水瀬蒼太郎(2)
「なるほど……よくわかってないですけど、わかりました」
気持ち神妙そうな面持ちを作って頷く岬夜空、閂の不親切で断片的に単語を並べるだけの説明――彼がこの世界にどういう形で関わっているのか――を受けて、恐らく半分も理解できていないだろうに、果たして彼女は僕の予想通りの安請け合いをした。
「それでいいんですか?」
「閂さんは困っているんですよね? でしたら、わたしは力になりたいです。帰りたいって理由もありますが、お父さんが困ってる人を助けるのに理由を必要としなかったように、わたしもわたしにできることがあって、それで誰かの力になれるのでしたら……なりたいです」
この子は勇者の娘という生い立ちも相まってか、異様に純度が高い……純粋さは魔力、願う力をより強固に保てる長所と言えるが、一方で人の悪意にまるで耐性がないと言い換えることもできる。
それは諸刃の剣だ、人を疑うことをしらない彼女は……まだ己に向けられる悪意の恐ろしさを知らない、岬夜空の才覚が
「夜空さん、少し力を借りてもいいですか?」
「えっと……手を握ればいいですか?」
「はい、この世界におちたとき、君は本など落ちてないかと僕に聞きましたよね? もう少し歩けば神田川まで出るとして、でしたら万世橋の地下空間はあの辺になるので、そこに幾らかの物資が眠っているはずです」
「カンダガワ! モモとドラゴンを読んだ時に出てきたので覚えてます、あれって実在したんですか?」
「そうですね、それに……君はもっと幼かった頃、実際に神田川も神田ドラゴンも見ていると思いますよ」
「それって、もしかしてお母さんやお兄さんと一緒にですか?」
「かもしれないですね」
「水瀬蒼太郎、何をするつもりだ?」
「貴方の説明不足を少しフォローするんですよ、世界が滅びそうになったから世界そのものを止めた……その天に何が起きたか、空間を抉るようにざっくりと転移させることしかできませんので、その場から動かないでくださいね」
「さっきも言っただろう、見限った天と地をツクヨミで遮って、その状態を維持するために俺の抑止力を使っていると」
「な、なるほどです」
「……とりあえず動かないでください」
万世橋の地下には、この世界の人間達が隠した宝物庫のような空間があるはずだ、いや、埋めた人達の言葉を借りるとすれば、それはタイムカプセルか……微かな希望を未来へ残したかったのだろう。
「僕一人だと厳しいか、夜空さん、一緒に転移をしてみましょう、僕の指さす先に意識を集中してください、そして、指で円を描くので、それぐらいの範囲を歩道橋近くの道路の上にばら撒くイメージをしてみてください」
「でも、そんなことしたら先にある建物とか崩れちゃいませんか? 閂さんが、えっと……世界を止めてるから大丈夫ってことですか?」
「あぁ、心配しなくていい」
「わかりました」
岬夜空の集中に呼応しているのか、万世橋の方角を見ている僕の視界にまで彼女の
文字通り目と鼻の先で輝く星々、星空の向こう側に廃墟となったビル群の影が薄っすらと滲んでいる、どこかの絵本作家が描いたような幻想的な景色だった。
岬夜空と繋いだ手から熱が巡ってくる感覚、彼女の呼吸に合わせて僕の体の血管も脈打つ。
――だが不思議だな、お前が人間に肩入れするとは。
転移へ向けていた意識が不意に途切れそうになり、下唇を強く噛む。
「蒼ちゃん、大丈夫ですか?」
「僕は大丈夫ですから、始めましょう」
「……わかりました」
呼吸の間隔が重なるのと同時に、指先を転移先となる道路の方へ移す。
指さした先にタイルやパイプなどがごちゃごちゃ混ざり合った瓦礫の山が瞬時に築かれる。
停滞している時の流れの中、転移の反動が僅かな余韻となり、巻き込まれた土やセメント片が勢いよく辺りに散らばった。
「悪くない、さすがだな」
成功を見届けた閂が先んじて瓦礫の山へ向かっていく。
「成功しましたね!」
「そうですね」
閂の背中を追って駆け出した岬夜空が残す星空の軌跡をぼんやり見つめながら、疲労感を誤魔化すようにゆっくり歩きだす。
「これはなんですか?」
「マイクだな」
「何に使うんです?」
「歌うときに使う」
「歌……ですか」
二人の会話に耳を傾けながら、役に立ちそうな情報源を探す。
赤神有紗から断片的に聞いたことを思い出しながら、誰でも理解できるもの、言語が通じなくてもこの世界の現状を知ることができるもの――写真や絵を束ねたものがないかと、砂まみれの瓦礫の山を靴底で漁る。
「目当てのものはあったか?」
「時間をかければ色々ありそうですけど、とりあえずはこれで充分そうですね……夜空さん、これを見てください」
軽く砂埃をはらって岬夜空の方へ放り投げる。
「本! 薄くてでっかい本です!」
「雑誌です、短い間隔で刊行され、随時、世の中の出来事を伝えています」
「文字は魔王城にあった本と同じなんですね……ええと、日光、精神喪失……日を多く浴びたものから、精神に異常がみられた……そんなことがあるんですか?」
「あぁ、ここは天……即ち太陽が見限った世界だ」
「だから、閂さんが夜のままにしているってことですか?」
「東京はそうだ」
「本当にお日様が……概念魔術……世界にルールを……」
「ガァッデム」
「は?」
僕達の目の前に突如として現れた大きな影。
ずんぐりとしたシルエット、テーマパークを連想させる……熊を模したキャラクターの着ぐるみ。
砂で汚れた丸い瞳がこちらを見る。
「
「トマソンダヨ」
閂の一声に対して、耳障りな甲高い声でトマソンと答え、仰々しく両手を広げる着ぐるみトマソン。
「ゲームヲシヨウ!」
「……嫌ですよ、用事は済みましたし有紗を探しに行きましょう」
「そうだな」
「ゲームヲ……」
岬夜空の手を取り、トマソンを無視する形で歩き出す。
「本当にいいんですか? トマソンさん
「いいんですよ、あんなの相手する必要ありません」
微かな抵抗を示す岬夜空を引っ張るようにして神田川まで辿り着く。
「あの、どこへ向かうんですか?」
「閂を見つけたときと一緒ですよ、僅かですが気配を感じるんです……あの川の向こうに」
「そうだな、秋葉原方面にいるのは間違いない」
勢いそのままに万世橋へ一歩、踏み込んだ刹那――視界が一変した。
掴んでいたはずの岬夜空の手の感触も消えている。
頭上に広がる青く澄んだ空、電車が近くを過ぎる音、周囲を横切る人間の靴音、あちこちから耳に飛び込んでくる会話、不揃いな騒音の数々。
さっきまでとは違う、活気に満ち溢れた秋葉原の姿が目の前にあった。
「やられた! くそったれが!」
感情を剥き出しに叫んでも、周囲を歩く人々は足を止めるどころか、視線を向けることさえない。
感覚的に転移とは違うことが分かる、おそらく陰陽道に近い、境界に干渉する類のもの――この世界で識訳師の術が扱えるものを、僕は一人しか知らない。
「神田川を境い目にして此岸と彼岸に分けたのか……急がないと」
岬と陰日向 えんじゅ @enju299n
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