母ちゃんが霊から踏まれまくった話

 母ちゃんは、昨晩のことを朝から話し始めた。早起きしてきてよかった。


 昨晩。母ちゃんは洗い物が終わっていったん居間で寝て、0時前にお風呂を済ませて1時過ぎに二階の寝室に向かったらしい。寝室に入るまでは、特に変なことはなかったとのこと。

 いつも通り洗面台で歯を磨いて、さっさと二階に引き上げた。

 寝つきもよくて、布団で横になってすぐに眠りに入った。



 しばらくすると、人の声が聞こえ始めた。

 僕の実家の近くには暴走族がバイクをバリバリいわせて走る道路が通っていて、ヤンキー(古)が騒ぐことが多い。若い人の笑い声だったり、警察沙汰になるケンカ騒動なんかも、珍しくない頻度で起こっていた。


 でも、母ちゃんの聞いた声は、そんな活気のある声ではなかった。

 ぼそぼそ大勢の人が小声で話している声が、最初に耳に入ってきたらしい。何だと思い目を開けると、天井に黒い空間が開いていて、その黒い空間から、鼻から上の部分だけをのぞかせた人がこちらを見下ろしていた。

 霊でなくても恐ろしい覗き方。その霊は恐らく男で、目をギョロっとさせてじっとこちらを見下ろしていた。


 母ちゃんは一瞬、怖いと感じて布団を頭の先までかぶった。

 でもすぐに、穴のことが気になり始める。


―結構大きな穴やった。どうしよ、穴あきっぱなしになったら雨漏りする。穴なんかあけるなよ。困るやろ。


 母ちゃんは、とてもしっかりした主婦なのである。切り替えの早さが尋常じゃない。霊より家の破損、先々やってくる雨のことを瞬時に不安視できるほどの、とんでもない精神力の持ち主。震えを覚えるほどに、とても頼もしい。

 強靭な精神力ですぐに精神面は持ち直したけれど、布団をかぶってすぐに金縛りにあって全身が動かなくなってしまった。


 金縛りは、会った回数で慌て度が異なる。僕ものちのち金縛りにあいまくってなれるけど、慣れるまではパニックになることもある。

 母ちゃんは金縛りマスターなので、「またか」と思った以上の感情はわかなかったようだ。

 布団をかぶっててさっきの霊の顔が見えないから、まぁいいやと思ったらしい。寝ることにした。目を閉じて、たくさんの小声を聞きながら一瞬寝た瞬間だった。


 足元から誰かが歩いてくる。しかも母ちゃんの上を歩いている。足の形が、感覚でくっきり分かるくらいにくっきりした触感だった。しかも、その霊を筆頭に、何人も続けて体の上を歩いてくる。



「超怖いやん」

今まで経験ことのしたことないような次元の話を聞いて、朝食のトーストをかじりながら発した僕の声は震えていた。

「怖いより、痛いよな。踏まれてるんやもん。しかも重いし。みなさん大人の重さやったわ」

精神面の話ではなく、物理的な話をしてきたから、「へ、へぇ……」としか返せない。強すぎんか、母ちゃん。怖いより痛いが勝る時点で、同じ次元に生きていないような気がしてならない。


 踏まれ方は、おおざっぱに言えば雑だったようだ。何か踏んでるけど、どれが人だとはわかっていなかったような踏まれ方だったと、母ちゃんは言っていた。

 たとえるなら、道の上にある大きめの石を踏んずけて行く感じ。踏んでるのは母ちゃんで、生身の人間であり、その上からお布団がかかっているから滑りやすいし不安定。だからだろう、頭を踏んだ時に、何人も頭の先の方をグニャッと踏み損ねていく。


「最初は痛いやめてって思ったけど、慣れてきてある程度時間がたったら、いてぇなってなったよ」


―マジか、母ちゃん


慣れって恐ろしい。と、僕は何も言わず心底思った。


 そのまま時間が経過して、やり過ごしたんだろうかと思ったが、慣れてきた母ちゃんは、体全体だけでなく頭皮まで踏まれまくりながらも寝たらしい。

「よく寝られたな」

「朝ごはん作らないけんからな。寝らんと日が昇って起ききらんやろ」

母親ってこんなに強い生き物なのかと、中学2年生にして僕は軽い衝撃のような何かを受けた。この頃の僕は思春期でガラスのハートだったので、こんな目にあったらもう学校を休んでしまいたかったし、あわよくばゲームで心の傷を癒したいとさえ思っただろう。


 話し込んでいると、学校に行く時間が迫ってきた。この話はここでいったん区切りをつけて、さっさと身支度をする。

 着替えを完了させて、部活の道具をそろえて、教科書を詰め込んだかばんを持って。さて行くぞと思っていると。

「ゆうせい。箸を持ってないぞ」

先日から見え始めた武士は、すぐに助け舟を出してくれる親切な人で助かる。

「そうや、箸持ってないわ。ありがとう」

「うむ」

彼の親切さに、僕が順応するのも早かった。



 彼はいったい誰なのか。

 どうして僕を助けてくれるのか。

 それを知るのは、もう少し先のお話。



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