夜摩王のオ役所

平中なごん

壱 出向先

「――ろ、六波羅ろくはら市より出向してきました、篁野々花たかむらののかです!」


 わたしは今、ものすごく緊張してる……いや、緊張というより、この感覚はむしろ恐怖と呼んだ方がいいのかもしれない。


 なせならば、だだっ広い中国風の宮殿のような建物の中央にぽつんと一人立って挨拶をするわたしの前には、まるでビルの如き巨大な机がそびえ立ち、その背後にはやはり中国風の衣装を身に纏う、普通の人間の何倍もの大きさがあろうかという閻魔大王並びに二人の書記官がどどーんと居並んでいるのだ。


 そう……ここは地獄の一丁目…いや、何丁目かは知らないけど、かの有名な閻魔王庁なのである。


「うむ。話は聞いておる。よくぞ参った。知っての通り、ここには亡者がひっきりなしにやって来るので猫の手もほしいくらいだ。よろしく頼むぞ」


「よ、よろしくお願いします!」


 巨大なドングリまなこで頭上より見下ろされ、ずずーんと腹に響くような恐ろしげな声でそう言われると、わたしは思わずピーン! と背筋を伸ばし、直角に腰を曲げてお辞儀をしてしまう。


 実際この場に立ってみると、威圧感ありまくりな閻魔大王に裁かれなければならない亡者達に同情の念を禁じ得ない。


「聞くところによると、あの小野篁おののたかむらの子孫だそうだな。なんとも懐かしいものだ。もうかれこれ1200年ほど前のことになるか……」


「はあ、まあ、家の言い伝えによればそのような話でして……遠い昔すぎてほんとかどうかもわかりませんが……」


 続けて、やはり恐ろしげな声ながらもどこか遠い日を懐かしむかのような眼差しをして呟く閻魔大王に、わたしはもう何度となく人にそう答えて、いい加減、飽き飽きしてるその台詞をまたも口にした。


 大王様が今言ったわたしのご先祖さま(らしい…)・小野篁とは、平安時初期の貴族で文才に明るく、法律にも詳しい有能な官吏だったが、その才覚をもって昼間は朝廷に仕える一方、夜は井戸を通って地獄の閻魔王庁にも出仕していたという伝説のある人物だ。


 いや、その一緒に働いてた閻魔大王本人が懐かしんでいるのだから、最早、伝説ではなく史実であるらしいんだけれど……。


 ともかくも、あの世へと通じる洞窟へ入ると三途の川も舟で渡り、はるばるこんな所にまでわたしが来ているのもそのご先祖さまのせいと言って過言ではない。


 昨年、東京の大学を卒業したわたしは地元に戻り、難関の地方公務員試験もなんとか突破して市役所に就職できたのであるが、配属された先が思いもよらない…というか、予想を遥かに凌駕して余りある課だった……。


 じつはどこの市区町村にも密かに設置されているのだが、ごくごく限られた者しかその存在すら知らない〝死民課〟だ。


 いや、市民課ではなく、民課である。


 市民課が生きてる人間を相手にするのに対し、市内の死者に関する行政手続きを担うのが死民課だ。


 例えば、生前の戸籍から死後の籍に異動させたり、市中の浮遊霊がちゃんとあの世へ行けるよう指導をしたり、お盆やお彼岸に現世へ帰って来るためのパスポートを発行したり……とまあ、そんな感じである。


 いわゆる〝幽霊〟相手のため、勤務時間も普通の課と違い、夜の11時30分~朝の時までの真夜中だ。ちなみに民の皆さまの利便性を考え、昼間は市民課になっている市役所一階フロアを使っていたりする。


 ではなぜ、特に霊能力があるわけでも、オカルトに興味があるのでもない凡庸なわたしが、そんな特殊な秘密の課へ配属されたのかといえば、まさに小野篁の子孫だから…という、ただそれだけの理由なのだった。


 とはいえ、入所し立ての新米職員、配属されたので嫌ともいえず、仕方なく一年間そこで懸命に働いたのだが、やはりみんな死人なのでビジュアル的にもちょっとアレ・・な人達が多いし、昼夜逆転で友人達とも遊べないので、職員課に希望を訊かれた際にわたしは迷わず異動願いを出しておいた。


 すると、念願かなってめでたく異動となったのであるが……その先が、なんとこの〝閻魔王庁への出向〟だったのである!


 〝出向〟というのは、しばらく他所へ行ってそこでの仕事を経験してくる、ようは実際の職務を伴う研修みたいなものである。


 つまりは閻魔王庁での勤務……いや、めでたいどころか余計に状況が悪くなっている。今まではそれでも現世で仕事をしていたが、今度の勤務地はあの世…それも地獄なのである!


 この閻魔王庁への出向……例えるなら国の中央省庁へ行くようなものなのか? 死民課で勤める者にとってはどうやら出世コースらしく、なんだか同僚達は羨ましがっていたが、そもそも死民課を離れたいわたしとしてはうれしくもなんともない。


 いやむしろ迷惑この上ないのだが、そんなある種・・・のエリートとして大抜擢されたのも、やはり〝小野篁〟というブランドの力のなせる業なのだ。


 ほんと、恨みますよ、ご先祖さま……。



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