冬、異変に気が付く

 冬は大嫌いだ。冬生まれだけど、寒いのがとにかく苦手。何枚着ても寒いし、顔面はどうしても寒い風をガードできない。実家の風呂場が庭にあることが、とにかくにくい時期だ。



 僕の家もその周辺も、言ってしまえば僕の家の周辺ほぼ全域は戦場跡なので、結構いろんな霊が出る。空襲はなかったと聞いているけれど、モンペ姿の人も結構見てきた。霊が見えるようになって、今までしてこなかったような経験を積んできたわけだけど、この頃から僕の嗅覚が普通じゃなくなった。


 僕はどこにでもいるアスペルガーで、人見知りだったり音が耳に刺さるように聞こえたりと、割と難の多い人生を歩んできた。触覚も今思えば過敏だったんだと思う。長袖シャツがとにかく嫌いで、真冬の雪が降っているときも腕まくりをしているような変態だった。

 アチラの人たちが見えるようになって、普通の人の耳には入らない話し声みよく聞く。それももう、日常の中に溶け込んでいて、あまり違和感を持たなくなってきた頃。


 嗅覚が、ズレてきた。



 もともと鼻自体、そんなに良くない。ニンニクのにおいがわからないし、学校のトイレの独特の臭さも、当時ほとんどわかっていなかった。みんなが「臭い」と言っているとき、僕は黙って平気な顔して息を吸っていたのだ。


 それくらい使えない鼻だから、ほとんど呼吸にしか使っていなかったのに。嗅覚がいきなり仕事をし始めた。


 冬。雪が降っていた日だった。


 お風呂に行くためにパジャマを小脇に抱えてバスタオルを首にかけ、いざ極寒の庭へ!庭には愛犬の超絶美人シェパードがいる。8歳。おばあちゃんである。

 毎日できるだけお風呂の前は頭をなでるし、時間があれば夜の散歩も一緒に行く仲。とっても賢い、雄並みの体格の女性。

 彼女の頭をなでると、学校の嫌なことも大概何とでもなるくらい、僕は彼女が好きだった。

 僕が部屋から出てきたら、彼女はのそのそ自分の家から出てきてくれる。

「かわいいなぁ」

頭を撫でた。かわいい。

かわいい。けど、違う。


―なに、このニオイ


犬って基本的に臭いものだ。外犬なんて、頻繁に洗う機会がない。犬独特のにおいは、いわばその犬の体臭。いつも均一に臭いし、雨が降ればもっと臭い。

 この日も、確かに臭かった。臭かったけれど、いつもの臭いじゃない。なんと例えればいいかわからないような、異臭という言葉がしっくりくるような感じの臭い。

 今まで嗅いだことのない臭いだった。


 僕の鼻がおかしかったのかなと、彼女の頭をなでてお風呂に入って考える。この日は顔も知らないおじさん(故人)とお風呂に入った。毎日だから、もう気にもならない。


 臭いが変わったのは、気のせいだろうか。

 僕は彼女の臭いに戸惑いを感じつつも、風呂から上がって居間のいつもの席に腰を下ろして机をはさんだ正面にいる母ちゃんをそれとなく見た。

 母ちゃんはいつもと変わらず、熱いお茶を飲みながらテレビを見ている。

「なぁ」

僕は母ちゃんに声をかけた。

「なに?」

母ちゃんは、テレビを見たままやる気のない声だけを返してきた。


「なんもでもない」


なんとなく、臭いについて話そうとは思えない感じがして。何も話さないまま会話を終わらせて、無言のままテレビを眺めて時間をつぶした夜だった。



 気のせいだったのかもしれない。

 僕の鼻は、しばらく前から詰まっている。子どもの頃は、冬になれば冬の間ずっと鼻かぜを引いているのが定番だった。だから、鼻がおかしかったんだ。

 自分のそう言い聞かせて、僕は黒い人たちからの眼力を一身に受けながらその日もあっさり自室のベッドで寝た。


 翌朝。学校に行く前に彼女を見ると、いつもと変わらない感じだった。朝の散歩は母ちゃんと行ってきたし、ごはんだってシニア用のカリカリを完食。

 いつもと変わらない。変わらないんだ。

 変化を嫌う僕の脳は、自分にとにかくそう言い聞かせて家を出た。


 いつも通り幼馴染と一緒に学校に行って、同じクラスの数少ない友達に挨拶をして席に座る。そうすると、友達の一人が僕の席の前の椅子に座った。僕の心をあっさり読んでのけた、あの友人だ。

「おはよう」

僕は彼に挨拶をすると、彼は僕の顔をじっと見ていた。僕が変人ならば、彼はたぶん不思議星人なんだと思う。何だろうかと僕も彼を見つめる。

 数秒、無言だった。クラスメイトの声が、教室中どこからでも沸いては消えていく。


「昨日の臭い。しっかり覚えとけな」


何も言ってないのに。彼はぴしゃりと僕の心の突っかかりと言ってのけた。

「なんで……、そんなんわかるん?」

僕自身、なんでわかったんだと彼に一気に興味がわいた。でも発した僕の声は、端々が震えていて、まるで自分の声じゃないみたいだった。

「わかるわ。覚えときな」

彼はそう言ってにこりと笑って、席を立った。


 追いたいと思って僕も席を立つと、頭の中に武士の声が刺さる。

「追うな!」

僕の手足は、ぴたりと止まった。

 どうして?と頭の中で武士に問うが、彼は何も言わずにもう一度だ「追っていいものではない」と、僕を制止した。


 わからない。

 全てが、まだわからない。


 僕はやがて訪れる、ほんの先の未来さえ見越せないまま、何も考えずに日常に身を置くことしかできなかった。

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世の中ほぼ事故物件だぞ?ー実家編ー みほし ゆうせい @mihoshi-s

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