my engine
黒弐 仁
my engine
目が覚めてまず一番初めに感じたのは、体全体を包むこれまでに経験したことのないような凄まじい倦怠感だった。通常の目覚めの時とは全く違う、指一本すら動かすのが億劫になるほどのものだ。きっと冬眠から目覚めたばかりの爬虫類や獣はこんな感じなのだろうとなんとなく思った。
目を開けて周りを見渡してみた。天井、壁、床、すべてが白い。自分の左側には何か大きな機械が設置しておりそこからピッ…ピッ…と単調な音が聞こえる。自分の腕を見てみると真ん中あたりにゴム管のようなものが刺さっており、それ等の情報から自分は今病院のベッドで寝ていることが理解できた。
ベッドの右側には窓があり、カーテンは閉まっていたものの透けて見える向こう側の暗さから今は夜だということが分かった。
…段々と思い出してきた。そうだ俺は確か、帰宅途中に自動車に突っ込まれたんだ。
待てよ、一体俺は、どのくらい眠ってたんだ?今日は何月何日だ?まずいぞ。今進めているプロジェクトは、どうなってしまっているんだ?一刻も早く会社に戻らないと…。
一人焦燥感に駆られていると病室のドアが開き、今の俺の気持ちとは対照的な間の抜けた声が聞こえてきた。
「おや、目が覚めたようですねぇ…」
入ってきたのはおそらく定年間近と思われる情けなさそうな顔の、少し頭の禿げあがった医者だった。
こいつが俺の治療をしたのか?なんか不安だ。後遺症が残ってたらただじゃ済まさんぞ。
「いやぁ、目が覚めて良かった。おめでとうございます。それでですねぇ、さっそくで申し訳ないのですが、こちらの書類に目を通しておいてください。それじゃあ、残る人生、悔いの無いようお過ごしくださいね。」
そう言うと医者は一枚のA4サイズの紙を渡し、さっさと部屋を後にした。おい。俺の病状の説明はないのか。こんな紙切れ1枚で全てが伝わるようなものでもないだろうが。全く…。
仕方なく、受け取った書類に目を通した瞬間、俺は愕然とした。
遷延性意識障害患者延命装置取り付け完了のお知らせ
田端 葉月 様
今回、配偶者様のご希望により遷延性意識障害患者延命装置(以下、DGエンジンと表記)の取り付けを行い、完了いたしましたことをここにご報告いたします。
DGエンジンの作動期間は72時間となっております。停止後のDGエンジンは管理委員会により回収となるため、以下に記載されている停止時刻が近くなりましたらご自宅にて待機していただきますようお願い申し上げます。
DGエンジン起動時刻:20XX年6月25日18時23分
DGエンジン停止時刻:20XX年6月28日18時23分
それでは残る人生、悔いの残らないようお過ごしください。
俺が事故にあった日から1か月以上が経っていた。
俺は患者服をはだけさせ、自分の腹を見てみると、生々しい大きな手術跡があるのを見つけた。そこにそっと手をかざしてみる。
ギッ…、ギッ…、ギッ…、ギッ…
機械的な規則正しい動きが手の平から伝わってくる。そのことが、今この瞬間は全て現実のことだというのを俺に自覚させた。
遷延性意識障害患者延命装置。通称、DGエンジン。
医療機器の権威ダスティン・ウィンストンと医学者ジョージ・ガーランドの共同研究により開発された全く新しいタイプの延命装置。この装置を取り付けることにより植物状態や脳死状態となった人間を目覚めさせることができるのである。
だがそれは決して人命を根本的に救うものではない。この装置の効果は一時的なものでしかないのだ。
DGエンジンを取り付けられた人間は確かに目覚める。だがそれには72時間という制限時間が設けられている。そしてその時間が終わるとそこに待っているものは、完全なる死であり二度と目覚めることはない。要はその与えられた72時間で死ぬ準備をしろということなのだ。
もちろん、この装置が発表された際には批判の声も上がった。
人間の死に対する冒涜ではないか。目覚めた人間は死刑宣告されている者と変わらないのではないか。生体移植で救われる数が大幅に減少するのではないのか。
さらに、その手続きの方法に関しても問題提起されている。
DGエンジンを取り付ける際に手続きを行うのは本人ではなく親族などの近親者である。要は本人の意思とは関係なしに目覚めさせられてしまうのだ。それはそう
だ。本人に意思確認などできる状態なのではないのだからな。
にもかかわらずこの体制をとっている理由は簡単だ。遺産相続の話し合い、昏睡状態となった原因の警察による事件性の究明、事故の責任の所在を明らかにするためなど。すなわち本人不在だとうまく話が進まないのを避けるための手段の一つとして用いられているのが大半である。
そのことを踏まえてもだ。なぜ俺はこのエンジンを取り付けられた?
恐らく同意書に署名したのは妻だろう。しかしその理由が分からない。俺には兄弟はなく、両親はともにもういない。だから俺の遺産を相続するのは妻しかいないから話し合う必要性など全くない。そもそも俺は同年代の中では稼ぎは良い方だが、蓄えはそれほど多いわけではない。エンジンの取り付けは任意だから保険適用外だ。それにかかる費用等を考えれば損をするのは目に見えている。
そしてもっと言えば、俺と妻の間には愛情などもない。
そもそも、俺は結婚などしたくなかったのだ。だけれど、今のこの時代、ある程度の規模の企業に勤めていると昇進には結婚して家庭を持ち、子供がいることが絶対条件となっている。これは国の方針として法律で定められているのだ。要は少子高齢化対策の一つだ。独身貴族廃止ということなんだろう。
なので俺は仕方なく適当に見合いして結婚したというわけだ。そう言った背景があるわけだから妻には特別な思い入れがあったわけでもないし、息子が生まれた時も特別な感情などは湧かなかった。きっと妻も俺に対しては愛情はなく、養ってくれさえすればいい程度の存在なのだろう。
…と思っていたのだが、なぜ俺は目覚めさせられた?解せない。何もかもが。
俺が一人、病室で悶々としているとドアが開き、誰かが入ってきた。
「…目覚めたのね」
病室に入ってくるなり冷めた声を妻は俺に浴びせてきた。
「はい。あなたの服。19時までにはこの病院を出なければいけないみたいだからそれまでに着替えて準備して。」
そう言うと妻は颯爽と病室から出ていった。
それにしても、目覚めてすぐに病室を追い出されるとは。結局、今の俺は既に死んだものと同じ扱いということなのか。
まぁ、あれだ。限られた時間を有意義に過ごすために目覚めたらすぐに退院するという決まりでもあるんだろう。
そう一人で勝手に納得した俺は、着替えた後ナースステーションで軽く礼を言い、病院を後にした。
家に帰る途中の社内では妻との会話は一切なかった。まぁいつも通りのことであるからさほど気にはならない。そういえば、妻の声を聞いたのも久しぶりだった気がする。
とにかく、明日からの三日間、俺は何をすればいいんだ。これまで社会的地位を手にすることだけを目標にし、仕事だけをしてきて生きてきた。残る人生悔いのないようにと言われても、残り三日じゃあそれを手にすることなんてできやしないし、仕事以外には何一つ楽しみなんてものもなかった。これならいっそのこと、このまま死なせてくれればよかったのにとすら思う。
「ついた。」
また冷たい声がかかる。本当に、こいつの考えていることが分からん。
俺と妻は車をおり、わが家へと入っていった。
自分でも入院していたのが嘘なのではないのかというくらいその後のことはいつも通りだった。
息子の悠太を交えて家族三人で飯を食いながら、楽しそうに話す悠太の話を適当に相槌を打ち聞き流し、久々に悠太と一緒に風呂に入った後寝床についた。
本当に自分の中であのへんてこな機械が動いているのだろうか。食事も普通にとれるし、眠気も普通にある。
ふとそう思うたびに自分の腹部に手を当ててみると、
ギッ…、ギッ…、ギッ…、ギッ…。
その規則正しい機械音と振動を感じるたびに今この瞬間も現実なのだと自覚する。
俺の寿命はあと三日か…。一体、俺は何をして過ごせばいい?
翌日、俺はいつも通りの時間に置き、飯を食べ、出勤の準備をした。昨夜考えても、特にしたいことは見つからなかったため、結局今まで通り会社に行くという選択肢を取ったのだった。
「どこに行くの?」
普段は見送りもしない妻が後ろから話かけてきた。
「どこって…会社に決まってるだろ」
「決まってるって…あなたは1か月も眠っていたのよ?今更会社に居場所があると思う?それに、あと3日しかないんだから…」
「うるさいっ!!!」
妻の言葉に苛立ちを覚え、これ以上会話を続けてもストレスがたまるだけだと判断した俺は振り向きもせずに急ぎ足に家を出た。
「今更一体、何しに来たんだ?」
出社するとまず出てきたのはそういった上司の言葉だった。
「この会社にもうお前の籍は無い。世間的には死んでいるんだよ。あと3日生きれたところでこの会社にどう貢献できるというんだ。それに一応は退職という扱いで退職金だって出ているんだし、人生の最後くらい、家族の傍にいてやれ。ほら、出てけ出てけ。仕事の邪魔になるだろ。」
追い出された俺は、会社のビルの前にある公園のベンチに腰を下ろし、静かに目の前の光景を眺めた。散歩する老夫婦、何かしらの作業をする市職員、そして子供と戯れる母親。
この人たちはきっと、一か月後も二か月後も同じような日常を生きていくことができるのだろうな。彼らが普通の人生を歩むことができるというのに、何で、何で俺にはそれが許されない。
そんなこの世の理不尽さに悔し涙が流れようとした、その時だった。
「だから言ったでしょう?」
顔を上げるといつも通りの表情の妻が立っていた。隣にはキョトンとした顔をしている悠太の姿もある。こうなることが分かってて、俺がこの公園に来ることを予想してわざわざやってきたのか。
「…俺を笑いに来たのか?」
「笑うも何も、退職の通知は来ていたし、会社がそのままあなたを受け入れるはずはないと思ったのよ。あなたのことだからのこのこ家に帰ってくるはずもないと思ったから、行くとしたらここくらいしか…」
全てを見透かされているようで腹が立って仕方がない。が、今は怒鳴り散らす気力すらも湧かない。
「…なんで俺にエンジンを取り付けた。何であのまま死なせてくれなかったんだ…こんなの、こんなの惨めすぎる…」
「それはあなたが仕事しか生きがいが無かったからよ。あなたにエンジンを取り付けた理由はその時が来たら話す。今、やることが無いんだったら悠太と遊んであげて。せめて最後くらい父親として生きて。」
悠太の顔を見ると、少しおどおどとした顔で私を見ているのに気が付いた。
「ほら、悠太。パパと遊んでもらいなさい。」
そう言うと妻は悠太の背を押して悠太をこちらに寄せてきた。
どうせ今の俺には何もやることは無いのだ。今だけではなく、明日も、明後日も。それなら、別に悠太と遊ぶのを拒否する理由は無いか。
スーツの上着を脱ぎ、ネクタイを緩めると、公園の広場で悠太と追いかけっこを始めた。妻は少し離れたところからそれを見ている。
最初は少し緊張気味に俺に接してきた悠太だったが、すぐにそれがほぐれたらしく、キャッキャと笑いながら遊び始めた。走って転んで、また立ち上がって。子供のバイタリティは本当に溢れている。運動など碌にしてこなかった俺はすぐに息が上がってしまった。そう言えば、こんなにも体を動かしたのは本当に久々だな。
途中、妻が買ってきた昼食を摂り、午後からも公園で遊んだ後、夕食は3人で外食を摂り、疲れて眠ってしまった悠太を妻がおぶりながら俺たちは帰路に就いた。
電車の中。運よく座席に座れ、妻の膝の上で眠る悠太の顔を見た。そこには何の憂いも無い、純粋な寝顔があった。その顔を見ていると、私が午前中まで抱えていた黒いもやもやとした感情が少しばかり解けていくような気がした。今は純粋に子どもがうらやましい。
そのまま、妻の方に顔を向けてみると、いつも私に向けている仮面のような顔に少しばかり、笑顔が現れていた。
次の日。俺は妻に誘われるがままに都内のテーマパークへとやってきた。平日ということもあり、人は多いものの特別混んでいるという印象は無い。
それにしても、テーマパークか。この歳になっても来るとは想像もしていなかった。
「悠太は、ここに来たことはあるのか?」
「ない。あなたも連れてきてはくれなかったし」
冷たく返されてしまった。昨日、少しばかり笑顔があったのは見間違えだったのだろうか。それにしても果たして俺は、今日を楽しむことはできるのだろうか。
年齢や身長の制限の関係もあり、悠太はジェットコースターなどには乗ることはできない。だがそれでも目に見えるもの全てが新鮮なようで、始めから笑顔で走り回っていた。
メリーゴーランドにコーヒーカップ、子供列車など次々に乗りまわっていき、その度に俺はその様子をカメラに収めていった。俺がいなくなってしまっても、その記録に残っていくように。
「あなた…、笑ってる。」
「えっ?」
悠太とそのテーマパークのキャラクターの着ぐるみとの2ショットを撮り、その写真を確認していたところ、妻がふと言った。
「…お前もな。」
妻の顔には俺には見せたことのないような笑顔が貼られていた。作り笑いではない、先ほどまでの仮面のような顔が嘘のような自然な笑顔だ。
「えっ…私が…そんな…」
どうやら動揺しているらしく、少し顔を赤らめ、どもりながら答えた。その姿を見て、不覚にも可愛いと思ってしまう自分がいるのに気付いた。
何年ぶりだろう、この感情は。結婚してからは妻のことを異性と思うどころか家族としても接していなかった自分がこのように思うなんて。
「!!悠太はっ!?」
「えっ!?」
視線を戻すと、先ほどまでいた目の前にいた悠太の姿は忽然と消えていた。一体、どこへ行ってしまった!?
「ご、ごめんなさい…私が目を離したから…」
「今は謝らなくていい!!とにかく悠太を探そう!!」
そう言って俺と妻は悠太を探し始めた。悠太…。どうか無事でいてくれよ…。
「いたっ!!あそこ!!!」
悠太を探し始めて5分ほど経った時、妻が急に叫んだ。
妻の指さした方を見てみると、着ぐるみと笑顔で戯れている悠太の姿が目に入った。どうやら写真を撮った後、そのまま別の着ぐるみを追いかけてしまっていたようだ。すぐに見つかって良かった。本当に。
「悠太っ!!」
「あっ!!パパッ!!ママッ!!」
「ダメじゃないか!!勝手にどこかに行っちゃあ!!心配したんだぞ!!」
「ごめんなさぁい…」
悠太はしょぼくれた様子で謝ってきて、そこでふと気づいた。
…俺は、心配をしていたのか。本気で。息子のことを。そうだ。以前の俺であれば、わざわざ自分から探しには行かず、適当に従業員に声を掛け、探してもらうという選択肢を取っていただろう。
その俺が、息を切らし、こんなにも必死に息子のことを探し出したというのか…。
その後は気を取り直して、残るアトラクションを息子と妻と一緒に大いに楽しんだ。本当に、自分でも信じられないほど。
そして帰り道、バックミラーを覗くと遊び疲れて眠っている悠太の姿が目に入った。その寝顔はとても幸せそうで、昨日会った俺の黒い感情は、確実に解けていっているのを確かに実感した。
「…楽しかったな。」
「えぇ。とっても。」
妻とはそれ以上の会話は無かった。もう何年もまともに夫婦らしい会話をしてこなかったので別に不自然なことではないものの、次の会話を探している自分がいることに少し驚いた。
妻の方に目をやると、少しうつむいているが、その顔は、確かに笑顔になっているのが分かった。
そして最終日。今日の18時23分、俺の体の中のエンジンは止まる。俺の人生はそこで終わるのだ。
朝起き、飯を食べ、その日はずっと悠太と妻と3人で家の中で過ごした。悠太が絵を描き、それを私と妻で見守り、できた絵を褒め、それをリビングに飾った。他の家族から見れば、なんてことはない普通の日常。だが結婚し、子供が生まれても仕事にしか目の無かった俺には全てが新しいことだった。
そしてその全てが楽しかった。心から自然に笑えた。悠太も妻も、本当に、本当に自然に笑っていた。だが楽しい時間程すぐに過ぎていき、気が付けばもう夕日が差し込んでいる時間帯だった。悠太は1日遊んで疲れて眠ってしまっている。どうせならこのまま、エンジンが止まってしまえば今の私の悠太に対する未練は無くなるだろうか。まさか仕事以外で、こんなにも未練のあるものが出てくるとはな。
その事実を自覚した途端、急に胸が締め付けられ、呼吸が苦しくなった。
「なぁ、
「…久しぶりね、名前で呼んでくれたのは。」
妻はうれしそうに微笑んだ。
「本当に、本当に済まなかった。俺はいままで生きてきた30年間で、こんなにも充実した日々を過ごしたことは…無かった気がする。」
妻は何も言わず、ただ私のことをじっと見ている。
言葉が出てこない。出そうとすると、途端に胸が締め付けられ、呼吸が苦しい。
「俺は…俺…は…、人でなしだった。自分の…こと…しか考えずに…君たちの…事なんて…多分…飾りとしか…思っていなかった…んだと…思う…。ダメだ…、言葉が…出てこない…!!もう最後だというのに…!!!悔しいよ…。本当に…!!だけど、これは…これだけは…分かっておいてほしい…!!ありがとう…愛してる…!!!」
私が言い終わると、妻は両手で顔を覆い、わぁっと泣き出した。
「どうしたんだ!?俺はまだ何か…君に…」
「違う…違うのぉ…!!!」
妻は泣きじゃくりながら、嗚咽交じりに話を続けた。
「本当は…、本当は!!最後に…あなたを後悔させたくて…私たちを見てこなかったあなたを…心の底から後悔させたくて…!!!あなたが見てこなかったものが…どんなものだったかを…知らしめたかったの…!!!それで私…あなたにエンジンを…取り付けた…!!!でも私…勘違いしてた…!!!あなただけ…じゃない…!!!私も…私だって…!!!」
その後は大泣きを始めてしまって最早言葉にはならなかった。
でもその言葉の先は必要ない。今の妻を、操を見れば、彼女もまた私を失いたくはないと思っていると、それだけは伝わってくる。そう思ってくれているだけでいい。
「ごめんなさい…!ごめんなさぁい…!!!」
「いいんだ。いいんだ。俺が全て悪かったんだ。ありがとう。ありがとう…」
俺は優しく囁き、妻を抱き寄せた。
「パパ?ママ?なんで泣いてるの?」
俺たちの声で起きた悠太が近づいてきた。 俺はそのまま、何も言わずに悠太も一緒に抱き寄せた。
呼吸は乱れ、心拍数が上がるのを感じる。 嫌だ。死にたくない。愛する息子、妻と、離れたくない。失いたくない。失われたくないっ!!やっと、やっと本当に大切なものに気付けたというのに…ここで終わりなんて…。
「パパ…痛いよ…」
あぁ、愛しの息子よ。どうか今のこの痛みを一生、一生忘れないでくれ。最後の最後でしか家族を持つ意味を理解することができなかった哀れな父親がいたことを。そして、俺と同じような人間にならないように…。そして、そしてこんなにもお前のことを愛している人間がいたことを。
そうか、 やっと分かった。愛する者を思うときに現れるこの胸の高鳴りこそが人間として生きていること、人間が人間として生きるための動力源、エンジンが動いている証なのだ。
皮肉なものだ。人でなしのこの俺が機械によって生かされることによって、人としての心を取り戻すことになるとは。
キキッ…!!
家の前に車が止まった音がした。管理委員会の人間がやって来たのだろう。
現在の時刻は18時20分。エンジンの停止まで、残り3分。 俺は、俺のエンジンが止まるその瞬間まで、愛する者達を力一杯抱き締める。
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