君の感傷に絆創膏

飴月

傷だらけの柳くんと『感傷』の見える根岸さん

 





やなぎくん、おはよ〜!」



 8時37分。身体中傷だらけでボロボロの柳くんはいつも、予鈴ギリギリのこの時間に学校に来る。



「……おはようございます」



 まるで、お前とは何の関係でもないのだと突き放すような敬語に、「あぁ、いつも通りの柳くんだ」と安心して笑ってしまった。



「ん! ところでさ、今日の占いって見た?」


「……見てませんが」


「今日ね、天秤座が占い最下位だったの。ってことで、これあげる! ラッキーアイテムだって!」



 そう言って、鞄から取り出した絆創膏を差し出すと、柳くんは「ありがとうございます」と何の感情もない声で言って受け取ってくれた。



「あのさ、」



 どうして今日も傷だらけなの。



「……なんでもない!」



 私の言葉は、タイミングよく鳴り響いたチャイムの音に消えた。













根岸ねぎしっちさー、なんで柳くんに絆創膏渡すの?」


「……え」


「なんかよく渡してない? 柳くんが怪我してるとこ見たことないけどなんで?」


「……見てたのー? 別に深い意味はないよ。私と柳くんね、誕生日近くて星座が一緒なんだ。で、天秤座が朝の占いで最下位だった日のラッキーアイテムがいっつも絆創膏なんだよ」


「それでわざわざ渡してあげてんの?」



 噂好きの友人は、もしかしてと期待したような顔をしてこっちを見てきたので、「違うよ」と首を横に振った。



「残念ながら自分のついでです。善意120%でやっております」


「本当に〜? なんか怪しいなぁ」


「悲しいことに本当だってば。ところで、今日の英語の課題やった?」


「あ!」



 否定しても怪しがる友人の追求を避けるために、今日の課題の話を振る。すると、案の定忘れていたらしく、すぐに自分の席へ帰っていった。それを見届けて私も自分の机に戻る。



「……占いなんて見てないけど」



 席について、また疑われたときの証拠として見せるようの占いサイトを探しながら呟いた。


 今日の占いで天秤座が最下位なんて嘘だ。そもそも見ていないのだから分かるわけがない。


 おまけに、私も天秤座だってことまで嘘だ。柳くんに絆創膏が渡したいから、都合のいい言い訳に使ってるだけ。



「……」



 チラリと横を向いて柳くんを確認すると、彼はいつも通り耳にイヤホンをつけた状態で本を読んでいた。私はこの、外界との関わりを遮断するような状態を『柳スタイル』と呼んでいる。


 『柳くんは、大人しくて真面目な優等生である。』


 と、いうのが彼の一般的なイメージである。柳くんに、特定の友達はいない。誰にでも敬語で、何処か距離の離れた場所にいる。だからいつも『柳スタイル』で1人でいるけれど、不思議と孤立しているようには見えない。


 1人に『されている』のではなく、1人で『いることにしている』といった感じ。頭もいいみたいで、確か学期末テストで10位以下に落ちたことがないのだとか。だから、優等生。


 不健康そうな真っ白な肌に、分厚いメガネの彼は、一時期地味系イケメンだとかなんだとか言われていたこともあったけれど、誰にも興味を示さないものだから自然と恋愛対象から外されている。


 それがおそらく、クラスのみんなの柳くんの印象。しかし、私はもう1つ柳くんの特徴を知っている。



「……何回見ても、やっぱり『感傷』が増えてるんだよなー……」



 それは、柳くんがいつも、全身傷だらけでボロボロだってこと。
















 物心ついたときから、私の目には不思議な世界が見えていた。みんなどこかしらに傷があって、それなのにその傷に誰も気がついていない世界が。


 転んで少しでも血が出たら心配するくせに、心配してくれた人からドクドクと何かが流れている大きな切り傷には気がついていない人ばっかりだったから。


 何かがおかしいと思っていたけど、どうやらその傷が見えているのは私だけらしい。そのことに早く気がつけたのは、本当にラッキーなことだったと思う。


 私は、私の目だけに見える傷を『感傷』と名付けた。ちょっと厨二病っぽいけど、当時の私がこの名前をどうしようもなく気に入ってしまったのだから仕方がない。


 感傷とは、物に感じて心を痛めることなのだと国語の授業でならった。長年の研究の結果、私に見えている傷も、人が何かを感じて傷ついたときに出来るみたいだったから、ピッタリだと思ってこの名前をつけることにした。


 そして高校に入る頃にはもう、目に入る人が怪我をしていることは当たり前になっていて、見て見ぬふりをすることも得意になっていたのに。



 そこに、信じられないぐらいボロボロの柳くんが現れたから、無視できなくなってしまって。



 初めて彼を見た時は本当に驚いた。それはもう驚きすぎて彼の傷が『感傷』だということに気が付けなかったほどだった。


 そのため、



「大丈夫ですか、通り魔ですか、事故ですか、119番ですか!?!?」


「ッ!? どうしてですか!?」



 と、いうのが私と柳くんの初会話である。柳くんから、私はどう思われているのだろうか。珍獣ですら生易しい評価な気がする。


 その後、最初の方はいつも通り無視しようと思っていたのだ。それなのに席は隣になってしまうし、ただでさえボロボロな柳くんの傷は増えていくしで、見て見ぬ振りをすることに限界を感じてしまって。


 きっと感傷は、人が見られたくない傷だ。物理的な傷ならば誰にでも見えるから、心配もされる。けれど、感傷は誰にも気づかれない。多分本人がそれを望んでいるのだ。それでいいのだ。


 人に気づかれたくない痛みなんて、この世の中に吐いて捨てるほどあるだろう。


 そう思ってずっと、人が秘密にしている傷を見るのはいけないことなのだと、見えていないふりをしてきた。


 それなのに柳くんの傷からは、いつも無表情な柳くんに代わるように透明な液体を流し続けているから、放っておけない。



 いつだったか友達に、涙と血の成分は似ているのだと教えてもらったことがある。



 それを思い出してからずっと、柳くんの傷から目が離せない。1人で泣いている柳くんを、私は1人にしたくないと思ってしまった。1人でいさせたくないと思ってしまった。


 それが私のエゴだなんて、我儘だなんて分かってるけど、分かってるのに、やめられない。


 だから今日も私は、たとえ押し付けでも、変な人だと思われても絆創膏を渡すのだ。


 また新しい生傷を作ってきた柳くんの傷をふせげるような、絆創膏を。



「……根岸さん。僕に何か用事ですか」


「えっ!? や、あの、えーと……」



 しまった。バレてないと思って、ずっと柳くんを見つめてしまっていた。



「柳くんが読んでる本、何かなー、と思って」


「……太宰治の人間失格です」


「へ、へぇ〜! そうなんだ!」



 失礼だけど、いかにも柳くんが読んでそうでちょっと面白い。でも、そんなことは口が裂けても言えないので、無難な返事を返すしかなかった。


 それにしても、このままどうするのが正解なのか。


 この会話から分かってもらえるように、私と柳くんは全く親しくない。ただ単に私が勝手に気になって絆創膏を渡しているだけの、一方通行な関係である。


 そんなやつにずっと見つめられているなんて、彼も気まずいに違いない。



「あと、音楽も! 何聞いてるのかなってずっと思ってて……」


「……根岸さんが絶対知らないやつです」


「そっかー……」



 どうしよう、この会話の着地点が分からない。


 困ったように視線を空中に彷徨わせていると、柳くんは耳にイヤホンをはめて、再び読書に戻っていった。私はそれを見て、バレないように息を吐き出す。



 話してみても、別に普通なんだけどな。



 柳くんが、何に傷ついているのかが分からないのだ。


 酷い言葉に傷ついたなら切り傷。どうにもならない状況に傷ついているなら痣と、ある程度決まっているのだけれど。


 柳くんの身体は傷の見本市みたいに切り傷から痣から何でもあるので、その原因が分からない。


 柳くんは何が苦しいの。何を感じるのが痛いの。どうして日に日に傷が増えるの。



「はーい! 皆さん、授業を始めますよ!」



 そんなことを口に出来る訳がなくて、そのことを考え続けたまま授業を受けた。何度も振り払おうとしたけれど、考えることをやめられるわけもなくて、英語の授業中、ずっと柳くんのことを考えていた。


















 その数日後。柳くんはやっぱりチャイムギリギリに、物理的にボロボロな状態で学校に現れた。



「……柳くん、その傷どうしたの」



 ずっと言いたかった言葉をこんな形で言えるとは思っていなかったから、少し変な感じがする。



「別に、何でもないです」


「そんなわけないでしょ!?」


「……転んだだけなので大丈夫です」


「大丈夫なわけなくない!?」



 頬にある、刃物で切ったような傷は、絶対に転んで出来るような傷じゃない。一瞬また『感傷』かと思ったけど、その鮮やかな赤色が感傷じゃないことを示している。だって、感傷から流れる液体はいつも、堪えている涙を代わりに流しているみたいに透明だから。 


 私は、まるで何でもないかのようにいつも通りのポーカーフェイスをしている柳くんに、絆創膏を渡した。



「これあげる。使って」


「……いらないです」



 私の提案に、柳くんはそう言って首を振った。そして、鞄からカードファイルのようなものを取り出す。



「今まで根岸さんに貰った絆創膏、いっぱいありますから」



 そのカードファイルには、私が今まで渡した絆創膏がご丁寧にも日付け付きで綺麗にファイリングされていた。



「……とっといてくれてたの」


「はい。今まで使いどころがなかったので」



 そう言った柳くんは、ぺりぺりと絆創膏のシールを剥がした。


 まさか、柳くんがそんな風に大切にとっておいてくれていたなんて、思ってもみなかった。柳くんの鞄の底からぐちゃぐちゃになって見つかるぐらいの扱いでも嬉しいと思っていたのに、そんなに大事にされていたら何も言えないじゃないか。


 目の前の柳くんは、そんなことを考えている私に少しも気づかずに絆創膏と格闘している。



「あ、やっぱり自分だと貼りにくいよね。貼ってあげようか?」


「……お願いします」


「オッケー、任せて!」



 私は柳くんから絆創膏を受け取って、ペトリと彼の頬に絆創膏を貼り付けた。



「……よし、これでいいよ」



 いや、何がいいんだ。彼にはまだまだ傷がいっぱいあるのに。思わずそう自問自答してしまう自分がいて、悲しい。


 やっぱり今日も柳くんは傷だらけだ。昨日あった傷が1つも消えていないから、ずっとその原因に何かを感じて傷つき続けているのだろう。


 だから私はきっと、そんな柳くんに絆創膏を貼りたいのだ。私は何も出来ないけれど、せめて柳くんの傷がこれ以上抉られることがないように、酷くならないように、絆創膏を。



「ありがとうございます」



と、これまた無表情で言った柳くんに、私は持っている限り全ての絆創膏を鞄から取り出して渡した。



「これ、全部あげるから! どこか痛くなったらすぐ貼ってね!!」


「……根岸さんから見た僕って、そんなに怪我しやすそうに見えてるんですか」



 柳くんは、そんな私を不審そうな目で見つめている。


 他の人にとったら、柳くんは確かに大人しくて真面目な優等生なのかもしれない。でも私にとっては、いつもボロボロで傷ついている柳くんなんだよ。


 だから、せめて現実リアルの、私が守れる傷全部からは守ってあげたいの。君の痛そうな姿なんて、ほんの少しでも見たくないの。



「見えないけど、柳くんにこれ以上傷ついて欲しくないから。柳くん、傷ついてもそのまま放っておきそうな気がするから、先にあげとこうと思ったの」


「……そうですか。いつもありがとうございます」



 小さく呟いた柳くんの声を合図にしたように、チャイムがキンコンと朝のホームルームの始まりを告げた。


 もう先生は話し出しているのに、柳くんが「ありがとう」と呟いた時の、何とも言えない表情が忘れられない。そしてやっぱり先生の話は少しも耳に入ってこなかったから、本当に嫌になる。


 もう私の毎日、柳くんばっかだ。柳くんに浸食されっぱなしだ。


 本当に本当に、嫌になるから。



 早く傷を治してよって、ずっと思い続けてるのに。














 その翌日。柳くんは珍しく、私よりも早く学校へ来ていた。



「おはようございます」


「えっ……? お、おはよう……」



 待って、今私に話かけたってことであってるよね? 大丈夫?


 柳くんに話かけられることなんて今までなかったから、本当に私に話かけたのか確認するようにキョロキョロと周りを見渡してしまった。



「今日はいい天気ですね」


「そうだね……?」



 今日はどうしちゃったんだ、柳くん。


 いつもの『柳スタイル』でもないし、学校に来るのは早いし、まるでいつもの柳くんじゃないみたいだ。


 そう思って、席について鞄を机にかけると、隣から視線を感じて横を向く。すると、柳くんが私に1枚の絆創膏を差し出していた。



「……何これ」


「絆創膏です」


「それは見たら分かるけど。私、どこも怪我してないけど、何で私に絆創膏……?」



 そう尋ねると、柳くんはいつも通りの無表情のまま、訳を話してくれた。



「今日、天秤座が占い最下位だったので。ラッキーアイテムが絆創膏だったから、根岸さんにもお裾分けです」


「え、そうなの!? ありがとう!」



 それにしても、本当にラッキーアイテムで絆創膏を指定されることがあったのか。


 そもそも天秤座ではない私には効果がないかもしれないけれど、柳くんが私のことを考えて占いを見てくれた時点で、きっと今日の私の運勢は1位に違いない。


 それが嬉しくて泣きそうで、ニヤニヤしながら絆創膏のシールをペリペリと剥がした。



「……? 根岸さん、どこも怪我してなかったんじゃないんですか」


「ん、怪我してないけど。柳くんとお揃いにしようと思って」



 だってそれってなんか、仲良しの証みたいじゃん。


 そんなことを心の中で呟いて、私が昨日貼った位置に、私があげた新しい絆創膏を貼っている柳くんとお揃いにしようと思ったのだけれど。



「……僕が貼りましょうか」


「え、いいの! ありがとう!!」



 やっぱり自分に貼るのは難しくて、格闘していると柳くんが声をかけてくれた。私はお礼を言って絆創膏を彼に渡す。



「えへへ、お揃いだねぇ」


「……そうですね」



 柳くんは無表情のままだから、何を考えているか分からないけど、嫌がってはいないみたいだったから安心した。柳くんの、白くて細い綺麗な指が、私の頬に近づく。


 私も昨日やったことなのに、頬に触れた柳くんの指が冷たかったからなのか、無性に緊張してしまった。



「はい、貼れました」


「やった、ありがと!」



 そう言って笑いかけると、柳くんは席についていつもの『柳スタイル』になった。武装が素早い。


 それでも、頬に貼ってある絆創膏が、まるで私達の縮まった距離の証みたいだから、それでいいや。


 ソッと頬の絆創膏に触れてニヤニヤしていると、突然隣から声が聞こえた。



「実は理由、占いだけじゃないんですけど」


「え?」



 その声に驚いて横を向くと、片方だけイヤホンをとった柳田くんがこちらを見ていた。


 これは絶対、私に話しかけているに違いない。


 そう思って話の続きを促すと、柳くんは言葉にならない何かを吐き出すように、はくはくと口を動かした。


 そして、ついに覚悟を決めたように口を開く。



「……僕も傷ついて欲しくないと思ったから」


「……?」


「だから、根岸さんにです! 僕も、根岸さんに傷ついて欲しくないって思っただけですから!!」



 そう言い切った柳くんの顔が、じわじわと赤く染まっていく。


 柳くんはそう言ったきり、耳にイヤホンを突っ込んで『柳スタイル』に戻ってしまった。そのいつもの様子が、今日は何だか照れ隠しみたいで可愛い。



「ッ、ありがとう!! 嬉しい!」



 もう音楽で聞こえていないかもしれないけれど、柳くんにお礼を言った。


 耳元でドクドクと心臓の音がする。なんでこんなに緊張しているのか分からない。そわそわしているのか、分からない。


 ただ、柳くんに傷ついて欲しくないって言われただけなのに。


 それが何故だかとても嬉しくて、私の気持ちがちゃんと伝わっていたような気がして、何だかふわふわする。



 たった今、傷をつけられた。心に刻みつけられたような消えない傷を、柳くんに。



 柳くんを感じて、心が痛い。


 自分の感傷は見えたことがないけれど、きっと私の心臓には今、大きな傷が出来ているのだろうと、何となく思った。



『感傷』と呼ぶには、あまりに切なくて嬉しい、まるで否定されたら死んでしまいたくなるようなこの気持ちを何て言うんだっけ。



 朝から柳くんにあんなことを言われたせいで、私は今日も一日中柳くんに浸食されて過ごすしかなかった。


 ねぇ、柳くんは今日も傷だらけだね。


 私も君に、消えない傷をつけられたらいいのに。私に傷ついてくれたら嬉しいのに。


 なんて、馬鹿みたいなことを思いながら。





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