第83話 ギョンボーレの都
ガズト村周辺での取材を終えたハンシイ姫は、ガズト山に登った。ギョンボーレの都を目指すためだ。
ギョンボーレの都は霧の結界に囲まれているため、地図には記されていない。北の大陸の大森林の奥深くに位置しているとされているが、陸路でそこまで到達することは不可能だ。その代わり、結界にはいくつかのゲートがあり、世界各地に繋がっている。そのうちのひとつがガズト山の頂上付近にあった。
実のところ、今は王都にも直通のゲートが作られ、そこを通って王女や摂政であるフランの元にオベロン王の使者がやってきたりもしている。しかし
「どうせならば、賢者の足跡を通って都に行きたく思います」
という王女のたっての希望で、今回のコースが取られた。
* * *
「王女殿下、摂政閣下、ようこそ我が都へ」
「お招き頂きありがとうございます。女王陛下」
ゲートの入り口まで出迎えに来てくれた都の主に、ハンシイ姫はうやうやしく頭を下げた。
実は王女は、つい半年前にこの都を公務で訪れている。ギョンボーレの新たな王の戴冠式のためだ。新女王フェント・オベロンは先代オベロン王の娘であり、大賢者伝説の最重要人物の一人でもあった。
見かけの年頃はハンシイ姫と対して変わらないが、現在56歳だという。人間の数倍の寿命を持つギョンボーレ族の中ではまだまだ子供なのだが、先代王は勇者・賢者戦争の戦後処理に区切りがついた所で、引退を表明。大賢者とも繋がりの深い彼女を、後継者に使命した。
近い将来、ハンシイ姫も人間の王となる。両族の若い女王の誕生は、人々に新たな時代の到来を予感させていた。
「本日は、賢者誕生のあらましをお聞きになりたい、とのことでしたね?」
「はい。陛下が、それに大きく関わっていることは伺っております」
「ふふ……それでは本日は、その呼び方はやめましょう」
フェント女王はそう言ってにこりと笑う。
「お互い、これからの生涯を『女王』や『陛下』と呼ばれ続ける身。公務でない本日くらいは名前で呼び合いませんか、ハンシイさん?」
「は、はい。それでしたら……フェント……さん」
「ふふふっ 私は自分お名前が好きなので、その呼ばれ方が一番嬉しいです。さぁ、ご案内しましょう。智の殿堂へ」
* * *
「これが……ギョンボーレの図書館?」
姫は壁一面が書架となった巨大なホールに圧倒されたようだ。フランも、対オクト軍の秘密会議のためにここを訪れた時は同じように、この空間を呆然と眺めていた。
フランは転生者だ。印刷技術の発達している21世紀の地球にはここよりも遥かに蔵書数の多い図書館があったことを知っている。けど、その事実を知っているからと言って、手書きで綴られた分厚い本が壁一面にびっしりと収められているこのホールの威容は少しも揺らがなかった。
「ここで賢者たちの学問は大きく発展しました。それまで言葉の習得のみを目的としていた彼らが、世界の理に迫る研究を始めたのです」
そう言いながら、フェント女王は一冊の本を取りだした。
「それは?」
「先代の王が著した、この世界の歴史書です。と言ってもただ過去の事件を並べたものではなく、神話学、魔石学、魔法学、哲学、科学、社会学、軍学、文学……あらゆる分野の学問に精通していなければ読み解け無い、非常に難しい本です」
「もしかして、その本を賢者たちは……」
「はい。言葉を学ぶのと同時進行で、ここに収蔵されているあらゆる本を参考に、少しずつ、少しずつ、この本を読み解いていきました」
フェント女王はハンシイ姫に歴史書を手渡した。それを受け取った姫はページをめくりながら、底に書かれている文字に目を落とす。
「これは……」
姫が顔をしかめたので、フランも横からページを覗き込んだ。フランは、彼らの作った辞書の投影を受けているので、単語を拾うことは出来る。しかし、それをつないで意味を見出すことは難しかった。
「これを、殆ど言葉の知らない彼らが、読み解いたというのですか? ……すごい」
「私は横で彼らをサポートしていたから、よく知っています。彼らにとっては、想像を絶する難事業だったでしょう。半年の間、殆どここに籠もりきりで、寝食も忘れ、時には激しい衝突も繰り返し、この本と向き合ったのです」
「彼らはどうしてそこまで出来たのでしょうか……?」
「それについては……そうですね。実際にお会いになってお尋ねになったらいかがでしょう?」
「え?」
「大賢者ゲンと大賢者リョウ、珍しく二人ともここに揃っています。本人に尋ねるのが一番ですよ」
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