最終話 星見の夜

「ふぅ……出来た」


 ハンシイ姫はペンを置いた。ギョンボーレの図書館の一室。ひと通りの取材と研究を終えた王女は、一週間前からこの部屋を借りて、論文の執筆に取り掛かっていた。

 部屋の壁には調査メモがびっしりと貼られ、床には資料や参考文献が積み上げられている。そして今、机の上にはそれらの結晶体とも言える、書き終えたばかりの原稿がある。

 二百枚近くの紙束。思っていた以上の大著となった。学院の師である賢者シランには百枚程度で、と言われてるから大幅なオーバーだ。もしかしたら、減点対象にさえなるかもしれない。


「けど……これだけの言葉を尽くすだけの意味が、この物語にはある!」


 それが、賢者たちの物語を見聞きして出した結論だった。


「失礼します。調子はいかがですか、ハンシイさん?」


 フェント女王が、パクランチョを乗せたワゴンを押して部屋を訪れた。彼女は毎日この時間に軽食を持ってやってくる。

 女王手ずからの差し入れなど、さすがに申し訳ないと最初は断ったのだが、好きでやってることだからとギョンボーレの女王はゆずらなかった。聞けば、賢者たちがオベロン王の書と格闘していたときもこうして差し入れをしていたらしい。そのため毎日この時間は、女王ととりとめのない談笑をする休憩のひと時としていた。


「あっ! フェントさん、見て下さい。ついに、完成しました!」


 ハンシイは紙束をフェントに見せる。


「まぁ!おめでとうございます!」


 フェントはワゴンから手を離し、原稿を受け取った。パラパラとめくってそれに目視線を落とす。つい今書き上げたばかりの自著を、真横で読まれて、ハンシイは気恥ずかしいような誇らしいような思いに包まれた。


「素晴らしいです! タイトルは……『転生者の学問はかくて始まり』ですか?」


 最後にフェントは一枚目に戻り、そこに書かれた題名を読んだ。


「はい。この世界の知性を司ることになった者たちの、始まりの物語です」

「素晴らしいタイトルです。あの方たちは、自分たちの使命をしっかりと理解しているのに、その功績については無頓着ですから……」

「まさしく。始まりの辛さや偉大さは、誰かが語り継がなければ忘れられてしまう。そうなれば、彼らの理念もいつしか軽んじられてしまいます」

「ですから、私達が物語を語り継がなければならない、ということですね?」

「はい。星見の夜も、今夜でしたね?」

「ええ。ハンシイさんのご協力で、こちらも素晴らしいものとなりましたよ」


 星見の夜は、ギョンボーレ族に伝わる年に一度の祭礼であり、歴史の伝承でもある。夜空に輝く星々を、歴史上の神や英雄になぞらえて物語を紡ぐ。数十年~百年に一度、新たな物語を追加する習わしとなっており、今年はフェントの即位を記念した追加が行われていた。

 今の時代の物語となると、勇者・賢者戦争を扱わないわけにはいかない。そのため、ハンシイは自分の研究メモをギョンボーレの神官たちに提供していたのだ。



      *     *     *



 その日の夜、星見の丘と呼ばれる祭壇に都中のギョンボーレ族が集まっていた。論文の執筆に入る際にハンシイと別れ、先に王都に戻ったフランも来賓としてやってきていた。


「姫様! 先程フェント陛下より伺いました。書き終えられたそうですね」

「はい。明日、あなたと共に王都に戻ります」

「わかりました。 賢者シランもきっと喜びますよ」

「賢者といえば……皆様いらしてないのですね?」


 ハンシイはきょろきょろと周囲を見回した。来賓席にも、群衆たちの中にも賢者の姿は一人も見当たらない。


「全員で西の大陸に行ったそうです。例の遺跡の調査だとか」

「まぁ。それでは、学院の方は?」

「しばらく休講にすると。それほどの大発見だったのでしょう」

「かもしれませんね。それに……」


 もしかしたら恥ずかしかったのかも知れない、とハンシイは思った。王都や学院にいたら、この祭りに招待されることは間違いない。自分たちの功績を称える星物語を見たくなかったのだろう。彼らの事跡を追ってきたハンシイには、なんとなくそれがわかった。


「聖神ティガリス 空の神エナウリ 夜の神ウィー 闇夜を司る三柱の神よ。我が供物の魔石を持って 今宵我らに道を示し給え」


 儀式が始まった。丘の上の祭壇でフェントが祝詞を上げている。


「人の道のりは我が道のり 昨日の道標は明日の道標 我は今を生きる者 その道は昔日を生きたものに倣わん」


 祭壇に供えられた魔石から光が立ち昇る。それは星空いっぱいに広がり、その中に像が映し出された。



 若者が突如、この世界の放り出される姿。そして槍を持つ二人の男と出会う姿。


お前は誰だラータ トゥキトマ ヤ?』


 星物語は映像だけで音はない。けれどハンシイは胸の中で、若者が門番に投げかけられた最初の言葉を思い描いていた。



 異世界学事始め -完-



 



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