愛と欲望と正義と目玉焼きと食パン

ナツメ

愛と欲望と正義と目玉焼きと食パン

「焼けたよ、机の上かたして」

 キッチンから声を掛ける。はーいと遠くから返事。

 まだ部屋でごろごろしてたな。

 やがて足音が近づき、食卓の辺りで物音。

「わーい目玉!」

 キッチンに侵入してきた彼女が言いながら皿を持っていく。

「わーいって、好き? 目玉焼き」

「いやなんとなく」

 彼女は食卓でトースターにパンをセットしているので、僕はマーガリンを取りに冷蔵庫へ。

 開けて、ふと気づく。

「ねえ、目玉には醤油? ソース?」

 言うと同時に彼女がこちらに来た。なぜか目を見開いている。

「……どした?」

「……深遠な問いかけだなと」

 どっちにしよう、普段は醤油派だけど、パンだからなあ、ソースかなあ、と眉根を寄せてうなっている。

 どっちがいいかと聞かれたので、醤油かな、と答えた。

「……そう言われると、なんか、醤油だな」

 というので、醤油を持って行った。


「ジラール」

 僕がつぶやくと、彼女はマーガリンを塗る手を止め、怪訝けげんな顔をした。

「なに?」

「欲望の三角形ってやつ」

「知らん」

「欲望は直接対象に向わず、他者の欲望を模倣もほうする」

「ほう」

「僕が醤油って言ったから、醤油が欲しくなった?」

「ああ、そこにつながるのか」

 ふーん、と唸りながら彼女は、マーガリンを塗ったパンに目玉焼きを乗せる。

「もともとあった欲望が肯定される感じ? 醤油派だから、醤油いいよねって他人からも承認されたい? みたいな?」

「あー……」

 僕は目玉焼きはパンに乗せず、そのまま食べる。半熟の黄身を、白身ですくう。

「あ、セジウィックか、ジラールのあれか」

 彼女はパンの上で黄身を割り、醤油をかけた。

「知ってんじゃん」

「ジラールって名前を忘れてた。性愛の三角形ね」

「そうそう」

「セジウィック読むとさあ、なんか、恋愛とかしてること自体がなんか……ってなる。わたし女だし、ヘテロだし、なおさら」

「交換価値かよ! みたいな?」

「そうそう」

 彼女の手の上で、黄身がパンに染みていく。うまそうだ。

「おれを交換価値にしてお前らのきずな強めとんのかい! みたいなさあ。ヘテロセクシズムにおける愛って、ロマンチックラブイデオロギーで綺麗に言ってるだけで、その実ひどくホモフォビックで生殖主義的でさ。愛ってどこにあるのさ? ってなる。ときがある」

「かといって同性愛至上主義っていうのもね」

「反動的すぎるよね」

 彼女のパンがうまそうなので、僕も皿に付いた黄身をちぎったパンに吸わせて食べる。うまい。

「これだけ性愛に関する問題には法がはたらいていて、ある意味ではそれが法における正義だし、でもその正義が多くのものを排除していて、今度は別の正義のために、うちらみたいに研究したり、あるいはアクティビストになったりするわけじゃん。なのになんか、こう、普通に付き合ってるのがね。なんかね」

「それは僕も思う。なんかね。好きなんだけど、なんかね」

「勉強しちゃうとね。どんなふうにそこからずらして関係を結ぼうとしても、結局ヘテロである限り法に回収されちゃう感がね」

「もどかしいね」

「もどかしいね」

 でもまあ、こういう話がスムーズに通じる相手なのはほんとに良かったわ、と言って彼女は、パンの最後のはじっこを口に放った。

 そして飲み込んでから、あ、塩コショウも良かった! と頭を抱えていた。

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愛と欲望と正義と目玉焼きと食パン ナツメ @frogfrogfrosch

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