駆け抜けていく人
僕が通っていた中学校のバレー部は、その年によってすごく強いか急に弱くなるかの波が激しいチームだった。
中学のバレーって、安定して強い学校はあったけど、とんでもない強豪校は僕の記憶にはあまり残っていない。多分いたんだろうけど、僕は他者に対する興味関心意欲がとっても低いので、気が付かなかったし興味がわいたことも一度もない。
そんな意識でバレー部にいたわけだけど、意図せずレギュラー入りしていた。小学生のころからバレーをやっていたような人ばかりだったから、僕がミスをしたら「またか」という雰囲気になるような部だった。
経験者が補欠にいたからその人と交代してほしいと監督に懇願したけれど、それも却下。正直今思い返してもしんどかった時期である。
バレー部は、木曜と金曜だけ近くの公民館で部活をする日がった。木曜の放課後備品を持って公民館に行き、鍵をもらって体育館を開けて部活をする。男女バレー部が一緒に移動して、隣同士で部活をしていた。
中学校が建っている場所は、山に近く、霊感がなくても雰囲気が良くないのがわかるような、どんよりとした空気が365日立ち込めている。いつでも隙あらば霊がひょっこりするぞ!というムードがチャームポイントの場所だったが、近くにあった公民館も入ってすぐ「ここも出るな」とわかった。
公民館の場合は、オープンに出そうな感じである。よく光も風も入って通り抜けていくさわやかさがあって、変な感じはあまりしない。ただ、なんとなく出るのは感じ取れていた。
とはいっても、1年の頃から公民館にはお世話になっていたけれど、一度も本格的な霊とは遭遇していない。窓を開けてないのにカーテンが動いてるとか、誰もいない倉庫からボールがポーンと飛び出てきたこと以外は、いたって普通の場所だった。
秋の終わり。暗くなるのがどんどん早くなる時期。
その日も練習を終えて、さっさと帰り支度をして外に出る。吹き抜ける風が心地よい時期だから、着替えに時間がかからない。
男女バレー部そろって、事務室にカギを返しに行って、事務員さんに集合、礼をするのが中学バレー部の決まりになっている。
この日は金曜日。学校にボールを戻して帰る日。
着替えを済ませてボールを持って外の出たときだ。
「二階の窓が開いてる」
女子部員の一人が上を見上げて呟き、みんな斜め上に視線を向ける。視線の先には、ひとつとして閉じていない、網戸を張った窓が全開状態。おまけに、開けとかなければならないはずのカーテンまで閉まっているではないか。
「うわー……。窓閉め行くわ」
数人の部員が体育館の勝手口から入って、窓閉めに向かった。僕もその集団にひょっこり乗っかって、体育館に戻る。集団そのものがあまり好きではないから、わずかな時間だけでもいいので集団から抜け出したいという、なんとも小さな動機だった。
体育館の電気は、点灯しきるまでに時間がかかる。同じくらい電気が消えきるまでに時間がかかるので、カーテンの隙間から入ってくる月光と街灯の明かりを頼りに体育館の四隅に駆けられた梯子を上っていった。
月明かりが影を作るほど、白く光る夜だった。
カーテンを開けて、窓を閉める。数人で行えば、数分で終わる仕事だ。今回もそう。人数がいたから、ものの数分で窓閉めもカーテン開けもすべて終わった。二階のカーテンを全開にしたら、月明かりも街灯の光も十分の入ってくる。こんなに明るいのかと思えるほどに、明るい夜だった。
勝手口は、体育館についているので、そこから入ってきたし出るのも勝手口を使う。さて梯子を降りようか、と思った時だった。
勝手口に誰かいる。
もう終わったから、と声をかけようとした時だ。
ものすごいスピードで、勝手口から体育館の出入り口になっているスライドドアまで誰かが駆け抜けていった。
走っていたシルエットは、くっきりと見えた。生きている人間だと疑わないくらい、今までの中で一番鮮明に見えたからこそ、霊だなんて僕はみじんも思わなかった。
駆け抜けていった人は、月明かりの影で全身真っ黒に見えた。
「誰か走っていったけど、誰やの?トイレでも行った?」
僕は、前を歩く女子の後輩に声をかけた。彼女は引きつった顔で振り向いて、僕を見る。何かまずいことでも言ったっけ……?と思っていると。
「誰も走って行ってないですよ?」
「え……?」
何を言ってるんだと、僕は眉をしかめた。あんなにはっきり見えたんだから、霊ではないはずだと、確信を持っていたのだ。
梯子を下りると、同じ部の後輩がいた。
「さっき誰かここ突っ切ってたよな?走っていったろ?」
「ここにいる人以外、入ってきてないですけど」
「いやいや、入ってきたって。走ってたやん。足早そうやったよ?」
「……みほし先輩、大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ!外出たらわかるって!絶対誰か入ってったから!」
僕は後輩を置いて、意気揚々体育館を飛び出した。
全員いる。
一緒に窓閉めに行った人以外は、全員そろっている。
「誰か体育館の勝手口から入ってこんかった?」
部員に話しかけると、何とも言えない顔で視線を向けられた。
「誰も行ってないけど。気持ちワル」
やめろ。お前と同じ俺も思春期なんやから、傷つくやろ。と、内心悪態をつく。そこに顧問の先生が来た。
「先生、ゆうせいが気持ち悪いこと言ってる」
「え?今に始まったことじゃないやろ」
告げ口もひどいけど、顧問の返しもまぁひどいもんだった。
「こいつ、たぶんなんか見えてるんやないか?よくなんにもないところじっと見てるやろ」
顧問よ、黙り給え。本当のことだからこそ、言ってはいけないことが世の中には存在している。お前もそれはわかるだろ?
僕は内心そう思っていたが、何も見えていないととっさに嘘をつけるほど器用でもなく、頭の回転がいいわけでもなく、しかも盛大になんか見えてるって言っちゃってるので僕は黙り込む他なかった。
「えー見えてんの?」
「コワー」
「キモー」
そうなりますよね、という声が続々部員たちから上がる。
こうなるだろうという算段が付いていたから静かにしていたのに、顧問のおかげで予想が現実になってしまって取り付く島もない。薄っぺらくていいから、ある程度の優しい言葉くらいほしかった。
とりあえず事務所にカギを返して、ボールを学校の部室の戻して、帰ることになった。
もともと僕は、バレー部のメンバーには心開いていなかった。噂好きで根拠のない話を毎日しているような人たちだったから、根本的な部分で合わない。
なんとなく頷いて笑って流していたけど、相手の立場になればその態度はきっと相手にも伝わっていたんだろうなと、いまさら思う。
そうであったとしても、相手に同調もできなくて。あの頃の僕は、今の僕と同じように、不器用で人間付き合いがへたくそな人間だった。
帰り道。部員とさっさと別れて、家路につく。ひとりになると、心が椅子に座ったように落ち着くのを感じる。
夜空を見上げれば、白い月が見える。中学生のころからしっかり目が悪いので、肉眼では星が見えない。部活中にするコンタクトレンズは、今だから言えるけど苦手だった。
「ゆうせいくん!」
呼び止められて振り返れば、女子バレー部の同級生だった。彼女はエースで、背が高くてハーフみたいな顔立ちの子で、とてもモテる。
「一緒に帰ろう」
そういえば金曜日は、よく呼び止められて一緒に帰ってたっけ。一週間前の記憶すら、この年齢ですでにあやふやだった。
「いいよ」
基本的に来るものは拒まない性格なので、帰ろうと言われれば余程相手が嫌いでない限り一緒に帰る。
ちなみに僕の発達障がいは軽度ではないので、相手の気持ちとかはこの頃ほとんどわかっていない状態。精神年齢も、たぶん10歳を少し過ぎた程度だったんじゃないかと思う。相手が何か考えているということを、「この人は何か考えてるんだよ」といわれて、初めて「この人は今何か考えてるのか!」と思って内心とても関心を持っている年頃だった。
そういった認識しかなかったということを踏まえて、読み進めていただけると幸いです。
彼女はすごくモテるけど、この道を通って帰る人がいないんだろうなと、僕は思っていた。部活が終わるともう暗いし、一緒に帰った方がきっと自分もこの人も危なくないぞ!という気持ち。
彼女とは15分ほど夜道を一緒に帰って、分かれ道で手を振った。
相手が一人であれば、僕はほとんどパニックを起こさないし、ちゃんと相手の声も聞けるし、それなりの受け答えもできる。二人で話しているときは、純粋に楽しい時間だった。
さっさと家に帰ろうと歩いていると、武士の声が頭に入ってきた。
「ゆうせい。あのままでいいのか」
僕は歩きながら、頭の中で答える。
「あのままって?」
「彼女を送り届けなくていいのかと聞いている」
「道が反対側やし、方向音痴やから周りが暗いと家に帰りつけん。送ってくれともいわれてないし」
「……いわれてないが」
「言われてないことを勝手にやるのは、おせっかいやって母ちゃんが言ってた」
「そ、そうか」
武士、黙ってしまった。無言のまま夜道を歩き、家が見えてくる。
「そういえば、武士さんって僕のなんなん?」
玄関前で僕は唐突に頭の中で彼に声をかけた。
「ゆうせいを、守っている存在。それだけだ」
守護霊とかなんとか、そんな難しいことは言わなかった。
「そうなんか」
難しい話になるとすぐ頭がオーバーヒートするので、それ以上のことは聞かなかった。彼もそのことをわかっているようで、なんだか小さな子どもでも見るようなあったかい目で僕のことを見て、微笑んでいた。
通常通り、晩ごはんのときに母ちゃんに今日見た駆け抜けていく人のことを話した。
この日の晩ごはんは天ぷらだった。
「あの公民館は出るよ」
「やっぱりか」
母ちゃんはPTAか何かで会議室を使った時かなにかに、何かいるのを察知していたらしい。
「気にせんことやな。気にしすぎると連れて帰るし」
「そうやな」
言葉少なくやり取りして、僕も母ちゃんももりもりてんぷらを食べたのだった。
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