☆第20話 ルクス教徒撲滅の法

 その週の金曜夕刻、工場の外を馬が駆けて行く音がした。一番窓の近くにいた労働者がそっと外を覗く。

 けれど工場内のどこにいた者にも、騎乗者が叫んだ声は届いた。

「国王崩御! 国王崩御!」

 工場内は浮ついた空気に包まれた。

 王子と王弟、どちらが王位を継ぐのかという話題が持ち上がったが、貴族から王城内の話を聞いていたレイヤは簡単に予想がついた。

 十中八九、王子が継ぐに決まっている。


「これからどうなるんだ」

 工場の労働者たちは不安そうに言った。

「天上の人たちが何をやっているのかなんて、俺たちには分からない」


 それは違う、とレイヤは思った。

 彼らは天より上にいるのではない。

 レイヤたちの立つ地面の下で争っているのだ。

 王権争いも、宗教戦争も、思いきり地を揺らしてレイヤの生活に直結する。


 翌日は戴冠式だった。

 予想通り、新しい国王として国内を巡り歩いたのは十七歳の王子だった。


 国王の行列が近くを通るというので、レイヤも昼休みに様子を見に行った。

 レイヤより二つ年上の若い国王は、高貴な者にありがちな無駄な贅肉とは無縁の体つきをしていて、豪華絢爛な馬車の上から民を見下ろすその目つきには、ルクス教の慈愛や哀れみとは対極の、冷静さと強さが表れていた。


 民衆は目を輝かせて堂々たる新王を見上げていたが、行列が通り過ぎると揃って不安そうに目を見合わせた。

 この新王は自分たちの暮らしを豊かにしてくれるのか。

 成年に達しない若き王に、争いを止める力はあるのか。


 国王が城に帰ってから数時間後、もう日も落ちていたのに、警吏が何人も慌ただしく駆け下りてきた。

 彼らが孤児街にも足を向けるのを見て、レイヤは急いでテントにとって返した。

 ミナは静かに兄に顔を向ける。夕飯の用意はしておいてくれているが、あの日以来、ミナは兄に口を利こうとしない。

 レイヤはそれまでずっと彼女を放っておいたが、さっき見た光景を伝えないわけにはいかなかった。

「ユス教側の王子が国王として立った。何かふれを出したそうだ」

 ミナは少し瞳を揺らがせた。

 そんなミナに、レイヤは追い打ちをかけるように言う。

「ルクス教禁止令でも出したのかもな」

 ミナはぱっと目を逸らした。

 すすり泣くような声と、何かを呟くような声がした。

 それは「お兄ちゃん」とも聞こえたし、「ルクスさま」とも聞こえた。


 怖がるくらいなら、レイヤは思う。

 怖がるくらいなら、信じる心なぞなくしてしまえばいいのに。


 そんなミナを置いて、レイヤはもう一度テントから顔を出した。

 警吏が孤児街をのし歩き、テントを一つ一つ覗き込んで何かを聞いている。

 案外、自分の予想も外れていないかもしれない。

 レイヤはミナを振り返り、無理矢理こちらを向かせた。

「ユス教の教義を覚えているか」

 ミナは兄の目を見ないで小さく一つだけ頷いた。

 ここにユス教の経典があった方がよかったかもしれない。けれど隠し場所まで取りに行く暇はない。警吏が孤児街の端のレイヤたちのテントを覗き込むまで、彼は妹に何度もユス教の教義を復唱させた。ミナはつっかえつっかえ、どもりつつも、何とか最後まで言い切った。

 同時にテントが荒っぽく開かれた。

 むさ苦しい顔をした二人の警吏が、台帳を手にレイヤを睨むように見た。

「名前は」

「レイヤとミナ」

 落ち着いて答えたレイヤと対照に、ミナは警吏を見上げながら小刻みに震えていた。

「宗教は」

「二人ともユス教だよ」

「なら教義を唱えてみろ」

 レイヤはいつもユス教の貴族にやっているように、すらすらと教義を唱えて見せた。警吏が頷く。「すごい、完璧だ」それで台帳に何やら印をつけた。

 それで立ち去ろうとした一人の背中をもう一人が叩く。

「待て。後ろの娘は終わってない」

 ミナがそれで肩を震わせた。

 レイヤは彼女の瞳を見て、安心させるように頷く。

「お前もユス教徒だというのなら、証拠を見せてみろ」

 ユス教徒。

 その言葉にまた体が跳ねたが、震えながらもミナは教義の冒頭を口にし始めた。

「我々は……初代しん……くん……ガガラ……」

 そこでミナは止まり、震えながらレイヤを振り返った。緊張しているのか、続きを忘れてしまったようだ。レイヤの背筋に寒いものが走る。さっと警吏たちの視線を確かめたが、まだ不審には思われていないようだった。

「ミナ」レイヤは妹の名を呼んだ。「緊張しなくていい。いつもの通りやれ」

 ところがミナは余計に泣きそうになるだけで、続きを行うことはできなかった。

 やがて待ちくたびれた警吏が口を挟む。

「もういい。次回までにそのあがり症を治しておくんだな」

 ミナは安心してくずおれた。

 レイヤは孤児街を後にしようとする警吏たちを慌てて呼び止める。

「待てよ。次回っていつだ」

「来月だ」

「来月?」

「ああ。本日即位されたクレメンティ国王陛下が、ルクス教徒撲滅の法を出されたからな。毎月異教徒審査が行われる予定だ」

「ルクス教徒撲滅の法だって?」

「今後ルクス教徒でいることは禁止された。もしルクス教徒を見かけたら報告するんだ。分かったな」

 レイヤは警吏が紐を引っ張っているのに気づいた。その先を追ってみると、見慣れたいくつもの顔が、両手を縛られ首に縄を掛けられた状態でそこに繋がれていた。こんなにもルクス教徒がいたことにレイヤは驚いた。ルクス教神殿の真下にある孤児街だから、それも仕方ないのかもしれないが。


 テントの入り口をぴったり閉じると、震えながらレイヤを見つめるミナと目が合った。ミナは少しためらう様子を見せたが、それでも、兄の胸に飛び込んできた。

 レイヤは一つ息をつく。

 胸の中を温かいものが巡っていくのを感じる。

 ミナを優しく抱きとめてやると、彼女は咳を切ったように泣き始めた。

「聞こえたよな。だから、ルクス教徒なんてやめておけと言ったんだ」

 ミナはわんわん泣くだけで答えない。

「殺されるぞ。ルクス教徒は城に連れて行かれて、頭を撃ち抜かれる」

 ミナは余計に泣きじゃくった。けれど、レイヤの胸にしがみつきながらも、必死に首を振ることだけは忘れなかった。





 次の日曜日には、ミナがこっそり神殿に行くかもしれないと考えて、工場には午前中の休みをもらっていた。ミナは夜通し泣き続けて目を真っ赤に腫らしていた。ちらちらと坂の上を気にしているようだったが、兄の手前、口に出すことはしなかった。

 レイヤの方が、外が騒がしいのを逆に気に留めた。

 坂の上に人だかりが見える。


 ルクス教徒撲滅の法がここでも施行されたらしい。中から神依士が二人引っ張り出されている。民衆から一足遅れて、ルクス教神依士の告発だ。

 神殿を取り囲む野次馬たちは皆ユス教徒なのだろう。ルクス教神依士の無様な姿を見て、嘲笑に顔を歪めている。


 ミナが神依士の顔を見て、ひっと悲鳴を上げた。「神依士さま」と小さく名前を呟いた。

 レイヤはぎくりとしたが、幸い誰にも聞かれなかったようだ。

 神依士は気配を感じ取ったのか、いきなりこちらを振り向いた。

 突然のことに頭が混乱しているらしい。

 恥ずかしさからか顔を真っ赤にさせて、体面を保つために周りに叫んだ。

「黙れ!」

 ミナは息を呑み、レイヤは顔を背け、群衆は余計に神依士を嘲笑った。

 神依士が護送馬車に押し込まれてから、レイヤはミナの袖を引っ張って彼女のことを見下ろした。視線を上げたミナの顔は涙と鼻水とでぐしゃぐしゃになっている。レイヤはすぐにミナを抱き上げた。彼女の表情が誰からも見えないように、頭を自分の胸に押し付けた。


「白昼堂々と泣くな。お前の心の内を告白しているようなものだぞ」


 妹に囁くと、彼女は余計にしゃくり上げた。呆れたレイヤがその場を離れ、熱気と騒々しさから遠ざかると、ミナの泣き声は余計に耳についた。


「やめる気になったか」


 ミナは顔をうずめたまま、懸命に首を振った。


「あいつらは明日にも殺されるだろうな」


 ミナはその恐ろしい場面を想像してしまったのか、もっと激しく泣いた。

 と思ったら、急に声の調子が落ちて、呼吸が不規則になってきた。持病の発作である。苦しそうに息を吸いながら、涙だけは止まることを知らなかった。

 テントに帰って休ませても、ミナはなかなか落ち着かなかった。やがて時間になり、レイヤが工場に行く支度をしているときになってようやく顔を上げ、「お兄ちゃん」と声を出した。


「どうして、ルクス教徒は捕まっちゃうの」


 初めて出た質問だった。ミナがルクス教徒の排斥について少しでも理不尽さを覚えているだなんて、思いもよらなかった。

 ミナがこうして神の名を語るときに瞳に宿る光を、レイヤはかつて見たことがある。……母と死に別れた、正にその日に。


「ルクス教は邪教だ。その頭でよく考えてみろ。……テントを絶対に離れるな」


 しかし、妹は心を変えたりしないだろう。

 レイヤはそのことを、もはや確信に近い形で抱いていた。


 ミナはルクス教を捨てたりしない。

 例え殺すと脅されたとしても、本当に命をとられたとしても。






(参考:第十話「新王即位の日」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054917654996/episodes/1177354054917658746

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