残念ながらお前の態度が気に入らない
夏山茂樹
お前の笑顔が気に入らない
昔から『いい子』と呼ばれる類の子供や女が嫌いだった。例えば、朝のあいさつ運動で、まぶたの重そうな教師の挨拶に反応して、お辞儀をして「おはようございます」と言ったり、みんながピアスをしている中、一人だけ「痛いのが嫌だ」って言ってイヤリングにしたり。
ピアスをしてもいい学校なのに、クラスのみんなに染まらずひたすら『いい子』であり続けようとするその姿。小さな体に蓄えた脂肪は胸と臀部に行き、彼女のたわわな胸と柔らかそうなお尻を制服越しに見せつけている。
でもそんな彼女は変わり者で、人間不信なところがある。ひたすら愛想よくして、優しい言葉で近づけば相手も心を開いていくが、その過程で不和が起きて別れが訪れる。そんなことの繰り返しを続けたおかげで、彼女の周りにはいつの間にか人がいなくなっていた。
昼食は粗末な弁当を食べて、あとはずっとスマホをいじっているか、音楽を聴いて机に突っ伏している。
そんな彼女と私が中学二年生。同じクラスに所属していたときだった。朝の始業式を兼ねた礼拝で、体調悪そうに体を男の先生に預ける彼女が何気に目につく。見たことのない男の先生は、なんというか、絶妙な仄暗さで分かりにくかったけど、東京やロンドンにいる爽やかな男らしさを見にまとい、老人とウブな男しかいない女子校には中々いない人間だった。
不健全優良少女の塊である彼女と、そのカッコイイ先生は何かボソボソと話をしている。だが、距離が遠いせいで、その会話の中身が聞こえることはなかった。
私は親戚にあたる、その少女が何を話しているのかに夢中になった。目を凝らして、耳を傾けて、礼拝の説教なんてまるで聞いていなかった。
「アーメン」
周りから大きな祈りの声が聞こえる。騒々しい声に合わせて、私も祈りの態勢をとる。生徒副会長として、周りに己の醜態を見せた自分に、助走をつけて殴ってやりたかった。今まで男に告白されたことはあったけど、彼はただの小学校の同級生で、どうやら私の父が経営する餅屋の商品を付き合えば、無料で食べられると思い込んでいたらしい。
思わず嬉しくて当時は付き合ってみたけど、彼のお餅や団子を食べる仕草が気に入らない。それに、当時の私は中学受験を始めたばかりで、彼を知っていくうちに釣り合わないことに気づいたから。付き合って七ヶ月目の二月、校舎の裏に呼んでフッた。すると彼は何気ない顔で、「俺も飽きていたんだ」と本性を剥き出しにした。
「そう、ならお別れね」
「ああ。でもお前の母ちゃんが作るマカロンは旨かったぜ」
「それならその小さな体で、私の母さんでも誘惑してみることね。じゃあね」
その別れ方は案外あっけなく、クラスでも取り沙汰されることさえなく、私は親戚の千代真中とともに同じ女子校に入った。
真中は女の嫌いな女を体現したような存在で、彼女の発達障害から来る、空気の読めない時の気まずさや、見せてくるネットのグロ画像で泣いた同級生を慰めるために、私は必死になった。
真中のお世話をする代わりに私の株は自然と上がり、そのかわりに真中はだんだん一人で行動することが増えていった気がする。
痴漢されたことに気付かず、制服のスカートがリュックに挟まっていることに気づかずに下着を見せて、やがて開き直ったのか彼女はスカートを短くして、ニーソックスで外を出歩くようになった。
「真中、その姿で登校するのは私の恥になるからやめて」
そう言ってみせても、彼女は「わかった」と口で答えるだけ。対応策は何もしなかった。同じことで何度も問い詰めるも、ある日真中はとうとう本性を見せた。
「この学校の決まりには、スカートの丈についての決まりはないでしょ? あんたもピアスをして副会長をしてるんだから、好きにさせてよ」
「でもその服装はハレンチだから……」
「なあに?
長ったらしい逆ギレをされて、とうとう注意しようとするたびに無視されるようになった。だがやがて、彼女のような服装で登校する者も現れ、文句も言えなくなった私は止むを得ずそれを受け入れた。
イギリス貴族の血を引き、父は有名な経営者、祖母は日本を代表する女優だったエッセイスト、姉は中高の生徒会長を務めあげた優等生。小さい頃から気を張り詰めていたせいか、私は彼女が羨ましかったのかもしれない。とはいえ、真中も沖縄の大地主の孫ではあるが。
さて、そんな彼女が苦しい空気感の残る田舎の女子校、それも神への祈りをする礼拝堂で都会にいそうな爽やかイケメンと一緒にいるのが気に入らなかったからか。私は礼拝堂の壇上で挨拶する彼のことが気になって早速目を凝らしてよくその爽やかさを堪能する。
「えっと……、今年から皆さんと同じ学舎で、中学二年生を教えることになりました、
中学の生徒たちは彼の端正な顔つき、細かくいえばどこかのアイドルみたいに白いけど健康そうな肌と、毛先を少し遊ばせた黒髪、アーモンドの形をした色素の薄い虹彩といった部分に目がいって、特に二年生はどこのクラスを担当するのか注目しているようだった。
「奧塚先生にはC組を担当してもらいます」
すると、隣の友達含めてC組の生徒たちは浮かれて嬉しそうに黄色い声をあげている。これから一年間、この都会らしさの残るカッコイイ先生の下で教わるのだから。
だが真中は何も話さないで、ずっと彼を見続けている。まあ、それはそうだろう。真中はよく問題児扱いされていて親呼び出しも当たり前の、周りに馴染めない人間なのだから。
さて、始業式を終えて、クラスに戻った私たちC組の生徒たちは、さっきのイケメン教師について語り合っていた。
「奧塚先生、可愛いよね。真中のやつが先生に体を預けてたけどさ、あいつを優しく包み込んで話しかける姿、やばいカッコよかった!」
「真中かよ……。まあ、男が好みそうな体してるもんね」
「……ねえ真中! 先生に先に話しかけられた感想は?」
だがやはり体調が悪いようで、真中は音楽を聴いて机に突っ伏している。顔色は青く、どこか悪そうなのは明らかだった。
「聞けよっ……!」
クラスメイトが彼女のイヤホンを奪い取る。微かにイヤホンが流すその音楽に耳を傾ける私たち。どうやらフラれた少女の歌のようだった。
どれだけ尽くしても、相手は戻ってこない。そんなことを遠回しに歌は告げていた。それを聞いて、私たちは思わず笑い出す。
「さっき会話してたのって、フラれたのかよ! バーカ、先生なんだからお前みたいなガイジと付き合うわけねえだろ? 気狂い、障害者!」
友達が過激なことを言い出しても、真中はやはり動かず、そのまま机に突っ伏している。普段ならキレて手を出す彼女だが、呻きながら腹を抑えるその姿に私たちは爆笑しながら話を奧塚先生に戻す。
「先生、東京のイケメンって感じがかっこいいよねえ!」
「本当にそれ! 彼女と銀座を歩いてデートしてそう!」
そんなことを言い合っていると、ガラガラと扉が開く。
「ホームルームだぞ」
私たち二年生は、彼のすました爽やかさを堪能しながら、教壇に移動してクラスの喧騒を静める先生の綺麗な瞳に夢中になる。
「おい真中、お前大丈夫か? 誰か保健室に連れていってやりなさい」
だが、クラスの中で彼女を連れて行こうとする人は誰もいない。仕方なく先生が教壇を降りて、彼女に話しかける。
「真中、大丈夫か?」
「きょ、今日は生理痛がひどいみたいです……。大丈夫ですよ……」
「よし、お前腕を俺の首に回してくれ」
真中が黙ったまま、先生の首に腕を回す。そのまま先生は真中を保健室に連れていった。
「何あれ! 先生に抱かれてさあ、真中が羨ましいよ」
「それな! 真中死ね! あいつが回復したらリンチにしにいってやるか!」
「ちょっとそれやると……」
私は親戚として真中へのリンチ計画を止めようとする。だがクラスは盛り上がり、真中へのいじめで盛り上がっていた。
「あいつのせいでかいた恥を取り戻そうじゃねえか!」
「オーッ!」
「ちょっとみんな! 誰かに見られたらどうすんの? 真中は無視すればいいじゃん。あいつはずっとぼっちだよ」
するとクラスは静かになって、「まあ副会長が言うなら」というような感じでおとなしくなった。
真中への無視はいじめではなく愛。それがクラスの裏スローガンだった。彼女と先生がいない間に、私たちで決めた。
それから、私はクラス代表として先生に校舎案内することになり、晴れ渡った空の下、茶道部が活動する部屋や生徒会室、保健室などを見て回った。
降りて一階の食堂に入ると、まだ誰もいなくて暗い部屋で先生が質問してきた。
「なあ、この部屋って先生も使っていいのか?」
その顔が近づけば近づくほどよくわかる。長い睫毛に縁取られた大きな瞳が時々瞬きして、こちらに質問をしてくる。
「せっ、先生方もよく使われます。生徒に混じって……」
私は彼の目線から目を逸らして、食堂の椅子とテーブルに目を向ける。四人用のそれらは、太陽の光を浴びながら、お昼に起こりそうなifを私の脳裏に再生させた。もし、先生と二人で食事ができたら、どんなに幸せだろう。
そんな「もしも」で頬を赤くしていると、先生が不思議そうな顔をして私を見てくる。やばい。視線が近い。
「どうしてお前、顔が赤いんだ?」
ヤバい。先生なのに少女漫画のイケメンみたいなことを言うんだ。この先生。可愛い。どうしよう。
いろいろ考えていると、つい真中のことを考えてしまう。礼拝堂で奧塚先生と二人で肩を寄せ合っていた二人。一体どんな関係があるのだろうか。
「あ、あの……。先生は、真中とどんなお話をされたのですか……?」
「ああ! 真中ちゃんね。あの子は朝からずっと体調悪そうにしててさ、始発に乗るために三十分自転車を走らせたんだって。生理痛なのに。その凄さに感心しちゃってさあ……」
生徒の事情を他の生徒に話すというヤバさはともかく、生理痛の痛みを理解しているといった態度につい私は興奮してしまった。
「先生は女性についてよくお分かりですね!」
「まあ、経験がないわけじゃないからな」
なるほど、これが都会の、東京の男というやつか。東北の陰湿で物目当てで付き合う男子とは訳が違うし、それに自分の魅力をよく知っている。私は先生に恋してしまっていた。
それから、生徒会の挨拶で一緒になる時も、彼の白くていい匂いのする歯を隣に、清潔感がよくわかる腕や口元、彼のそばにいる時のジョークも面白くて大好きだった。
彼と付き合える女子は幸せだろうな。そう思いながら日々を過ごしていたある五月の日、保健室の仕切りがされた一角に寝ていた真中を呼びに行く羽目になって、彼女に近づこうと夕日がよく映えるその一角に近づく。
すると、影に何か大きなものが蠢いているではないか。私はその正体が気になって、夢中になっていた。その刹那、真中の声が小さくその正体を呼んだ。
「ん……、せんせ、あんたの……その……、大きいですね……」
「俺に『あんた』はねえだろう? さあ、やってごらん」
「はい……」
悔しかった。なんというか、人生で二度目の失恋だけど、初めて心の底から悔しさを味わった失恋。魂が体から抜ける感覚を覚えながら、二人の服が擦れ合う音が聞こえてきて、彼女に先を越された事実より、先生が無視されている教え子と付き合っている。こんなあり得ないことがあることに傷ついた。
ネチョネチョ言う粘膜の音が地獄にたった一人、立っている時のように鳴り響いている。何も動けないまま、私はその日は静かに去ったのだった。
それから、私は静かに真中を監視するようになり、食堂で先生と嬉しそうに話す彼女の笑顔が気に入らない。彼の隣で英語の単語を教わる彼女の真剣な眼差しが先生を見つめるときのアイコンタクトも嫌いだった。
悟られないように、毎週火曜日の情事を音のならないスマホでおさめる。だがその時、思わず転んで私はふたりの目の前に姿を見せてしまった。
「る、るつき……?」
ああ終わった。これから何が起きるかがわかっているような真中の目つき。そうそう、これがいいんだよ。お前は幸せな顔より、絶望に満ちた暗い顔がよく似合っている。
「み、峯浦?」
シャツの乱れたふたりをじっとメガネ越しに捉えながら、私は先生に言う。
「さようなら、奧塚先生。これで真中も恋が終わるわね」
「なに言ってんの? よく分からないよ、瑠月……」
私は彼女のシャツを掴んでそのトパーズ色の、気に入らない目を見てゆっくり、はっきりと、よく通る声で教えてやった。
「残念ながら、お前の態度が気に入らない。お前の笑顔も、嬉しそうな顔も。お前には触れられない立場がお似合いだ!」
奧塚先生が私を避けて真中を抱きしめて、彼女を擁護する。その瞳は確かに本気が感じられて、彼女への愛がよくわかった。
「お前らが真中を虐めているからな。相談されていくうちに親しくなって、守らないといけないと思ったんだよ!」
「へえ、そんな行為をしてねえ?」
「真中への無視は愛じゃなくて、いじめそのものだからな? お前らが作ったスローガン、会議にかけられてるんだぞ? いい加減にしろ!」
ああ、誰にもバレないように作ったつもりだったのに。終わった。生徒会長の副会長としての立場が、峯浦家の人間が親戚の千代家の少女をいじめた件で揉めるかもしれない。いろいろ考えたら頭が痛くなった。何かに締め付けられるような、ゴリゴリくる感覚。私はその圧迫される感覚に押されて、やがて倒れた。
それから、私は生徒会での地位は保てたもののいじめの主犯格として学園で有名に。この年は候補になることさえできなかった。父は私に真中の生まれてからの状況をこれでもかと説明され、怒られた。
幼稚園の検査で特別支援学校に入らせられそうになっていたのを真中の母が直談判して、公立の小学校に入ったはいいものの二年生で特別支援学級に編入させられ、そこが悪いことをした子供には教師が何度も殴り続け、その音と怒号の中で授業を受ける環境だったらしい。
五年生になってやっと普通学級に戻ってこれたものの、誰も彼女を普通の人間として見るものはいなかった。ある時、男子と喧嘩になって騒いでいるうちにハサミで髪を切られ、丸刈りにされた真中はショックで引きこもる。そこで受験を決意して、父が学費を出す代わりに私が一人にならないように同じ学校に入ったそうだ。
真中は普段は暗い顔をした子だ。だが、よく見ると美人で大した化粧をしなくてもよく映える顔をしているのだ。彼女はよく私の父が経営する団子屋にいるが、高校生がラブレターを手に持って告白する場面を何度か見たことがある。
遠目からその場面を見ていたが、よく考えると自分を高く見ている人間が、自分より優れた部分を持つ同性に嫉妬していただけだった。
父が部屋から去った後、私は真中の忘れていったシャツを着てみた。青色の素朴なシャツは、胸部分の生地が余計に余って裾は下着が隠れるようだった。
その様子を鏡で見て、自分のしてきたことの意味、彼女の持っていたもの、得たもの。全てが羨ましかったのだ。
そう思うと今までの無知な自分が恥ずかしくなって、私はそのまま崩れて泣いた。好きだった先生も、彼女が自分で得たものだった。それを嫉妬で奪った私は実に愚かだ。
それから一年経つが、真中は片思い相手ができたらしい。それも、恋人がいる女装男子……。男の娘。彼女は昔の私と同じようなことをその恋人にしているが、私はいまだに何も言えないままでいる。
「好きな人の好きな人から、その好きな人を奪おうとしないで。悪夢を見るから」
一年以上前に植え付けた自己嫌悪と向き合いながら、今日も私は生徒会の挨拶運動に繰り出す。すると、真中が挨拶してきた。
ああ、やっぱり私はこの子が嫌いだ。残念ながら仲良くなれることはないだろう。
残念ながらお前の態度が気に入らない 夏山茂樹 @minakolan
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