第17話 マガツ新生

 ――貴様。許さない。きさまを、ぜったいに、ゆるさない。

 マガツの中で感情が溢れた。明確に憎悪が煮えたぎったのはその瞬間が初めてだった。感情は空洞の内側から溢れて喉元に流れ込み、そして天を仰ぎ大きく開け放たれたその口から、力となって放出された。

 彼の背びれがストロボのようにボ、ボと脈打ってライン状に光りエネルギーが上昇。その口から上空へ向けて、再び破壊の奔流が放たれた。

 それは天を突く光の矢であり、裁きの柱だった。瞬間で周囲の闇が拡散してまばゆく発光し、総ての光景が、背景がかしずいた。雲が引き裂かれて垂直の、真紅の激流を呑み込む。吹き荒れる突風はカミナヲビの足元に転がる有象無象のオブジェクトを蹴散らすが彼は不動。そのまま明るくなった空を見る。

 ――間もなく。空が、『裂けた』。

 その暗黒の切れ間から次々と、天上で広がり、枝分かれした炎の柱が舞い降り、着弾。爆炎と轟音を伴って、地上を真紅に染め上げ始めた。

 ズドドドドドドドドドドドド。見えるのは焦熱の地獄絵図。あの時の再現。地上が焼かれていく。廃墟が燃えカスになり、黒が赤に逆転される。揺らめく炎が何もかもを覆い尽くしていく。世界の音のすべてが、その着弾に覆われる。

何も見えない、何も聞こえない。炎。炎。炎。全てが――全てが。

 カミナヲビ――直次は両腕を抱えてしゃがみ込み、その地獄に耐え抜こうとする。背中に無数の炎がぶち当たり、激痛とともに彼を焦がすが、動かない。その内側に彼は抱え込んでいた。白羽を。

 轟音が創り出した無音の中。彼は、真っ白な空間に居て、座り込んでいる少女を後ろから抱きしめる。そして呟き続ける。守ってやる。俺が守ってやる。必ず、必ず。だが気付かない。少女が涙を流し、必死に前に向かって叫んでいる。たった今まさに、彼の内側で――やめて。もうやめて。

 煩いなぁ。煩いなぁ――騒音が、煩いなぁ。カミナヲビの目が光って、邪魔するものをなぎ倒すことに決めた。彼は立ち上がった。躰が刹那を重ねるごとに焼け焦げて傷ついていくが、関係なかった。彼は進み始める。

 マガツは放出をやめて、前進する彼を迎え撃つ。来るなら来い。全てを破壊してやる。ビルの群れは炎の中で溶けて飴細工のように折れ曲がっていき、直次が歩くたびへし折れていく。いびつな鉄の轍の中、彼は進む。触手が彼に伸びる。だが、もうそれでも止まらなかった。

 動きが、前進が鈍る。

 マガツは口を開いて、再び前方に熱線を放った。カミナヲビに直撃する。体が溶けて砕かれていく。だが各部の赤が脈打って、焼け焦げた箇所から、水のざわめきのように修復され、回復する。飛び散った炎が更に世界を焼いても、カミナヲビは止まらない。

 守ってやる、守ってやる。俺が、邪魔するモノ全てを破壊して。やめて、やめて。煩いな。煩いなぁ。彼はマガツの前に立つ。両腕を振り上げて振り下ろした。そのカッターは腕から伝わる力によって巨大な炎の刃となって、マガツを肩口から両断した。後方の景観が切り裂かれて倒壊した。

 だがマガツの皮膚はすぐに元に戻り、更に熱線。直撃。前へ、前へ。天に届く刃を振り下ろす。切り裂く――繰り返し。繰り返し。そのたび炎が、灼熱の血が飛び散り、モニターを紅蓮に染めていく。泥沼の地獄。

 ――白羽は、とうに目覚めていた。だから彼女は、自らの犠牲が徒労に終わり、その思いが兄に届かなかったことを知って絶望した。だがそれでも彼女は兄を愛していた。

ゆえに彼女は、怪物となった兄に向けて叫び続ける。やめて、お兄ちゃん――やめて。それ以上やったら――みんな、みんな。煩いなぁ。煩いなぁ。聞こえないの、私だよ、白羽だよ、あなたの妹で、ただ一人の――。

 知ってるよ。少し黙っててくれないか。

 ――兄は。そう言った。

 その刹那、彼女の中に流れ込んでくる記憶があった。それは、全てを失ったあの日。白羽は阿鼻叫喚の街を歩いて、兄を、両親を歩いた。

そして彼女は見た。兄の姿を。遠くから。それから、父と母の姿を。同時に、見てしまった。


兄が、焼けていく瓦礫の下に埋もれて助けを求める両親を眺めて、手を差し伸べることもせず、冷淡に見下ろした後、断末魔を背後にしながら、その場を去っていった光景を。


 それこそが、真実だった。歪められていた。知らなかった。

 お兄。見殺しにしたの。ふたりを。どうして、なんのために。お前には、俺達には要らないと思った。それだけだ。俺たちは二人で生きていくんだ。これからずっと――……。

おかしいよ。ひどい、そんなの――……白羽は兄に、掴みかかった。

 その訴えは、届かなかった。体に鋭い痛みを感じた。白羽は兄の視線を。黙れって言ってるだろ。お前は俺に従え。

言葉を失う。そこにあるのは、怪物の顔だった。もう、蔵前直次はどこにもいなかった。それが、合図だった。


「……何だ」


 コンソールルームが、異様な揺れを感知した。川越が、部下たちが、顔を上げた。何かが、向かってくる。

 ――マガツは再び叫んで、その触手を、地面に次々と突き刺した。


「もう――止められない」


 触手は地面を突き砕いていくと、それらは一瞬で、ジオフロントに到達。廊下に、ロビーに、格納庫に溢れ始めた。

 激震とともに、怒りの肉の蔓が暴れ狂いはじめた。人々はそこに居た。至るところに。彼らにマガツの怒りが接触した。巻き込まれ、呑み込まれ、引きちぎられて溺死していく。

 無数の死が押し寄せて、溢れ出し始める。悲鳴を上げる大量のアラート。部下たちは行き場をなくして逃げ惑い始める。激しい揺れの中で川越はよろめき、倒れ込んだ。額から血。顔を上げると、そこに灯里が立っていた。彼女は超然とした態度で言った。


「彼等が思い通りにならないと知った以上、殺すしかなくなった。これは彼の必死さです」


「ッ貴様…………」


 もはや部下でなく、怪物の走狗となった物体の胸ぐらを掴んで、怒りをぶつける。


「そんなことよく平気で言えるな、化け物め――」


「分かってるでしょう。こうさせたのは誰なのか。その化け物は、あなたたちが生んだんですよ――」


 触手はジオフロントのあらゆる場所を陵辱し尽くして、そのルートに居る総ての肉を潰し、生命を刈り取っていき。とうとう、避難所へ到達した。壁が突き破られた衝撃で人々が悲鳴を上げ、かがみ込む。顔を上げた一人が最初の犠牲者となった。

断末魔を上げる前に、その蔓が彼の口の中から侵入して内部から引き裂いて、肉を弾き飛ばして殺した。血とパニックが撒き散らされ、人々は広くはない空間の中、蟻のように狂いながら逃げ惑い始める。出口はなかった。

 触手の群れがやってきた。次々と人々に襲いかかった。

 むち打ち、絡め取って引きちぎり、喉奥から入り込んで弾けさせる。死が、死が舞い踊る。肉と内臓、目玉と血が平等に空間に広がっていき、そのはざまに滑稽なほど多様な獣の声が響き渡っていく。ヒトであったものが一面に散らばっていく。恐怖の中、わけもわからず。男も女も、老人も子供も。皆が死んでいく。死んでいく。


「ひ、ひぎゃあああああああああああ…………っ」


 村山は逃げ腰になりながらその場から離れようとしたが足を触手に掴まれて転倒した。


「助け、助けてててててててててててってててて…………」


 彼の目の前で四肢それぞれに触手が絡みついた波平が真横に引き裂かれて、だらりと内蔵を吐き出して死んだ。奇妙な呻きが聞こえた。もう自分が何を口走っているのかも分からず彼は逃げようとした。すると目の前にまた触手が現れた。息が詰まる。

触手は眼前でカタチをうぞうぞと変えて、知っている顔になった。それは蔵前直次の姿だった。なんで裏切った。友達だと思ってた。どうして。


「し、仕方なかった、俺達だって――」


 既に村山は首を締め上げられ宙に浮かび、ばたばたと足を動かしていた。失禁し、床を汚す。

 お前たちみたいなのが居るからこうなった。お前たちが、俺達の世界を壊した。


「そうか、お前、お前だったのか、蔵前、ば、化け物――嫌だ、許してくれ、許してくれ、ごめん謝るからやめて殺さないでやめてやめてやめて――」


 触手は彼の顔を持ち上げた。首がひねられてねじ切られた。村山は「ひゅっ」という声を残して死に、べちゃりと地面に落ちた。彼の目は、未だに直次の姿を見ていた。


「――くそっ、馬鹿げてる。こんなことに付き合っていられるか」


 ヴィンセントは内部モニターで状況を確認していた。嫌悪と吐き気がこみ上げる。彼は手動コンソールを引き出して、イズノメの内部から強制離脱を試みる。この狂った地獄から。

 ――アラート。彼は見た。腹部に、触手が絡まっている。何重にも。顔を上げる。そこに顔はあった。マガツの顔が。琥珀の目が歪んで、笑っていた。

 戦慄が走ったときにはもう遅かった。既に半壊しているイズノメに抵抗する力はなかった。彼はマガツに引きずられ、そのまま黒い肉体の内側に抱き込まれる。びちびちと跳ねる触手が彼を抱擁し、歓迎する。侵食してくる。体に。心に。マガツの意識が――。

 直次の猛攻を受けながら、マガツはイズノメを空洞の胴体に取り込む。四肢がバタバタと抵抗するが無駄だった。白い機械人形がどっぷりと呑まれていく。


「いやだ、いやだ――俺はいやだ、こんな、こんな終わりはッ……」


 鼻血が噴き出し周囲を汚すが、視界の殆どは黒に染まっていた。視界が霞んでいき、涙が目を覆う。脳裏に過るのは恐怖、そして記憶。大勢の仲間を失った。だからもう自分は死なない、死にたくない。だからこそ観測者になった、それではいけないのか、何故誰も彼もが当事者にならねばならない、あんな、あんなガキのワガママで。狂ってる、狂ってる。厭だ――…………俺は、厭だ。

 それが最期の意識だった。痙攣する指を最後にイズノメは見えなくなった。


 ……マガツの体は内側から発光し、熱を放射した。カミナヲビはまともに食らって、引き下がらざるを得なかった。剣がかき消えて、足がよろめく。前を向く。

 ずぷり、と――触手の群れが、地面から抜き放たれた。先端にべっとりと血が、骨が、肉の欠片がこびりついていた。マガツが振るうと、それらは雨粒のように地面に落ちた。

 彼の身体に、再び変化が起きた。バキバキと軋む身体の各部、黒いケロイドの皮膚が硬化し、銀色の鎧状になっていく。同時に空洞だった彼の胴体には同色の、一つの顔面のレリーフが形成される。それは間違いなく、ヴィンセントの顔だった。

涙を流し血反吐を吐く彼の顔がそのままマガツの胴に浮き出て、絶え間ない呪詛を垂れ流していた。それが、イズノメを取り込んだマガツの姿だった。

 ……彼は大きく首を後ろに引いて、空気を吸い込んだ。すると、周縁の炎が、彼の口内に吸い込まれていく。円状に広がっていき、街の赤は黒に。世界が暗黒を取り戻していった。

 マガツは、総ての炎をその口内に吸い込んだ。喉元が異常に肥大化し、力を溜め込んだ。どぷん――……彼の躰全体が、大きく鼓動した。

 そして彼は、胴体のヴィンセントは、周囲の触手達は、一斉に口を開いた。それら総てから、同時に、熱線が発射された。まっすぐに、カミナヲビに飛んだ。途中で激流は撚り合わされて、一つの巨大な光条となって迫った。直次は、腕で防ごうとしたが無駄だった。彼は、直撃を受けた。


 身体が軋み、ミクロ単位の細胞の中に、マガツが侵食し、自我が書き換えられていくのを感じる。それは痛くて苦しくて、時空がゆがみ、昔の記憶を呼び起こした。父の暴力、母の無関心。怖くて怖くて何度も助けを求めた。過去と現在が混ざり合って狂乱する。彼は夢中で、妹を後ろから抱きしめた。なんのしがらみもない、真っ白な空間。彼が芯から求めた世界。気づいていない――それがひどく寂しい景色であることを。


「痛い、痛い、助けてくれ、助けてくれ白羽。ごめん、ごめん――」


 訴える。だが白羽はこちらを向くこともなく涙を流しながら虚ろに答えるだけ。


「もう、いられない。あなたのそばにいられない……」


 縋るように。


「だったら、やりなおそう。はじめから。あの時からやり直せばきっと変わる。お前はちゃんと学校に行けて、俺はお前と――」


 周囲の景色が変わった。

 白は赤く塗り替えられていて、手元から白羽が消えていた。彼は炎の中を、あの日の街を歩いていた。ひどく何もかもが小さく見えた。すると彼は、足下にちいさな存在を感知した。よく見ると、それは白羽だった。彼女は、すがりついて泣いていた。護って、助けて、と。

 その相手は自分ではなかった。ヴィンセント。あの男が、白羽を抱いていた。

 そして直次は――自分こそがマガツとなっていることに、ようやく気づいた。

 彼は、壊れた。

 泣き叫び、現実を否定した。嘘だ嘘だ嘘だ、嘘つきだ、お前は嘘つきだ。白羽なんかじゃない――彼は後ろから妹を抱きしめる力を、強く、強くした。存外の力がそこにこもった。前からの苦悶の声は遠くにいっていた。彼は泣きながら力を込めた。


「が、あ、ああ……」


 直次は、白羽を後ろから羽交い締めにして、ごぼごぼと聞こえる呻きも無視して、その全身を、粉々に折り砕いて、殺した。


 カミナヲビの姿は熱線を受ける中で変貌していく。装甲を突き破って、いくつもの粘ついた白い腕が、女性の腕が這い出てきて、マガツの触手同様に地面をさまよいながら、彼を装飾する。それらは奔流の中で前に伸ばされる。手のひらが炎を受け止めて攪拌していく。その衝撃で周囲がさらに破壊されるが、おかげで彼は攻撃を受けながらも前に進めるようになった。ゆっくり、ゆっくり。白い腕のドレスをまといながら、黒と紫と赤の巨人が、前に進む。もはやそれはヒトでなく、肉を寄り合わせた異形の人形だった。

 熱線がマガツの根本で最大に広がり、受け止められた。目の前まで来た。直次は拳を振り上げて、泣き叫び続けるヴィンセントの顔面に突き込んで、叩き潰した。血と内蔵と、その他よく分からないものが飛び散り、マガツの胴は再び空洞となった。怪物は半身を失って狂乱して、嘔吐の如くいたるところに熱線を細切れにばらまきながら、身にまとう触手全てを展開、野放図に暴れ回らせ始める。

 景観がずたずたに引き裂かれて、地獄が広がっていく。だがそれがいかなるダメージを直次に与えようと、その身がどれだけ傷つこうと、たちどころに回復する。白い腕が触手に伸びた。それぞれ強引に引きちぎる。そのたび彼はマガツの血を浴びる。彼がマガツで、マガツが彼だった。

 それだけでは終わらなかった。白い腕は、彼の背中から伸びて、ゼログラウンドに放たれた。荒野に散らばり、なかば放棄される形で駐機されているヘリ、戦闘機に腕が絡まり侵入、その内部コンソールに直次の意識が入り込む。スキャン完了。それらは自動的に蠢き始め、マガツに向けて飛んでいく。撤退、撤退ーー逃げまどう兵士たちを巻き添えにしながら。

 腕に絡まれて飛来した人造の兵器達が殺戮機械を意思がある如くマガツに向けて放つ。それらは威力をデフォルトより遙かに増幅されながら怪物に迫り、炸裂していく。蹂躙のさなかうがたれるマガツの肉。血が内蔵が飛び散って悲鳴が響く。黙らせるように直次は怪物を殴りつける。何度も、何度も。


 川越には、それを見ていることしかできない。もはや事態は、彼の把握出来る状況を超えすぎていた。モニターは触手に突き破られ、彼らを貫く直前で停止していた。暗く倒壊したコンソールルームの中で、ヒステリックに右往左往する部下の声が響く。


「あっちはどうなってる――」「駄目だ、見てられない。全滅だ。全部、肉で埋まってる。みんな、みんな死んで――」「生存者を探すんだ、早く、早く――」


「直次……」


 こみ上げる挫折感は、大勢の死以上に、一つの事実に対する敗北に向けられたものだった。

 ……彼は。救えなかった。あの青年に巣くった心の闇の何もかもを理解できないまま、こんな事態を招いた。


「そもそも。きっと。誰かが、何かをしようとするのが、間違いだったのかもしれません」


 傍らで、灯里が言った。慰めるような口調。彼女は何も感じぬのだろうか。大勢が死んだ。なにも守れなかった。これから訪れるのは破滅。暗黒の未来。それとも――自分がなにをすべきかを見つけた者は、そんな在り方になるのだろうか?


「お前は、これでよかったというのか……」


「分かりませんよ。だけど、これだけは、分かります」


 半壊したモニターの中で、マガツの最期のあがきが行われた。

 今一度、彼は口を開けて、熱線を発射した。だがそれは、彼が腕をかざし、鬱陶しそうに横に振るだけであっさりとかき消えた。どんな脅威でさえ、もう、彼の敵ではなかった。

 ――戦いが、おわる。


「あの子は――……ほうっておいてほしかったんですよ。自分たちを。ただただ、きっと、それだけ、だったんです」


 そして、彼方から、夜明けを告げるかのように、一筋の閃光が飛来してくる。

 核ミサイル。救済の光。全てを塗りつぶしてゼロにする明星が、青年の頭の上に落ちてくる。


 いこう、白羽。ずっと一緒だ。鬱陶しい、鬱陶しいなあ。暴れるな、騒ぐなよ。じゃまだ。その腕も。だからこうしてへし折ればいい。その足も叩き割る。ほらこうして。俺の腕。無数の。もう放さない。俺の必要としているものすべてを抱き抱える、大事な腕だ。これはこうやって使う。彼の目の前でマガツの肉体がぶちぶちと引きちぎられていき、面白いほどバラバラになっていく。役目を終えた人形のように。彼にはもうほとんど胴体と顔しか残っていない。他は全て周囲にばらまかれて捨て置かれている。肉と皮と血が、かつて命が住んでいた世界に極彩色で散らばっている。その目。なにを恨んでるんだ。元はといえばそちらが始めたことだろうが。だからそっちが終わらせてくれよ。こんな風にな。悲鳴。女のような。目の連なりに指が突き刺さり、怪物は盲目になる。流星が迫る、迫る――ああ。白羽。もう終わりだ。待たせたな、これで帰れる。あの夕焼けの道、一緒に帰ったときのように。そんな世界を、俺が作る。壊して作り直す。そのためにも今。ゴアアアアアアア。うるせえぞ。黙れ。くたばれ。ひざまずけ。我の元に――マガツのもとに。


 直次はマガツの口に噛み付いて、そのまま、その内部に、体の芯に熱線を放射した。彼の体は焼け焦げて、完全に燃え落ちた。だらりと力がなくなって、大地に倒れ込む。コアがない以上、とどめを刺せないはずだった。そう、彼は倒したのではない。彼がやったのは――。



 頭を上に向ける。来るものが何かは分かっている。行く道を邪魔するもの。もはやどんなものであっても、彼にとってはそれでしかない。ゆえに、取る行動は一つだった。直次は地面に足をたたきつけて、その先端を割れた瓦礫のなかに埋めて固定した。そのまま、大きく口を、内部の駆動機関を展開する。空を切り裂きながら、一筋の流星が迫ってくる。彼の背中に生えた決勝は赤く燃えて、全身の亀裂が脈打って、その力を先端へ、先端へ募らせる――。

 その全身が煮えたぎり、大きく裂けた頭部からエネルギーがあふれて、濁流のごとき火柱を、紅蓮の矢を、天に向けて放った。暗闇が裂けて、世界が何もかもを塗りつぶす白い霧で包まれ、余計なものは衝撃波で吹き飛んだ。

 分厚い曇り空をバラバラに打ち砕きながら伸びる熱線は、そのまま核ミサイルに直撃。その芯から、存在ごと焼き尽くす。一瞬だった。ほんの一瞬、だがそれこそが終焉の一撃――。


 一度、空が光った。

 遅れて、轟音が天から鐘の如く響いて、世界に広がった。闇が明るくなった。そのまま、何もかもが飲み込まれて、消えていくはずだった。

 だが、そうはならなかった。

 衝撃と爆発は、時間を巻き戻すかのように、『引き返し』た。

 それは、彼の口内に吸い込まれていった。まるで、夜の闇そのものが、彼のなかに取り込まれていき、世界の景色が塗り替えられていくかのようだった。音が消えて、まったくの静寂のなか、今一度――全てが、光だけになった。

 それで、終わりだった。

 広がった破壊の残響が、周囲のビルをなぎ倒し、窓ガラスを粉砕し、ゼログラウンドの砂地を深く深く削り取り、人々の残骸をことごとく吹き飛ばしていったが、それだけだった。

 ――核は。当たらなかった。

 直次が。飲み込んだ。



「っ……」


 川越は再び衝撃が走り、真っ暗になった視界から身を起こす。

 顔を上げる。ひび割れた壁と天井の狭間から、光が漏れていた。それはどうやら地上のあかりらしかった。部下達の呻き声と怒号。


「何が、起きた……」


「一佐。ミサイルは。阻止されました。街は、無事です」


 声。

 灯里がそばにいて、彼を抱え起こしてくれた。

 一瞬、何を言われたのかまるで分からなかった。そんなことが可能なのかと疑った。だが自分たちはこうしてここにいる。一度マガツの侵攻を受けて、その上で核を落とされれば、無事ではすまなかったはずだ。それがこうして、生きている――。


「……ヴィンセントは」


 身を起こし、一角に座る。

 駆け回る部下達の声が、ひどく遠くに聞こえる。まるで、世界から自分たちが隔絶されたような気持ちだった。


「死にました。マガツに取り込まれて」


 ひどく冷淡に。


「そうか」


 不思議なほどに、哀悼の意が心に浮かんだ。嫌いで仕方なかったはずなのに。だが、結局は彼も、巨大な力によって運命をねじ曲げられてしまった1人の人間に過ぎなかったということだ。


「……終わったんだな」


「ええ。終わりました」


「おかしいな。おかしいな……不思議でならない」


 声が震えるが、涙は出なかった。それでも彼は、心の中に浮かんだ自分の感情を許すことが出来ない。

 彼にとっての全てが終わって、もう戻らなかった。

 十歳も二十歳も老け込んだような、気持ちだった。


「何一つ守れなかったのに。何もかもが、最悪の結果になったのに。どうしてだろうな。肩の荷がおりたような……そんな気持ちになる」


「それは」


 寄り添う灯里の声は、柔らかかった。

 だが、どこか遠くで響いていた。ヒトでない何かの叫び声のように。


「あなたがもう、何の役割も負わなくてよくなったからですよ。ずっとそれで、苦しんでいたんでしょう。でも、もう……大丈夫。お疲れさまでした」


 その時、彼は感じた。

 背中に、たくさんの人々の存在が宿って、通り過ぎていった。彼らから、その言葉を告げられている気がした。

 多くの死者が、彼の肩に手をおいて、そして、去っていった。やがて彼らは、手を伸ばす間もなく、紫煙の向こう側に消えていった。

 ……なんだか、ひどく眠くなった。

 そろそろ、家のベッドで寝たいという気持ちになった。

 川越は、疲れ切っていた。



 モニターに映し出された映像が、倦怠を打ち破った。


 節くれ立ち、野放図にグロテスクな爪の生えた巨大な獣の脚部が、地面に倒れ込んだ、黒こげの怪物の頭を踏みつけ、ぐしゃりと粉砕する。


「あれは……」


 顔を上げる。その姿が見える。


 朝焼けのなか――灰色の街に立ちこめる白い煙の向こう側に、ひとつの巨大な影が見えた。それは刺々しい姿を持ち、巨大な尻尾と触手を身にまとい、全身を発光させているようだった。

 彼は身体を揺すり、自らの存在を誇示するかのように、天高く、赤子と女性の悲鳴と爆撃音を合わせたかのような声を響かせた。


「誕生した……」


 かつて、蔵前直次という1人の青年がいた。

 今はもういない。

 そこにいるのは、一つの新たな秩序。

 核の炎すら飲み込み、自らの力とした、不死身の存在。

 神か、悪魔か。


「新しい、『マガツ』……」



 その声は、大勢の死者が眠る世界の上で、自らの生を誇示するがごとく、どこまでも、どこまでも響き続けた――。

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