ウサギ

ユキネ

ウサギ

 とある世界にウサギと呼ばれる者が居ました。

 そのウサギと呼ばれる者は、美女、あるいは青年という姿で現れる。そして、何度、番を選んでも、いつの間にか番になった者が死んでしまうという奇妙な噺があり、誰も、その者に近付こうともしません。

 けれども……。

 ある日、雨が降っていた。

 土砂降りの雨。私はその時、傘を持っていなくて、走っていた。

 誰もいない寂れた大きな建物。その近くにあった崩れた神社らしき場所の大きな木の下で雨宿り。

「……こんな天気になるなんて云ってなかった」

 彼女は溜め息を吐き出しながら、パタパタと濡れた服を叩き、または絞り、染み込んだ滴を出していく。

「大丈夫?」

 ふと、声がして、顔を上げれば、其処には……美しい男性が立っていて。

「これを使って」

 差し出されたタオル生地のハンカチ。それを握らされ、何処からかもう一枚同じ素材のハンカチを出してきて、彼女の濡れた部分を丁重に拭いていく。

「あ……有り難う、ございます」

 彼女もそれに習い、濡れている部分の滴を吸い取るように拭いていく。

 一通り、拭き終わって。

「あ……あの、これ、有り難うございます」

 借りたハンカチをふらふらと、どうすればいいか分からず、彼女はしどろもどろになりながらもその男性に訊いた。

「嗚呼……そのハンカチ、君にあげるよ」

「え?」

「洗濯して、返さなくていいから」

「この出逢いに持っていてよ」

 そう云われ持ち帰った、名も知らぬ男性のハンカチ。彼女の手には未だにそのハンカチがあった。


 とある世界の噺。ウサギと呼ばれる者が居ました。

 その者はとても、狩りが上手でした。

 男性、女性……大人も子供も彼の者を見ればたちまちに魅入られる。

 そして、知らないうちに……ウサギの掌へと堕ちていくんだ。


 淋しいと鳴いた。

 心の何処かで、恋はあの人の知らぬ間に彼女の中で育っていく。

 また逢いたいと想った。また逢って、あの日のお礼をしたいと。

 その出逢いがやって来たのはあの日から十年。彼女は立派な大人になっていたーーーー。


 あの人を忘れられぬまま、幾年の刻が流れて。

 幾度、出逢いを経験しても私の心は満たされる事はなく。

 心は何時も、ぽっかりと穴を開けたまま。何で満たそうとしても埋まる事はなく、ただ、虚無を募らせるばかり。

 ふらふらと今日も、何も考えられずに生きている。まるで人形のようだと彼女は想った。

 中身は空っぽの、器であるだけの人形。

 あの人が居なければ、生きていけない、ただの人形。

 ふと、無意識に足が向いた。

 なんとなく。そう、なんとなく。

 それは出逢いの場所。忘れられない、恋の始まり。

「おや、君は……」

 出逢った木の下。その場所に彼は居た。出逢った刻と何も変わらぬ姿で。

「お久しぶりだね」

 彼は微笑む。美しく、そして耽美に。

「お久しぶりです」

「十年ぶり? 綺麗になったねぇ」

 さらりと長い髪を掻き上げて、私を見つめる。

 それだけで眩暈がし、刻が停ったような錯覚がした。

「お変わりないようで安心しました」

「僕かい? ふふ……」

 君も変わらず、綺麗で可愛らしい。そう、云われれば知らず知らずに顔が赤く染まる。

「ふふ……可愛いねぇ」

「そんな……事……」

「……なくないよ。君は可愛い。可愛らしく、美しい」

 そう云うと青年は跪き、彼女の手の甲へキスを落とす。

「お帰り、僕の姫君」


 ねぇ、知っている?

 知ってる知ってる。とある世界に伝わる噺。歳を取らないウサギの、彼の者の噺。

 狩りが得意で、なのにその美貌も然る事ながら、頭も良く、その声音に酔いしれる程だとか。

 けれど、何度、番を選んでも、いつの間にか番になった者が死んでしまう……そんな噺。


 幾日も幾日も逢瀬は重ねられた。彼女はウサギに囚われて、ウサギの愛を受けていた。

 刻の動く事のない世界。ずっと、外は雨が降り続いて、夢を視せる。

 手鞠を打つように一、二、三……と数え、お腹を撫でた。彼女のお腹にはウサギの子供が宿っていた。

 けれど、幾日経とうとも、子供は産まれない。

 臨月を迎え、数ヶ月経ったある日、お腹の子供は産まれたーーーー。


 夜闇に響く。おぎゃあおぎゃあと、泣き声がする。

 産まれた。子供が産まれた。けれども、お母さんはそれを知らない。

 だって、もう、此処には居ないから……。

 空っぽの亡骸をウサギは見つめる。

 もう、此処には居ない空っぽの人形。ウサギに愛されたその人形。

 けれど、愛された本当の意味を誰も知らない。

 子供が産まれた。それはとても喜ばしい限りだ。

 青年は番が産んだ子供を見つめ、想う。

「この命が、君になる事を願う」

 そう云うと何処かへと、解き放つ。その子供は蜻蛉となり、飛び立った。

「また……逢おう?」

 哀しげにその蜻蛉を見つめる。


 昔々、彼の者がウサギと呼ばれる前の噺。

 その世界では光と闇が闘っていた。まるで終わりのない歌のように。

 相容れない世界で、とある二つの欠片が出逢った。

 それは光に属する欠片と闇に属する欠片。

 光の欠片の名はフィル。闇の欠片の名はミアと云った。

 二人は一目で惹かれ合い、堕ちた。

 秘密裏に逢瀬を重ね、愛を育んで……。

 幸せになれるとは想っていない。けれども、幸せになりたかった。

 二つの欠片は世界を、自らが属する者達を裏切り、秘密の楽園を造って、幸せを手にした。

 誰からも隠れて愛の楽園で過ごす。それは凄く、満ち足りた夢のような日々で、二人は幸せだった。

 けれど、夢は壊れる事を約束されたように、悪夢に変わった。

「どうする?」

 不安気に問い掛ける闇に光はウタウ。

「大丈夫」

 そっと、指先を絡ませて微笑んで。

 どちらも狙われていた。同じ属する者達に。裏切り者に罰を! そう叫ぶ声がした。

 二人は離れないように手を繋ぎ、森の中へ。

 その日は荒れた天気で、土砂降りの雨が降り続いていて……。

 見えた洋館。其処は刻の女神が奉られた神樹がある場所。其処に逃げ込んだ。

「此処なら誰も刃を向けられない」

「刻の女神の領域に血を流す事は自分達の世界の終わりを意味するからな」

「本当に、大丈夫かな?」

「大丈夫さ、きっと」

 ーーーーそう、信じるしかない。

 一秒、一秒が永く感じた。外には大きな声が聞こえる。

 踏み込むのか踏み込まないのか、この領域を穢す事なくどうやって解決するか。それを話し合う光と闇の互いの声が。

 けれど……。

「っ!! お止めください!」

「五月蝿い!」

 ドンッ! と扉を蹴破る音がして。其処に居たのは、闇の王。

「殺してしまえば良かろう」

「なりません! 此処を穢せば私達の国どころか世界まで滅びます!」

「ふん! 光を愛すという重罪を犯した者の始末の出来ぬ者に何も云われたくないな」

 するりと、王は剣を抜くと、闇を纏う。

「さぁ、出てくるといい」

 十数え終わるまでに出て来なければ斬る。

「お前の愛する者共殺してやる」

「なぁ……ミア。私の愛する我が子よ」

 どうする? と揺さぶる。

「駄目だ。出て行ったら、お前……殺されるぞ」

「分かってる。分かっているよ! けれど、出なかったら二人共、殺されちゃう!」

「…………っ……分かった」

「二人で出よう」

 十数え終わる前に、姿を現した光と闇の欠片。そして……。

 光の欠片が闇の欠片を護るように闇の王へ。カチリと向けられた幼き刃。

「私と闘うと?」

「あぁ」

「勝てぬと分かっておるのに?」

「…………そんなのは問題じゃねぇ……それに、俺達は絶対……生き残る!」

「くく……やはり光の者は威勢がいい。だが……」

 闇の王は見据え、切っ先を光の欠片たるフィルへ向ける。

「威勢がいいだけでは勝てぬ」

 その言葉と共に波動が彼らを襲うが……。

「ガード! 守護精霊よ!」

 二人を護るように出現した小さな鳥籠。それは王の波動から二つの欠片を護った。そして……。

「ほう」

 爆煙が舞い上がったその瞬間、フィルが闇の王へ突進し、二本の剣を振りかざした。

「甘い!」

「風よ、扉を開け!」

 その闇の欠片ーーーーミアの声に答えるように鎌鼬が闇の王の前に姿を現す。

「切り裂け!」

 鎌鼬の刃が王の首を捉える……筈だった。

「ふん!」

 刃を剣で全て弾き落とす。と……。

「こんなもので逃げれると想って居たのか? お前達は」

 甘いな、と聞こえた声。

「……っ、光の王」

 其処には闇の王を切り裂く、光の王の姿。

「この好機を使う手はないだろ?」

 にっこりと、邪悪に微笑む。

「我が光が勝つ。それは決められた事だ。……そして」

「刻すらも我が光が支配してみせよう!」

「っ……」

「なぁ……我が子よ。光の欠片よ。けれど、親を持たぬ異端の欠片ーーーーフィルよ」

 ギョロリ。禍々しい光の王の瞳が二人を見る。

 その王の隣では闇の王だったものが床を紅く紅く染め上げて……。

「生きるか死ぬか選ぶといい」

 光の王が欠片を見据え、問う。

「その闇の欠片を殺せば、お前は生かしてやろう。けれど……」

 王は静かに剣を抜く。そして、光を纏わせて……。

「その欠片を選ぶのなら……共に殺してやる」

 その言葉に二人は想う。喩え、死んでも互いの手だけは離さないとーーーー。

「ほう。やはり、互いを選ぶと云うか」

「選ぶ。選ばないと後悔するから……ずっと一緒に居るって約束したから!」

 光の王目掛け、ブワッ、と、襲いかかる焔。

「出でよ! ロキ!」

 その声に応じた火の神ーーーーロキが出現し、王へ襲いかかった。

 その焔に紛れ、フィルは近付く。

 焔に焼かれる前に王が避けた所を、背後から剣で突き刺す。

「くっ!」

 二人の連携に光の王の体制が崩れた……その刻だった。

 うおぉおぉッッ! と風が哭く。辺り一面が赤黒く染まり、歪んだ。

 現れた女性。

「……刻の、女神!」

 光の王が叫ぶ。剣を振りかざし、一直線に女神へ降り下ろす。

 と……。

「やはり、穢れていたか……光の王よ」

 何もない筈の場所から剣が無数に現れる。そして、王は躰を捕らわれた。

「掟も護れぬ程、私利私欲に走るなど……変わらぬな。何度、繰り返しても」

 命は穢れ堕ちる。

「この世界に我の願いを希うのは間違いか」

「何の願いを神が希おうとも私は私の希望を叶えるだけ!」

 そう叫んだ光の王は神の拘束から逃れ、再び刻の女神を捉え、今度こそ、その躰に剣を突き刺した。

 その瞬間、溢れだした歪み。赤黒い雨。

「ガード!」

 何かの予感か。ミアは護りの魔法をフィルと己に掛ける。

「ぐあぁああっ! 焼ける……うぐぁああがぁああーーーーッッ!」

 目の前で光の王が降り下ろす雨に当たった瞬間、叫び声を上げた。よく見れば、肉体が燃え、熔け出していた。

「ーーーーっ!」

「……っ! ミア、見るな!」

 フィルはその光景に恐ろしくて怯えるミアの瞳に己の掌で目隠しをする。

 本当に、恐ろしい光景だった。断末魔の叫びを上げ続ける光の王が完全に事切れるまで、ずっと……。

 そして、雨が止み、静寂が訪れても、其処から動けなかった。

 だから、何も気づけなかった。

 殺気を感じ取った、フィルが二振りの剣を使い、相手の攻撃に備えた。

「ご苦労様、我が子よ」

 その女神の声が響いた瞬間ーーーー目の前で起きた光景にミアは更に悲鳴を上げた。

 目の前には全身、串刺しにされたフィルの姿。女神はその杭たる剣を引き抜いた。スローモーションで引き抜かれ、重力に従い、倒れ……。

 痛みに呻くフィル。躰から止めどなく流れ出る真っ赤、真っ赤。

 慌てて、ミアは回復の呪文を唱えた。

「癒しの光を! バルドル」

 現れた美しき男性がフィルの躰の傷を癒していく。

 けれど……。

「っ! 駄目……お願い! 止まって! 止まってよぉ……」

 塞がらない傷。止まらない血。どうして? どうして!

 足掻いても、足掻いても……確実に死へと呼ばれ逝くフィルの躰を掻き抱いて。

「これは私の子。刻が来れば、鍵となる子供」

「光の中に産まれ、番の哀しきウサギを見つける……」

 刻の女神はフィルを抱き締め、泣くミアに近付く。

「我が子の番よ、月のウサギよ……また再び、彼の者に逢いたいか?」

 その声に、涙を流しながらミアは見上げた。

 逢いたい。逢いたいに決まっている。

「幸せが喩え、一時と知っていても、それでも彼の者に逢いたいか?」

「逢いたい。逢いたいに決まっているよ」

 そう答えると女神は、優しく……そして哀しげに、ミアを撫でた。

「なら、刻の停まった中で彼の者を見つけ、彼の者の卵を産むといい。ただし、一時の夢。この世のように」

 そう云うと女神は消えた。

 そして、ミアの目の前には、荒廃した世界と、腕の中に居る小さな赤子だけが残されたーーーー。


 とある世界にウサギと呼ばれる者が居ました。

 そのウサギと呼ばれる者は、美女、あるいは青年という姿で現れる。そして、何度、番を選んでも、いつの間にか番になった者が死んでしまうという奇妙な噺があり、誰も、その者に近付こうともしません。

 けれど、その声に惹かれる者が居る。

 彼の者はその者を待っている。永遠の中の一時の幸せを。あの日の唯一無二の番を。だから……。

「また、逢おう?」

 哀しげに空を見つめた。其処には天に向かっていく蜻蛉。今宵は満月がとても綺麗だったーーーー。

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ウサギ ユキネ @a_yukine

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