エピローグ

◇戦いより、一週間後◇


 寒い朝。

 街は灰色の卒塔婆が林立する墓場となり、誰の息づかいも聞こえてこない。暮らしはなく、灯りもなく。ただ空の空虚と廃屋だけがそこにあった。あまりにも広大な。それこそが、あの戦いの結果。どこか遠くで鳴っているサイレンの音が、残響の如く聞こえ、その合間を縫って、薄い煙が立ち上っている。

 灯里は、誰も使っていない商用ビルの屋上に1人居た。給水塔も室外機も動きを止めていて、単なるオブジェクトに終始している。

 柵に腕をかけて、光景を見る。それから、スーツの上から重ねているフライトジャケットの襟を立てて、口にくわえた煙草を放した。

 すぱーっ。煙を通して見た廃墟の群れは、まるで過去のカタログのように色あせて見えた。実際そうなのだろう。ここは、あまりにも多くの命が通り過ぎた、その跡地なのだから。

 下を見ると、『組織』の職員が道をせわしなく行き来していた。

『戦後処理』は、こうして数週間が過ぎ去った後も続いている。大変だな、と、どこか他人事のようにそれを見下ろす。


「なあ。ジオフロントはどうなるんだろうな」


「機能しない。本部にまるごと移管することになってる。死臭だってひどい……こびりついて取れやしないから、まるごと埋め立てるらしい」


「そうか。俺の姪っ子も死んだんだ。髪の毛一本さえ残っちゃいなかった……」


「……この街は政府の預かりになるらしい。廃墟の街なんて囲って、どうしたいんだか」


「……もう、俺達には関係ないさ。全部、終わったんだ」


「ああ……そうだな……」


 諦観の漂う会話は、まるで遙か昔に行われたことに対する語りのようだった。あまりにも絶対的な、凄絶な何かが通り過ぎた後、人は、必ずそうなるのだ――灯里はこの数週間で、それを悟った。

 ふと。彼らは足を止めた。それから、上を見た。自分と、目が合う。

 彼らは、自分を睨みつける。

 小さな呟き。


「亡霊め……」


 彼らは、去っていく。

 灯里は、反応しなかった。


 足下が、たわんだ。

 地面が揺れたのだ。

 街を見回す。至る所から悲鳴が聞こえてきて、視界のふもとでは、先ほどの連中含めて、大勢パニックになりながら逃げていく。

 灯里は灰色を見た。

 街の奥、地平線ほども遠い場所で、黒い煙が上がっている。

 そこから、遠く、遠く、ひとつの咆哮が聞こえる。

 灯里はただ黙り込んで、それを見つめている。

 彼女の目元には、漆黒の影が侵食していた。


◇数日前、戦いより2日後◇


 

 


 人々は日常を送っていた。街を行き、自らの営みを自明のものとしながら、それが永劫続くと思いながら。肌寒い昼下がりであった。

 一人のスーツ姿の男が、ロータリーの椅子に置いていた缶コーヒーがこぼれ落ちたのを見た。

 同時に、それが振動し――徐々に拡大しているのを、見た。周囲にざわつきが広がって、不安が伝染して。彼らは一斉に顔を上げる。

 それと、ほぼ同じタイミングで、街に巨大な激震が走り、人々は悲鳴を上げた。地震か何かと思った。

 這いつくばった彼らは顔を上げる。

 唖然とする。ビルが、炎上している。煙を上げている。なにか巨大な影が、自分たちの領域全てを覆い尽くしており。

 彼らは――見た。巨大な怪物の姿を。

 街に侵攻した、その姿を。

 ――彼らはパニックになり、原始的な恐怖を引き起こされ、その本能の命じるまま、まるで虫のごとく駆け巡った。互いを押し合い、蹴り飛ばし、先へ先へ。

車は雪崩れるように停止し、クラクションを連続して鳴らす。流れていく人々。その波に呑まれながらも、彼等のうち一人がカメラを構えて、ゆれる画面の中、その巨躯を捉える。

黒い山のような怪物が、こちらに近付いてくる。一歩ずつ、一歩ずつ。

 無力な流浪たちの流れの中で、怪物は彼等を見た――その濁った目が、笑みに歪んだ。口がガバっと開いて、その奥から光が漏れて。

 炎の奔流が、前面に放たれた。


 

 

 


 一瞬の破壊だったが、そのディテールは、街に対し、残酷なまでに刻印される。

 噴き付けられる炎の濁流がアスファルトをめくりあげ、その上で暴れ狂っていた人々をまとめて上へふきとばす。同時に車が、ストラクチャーがまとめて噴き上がり、もろとも

焼き尽くされていく。窓ガラスが割れ、木々がしなりながらなぎ倒されていき、転倒した者たちは熱さを感じる暇もなく消滅する。

 怪物――マガツは、街を焼き払っていく。

 つい数分まで、誰も想像などしていなかった虚構の存在が、どこか飴色にさえ見える、狂った色彩の赤で世界を染めていく。放射は止まることなく、緩慢な歩みは舞いのように。


 

 

 

 


 炎の中を、怪物が歩いていく。

 ……彼は足先に、小さな命の気配を2つ見つけた。

 琥珀の瞳で見下ろす。

 街角。ビルディングのふもとに、震える二人の子供が居た。きっと逃げ遅れたのだろう。

 ――小さな女の子と、それを抱きしめながら、必死の形相でこちらをにらみつける男の子。

 あまりにも無謀な行為。おろかで、向こう見ずで、それは世界を相手にすることで――。

 ……間もなくマガツは、そこにも炎をふきかけて、小さな命を、一瞬にも満たない刹那で、消し飛ばした。

 彼は咆哮し――侵攻を、続ける。

 世界が終わる、その時まで。



 黒い影に取り巻かれながら、灯里は終わる世界を見つめている。燃え続け、その赤が広がっていく……絵画のように。

 影はやがて、そっと後ろから寄り添うように、一つの形になった。


「逃げなくていいの」


 後ろから声がした。彼女にとってはなつかしい、いつだって聞きたかった声。


「良いのよ。だって私は、観測者だから。彼に魅入られた以上、この役割からは逃げられない」


「そう。巻き込んで死んだって、知らないよ」


 大学生くらいだろうか。影は、若い少女の姿。呆れたような笑いを浮かべ、灯里を見ていた。


「平気よ。だって私には……あなたが居るもの」


 すると影は、少女の影は――更に強く寄り添って、言った。


「ありがとう……姉さん」


 どろどろの、不定形の黒色が、灯里を後ろから覆っている。


◇ 三崎の告白 ◇


 あの戦いの後、皆がどうなったか。改めて確認しよう。


 携わった『組織』の現地職員、その多くは辞職、ないしは精神を病み、自殺していった。

 前者ならまだいい。後者の者たちにはある共通項があった。それは、死ぬ前に不可解な幻影を見たらしいということで――その後の彼らの死に顔は、それに怯えきった恐怖に染まっていたということだ。結局、真相は分からない。語るすべを持つ者は――もう知人に居ない。どの道もう、組織の現地施設は役に立たない。残っているのは、私が見たような敗戦処理のメンバーだけ。

 『決戦』の際前線の指揮を取った船山さんは、とうに自衛隊をやめて、今は東北に戻って一人暮らしをしているらしい。もう戦乱には関わりたくないのだろう。あまりにも多くのものを見すぎたから。

だけど、そこにもやがて、滅びがやってくる。それでも良いのだろう。どの道先は長くない。彼はきっと、滅びを受け入れる境地に立ってしまったのだ。

 では、彼の元部下である川越一佐はというと。しばらくして行方をくらませて、完全に消息が不明になった。射殺された、という説もある。きっとそれは、正しい推察だ。

彼はあまりにも煮えきらなくって、きっと自殺する勇気もなかったのだろう。それでも彼は、姿を消す少し前に、私に会ってくれた。そして、私に煙草を預けた。

随分と老け込んだように見えた。それが大人になるということなのだろうか。彼は、自らが望んだ場所に行けたのだろうか。私は少なくとも――そう信じたい。


 そして、ヴィンセントは……。

 足元を、街を見る。

 灰色の風景の只中、ひび割れた街路、路地。その狭間を。ひきつれたうめき声を上げながらさまよう、どろどろの血が凝固して出来たような、ヒトガタの怪物が彷徨っている。

奴が現れて、破壊を広げるたび、呼応するかのように大地から滲み出て、何をするでもなく、ただただ、不気味さを振りまきながら彷徨するオブジェクト。

それらは皆――ヴィンセント・バスカヴィルの顔をしていた。マガツに取り込まれ、絶命する前の、目を見開き、恐怖と屈辱に染まったあの表情。そこから声が漏れ続けている。

 彼は――ああなった。己の最も忌み嫌う末路をたどって、今もなお、死にきれずに居る。それが、観測者の最期だというのだろう。だけど残念、本当の観測者は私。

少なくとも――私はそう思っている。


 では……あの、巫女たちは?

 答えは簡単。彼らは、彼女たちは死なない。ヴィンセントが射殺したという老人も無事。私は何度も、その幻影を見たことがある。こちらを向いて、頷いた。己が役割を果たせと、

そう静かに訴えてきた。私はその要請には、答えるつもりだ。



 不意に、近くからけたたましい着信音が鳴り響いた。

 見ると、すぐ後ろに、一人の男が立っている。

 ――太った、眼鏡の男。あの時、ヘリに乗っていたテレビディレクター。すぐに分かった。彼は古めかしい固定電話を持っていて、にやにやしながら受話器を渡してくる。灯里は、さして疑問を持つことなく、受け取った。すぐに声が流れ込んできた。


『貴様らは、やりすぎた』


 怒りに満ちた、老人の声。

 誰であるかは明らかだった。

 ……灯里は、ふっと笑った。光景が、ありありと目に浮かんだからだ。


『なんてことをしてくれたのだ。我らの計画が無茶苦茶だ。このままでは……世界が滅ぶぞ』


 静寂に満ちていた漆黒の空間。睥睨するだけだった緑のグリッドで描かれた巨大なマッピングは乱れ、狂乱のアラートを発し、異常を伝える。

 それは、本来あり得ない領域にまで、『奴』が侵攻していることを表していた。そのまま進撃が続けば……彼らの居場所にまで、奴がやってくることは明白だった。

 そうなれば『彼ら』はもはや、事態を掌握しきれなくなるのだ。そうなれば、川越を笑えなくなる。老人たちは狼狽え、今もなお右往左往している。

 そのみっともない声を聞きながら、かろうじて自制を保っている彼らのうち一人が、怒りを灯里にぶつける。


 だが彼女は、その憤りを、嘲笑で受け流す。


「分かっていたはず。力を求めれば、終わりがなくなる……終わらないマラソンでしょう」


 受話器の向こうで、老人は躍起になった。


『構うものか。求めた先に何があるのかは、我らが定める。この世界は、我々人間のものだ』


「果たして、そうかしら」


『そうとも。見ていろ、怪物共。我々はすぐさま国に働きかけ、最終防衛ラインを設置。そして、得たデータを利用し……あの怪物を倒すための、最強の兵器を創り出してみせる。そうなったときが、貴様の、貴様らの最期だ』


 愚かしかった。どこまでも、どこまでも。

 事態が、とっくに人間という種の領域を超えているにもかかわらず、その優位を信じ、既存の価値観に縋り付いている。

 そうだ――彼らは実際に見たことがないのだから、当然だ。

 あの威容を見れば、きっと一瞬で、何もかもが変わる。塗り替えられるというのに。なんと、勿体ないのだろう。

 ああ……どこまでも、矮小だ。


「やってみせなさいよ。増殖し続ける、生きようとする意思に、勝てると思うのなら」


 向こう側で、まだなにか言いたげな声が聞こえたが、灯里は強引に打ち切った。

 振り向いて、受話器を男に返す。


「ありがとう」


「いえいえ。わたしも観測者ですからねえ」


 男は下品な笑みを浮かべたが……その背後に、粘性の黒色が纏わりついているのを見逃さなかった。

 ――そこで、聞いてみる。いつの間にか、電話は姿を消している。


「聞きたいんだけど。あなた、あの時ヘリ飛ばして、こちらの作戦を邪魔したよね。あれも、仕込みだったわけ?」


 すると彼は、なんでもないことのように返す。


「ええ、そうですよ。最初に死んだときから、ずっと……魅入られてましてね」


 納得がいく。


「あなたも……こちらがわだったわけ」


 彼は笑って、頷いた。

 身体を黒いねばりけが包んで、少しずつ、床に染みて、溶けて、消えていく。


「互いに仲良くやりましょうや、黒い兄弟。――じゃ、邪魔して悪かったですね」


 そうして彼は、黒い澱の中に、消えていった。


 遠くから聞こえる滅びの音色。

 ただ、観測している。空の色は暁から漆黒を行き来し、目まぐるしく様相を変えていく。

 少し、寒かった。彼女は、自分の肩を抱きしめた。

 ――頭上を、轟音を上げて戦闘機が飛んでいき、破壊の街に向かった。

 だがそれらは、見えなくなってすぐに、あの巨大な影に撃ち落とされていった。その時、紅蓮の光条が何度も空を引き裂いた。

爆発。炎。何度目か分からない光景。


「あの子は、戦っている。自分のために。妹のために」


 遠くにいる、怪物。

 それを見つめながら、灯里は言った。背中に居る、かけがえのない存在に。

 振り向かなくても、そこにいることが分かる。それだけで十分だった。


「……」


「だけど、分からない」


 声が――ふいに、震えだす。

 彼女の内側から湧き出る衝動。抑えきれず、たった今、止まらなくなる。

 遠雷のような炎の中で、命が、失われていく。名も知らぬ、無数の命が。

 そこにはきっと、何十、何百もの、姉と妹が居るはずで――それはきっと、かつての自分であれば、絶対に見過ごせなかったはずで……。

 止まらなくなる。急に、何もかもが恐ろしく思えてくる。


「私は本当に、これで良かったのかな。あなたのことを思っていることが、本当にあなたのためになるか。私は何度も怖くって、それで……」


 よろめく。

 彼女は前に進んだ。前に、前に、そして、柵から飛び出しそうになる。

 そうだ、自分は忘れていたことがある。私が本当にやるべきことは――。


「――ダメっ」


 その時。

 後ろから、妹が、灯里を抱きしめた。

 歩みが止まる。その存在が押し付けられて、膝をついた。


「そんなことない。そんなことないよ」


 何も変わらない、なつかしい声。ずっと昔から聞いていた。

 冷めていく。内側から、冷やされていく……。


「だって、姉さんは姉さんだもの。それが揺るがない限り、関係だって揺るがない。嫌うならとっくに嫌ってる。私を思う姉さんが居たから私が居る。だから、何も間違ってない。姉さんは――正しいことをしてる」


 黒い触手が、彼女の背中から前に回り込んで、その顔を、身体を侵食し始めても、気付かない。

 彼女には、妹のあたたかみしか、感じる事ができない。

 その声が、なかに入ってきて、先程までの思考を、痺れとともに氷漬けにして、忘却に追いやっていく。

 もう、妹の声しか、聞こえない。その内容しか、分からない。


「だからもう……受け入れてあげよう、自分を……赦してあげよう?」


「……っ!」


 彼女たちの後ろで、大きな爆発が起きた。

 破壊が、すぐそばまで来ていた。

 今、一つの街が終わる。

 ゆっくりと、一つの影が起き上がる。

 灯里は、涙を流していた。

 そうして思い出して、忘れた。自分にとって大事なこと。大事でないこと。一瞬、勘違いしていた。自分のすべきことを。

 黒いどろどろは暖かくて、心地よく、彼女にとっての刻を永劫にした。だからもう、何も怖くなかった。安心がやってくる。


「ありがとう……ごめんね」


 灯里は振り返り、妹を――そのカタチをした黒い影を抱きしめる。


「いいの。こちらこそ、ありがとう。私を、生かしてくれて」


 二人は共に泣きながら、抱きしめあった。

 背後で、世界が燃えていた。

 その中心に立ち上がるのは、マガツ。

 今、彼は天を仰ぎながら、摂理に向けて己の存在を証明するがごとく、どこまでも、大きく、高く、咆哮する――。



 折れた腕が無数に散らばって、その指先を空に向けている。何かを求めるかのように。

 だが空は赤い色をどこまでも広げるだけで、何も返さない。ただ、その光景が、撹拌されているに過ぎない。

 世界は黄昏れていた。誰も声を発していなかった。怒りも、悲しみも。


 その中で、長い長い影法師が、道を歩いていた。

 傷だらけの青年である。背中に、少女を背負っていた。


「……重いな」


「ちょっと、女の子にそれは失礼だよ、おにい」


「ごめんごめん。だけど、いいんだ。それだけ、お前の存在を感じられる。それは、俺にとっては素晴らしいことなんだ。お前も、そう思うだろ」


 答えない。

 背中の少女には、顔がなかった。黒い空洞が覆っているだけだった。


「……これからも背負い続けるよ。お前がいれば俺はこの世界がどうなってもいいし、お前のためなら、何だって出来る」


「うん。うん。それがいいよ、おにい。それが、白羽の幸せ」


「ありがとう。俺たちは、幸せだ」


 白い小さな鳥が、ふと目の前に降りてきて、影を遮った。

 赤い目が、青年をじっと見つめる。

 

 彼は、鳥を睨みつけた。

 黒い影が実体となって鳥に伸び、その身体を貫いた。

 それがぐったりと倒れると同時に、白い羽根が舞った。


 彼は歩き続けた。影は、長くなり続ける。その歩みを遅くするかのように。


「疲れたな……なんだか、ひどく……」


「ずっと頑張って、きたもんね」


 静寂。

 彼は、立ち止まった。

 それから、何かを思うように、空を見上げた。

 口が開いて、不思議な表情を作った。笑っているようにも、泣いているようにも見えた。


「ちょっと、休憩しようか……」


 その言葉を言い終わる前に、彼は倒れた。

 そこには一人の青年しか居なかった。赤い世界で、ただ一人だけ。


 しばらくして。

 白い羽根の鳥は、身体から血を流して起き上がった。

 彼は足元にまで黒い泥のようなものが迫っているのを見ると、傷ついた翼を広げて、その場所を飛び去った。



 終わりの世界に、白い羽根が舞った。

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マガ・ギガンティア ~巨獣対人類・地上最大の戦い~ 緑茶 @wangd1

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