾度となく女と顔を合わせる。無防備な笑顔も、悩みぬいた末の打ち明け話も、滅多に流さない涙も、何もかもが女に盗み取られるのを、私は傍らで歯噛みして見ている。すぐにでも姉に警告したいが、私の姿は姉の目には映らない。仮面を外せば、私は元の世界に帰ってしまう。


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 投げた石で硝子が割れることを、私は発見する。


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 姉は女を信頼しきり、ふたりで酒を飲んで泥酔する。女は姉を介抱する素振りで、その体を平然と弄る。私の部屋で横になって休もうと提案し、意識を失くした姉を担いで自室に連れ込む。女は姉を横たえ、その汚らしい手を伸ばす。耐えきれず私は仮面を外す。


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 私は金物屋に行く。無論のこと店の親爺には知覚されない。私は店中を物色し、もっとも刃渡りの長いナイフを選んで持ち出す。裸のままぶら提げて歩いても、誰も私を咎めることはない。


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 血塗れの女を私は見下ろす。胸への一突きで絶命したのは明らかだったが、私は執拗にその体を切り刻みつづける。傷で文字を書きつけようと思いついたが上手くいかない。やがて私はナイフを手放し、仮面を脱ぐ。


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 女の死の真相は明らかにされない。ただ唐突に失踪したものとして処理され、友人を失った姉は憔悴する。姉は何も知らない。


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 酒場で飲んだくれている姉に、居合わせた女が声をかける。酔った姉は淋しさを告白する。今後こそ真っ当な人間であってほしいと私は願う。


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 この世界には屑しかいない。


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 二人目の女を私は刺殺する。二度目ともなると手慣れたもので、ナイフが体内に入り込んでいく感触は快くすらあった。死体の服を脱がせ、臍のあたりまで腹部の皮膚をまっすぐに切り下しておく。白っぽい内臓を掻き出し、傍に並べて置く。私の手も、衣服も、むろん鉄仮面も血に濡れてまだら模様となったが、気に留めなかった。気に留める必要などどこにもない。


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 最近は夢を見ない。


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 姉は部屋に籠るようになった。覗き見るつもりはなかった。いかに双子とはいえ、立ち入るべきでないことはある。私は姉を汚さない。私だけは姉を汚してはならない。


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 姉は扉を開けない。私は決して踏み入らない。


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 今朝、姉が死んだ。ふと風に吹かれるように扉が開いて、部屋の様子が明らかになった。机に伏して、手首を切って死んでいた。


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 姉がいなくなった今、鉄仮面は意味を成さない。


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 ある雨上がりの朝、私は近くの川へと赴いた。橋の上から仮面を放り捨てた。鉄の重みですぐさま沈むものと予想したがそうはならず、仮面はいつまでも水面を漂っていた。いかなる自然の悪戯か、自らの意思で流れに逆らうように上流へと向かい、そのまま遠ざかっていった。


     * 

 私は長らく、欄干に凭れて立っていた。やがて鉄仮面がどこかへ流れ着き、誰かに拾われるのではないかという恐れが胸に込み上げたが、その影はもう、どこにも見えなかった。

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