第84話 図書館

「いや、ありがたいけどさ。この量を書き起こせっての? 今、アツシいないんだけど?」

「別にすぐじゃなくていい。ただ、他の賢者たちにはなる早で投影したい」

「どっちだよ?」

「お前こそ、よくこれだけ本集めてきやがったな……」

「西の大陸はギョンボーレ族が少ないからな。未収集の書物がまだ結構残ってるんだよ。翻訳よろしく!」

「だったら! そのためにも、今回仕入れた1万語は早急に辞書に収録してくれ!」

「あ、今早急って言った? 言ったよな? じゃあアツシ呼んでこい。オレが腱鞘炎になる!」


 図書館内にいくつもある閲覧室。その一つは今では「賢者の間」と呼ばれ、彼ら専用の執務室となっていた。かつて、彼らがオベロン王の歴史書を解き明かした部屋だ。


 そこで、良く言えば活気ある論議……けど口の悪いじゃれ合いにしか聞こえないようなやり取りをしているのは、この世界最高の知性である大賢者ゲンと大賢者リョウだ。


「あのー……」


 一切こちらの様子に気づく様子のない二人の大賢者に、フェント女王が声をかける。


「で、西の大陸にはあとどれくらい未収蔵書物があるんだ」

「あー……洞窟30個分?」

「は? なんだその単位は?」

「いや、今ハルマが調査中なんだけど、聖神歴以前の遺跡なんだ。そこは洞窟の壁一面に文字を書く文化があってな。穴一つで物語一巻分になるっぽいんだ……」


 話に夢中で、フランの呼びかけの応じない。続けて、フランが少し大きめの声をだす。


「大賢者リョウ、大賢者ゲン、お久しぶりです!」


 しかし


「お前、そういう事は早く言えよ! 大発見じゃないかそれ? どんな事が書いてあるんだ?」

「あくまで推測だけど、魔王と人間の戦いに関連しそうな文があった」

「大発見すぎるだろ!? 魔族研究も転生者研究も進むぞそれ!!」


 まったく反応がない。仕方ないのでハンシイ姫が一歩前に出てすぅ…と息を吸う。


「大賢者リョウ! 大賢者ゲン!! 大儀である!!!」


 長いこと使わないでいたハンシイ姫の宮廷言葉。甲高い声が室内に響き、そこでようやく二人は、同じ部屋にこの世界の最高権力者3名がいることに気づいた。二人は反射的に彼女たちにひざまずく(本来、大賢者はフランの摂政職より上の位階だし、王族2人に対してもそこまでする必要は無いのだが……)


「これは姫様。失礼しました!!」

「いえ、研究熱心なのは良いことです。ですが俗世をお忘れになり過ぎるのはいかがなものかと」

「面目ありません……」


 二人はおずおずと立ち上がる。


「で、何を熱く議論していたのです?」

「はい。ゲンが、西の大陸で未知の書物を持ち帰ってきまして……」

「リョウが北の大陸の辺境で未知の言葉を取材してきまして……」


 互いに指差しながら言う。


「おかげで次の辞書の改訂版は、大幅に収録語数が増えそうです」


 他の賢者たちが、学院での知識の伝播や、様々な分野の研究へ手を広げていく中、リョウとゲンは今でも言葉の研究を続けていた。それこそが、すべての学問の基礎となると考えているからだ。


「改訂版? 辞書は完成していなかったのですか?」

「言葉の研究に終わりはございません。確かに、オベロン王の書を解明するまでに集めた言葉で一度製本はしましたが、アレに収録されているのはせいぜい8万語程度。この図書館だけでも、その数倍の言葉が眠っていますし、外には数十倍の言葉がある。さらに、今このときにも世界中で新たな言葉が生まれています」

「さらには消えていく言葉、既に消えてしまった言葉の歴史も残さなければ、この図書館の本も読めなくなってしまいます。というより既に、半数近くの本が読み解けなくなっているのです。それらを読むためにも、我々の戦いに終わりはありません」


 二人の大賢者の語るスケールの大きさに、フランはめまいがする思いだった。それに比べたら、自分が今携わっている政の方がまだ楽な気がするし、魔王との戦いなんてお遊びのようなものじゃないか……。


「どうして、そこまでなさるのです?」


 ハンシイ姫は、この部屋を訪れた理由を大賢者たちに尋ねた。言葉というあまりに強大な敵との果の無き戦い。何故それに身を投じたのか? 何故今でも戦い続けるのか?


「そうですね……それが、俺たちが転生してきた意味だと思うからです」

「意味?」

「はい。オレたち転生者は、異邦人です。この世界のことを何も知らずに、この世界に放り出された。それ故に暴走し、多くの悲しみを生み出す結果にもなってしまった」

「ああいう事を二度と起こさないためには、この世界の理を学ぶしかありません。そのためには言葉を学ぶのです。これから先の時代、いつか魔王が復活したとき、転生者が召喚されることがあるでしょう。彼らが道を踏み外さないように、正しい海図が必要なのです。言葉の海を進むための海図が……」

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