三十一日目 カブトムシ&……
「おい……、わたしのことはいい。貴様だけで逃げろ」
「そんなこと……! 言うもんじゃないよ、っ!」
改めてお姫さま抱っこをされたミヤマクワガタは、申し訳なさそうに忠告する。だけど全身傷だらけの女の子を放ってはおけない。この際、元が虫であることは忘れよう。キレイな金髪はところどころに木の枝が刺さっていた。
「しかしっ……!」
悔しそうに唇を噛み締めている。ハン! 俺だって男だ。騎士になりたくて、一生懸命生きてるんだよ! キモイを通り越して情が湧いたとも言うけどな。軽くて助かったよ。女子ひとり担いで全力疾走なんてできやしない。
だからそんな顔するな。どこか安全な場所で下ろしてやる。と思っていたら、ミヤマちゃんがぎゅっと俺を抱き締めてきた。
「えっ!? なに!? ツンデレのデレ展開ですか!?」
残念ながら良い匂いはしなかったが、俺の筋張ったカラダには柔らかい感触が珍しかった。耳元で、意外と可愛らしくささやく。
「ありがとう。悪いが、そのカラダ、わたしにも吸わせてほしい」
「――えっ?」
疑問の声を上げる前に、俺のおでこにはミヤマクワガタの瑞々しい唇が寄越される。あああ、そんな! 汗たくさん掻いてるのにっ!
この一瞬の出来事ののち、また眉を吊り上げて普段通りの彼女に戻る。
「べ、別に貴様のために人間になるわけではないからな!? ……逃げきれ、幹也」
「はえ? あ、ちょっと――!」
蝿じゃなくてクワガタだった。そういえば初めて俺の名を呼んでくれたような気がする。満身創痍なのに飛び立って、後方に向かっていった。あちらはスズメバチが追いかけてくる方向だ。
俺が止めるのも聞かずに高速で突っ込んでいく。まったく、意気込みだけは素晴らしい。くそ、やっぱり俺は守られてばかりじゃないか。
「――っ! お前ら! 後で迎えに行く! それまでやられるんじゃねぇぞ!!」
雑木林で謎の雄叫びを上げているヤツがいたら、それは俺です。でも通報しないでください。人には人それぞれの都合があるんです。深くは詮索しないでいただけると助かりますが。
虫の姫ならぬ、虫の王に、俺はなる! ドン!
おっと、要らぬことを口走りそうになってしまった。その血迷った決意は、俺の心の奥底でそっと閉まっておくことにしよう。
「よし!」
ひとつ気合を入れ直して、行く当てもないが走り出した。目印になるようなものはない。うぅむ、どうしたものか。この林は、虫どもの方が良く分かっている。誰かに道案内をさせるか。いやしかし、これ以上変な虫に取り憑かれるのも嫌だった。
「先程の決意はどこへやら、ってか」
拍子抜けしたと言わないでほしい。だってまだ虫は苦手な部類だし、好きになれそうもないから。
そう言えばここはそんなに広くないだろうから、直進で突っ切っていけばどこかに出られるかもしれなかった。そこが望んでいない場所である可能性もあったが、林の中でぐるぐる迷うよりマシだ。
軽く走り出し、ぼうぼうに伸びた草を薙ぎ倒しながら道を開く。一度家に帰ってシャワーでも浴びたい気分だ。走り過ぎたので足がガクガクで、早いところ冷却スプレーも吹き付けたい。
「ヒッ、……オイオイオイ、死ぬわアイツ」
じゃなかった、死ぬわ俺。どうしてこうも俺の行く先々は虫で埋め尽くされるんだ? 図ったのかそうじゃないのか、それともハチの方が頭が良かったのか。出口付近ではスズメバチが外との境界を分けるように飛び交っている。
あんなに居たのか。これではさすがの俺でも突破できない。絶望を感じていたのも束の間、スズメバチが俺に気付いてこちらに向かってきた!
「ヤバいヤバいヤバい!」
やっぱり来た道をUターンだ。なぜ俺は好きこのんでこの雑木林に居続けなきゃいけないんだよ!
しかし少し走れば、恵みの場所が現れる。女神様が住んでいるか分からないが、その水の塊に落ちる他、ヤツらを避ける方法は見つからなかった。
池だ! ドプンと勢いよく突っ込み、カラダも冷やすことができた。一石二鳥だ。服も靴もカバンも、びしょ濡れになるのが玉に瑕だけど。
「いっ、つう!!」
もがもがと水の中で、痛みの声を上げたつもりだった。なんてことだ。俺の可愛いヒラメ筋が激痛で動かない。いままで経験したことのない痛みにのた打ち回って、カナヅチの俺はさらに沈んでいく一方。
泥も巻き上げられて視界も奪われていく。太陽の光って思っていたより大事だったことに気付けた。しかしここで死んでしまってはこの感動を後世に伝えられない。
「ガバッ! グブ……!」
だけど足は動かない。しかももがき苦しんでいるので空気の減りも早かった。どうしよう、本当に俺、ここで終わりなのかな……?
そのときだ。水面から木の実のようなものが超特急で俺に向かってきていた。いや、大きく開いた背中の翅。立派な一本角。甲冑のような黒光りしたそれはまさしく――!
「ガブゴゴゴ!」
ごめん、水中で言う言葉じゃなかった。カブトムシだ。あいつ泳げるのか!? それとも無理して俺の元にまで来てくれたんだろうか。俺に触れて人の姿を取った彼女は、悲しむようにか決意したようにか、眉はハの字に下がっていた。
その頬には、いっぱいの空気が溜まっている。
「っ!?」
冷たい水の中、温かく濡れた唇を感じたのは、永遠の時間のように思える。カブトムシの口中から外気を受け取り、俺は驚きで痛みを若干忘れかけた。
次いで一号は、俺を池から引っ張り上げてくれる。地上ではスズメバチの大群と、カラダを吸わせた虫たちが戦っていた。
「ぷはっ! 幹也クン!? 幹也クン!!」
遠くで、一号の声がする。そのまたさらに遠くで二号と三号。ムネアカオオアリは四号って言われてたっけ。ならアブラゼミは五号かな。その前にスズメバチか? だったら彼女は……、しかたない。六号で。
池から上半身が出たことで安心してしまったのか、それとも痛みで意識を保つことができなかったのか、俺の記憶はそこでぷっつり途絶えてしまっている。
いや待って……? もっと遠くで、誰か――、誰かが俺を、呼んでいる。
「うっ……」
「黒木くん!? 黒木くん、分かる? 私、羽田!」
羽田、さん? あれ、どうしてここに? ……そうだ、俺スズメバチに襲われて、それで池に落ちて――!
「羽田さん、危ない! スズメバチがいるから早く逃げないと!」
しかしその忠告にはきょとん、とされてしまった。それから、彼女は柔らかく笑う。
「あぁ、大丈夫よ。そのスズメバチなら、私が追い払ったから。ここ、分かる? 病院だよ」
「え、病院……?」
言われて周りを見渡すと、不機嫌そうな顔をしたおじさん患者たちがこちらを睨んでいた。あ、どうも、ごめんなさい。大声出したからですよね? でも病院って気付かなかったんですよ。
いやしかし、どうして急に病院に……?
「え、っと、その、ごめん。俺ちょっと、分かんなくて……」
「やっぱりそうなんだ。気絶してたもんね。黒木くんとの待ち合わせ途中で、誰かは分からないんだけど、可愛いけどびしょ濡れの女の子が私を呼びに来てね。黒木くんが危ないって言われたのよ」
びしょ濡れの、美少女? それってもしかして、一緒に池に落ちてくれた、カブトムシか? あのときちゃっかり吸ってたんだな。断りもなしに吸うなんて、お国が違えば裁判ものだぞ! しかしその相手は昆虫だから勝てるかどうかは分からないが……。
ちゃんと助けを呼んでくれたのであれば評価はしよう。
「突然言われて驚いたけど、黒木くんを見て、もっとびっくりしちゃったわ。スズメバチは飛んでるし、他の昆虫もたくさん飛んでるし」
「あ、あー、そう、なんだ」
それならもしかして、羽田さんも昆虫人間を見てしまったのだろうか? ……昆虫人間ってなんかキモイな。いままで通り昆虫娘って呼ぼう。
俺がどうでもいいことを思っていたが、羽田さんは特に何を気にするでもなく話を進めていた。
「使いすぎ症候群だって。走るのも大事だけど、しっかり休んでね」
「えっ!? ウソだろぉ……」
なんだよぉ。俺そんな使ってた!? 思えば朝早くからストレッチもせずに走り回りっぱなしだった。そりゃあ炎症くらい起こすか。
確かに足を見れば、ギプスみたいなものが巻かれている。
「黒木くん気絶してたから、大事を取ってベッドに運んだけど、意識が戻れば自宅療養でいいってさ」
なんとも優しい。涙が出そうだ。そうだ羽田さんと言えば、俺借りてた本が――、
「あっ」
「どうしたの?」
「いや、その、……ごめん! 俺、借りてたやつ、濡らしちゃったかも……」
池に、カバンごとダイブしてしまったことを思い出した。そうであれば濡らしたというレベルでもない。何とかして弁償しよう。
「あー、うん。見たよ……。まぁ、しょうがないね。本なんかは新しく買えばいいし、大丈夫よ」
「ご、ごめん……。でも俺もちょっと興味出てきてさ! 今度、一緒に見に行こうよ!」
それは本心だ。色々読み進めている間に俺のご先祖様にも興味出てきたし、続きの話も気になる。
「ほんとに? 嬉しいなぁ」
「おう! それで、一巻だけじゃなくて、二巻も一緒に買おう!」
「二巻……? あぁ、それね!」
しかしその提案だけは、なぜか面白そうに笑われた。嬉しそうならそれでいいんだけど、どうしたと言うのだ。
「実はね、このお話には二巻はないのよ」
「へ? でも、二の巻にあるって……」
「続くって書いてあるけど、ご想像はお任せします、って感じで。もしかしたら続きを書く予定だったのかもしれないけど、私は書かなくていいと思ってる」
どういうこと? 続きがないなんて、もうこれ以上読みたくないってことだろうか。しかしそれは気持ちよく否定されることになる。
「続きは、自分で想像するの。その方が楽しいじゃない? それに、私と黒木くんが生きてるってことは、まだ物語は、終わらないってことなんだよ?」
君こそ、虫の姫にふさわしい。美しく咲き、楽しく生きている。自分の好きなものを高らかに叫び、認めてもらう時代に来ているんだ。
「あ、そう言えば」
と、羽田さんは話を戻し、頭の隅に引っかかっていたことを話してくれた。
「あのときの女の子、気付いたらどこかに行っちゃったのよね。いつの間にかカブトムシは私にくっついてたんだけど……」
そのときのカブトムシが、俺の枕近くのテーブルに置かれているヤツらしい。丁寧に作られたペットボトルの虫かごに入れられて、カサカサ動いている。そんなもの俺の目の届くところに置かないでよ!
というか、何で勝手に連れてきちゃうかなぁ!? この昆虫バカめ!
だがこいつは人間になってはいないようだった。別の個体? それとも昆虫に戻った、ということだろうか?
「他の、女の子や女の人は見てない、よね?」
「ん? 見てないよ? どうしたの?」
「あぁいや! 見てないならいいんだ! 忘れて!」
やっぱり、俺の予想が正しければ、まだ一度吸っただけでは完全には人間にはなることはできないのだろう。時間が経つと昆虫に戻ってしまうと考えた。
なんだ、心配して損したな。しかし他のヤツらはどこへ行ってしまったんだろうか。あの雑木林に帰ったのか。迎えに行くとか言ったけど、その方がいいのかもしれない。虫は虫にしかできない暮らしがあるはずだ。
カブトムシだけは未練がましく、俺の側にまだいるようだけど。けれど覚えておけ。俺はお前とは結ばれるつもりはない、一号よ。
「お前、俺がいなくても、ヘラクレスと結ばれて元気なタマゴでも産んでおきなさい」
「え? その子、オスだから、タマゴ産まないよ?」
……ん? いま、なんて?
俺が不思議そうな顔をしていると、羽田さんは見兼ねて説明してくれる。
「確かに雌雄モザイクって言って、メスでも角がある個体が居るには居るけど、それってとっても珍しいの。だから、たぶんその子は……」
はい? だったら何ですか? 俺の初キスの相手は、昆虫で、なおかつ……男ぉ!?
「ヒィィ!」
いやいや、ナシだ。ノーカンだ! 唇を押さえて青ざめようとした途中で、その腕が虫かごに当たって中の昆虫が飛び出してくる。
「幹也クン! 大好きだよ! ボク心配してたんだけど、無事でよかったぁ!」
「あっ、あのときの――!?」
待て、待て待て? 羽田さんも見えてる? カラダの蜜を吸わせなくても、引っ付くだけで見えてるのか!? というかしれっと好きとか言うな! あと一号の一人称初めて聞いたけど、ボクっ子なのね。いや男の娘ならそれは合っているのか? だったらつるぺたも納得できる。紛らわしいカッコウすな!
「やっほー。呼ばれたから来てみたけど、元気そうじゃん」
「あ、お姉さん!」
姉貴!? タイミング考えてくれ! 羽田さんは意外と順応性高くて、一号に一瞬驚いたけれども姉にぺこりと一礼している。
「無事に助けられたのね。逃げたのかと思ったけど、一号は戻ってきたの?」
「え? もしかして、姉ちゃんが虫を寄こしたの……?」
姉は、さも普通のことだと言わんばかりに、顔色一切を変えることはない。虫ギライな俺に悪びれもせずに言い放った。
「ムネアカオオアリが呼びに来たからね。虫の報せってやつよ」
これぞホントの、って言ってる場合か! 女性三人……、いや女性二人とオス一匹に囲まれて、俺の頭が正常判断をできなくなっている。
駄目だ、混乱してきた! 俺、これからどうしたらいいの!?
「いやぁぁぁぁぁ!!!」
再び虫に囲まれた未来のことを考えるだけで鳥肌が立つ。とにかくカブトムシは俺から離れろ! その後で羽田さんに説明して……!
えーと、まずは退院するのが先!? ウルサそうな顔をしている姉にも謝らないと! ああ、もう! わっかんないよ! 俺のドタバタ人生、これからまだまだ続きそうだ。
だったらたぶんその先は、『二の巻にあるべし。』ってところかな。
夏休み昆虫『娘』日記 ~俺のカラダは蜜の味!?~
オワリ♡
夏休み昆虫『娘』日記 ~俺のカラダは蜜の味!?~ 猫島 肇 @NekojimaHajimu
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