おうちゃく者

ウワノソラ。

おうちゃくな妻

 私の家の優秀な冷蔵庫の力をもってしても、暑さは食材を次々と駄目にする。ついこの前に買った「カットねぎ」の賞味期限が一日だけ切れていた。まぁこんなことは日常茶飯事で、賞味期限どうこうよりも実際に食べれるのかどうか、お腹を壊しそうだったり極端に異臭が漂ったりしていないか、というのが私の最終的な判断基準だった。


 ちなみに私は香川出身である。気がつけばうどんを食べると落ち着くような人間になっていた。あと、うどんには何よりねぎがないと始まらないと思っている節があった。




 この前の週末も昼にうどんだった。連日のじめじめした気候もあって、さっぱりした冷たいうどんが食べたくなったので「梅わかめぶっかけ」をした。梅わかめぶっかけを一応説明すると、氷水でしめたうどんの上に梅干とワカメと大根下ろしを添え、濃いめの出汁をかけるだけで完成する簡単なうどんのことだ。


 さぁ、最後の仕上げにねぎをかけよう。意気込んで野菜室を手前に引くと賞味期限が一日過ぎたカットねぎが目に入る。別に一日過ぎたくらいでは私の心は全く痛まない。そもそもカットねぎなんてものは元々異様に賞味期限が短く、買って二、三日程で期限切れとなるし、期限が切れたからと言って特別色が変わることもない。数日切れている程度ならほとんど問題ないくらいだった。


 ところがこの日は、勝手が違っていた。


 ねぎを指でつまんだ瞬間、変な粘り気が指にまとわりついてほろほろと潰れてしまった。当て外れの感触に違和感を覚えつつねぎを見つめると、パックのねぎ全体が湿気を帯びてやや小さくしおれている。これはもしかして……と、臭いを確かめると本来のねぎの香りに混じってが鼻を刺した。


 ねぎがないと始まらないのにこんな腐ったねぎしかないだなんて! と心でぼやきながら、このねぎをなんとかして使う方法を考えていた。汚い足掻きをしているのはわかっているが、期限だって一日しか過ぎてないのだからどうにかすれば食べられるかもしれないと、一縷いちるの望みを捨て切れずにいた。


 ねぎを凝視しているうちに「魚やこんにゃくの下処理同様のやり方をねぎに試せやしないだろうか」という苦肉の策が頭に浮かんできた。全体的にあるぬめりを水で洗って熱湯でもかければ、臭いもどうにか収まるかもしれない。今日はぶっかけだから出汁も濃いめだし、味も多少は誤魔化しが効きそうな気もする……。


 あれこれ考えた末に、何食わぬ顔でねぎを水や熱湯で処理し、うどんを完成させた。




 ダイニングから声を張って夫にご飯が出来たことを知らせると、奥の部屋から気の抜けた返事がある。私は二つの梅わかめぶっかけ、お箸と飲み物とをそれぞれのテーブルに置く。夫が出てきて着席したので一緒に揃っていただきますをした。


 早速となりでうどんを音を立てて啜っている彼を、ニヤケ顔で眺めていた。


「ねぇ、うどんどう?」


「ん? 美味しいけど」


「ねぇ、気がつかない?」


 やや考え込む夫に「ヤバい食材入れちゃったのっ。何かわかる?」とキャッキャして問うてみる。ちら、とこちらに視線がむくも無言のまま、うどんや具材を少量ずつ口に含んでみては不思議そうな惚け顔をして、ゆっくり咀嚼そしゃくしていた。


「……もしかして、ねぎ?」


「大正解!」夫の正解を破顔一笑で称えるもすぐに、やや申し訳なさそうにして「ごめんね」を添えた。


「まぁ、食べれんこともないよ」


 夫はいつもの調子でうどんをするする胃に流し込んでいく。


 何食わぬ顔で文句も言わず食べている彼を見ていると、安堵とじわりとした喜びを体に感じていた。一種の賭けのようになってしまったが、腐りかけのねぎに対する一手間は無駄にならなかったという、ささやかな達成感に顔がほころんだ。




 ひとしきり安心した私は先に毒味をさせたうどんを口に放り込んでみる。萎びたねぎもろとも口に入れ、舌先でころがした……が、反射的に眉をひそめる。ほころんでいた筈の顔がみるみる強張っていった。


 堂々とは美味しいと言い切れない(可もなく、不可もない)代物に困惑していた。こうもうどんを台無しにしているのは言わずもがな、あのねぎだ。味や風味がほとんど消えていたので下処理には成功しているといえるが、ねぎとは別ものの頼りないに対して違和感が頭にへばりついていた。


「ごめんね、このねぎ不味いわ。変な味やね」


 苦笑してみせると、「まぁ最近暑いもんな。ねぎもそりゃ腐るわな」と夫はねぎの気持ち淡々と述べ、涼しい顔でうどんの続きをまた啜った。


 夫の潔さや諦めのよさに、目がさっぱり醒めるような気持ちになる。自らが作った物は不味かろうがせめて責任を持って食べようと、私もうどんを啜り始める。


 暑い時期の食品の管理は気を引き締めないといけないなと肝に銘じることになった、ある梅雨の日の出来事だった。

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