20億回の運命

瀬田風羽

20億回

私は見上げた青空を眺めてこんな空落ちてしまえと嘆きました。雲1つない空はこの世界から取り残されたように見上げている私を、嘲笑っているような気がしています。そんな空は幸せそうに思えました。私が不幸だなんて思いたくもありませんが、空がそう言っている気がして心が沈んでしまいます。

 “20億回”

 生き物は同じ縛りの中で生きていると思っています。ニンゲンもネコもイヌもパンダもゾウもハムスターも同じでどんな生き物も心臓が“20億回”拍動したら死ぬ。それは誰にも変えられないことなのでしょう。だから不条理な死と呼ばれるものでさえ、きっと決められた“運命”なのでしょう。

 “20億回”は理不尽なこの世界で唯一平等なことです。それぞれ個体によって同生き方などひとつもなくて、過酷ともいえる人生の末に若くして亡くなる奴だって、たいして苦労していないくせに馬鹿みたいに長生きする奴だっています。生き方なんてそんなもんなのでしょう。

 “20億回”という運命の上にニンゲンが決めた時間という数字が重なって不平等という「可哀想」が誕生したのでしょう。この世を去った生き物すべて“20億回”の拍動を刻んだ平等な運命だと思います。

 “20億回”

 その鼓動を刻む中で私はどう生きるのでしょうか。

 もしラクと思えるような生き方ができたのなら“幸せ”なのでしょうか。そもそも、ラクという概念の根底には苦悩や苦労というものが存在するのだからそれを知らずしてラクなどありません。それでも人はラクして生きたいと思ってしまう生き物です。ですがラクが幸せとは限りません。

 ラクと同様にこの世界は曖昧なことばかり溢れています。【愛】や【友情】など形のないものばかりを求めて、【憎しみ】や【悲しみ】を抱えて自分の心に足枷を着けて、終いには自分たちの決めた常識とやらに囚われて「ストレスだ」などと喚いています。それがなくなってしまえばみんな幸せになるのでしょうか。ただ本能のままに生きれたのならば、それを幸せと呼べるのでしょうか。それこそラクというものなのでしょうか。その先にあるのは何だろうか私にはわかりません。幸せだだといいのですが。そもそも幸せとはいったい何なのでしょうか。誰が決めるのでしょう。神様の気まぐれなのでしょうか。ニンゲンのエゴなのかもしれません。

 こんな堂々巡りの考えの先に何かあるかと言えば、きっと何もなくて、答えなどなくてただの戯言です。広大な心を持ちうる神様だってきっと耳を貸してくれません。

 死にたいだなんて許されないとこの世界は言っています。でも死ねるのならそれが“運命”でもあるような気がします。死にたくても痛いのは嫌、高いところは怖い。それでも死ねた時、それが“20億回”の“運命”なんだと思います。


体調が悪くなって家に引きこもるようになってからそんなことばかり考えてしまいます。病院に行けば少しはマシになるのかもしれないが、なんせ行きたくないのです。誰もがそうだろうけれども私も病院が嫌いだから病院にはいかず、市販の薬で何とか誤魔化しながら過ごしています。仕事も辞めてしまいました。誰にも会いたくな。だが合わないわけにもいかず憂鬱な毎日を過ごしています。

 今日は体調がいいので久しぶりに散歩に出かけたのにくだらないことばかりが頭をよぎってしまいます。そしてそんなことを考えながらの散歩はいつもより遠くまで来てもその距離さえ感じなくて疲れなんてなくてまだ先へ、もっと遠くへ、と思いが先走り歩みは自然と早くなります。


 「にゃぁお」

ふいに、私は呼び止められた。あたりを見回しても誰もいません。それでも気になって声の聞こえた方へ歩き出しました。草むらをかき分けると汚れた段ボール箱に子猫が二匹います。ちょこんと座っている子猫と寝ている子猫です。拾ってください。なんて書いてはありませんでしたが、今時段ボールに猫って。と少し心が苦しくなります。この子達自身でこの段ボールに入ったのでしょうか。段ボールは暖かいですから。

 まだ風に髪がなびいて肌寒さが際立ちます。私は少し恐怖心をもって子猫に手を差し出しました。子猫の方が私より怖がるように、恐る恐る私に鼻を近づけてクンクンと匂いをかぎもう一度、

「にゃぁお」

と鳴きました。もう1匹は私の存在に気が付くことなくスヤスヤと眠っています。本当に気づいていないのか気づかないフリをしているのかはわからないですが、可愛らしいです。子猫の入った段ボールを抱えて先ほどの沈んだ思想とは裏腹に弾む心で、高鳴る鼓動を感じながら、どこからきたのかわからない流れる雲を少し眺めて帰路に着きました。スキップでもしたいようなウキウキ気分です。

 この子猫たちは本当は私を呼び止めたわけではないのかもしれません。きっとこの子達はお腹がすいていて、寒くて、誰でもいいから助けてほしいと嘆いていたのかもしれません。偶然この子が鳴いたタイミングで私が通りかかり、気にかかりという偶然が重なったこれも“運命”なのでしょう。

 思えば実家の猫も拾い猫でした。近所で野良猫が道路で出産し母猫は交通事故で亡くなり近場にいた大人で手分けして生まれたばかりの子猫たちを1匹づつ引き取りました。その子がうちに来て8年目の夏、父が自宅の庭で別の猫を保護しました。警察や愛護センターなどに連絡をし飼い主を探しましたが飼い主は見つからずそのままうちにいてもらうことにしました。そこから実家は2匹の猫と楽しく暮らしています。だからなのか猫を拾うことに迷いはありませんでした。


 家に着くと、玄関口で彼に電話をかけました。

「もしもし、あのね猫を拾っちゃって。」

「猫?」

「子猫なんだけど。」

「今から帰る。何か必要なものある?」

「とりあえずご飯。あと猫砂。お願いします。 」

「商品、検索してメールで送っといて。」

「うん。わかった。」

彼は何も言わずにただ必要なことだけを聞いて電話を終えました。今日、彼の仕事が半日上がりなので本当に助かりました。

 私は電話を終えると子猫の足を洗いリビングへと招きました。普段特にすることのない私は部屋の片づけに勤しんでいたため部屋が床やモノが散らかっていないので片づけに手間はかかりません。散歩の前に掃除機やカーペットの掃除をしておいたので子猫を迎えても問題ないと思いいます。

 家に着いてから入っていた段ボール箱を玄関に置いて、子猫たちを抱ええてお風呂場に連れて行き足を洗いました。桶にお湯を汲みタオルを濡らして顔や体もやさしく拭きました。風邪をひかないようにタオルドライでよく乾かすと子猫たちはそれぞれ毛繕いを始めました。届かないところはお互いに毛繕いし合っていました。仲の良い兄弟のようです。微笑ましい光景に思わず見とれてしまいます。


 ガチャ


 玄関の鍵が開きました。不思議なもので彼が家を出るときは悲しく聞こえる音ですが彼が帰ってくるときには幸せの始まりの音のように聞こえます。


「ただいま。ご飯とトイレと砂買ってきたよ。ついでに猫じゃらしも買ってきたよ。」

リビングへ入ってきた彼は私に楽しそうに猫じゃらしを揺らして見せてくれました。

「おかえり。ありがとう。」

微笑み返しながら言う私の膝で眠るかわいらしい子猫たちほ見て彼は優しく微笑みました。

「かわいい。この子たちどうしたの?」

「散歩してたら声が聞こえて、そしたら段ボールの中にこの子たちが。」


「散歩に行ったの?どこまで行ったの。」

「川の近く。」

「そんな遠くまで行ったのか。危ないから家の近くだけにしな。体調もあんまり良くないんだろ。遠くまで行ったら帰ってこれなくなるぞ。」

少しふざけて言う彼に私はふざけ返すこともできず、少し明るく答えました。

「ハイハイ。今日は大丈夫だったの。私お昼ご飯作るから、子猫たち見てて。」

「あぁいいけど、何したらいいんだ?」

「え?何って普通に撫でてあげたり、猫じゃらしで遊んであげたらいいんじゃないかな。」

「そっか。そういうもんだよな。」

「うん。」

実家で猫を飼っていた彼にしては不自然な態度に少し違和感を覚えながらも私は昼ご飯を作るべくキッチンへ向かいます。


 子猫たちはすっかり目が覚めたようで彼の周りや部屋の中をグルグル回っています。彼は戸惑いながらも子猫たちとじゃれていて幸せな家庭の風景です。その姿を見ていると先ほどの違和感がきっと何かの勘違いだったのだろうと思えました。

 「ごちそうさまでした。」

彼は毎度のこと私の作ったご飯を残すことなくきれいに食べてくれますので何とも作り甲斐があります。

「俺洗い物するから子猫と遊んでな。」

私は彼の言葉に甘えることにしました。子猫が彼の後を追い彼の足元でじゃれ合っているので私も彼の足元にしゃがんで見ていました。

「ねぇ、2人で散歩に行って黒と白の猫見つけた時のこと覚えてる? しばらく眺めてて貴方私よりも猫に夢中になって全然動こうとしなかったよね。」

「そうだっけ?」

「そうだよ?帰りも貴方がわざわざ同じ道通って猫いるか確認しようって言ったじゃない。」

「そうだっけな。もうそんなこと忘れちゃったよ。」

「ねぇ、この子達...どうする?」

「お前ははどうしたいの?」

私の唐突な質問に彼は少し戸惑ったがやさしく微笑み私に尋ねました。

「貴方に任せる。」

貴方の意見に従うという妻としての体裁と他人に責任を押し付けるような私の無責任な発言に

「お前はこの子達と一緒にいたい。違う?」

彼は微笑んで弾むように言いました。

「違わない。けど、この子達には幸せになってほしい。それは私たちのもとでいいのかわからない。」

まだ小さくふわふわとした、きれいな毛並みの子猫たちは猫じゃらしに飛びつき2匹とも同じように右に左にと体を揺らしています。

「俺たち2人でなら何とかなると思はないか?俺猫好きだし。」

今度はしっかりと私の目を見据えて言いました。彼が軽々しく考えてそう言っているわけではないことは私にはわかります。それでも私には不安のほうが大きく存在していました。

でも私はこの子達にそばにいてほしいと思ってしまいます。そう私が思うのはきっとこの子達にとって、彼にとって不幸なことなのだろうけれど、この子達と一緒にいられることが嬉しくて舞い上がってしまいます。

遊び疲れたのか私の膝に乗り寄せ合うように丸まって寝始めた子猫たちは暖かく確かな命を私に感じさせました。


「この子達って生まれてどれくらいなんだろう。」

「んー。生後2ヶ月、3ヶ月くらいじゃないかな。」

「お前わかるの?」

「たぶん。病院行ったら大体の年齢教えてくれると思うよ。その方が正確。」

「お前はどうしてそんなことわかるの?」

「目の色だよ。」

「目の色?」

「子猫の目の色は大人の猫と違って【キトンブルー】って言われる色なんだよ。それが3ヶ月を過ぎると次第に大人の色に変わるんだよ。それがまだキトンブルーのままで体格というか、大きさから考えてそのくらいかなって。」

彼は猫を1匹抱きかかえ目を見て

「ほんとだ。あおーい。綺麗だね!」

と言った。なんだか彼は楽しそうだ。


「名前。考えないとな。」

寝ている2匹を愛おしそうに見てそう言う彼は楽しげです。

彼が試行錯誤して2匹に合う名前を考えています。

「ねぇ、ルーチェとリヒトって名前はどう?」

私の提案に彼は首をひねりました。

「いいね。どういう意味?」

「“光”って意味。ルーチェはイタリア語、リヒトはドイツ語でね。」

「いいね。俺たちの光か。」


「私、この子達と一緒にいたい。」

ちょっぴり涙が零れました。ふ、と私が言ってはいけない言葉に思えました。無責任なことを言うべきではないとわかっていました。

「何言ってんだよ。この子達はお前が面倒見なきゃいけないんだからずっと一緒だろ。お前が拾ってきたんだから責任もって一生面倒みないと。」

彼が放つ強い言葉が私の壊れそうな心を支えてくれます。だがそれが私にはツラく苦しく残酷な言葉にも思えました。

 これ以上、心配をかけたくない。だからこそどうしても言えずに過ごしてきてしまいました。体調は日に日に悪くなるばかりだなんて言えるはずもなく私は考えを吹き飛ばすように笑いました。


「よかったな。」

「なにが?」

「俺、明日休み。」

「猫と一緒にいられるね。」

嬉しそうな彼とは裏腹に少しだけ沈んだ心は私に嘘つきな笑みを浮かべさせました。

 彼は猫じゃらしを使い子猫たちと戯れ、昼寝をし、また遊び、膝に猫を乗せては逃げられ、乗せては逃げられと楽しそうに過ごしていました。

 ルーチェは元気に遊びまわっているのに対してリヒトは寝てばかりです。でも一度遊びだすとルーチェより素早い動きで猫じゃらしを捕らえる立派なハンターぶりを見せてくれました。

 パパっと肉と野菜を炒め、野菜をたくさん加えたお味噌汁を作り夜ご飯を食べました。

 毎日のことだが彼は私のご飯を美味しい、美味しいと言ってお替りまでして食べてくれるので嬉しい限りです。

 その日の夜は、久しぶりに1人でお風呂に入りました。子猫たちから目を離さないで、危ないことをしないように見張るためです。

 彼は湯船につかると「暑い」と言って早く出るように急かすので今日は思う存分湯船につかろうと心に決めて湯船に入ると「すごい!」「見事!」「天才じゃないか!」と猫と遊んでいるであろう彼の声が聞こえました。心が和む。そう思いながら独り占めのお風呂を堪能しています。


ガチャ

「わぁ!」

風呂場のドアが開く音に驚いた。彼の顔は少し呆れていた。

「また風呂で寝てんの?ダメだってば。なぁ?」

猫たちにそう話しかけてはいるが猫たちは見たことのないお風呂に興味津々です。少し歩いて肉球が濡れてプルプルと水を払ってまたあっちこっちとクンクンン匂いを嗅いでいます。

「ほら向こうで遊んでなよ。私もう出るから。」

そう言って彼と猫たち御一行様は並んで退室して行きました。


 猫たちも私たちもご飯を食べえるとテレビを見たり猫じゃらしでじゃれたりしながらゆっくりとした時間を過ごしました。

「ねぇ寝れる?」

急に彼がワクワクしているように言いましたが私は不愛想に

「寝れる。寝る。」

それだけ言ってよこになりました。少し頭が痛い。なんだか首のあたりも痛い。でも眠い。彼の腕の暖かな温もりが心地よくて私は夢に落ちました。


「いってぇぇ!」

彼の声がしました。

「何?大丈夫!?どうしたの?」

何か大変なことがあったのかと思い飛び起きました。

「猫たちが、俺に、俺の、股間に、痛い痛い。猫が。いっ。」

何言ってるのか全く分かりませんでした。落ち着いてから話を聞くと、リヒトが大の字に寝ていた彼の股にダッシュし、足をけり、脛をかじり遊んでいたそうなのです。少し面白くて笑ってしまいました。時間を見るとまだ4時でした。ルーチェは私頭の近くでスヤスヤ寝ています。

「まだ4時。寝よ。」

私はそう言ってまたすぐに眠りにつきました。

「そうだな。」

彼もそう言いました。



 にーぃにぃ

 にゃにゃーなー


 子猫たちの鳴き声で私は、目が覚めました。

 「おはようさん。」

彼はもうすでに起きていてテレビを見ています。

「おはよぉ。何時?」

「8時。ルーとリヒお腹すいたって。ご飯どのくらいあげたらいい?」

「え、っとね。10g。」

「はいよ。」


 寝起きすぐに動けるはずのない私の代わりにカリカリのご飯を10gを計りお湯を加えてふやかして、お湯が冷めてからあげてくれました。その間、子猫たちは彼の周りをウロウロして鳴いて彼を困らせています。

 頭が回りだした私は卵を2つ割り、溶いて、砂糖と醤油を加えて巻きながら焼いて卵焼きを作りました。巻き終わったところで卵はフライパンからお皿に移し、昨日の夜ご飯に残ったお味噌汁を温めました。

「美味そうな匂い。」

彼はそう言うとせっせとご飯を盛り運び、お箸を出して運び、冷蔵庫から納豆を出して運び、私は余熱で完全に火が通ったであろう甘い卵焼きを包丁で切り、お味噌汁をお椀に盛り付けて運びました。何もなかったダイニングテーブルが賑やかになりました。

 私たちが朝食の準備をしているうちに子猫たちはいい子にご飯を食べ、少しの休憩をしたかと思えば今度は大運動会が開催されました。部屋を走り回りラグをめくり、下に入り込んでグチャグチャにして2匹で楽しそうに遊んでいます。

 私は朝食を食べ終わると食器と調理器具を洗い、洗濯機を回して掃除を始めます。掃除機を起動させると、その大きな音に驚き子猫たちは部屋の隅に隠れてしまいました。掃除機を片すと猫たちは揃ってキョロキョロとあたりを見回して家中のパトロールを始めました。異常がないことが確認できると一時中断していた大運動会が再開されました。しばらく遊んだかと思えばテレビを見ている私たちの元に来て膝に乗り体を丸めて寝息を立て始めました。その体は私の膝に2匹乗っても収まってしまうほど小さく、2匹合わせて1キロ程度です。これから段々と大きくなっていくのだろうと思うと楽しみでしょうがないです。


 猫たちが寝てたのを見計らい私たちは猫たちの病院に行く準備をしました。着替えをすまし、メイクをしている途中で猫たちを入れるキャリーケースがないことに気付きました。「俺がパっと行って買ってきてやるよ。」と言ってバイクを走らせて買ってきてくれましたので、そのキャリーケースに私のブランケットを敷いて猫たちを連れて歩いて近くの動物病院へ向かいました。

 猫たちはおとなしくいい子に診察を受けてくれました。生後2ヶ月になったところで栄養失調気味だけど外傷も病気もないから大丈夫だよ。とのことだったので一安心です。


 疲れたのだろう猫たちは陽が沈むまでぐっすり寝ていました。私たちは着替えて、メイクを落としてから録画してあったアニメ映画を見て過ごしました。途中、頭痛がして内容はなんとなくしか覚えていません。

 大好きなアニメ映画を見ることが好きという感情がなくなってなんとも思わなくなったのは。この後の展開がどうなるのかドキドキワクワクしていたのに今は頭痛がいつくるのか、頭痛がしても見続けることができるか心配や不安が募ってしまい集中できません。

 いつの間にか私は眠りについていた。ふ、といい香りで目が覚めた。なんの香りだろうか。頭が回らない。まだ少し頭が痛い。もう少しだけ横になっていよう。と思いましたが

「起きろ、夜飯できたぞ。」

彼が寝室を覗きながら言いました。私の頭はまだボーっとする。あぁこのいい香りはカレーだ。彼の美味しいカレーを食べながら猫のことを話しました。

「ねぇお前昨日ちゃんと寝られた?」

「ぐっすりだよ。」

「こんなちっちゃい猫、潰しちゃいそうで心配で中々寝付けなかった。お前はよくあんなにスヤスヤ寝られたな。」

いつもは大胆にベッドを占領して子供の様に寝つきの良い彼が私より遅くに寝るなんて珍しいこともあるもんだ。

「そうなの?猫たちいい子に寝てたでしょ?」

「そうな、いや!早朝から俺に突撃してきただろ!」

「そうだったね。」

私はおかしくて笑ってしまう。

「でもまぁこの子達はいい子だな。たくさんご飯食べて、たくさん遊んで、たくさん寝て。」

「ねぇこの子達夜ご飯食べた?」

「ちゃんとあげました。」

ドヤ顔で言う彼に私は笑って感謝を述べました。




 それから数ヶ月が経って猫たちはそれぞれ1キロを超えました。猫たちも家に慣れてゴロゴロ寝ていた昼間、大きな宅配便が届きました。何だろうと思いましたが彼宛だったので私は開けずに玄関の近くに置いておきました。今日も今日とて頭痛がつらい。私も猫たちと一緒に昼寝をしました。

 陽が暮れて星が輝きだした頃に私はようやく起きて、時間を確認して夜ご飯を作り始めました。今日は彼の好きな唐揚げです。彼は明日が休みだから多少夜ご飯が遅れても問題はありません。とは言え、お肉に下味はつけておいたので片栗粉をまぶして揚げるだけなので簡単です。


 ガチャ

「ただいま~。」

帰ってきた。つい頬が緩んでします。

「お帰りなさい。」

「美味しそうな匂い。」


 ルーチェとリヒト、2匹の子猫たちは日を追うごとにすくすく成長しました。拾った時には500gしかなかった体重は半年で4kgを超えるほどになっていました。

 子猫たちを拾ってあっという間に季節は過ぎました。相変わらず体調は優れず、家に引きこもる毎日が続いています。そんなある日リヒトがいなくなった。彼が休みでのんびりとした休日の昼間のことです。私が洗濯機を回し食器洗いに勤しんでいると急に彼が大声を上げました。


「リヒトがいない。」


愕然としました。家中引っ掻き回すように探しました。テレビの裏、よく隠れている本棚の影、机の下、空いていないクローゼットの中まで覗きました。だがリヒトの姿はありませんでした。

「リヒト...どうして。」

私はその場にしゃがみこんでしまいいました。どこかさみしげな声をあげながらルーチェが膝に乗ってきました。


「ごめん。」

彼が重たい口を開きました。

「どうして貴方が謝るの?」

「俺が洗濯物を干している間にいなくなったんだ。」

「だから何よ。何が言いたいの!」

私の口調は段々と強くなってしまいました。

「窓を開けっぱなしで...」

彼の話を最後まで聞くことなく私はルーチェを抱えて家を飛び出しました。


 「リヒト!リヒト!」

泣き叫ぶように呼びました。何度も何度も、呼びました。呼んでも呼んでもリヒトの姿を見られませんでした。

 リヒト、リヒト、リヒト、どこに行ってしまったの。戻ってきて。

 私はどうすることもできません。私は今まであの子に何かしてあげられただろうか。今考えなくてもいいことばかり、嫌なことばかりを考えてしまいます。


「いったん家に帰ろう。リヒトも家に帰ってるかもしれない。」

「うん。」

彼は私をなだめるようにそう言いました。ルーチェはとてもおとなしく私に抱かれてるように思えましたが、その手は私の服にしがみついていました。


 家に帰ったがリヒトの姿はありませんでした。

「ごめん。ごめん。」

私はそう何回もつぶやきました。

「どうしてお前が謝るの。俺が、」

「私がいつもそうやってたから。」

洗濯物を干すときにはいつも窓を開けっぱなしにしてベランダに出て、干していました。その間子猫たちはいい子に私のことを見ているだけでした。私は彼についついいい子の自慢話をしているつもりで話していました。だから彼は私と同じことをしただけでした。

 実際は子猫が出ないように何回も確認しとてもゆっくりと時間をかけて洗濯物を干していたので目を離していた時間のほうが少ないかもしれません。それを正直に言えばよかったと今更思います。


「ごめん。俺が目を離したから。」

「リヒト...。ごめんね。ごめんね。私が。」


 それから私たち夫婦の間ではリヒトの行方の話はしないのが暗黙のルールとなっていました。過去の可愛い話はしても「リヒトどこに行ったんだろう。」などの話はできませんでした。でも私は毎日リヒトのことを考えていました。


 リヒトがいなくなって間もなくして私は倒れました。


 彼は仕事から帰ってくるなりいつもは物静かなルーチェが騒ぎ、鳴き喚き、キッチンと玄関にいる彼を行ったり来たりするので不審に思いキッチンに行ったところ私が倒れていました。

 病室で目を覚ました私に彼はそう説明してくれました。何も知らない彼にすべてを話さなければならなくなってしまった。私はそう直感で思いました。

 病室に私を担当してくれている20代くらいのイケメン先生が来て彼を帰るように促し、彼の足音が遠のき聞こえなくなるのを見計らって先生は口を開きました。

「まだ旦那さんには話していないのですか?」

旦那が来る前,

先生から告げられたことを私は自分から言いたいと先生に頼みました。ですが旦那が来て帰った今の旦那の表情などから言っていないと先生は判断したのだと思うます。

「すみません。どうしても言い出しづらくなってしまって。でも明日必ず言います。明日があればですけど。」

ふざけて言う私に先生は少し微笑んだが、すぐ悲しそうな顔になりました。

「早くに知らせる方がいいと思います。私はあなたの意志を尊重しますが、事は重大です。酷なことを言うようですが、いつどうなっても本当に不思議ではありません。旦那様のお気持ちを考えると早めに言ってあげてください。」

先生はそう強く言ってから少し俯き「すみません。」となぜか謝罪してくれました。

「これは私と神様の賭けです。明日があるかの。私は今日までしっかりと生きてこれました。先生?私のどうでもいい話聞いてくれますか?」

私はできるだけ楽しそうに聞こえるように話しかけました。先生は黙って頷きました。

「私1年前に子猫を拾ったんです。普通、猫は人より先に亡くなってしまう。それなのに猫たちより先に行って待っててあげられるんだから私は幸せ者です。拾ったときは500gしかなかったのに、今では5kgにもなったんですよ。とても大きくなったなって。」


 私の話を泣きそうになりながら聞いてくださる本当にいい先生です。先生のせいではありません。手の施しようがないほどの脳腫瘍らしいのですから。そう聞いた時、私は絶望しました。と思うのが普通かもしれないがその感情よりもやっぱりそうなのかと納得する気持ちの方が大きくありました。


 明日、彼にちゃんとすべて話そう。嘘偽りなく。



 ガラガラ

 病室のドアが開き、彼が重たい笑みをこぼれさせてていました。

「ねぇ。」

もうここまでのことになってしまったからには言わなけえればならないのは分かっている。けれどもどうしても、ためらってしまいます。

「私ね、貴方に言わなきゃいけないことがあるの。ごめんね。私もうすぐ死ぬんだ。ごめんね。」

少し早口で彼の方は見ないで私は言いました。彼は何も言いませんでした。きっと何も言えなかったのだと思います。

「脳腫瘍があるの。」

「っえ。」

彼の明るかった表情は一瞬にして闇のように暗く深く哀しいものに変化しました。

「ごめん。」

「ごめんって、」

「ごめんね。私、死んじゃうみたい。」

私は悲しみをごまかすように笑って言いました。

「まだだろ、まだあいつら。お前あいつのことどうするんだよ。」

泣きそうな彼に私は謝罪の言葉しか言うことができません。

「ごめんね。ごめんね。ごめん。」

「俺は信じない。お前のこと愛してるから。」

「私も愛してるよ」と言いたかったがどうしてもまだ言えませんでした。言ってしまったら何かが終わってしまうような気がしたのです。少しの静寂の後私は口を開いた。

「ねぇ、まだわがまま言ってもいいかな?」

「なんだ?何でも聞いてやる。叶えられること全部叶えてやる。」

「ルーチェに会いたい。」

「わかった。」

「貴方の作るご飯が食べたい。オムライスがいいな。」

「なんでも作ってやるから。なんでもかなえてやるから。」

ほとんどご飯もノドを通らないのだから作って来てくれても食べれなくて悲しませちゃうかもしれない。それでも私は帰りたいなと思ってしまいました。

 次の日からも欠かさず彼は私の病室に足を運んでくれました。

「今日も来てくれたんだ。」

「当たり前だろ。」

「お仕事で疲れてるんだから毎日来なくてもいいんだよ。休みの日にとかだけとかでもさ。」

「帰ってもお前がいなきゃ暇なんだよ。」

「そうなの?」

「俺がお前に会いたいからいいの。オレの好きにさせて。」

「はいね。初めて会った日のこと覚えてる?」

「もちろん。覚えてるさ。」







 私たちが出会ったのは月が紅く色づいた満月の夜でした。


  私は月が見える日には必ず近所の公園に行っていました。その日は私がいつも座るベンチに先客がおりました。その後ろ姿になぜか惹かれましたた。運命的と言ったら大袈裟かもしれないが私は直感で彼と結ばれるんだって思いました。彼と結ばれなければならないと心が震えました。少し迷ったが思い切って声をかけました。

「月が、綺麗ですね。」

声も震えました。いきなり後ろから、かの有名な夏目漱石の言葉をかけられた彼は私の方を振り返り少し戸惑った表情を見せたが、月に目を戻しこう言いました。

「時よ止まれ、汝は美しい。」

彼は少し照れたように見えました。

 私と彼は夏目漱石と森鴎外の訳した言葉だけの会話を交わしました。


 その数日後、私たちは駅でたまたま出会いました。私寝過ごしてしまい慌てて到着した駅で降りてしまい、おまけに雨まで降ってきてしまい途方に暮れてました。困ってた私に声をかけてくれたのが紅に染まる月を一緒に見た彼でした。


あの時どう思いましたか?私は少し照れてそう尋ねました。

「出会った夜に振り返ってお前を見た時、長い髪を風になびかせて美しいってこういうことなんだって、凛とした立ち姿で見とれたよ。また会えるなんて思ってなかったから、駅でお前と会った時本当にびっくりした。」

「ほんとね。でも私、貴方との“運命”感じたな~。」

「寝過ごしたって聞いた時は笑っちまったけどな。思わず連絡先聞いて、今から時間あるかとか質問攻めにしてお前戸惑ってたもんな。」

私は痛みを堪えながら笑って、楽しそうに話しました。あの頃の想いは今感じている感情の様に思い出せます。


 少し肌寒い雨の中彼は

「俺のこと覚えてますか?この前公園で会ったんですけど。」

そう私に話しかけてくれました。あの時は暗くて顔なんてよく見えなかったから半信半疑で

「時よ止まれ。、、、?」

と私はあの時の彼の言葉を呟きながら首をかしげました。

「汝は美しい。」

彼は笑顔でそう続けてから名を名乗り、私に連絡先を交換しないかと聞いてくれました。もちろん私は喜んで連絡先を交換して名前を教えました。

「今から時間ありますか?」

彼は少し控えめに私に尋ねました。私は会社からの帰宅途中でお腹が空いていたので迷わず了承しました。嬉しかったです。

「夜ご飯食べに行きません?ファミレスとかでいいんですけど。」

「いいですよ。」

私は彼の傘に入れてもらい2人で歩きました。なんだかカップルのようで心が天にも昇るような気持ちでした。

 着いたファミレスでご飯を食べて話をしました。たわいもない話です。私たちは年が近いこともありとても気が合いました。好きな小説や漫画、アニメのあのシーンはこう思ったとか、このシーンはどう思った?とかそんな話で盛り上がりました。

 ここから私たちの距離は一気に縮まりました。彼とは価値観や考え方がよく似ていました。考え方は十人十色と言いますから考えが違うことがありますけれどそこもいい刺激になりました。自分の考えが広がり、世界が広がるような素敵な気持ちになりました。お互い尊重し合えるいい関係が築けると確信しました。

 私たちは毎日、夜は電話をして私たちは信頼関係を深めていった。そして初デート?と言えるのかわからないが遊びに誘われました。


 約束の日、私は待ち合わせに遅れてしまいました。家を出る直前にあれこれと忘れものに気が付き取りに戻っていたら乗るはずだった電車に乗り遅れてしまいました。彼にはすぐにそのことを報告し、待ち合わせに遅れてしまうと謝罪をしました。私は申し訳ない気持ちでいっぱいで、折角のお誘いなのに遅れてしまって私は泣きそうでした。

 待ち合わせ時刻15分遅れで私は到着しました。彼の顔を見るなり私は「遅れてしまってほんっとうにごめんなさい!」と私は謝罪をしましたが彼は「おっちょこちょいだな。お前らしい。」そう言いながら笑って迎えてくれました。彼の笑顔に私は救われました。

 彼は今日の行き先は教えない。そう言っていたから私はワクワクしながら彼の運転する車で楽しい会話をしました。途中コンビニによって菓子を買って食べながら目的地に向かいました。なんだか遠足に行く子供みたいで、童心に帰るというのでしょうか、とにかく笑いが溢れる車内でとても楽しかったです。

到着したのは水族館です。前に電話で私が水族館で魚を眺めるのが好きだと言ったのを覚えていてくれたのです。私との内容を覚えてくれていたこと、そこに連れて行ってくれたこと今でもとても嬉しく、彼の優しさが溢れる大事な思い出です。

 館内で私は魚の紹介をじっくりと読み魚を眺めマイペースに過ごすのに合わせて彼は私に合わせてのんびり見てくれました。彼は親切に解説に書いてあることの中から話を広げて退屈しないように工夫してくれてとても楽しい会話でした。私にとってとても素敵で充実したデートでした。

 その日の夜、とてもきれいな夜空の下。告白されました。彼からの言葉はいたってシンプルなモノだった。

「好きです。」

ただその一言だけ、私は笑ってしまいました。だからしっかりと言ってあげました。

「月が綺麗ですね。」

と。その時、月は見えていませんでした。どこに行ってしまったのか、キョロキョロと探したが見えませんでした。

「時よ止まれ、汝は美しい。」

彼は少し恥ずかしそうにそう言ってくれました。




「貴方と出会って私は変わった、変われたの。貴方とたくさんメールしたり、毎日のように電話して、会えなくても私の近くにいるようなそんな気がしてた。でも会えない時間こそ、愛をより膨らませた。同棲して、結婚して、帰る場所が同じになって、一緒にいる時間が長くなってもそこで育んだ愛は膨らみ続け、幸せ。本当に幸せ。」

私は今までの思い出を嚙み締めるように言いました。

「そうか。改まってそういわれると照れるな。」

彼は付き合いたての頃のような照れた顔を見せてくれました。彼は必死に顔を隠そうと下を向いているのがとても可愛らしい。

「本当のことだよ。私は貴方を愛している。」

このときは何も考えずに「愛してる」という言葉がスッと出ました。




 それから、しばらく入院したある日、私は数時間だけの帰宅ができました。彼と先生が何とか取りつけてくれた貴重な時間です。私は周りの人に恵まれているのだと強く思いました。

 彼が玄関を開けるとルーチェがちょこんと座って待っていてくれました。私を見てすり寄ってきてくれました。抱きかかえるとゴロゴロとノドを鳴らしてかわいらしい顔を見せてくれます。今まで会えなかった分を取り返すかのように私に甘えています。

 もうじき私はこの世界からいなくなる。このかわいらしいルーチェとも会えなくなってしまう。そう考えたら涙がこみ上げてきます。

「リヒトはどこに行ったんだろう。私を待ってるのかな。」

今まで言えなかったことがすらすらと言えました。涙はとまりませんでした。

「リヒト、リヒト。会いたいよ。ごめんねルーチェ。ルーチェの大事な兄弟なのに。ごめんねルーチェ。私ももうルーチェのそばにいられなくなっちゃった。ごめんね。ごめんね。貴方ごめんね。どうかルーチェを私の宝を守って。」

私はルーチェをギュッと抱きしめた後、彼に渡しました。

「当たり前だろ。ルーチェもリヒトもお前も俺の大事な家族で宝だ。」

涙を見せないように拭いながら彼は「飯作る。」と言ってキッチンへ向かいました。キッチンで大粒の涙を流す彼の姿を私は黙って見ていました。


数十分後、笑顔で私の大好きなオムライスを持ってきました。

「大きなオムライス。これお米、どんだけ入ってるのよ。」

私が目をまん丸にしてみていると彼は笑っていました。

「2人で食べるからいいでしょ。卵4つも使ってる。」

「多いよ。」

「お前は食べれるだけ食べればいい。残ってもいつもみたいに俺が全部食べるから。何飲む?」

「ココア。」

「冷たいのでいいか?」

悪戯に微笑む彼に

「ホットで。」

いつも通りの注文をした。

「はいよ。」

彼は嬉しそうに見えました。


「おいしかった。やっぱり貴方の作るご飯は最高ね。」

「そりゃどーも。」

 いつも通りの会話が愛おしい。この会話が明日もできると限りません。そう思うととても悲しです。


 結局私は少し口に運ぶ程度しか食べることができなくて残りは彼が食べてくれました。


 普段と何も変わらない休日の時間。温かいココアと冷たいサイダーを飲み、ゆったりと空を眺めました。ルーチェは私と彼の間を行ったり来たりして、おもちゃのネズミを持ってきて遊んでいます。

 時間が経つにつれて会話も減り、私が自宅にいれる時間はあっという間に終わってしまいました。ルーチェを抱きしめて最後のあいさつです。

「ルーチェ、ごめんね。パパのことよろしくね。」

「俺がよろしくされる側かよ。」

彼は笑ってそう言いましたが。目には涙をたくさん溜めていました。

「ルーチェ、愛してるよ。」

私はそう言い残し、玄関のドアを閉めるとルーチェは私を呼ぶように何度も、何度も必死に大きな声で鳴きました。


 私がこの子達を見つけた時のか細く弱弱しい鳴き声ではなく、しっかりと大きな声でした。この子は大きくなったんだと嬉しい反面、もう会えないかもしれない、もう会えないという現実がとてもつらく私の心を締め付けました。


病院に向かう車の中では一言も言葉を交わさず、私は泣いてばかりでした。

 帰宅は過ぎ去った過去より重く、一瞬の時の流れでした。

病室に戻り今日という楽しかった日を何度も何度も頭の中で再生しましいた。そして何度もルーチェの悲しそうで、苦しそうで、必死に私を呼ぶ声が頭から離れません。





その数日後の晩、枕元にリヒトがやってきました。

「リヒト、どこに行ってたの。リヒトがいないからルーチェがとても寂しがってたんだよ。私も彼も寂しかったんだよ。」

リヒトは「ごめんね。」というよう可愛らしく困った顔で鳴きました。

 私は瞬間的に思い出した。猫は死に際を見せまいとどこかに行ってしまうことがあること。元野良猫は体に良くないモノを食べてしまい、生後間もなく亡くなってしまうことがあることを。


 私はリヒトを抱きしめました。「ごめんね。ごめんね。」と何度も謝りながら。

 リヒトは誰にも気づかれないまま、あんな小さい体でたったひとり死を迎えたのかもしれない。私があの子たちを守るって言ったのに、私はあの子たちに何もしてあげられなかった。あの子たちは私にたくさんの幸せをくれたのに。私はそんな思いを抱えて何度もリヒトに謝りながら強く抱きしめました。


 しばらくしてから、彼の声が聞こえました。私の名前を何度も呼んでいるようです。応えたいのに、それはできません。「ごめんね。」そんな言葉も聞こえました。どうして貴方が謝るのか私には理解できません。謝ることなんて何もないのに。私のほうが謝ること、感謝することばかりだ。言いたいのに言えない。悲しくて悲しくて仕方がありません。


 「ありがとう。愛してるよ。」


 彼からの悲しい言葉。私は彼にはありがとうもごめんなさいも言えない。言いたいことはまだまだたくさんあるのに言えない。


 何度も彼の愛しているという声を聴いた。まだ聴いていたい。


 段々と彼の声が聞こえなくなる。まだ聴いていたいのに。



 光が私を包み込むような、気が遠くなるような感覚がしました。












―貴方へ

 貴方がこの手紙を見つける頃にはきっと私はこの世界にはいないことでしょう。

 どうかありきたりだと言って笑ってください。こういうの書きたかったのです。


 そしてこれを見つけたということは貴方は私の大好きな本を手に取り、開いてくれたということ。そのことをとても嬉しく思います。貴方も好きなこの本をどうか大切にしてください。そして、この本について語り合った日々を懐かしんでください。私と貴方にとって大切な思い出です。


 貴方は今、元気ですか?ちゃんとご飯は食べていますか?肉ばっかり食べてちゃダメですよ!野菜もちゃんと食べてくださいね。貴方は野菜嫌いだからいろんな野菜を食べさせるのに最初は苦労したな。そうは言いつつ、貴方が食べれるように調理して美味しいって食べてもらうのが嬉しかったです!

 もう見つけているかもしれませんがキッチンにある黒いリングノートに私が貴方に作った料理で貴方が特に美味しいと言ってくれたもの、評価が良かったもののレシピが書いてあります。簡単に作れるものばかりなのでよかったら作ってみてください。料理上手な貴方なら私よりおいしく作れること間違いなしです。貴方の作ったオムライスとチャーハンは絶品だった。美味しいご飯をありがとう。


 私は貴方に何かできたでしょうか。貴方に何か残せたでしょうか。

 本当はよぼよぼでしわしわのジジババになってもずっと一緒にいるつもりだった。

 それでも私の人生は貴方のそばにいられて本当によかった。ありがとう。


 喧嘩して言い合いになることもあって、楽しいことばかりじゃなかったけどそれも今では素敵な思い出です。私は貴方が好きで、貴方が愛おしくてしょうがなかった。あなたと一緒にいられたらそれでよかった。

 毎日私の作るご飯を美味しいって言って、残さず食べてくれて、少し片づけただけでもキレイにしてくれてありがとうって言ってくれて、私が怒鳴って喧嘩になったときもごめんねって貴方が謝ってくれて、貴方と過ごした日々すべてが私の宝物。


 私のためにできる限りのことを何でもしてくれた貴方に感謝しかありません。

 料理上手で家庭的で掃除に洗濯、なんでも手伝ってくれる優しさが大好きです。

 いろんな工具を駆使してたくさんのものを直したり、作ってくれてれて、そのひとつひとつが私の宝物です。物を大切にする貴方はとても誇らしくて素敵です。

 私のたくさんのわがままを嫌な顔せず聞いてくれた、叶えてくれた、優しい貴方が大好きです。

 優しくて、頼もしい貴方に私は頼ってばかりでした。


 私は怖がりで貴方の後ろに隠れてばかりで。どこに行くのも貴方と一緒。そんな私のことを貴方は最優先に考えてくれて、どんな時でも私の味方になってくれて、愛してくれてありがとう。


 大好きな貴方がずっとそのままでありますように。

 私の愛した貴方がそのままで強く生きられますように。


 ねぇ本当にありがとう。


 散々わがまま言ってて悪いんだけど、できればまだ私のわがままを聞いてくれるかな?

 まず、ちゃんと毎日ご飯を食べて(野菜もね)毎日ゆっくりお風呂に入ること。できればストレッチもして体をほぐしてね。それとルーチェと毎日たくさん遊んであげて。遊ぶのが大好きな子なんだから。貴方はよく知ってるでしょ。

 私が行きかったところ、私と行きたかったところたくさんの場所に行き、たくさんの景色を見ていろんなことを考えてください。その話を聞かせてください。

 貴方はこれからの人生迷って悩んで、困ってしまうこときっとたくさんある。でも最後には貴方らしい素敵な答えにたどり着ける。貴方とたくさん語り合った私だからわかります。だからたくさん迷って悩んで。きっと苦しいこともたくさんある、泣きたかったらたくさん泣いたらいい。笑えなかったら無理に笑わなくていい、それでも答えを見つけることを諦めないで。貴方にとって前を向ける答えを見つけて。大丈夫。

 なんの根拠もないけど大丈夫。私は大丈夫って、そう思う。貴方にとっていい答えを探し出して。貴方のことを世界で最も知ってる私が言うんだから間違いない。


最後に

 リヒトのことは本当に悲しい。でもリヒトには私がいるよ。だから貴方はルーチェのそばにいて。あの子をよろしく。あの子は、ルーチェは優しくて怖がりだから貴方がそばにいて守ってあげて。本当は私もそばにいたかった。ルーチェ、ごめんね。そう伝えて。愛してるってルーチェに伝えて。必ず伝えて。

 貴方、ルーチェを任せます。きっと幸せにしてください。



 素敵な貴方がこれから素敵な人生を歩めますように。


 最大の愛をこめて。








追伸、猫は迷うことなく拾ってくること!その子が生きる手助けをしてあげて。決して見捨てるようなことしないでください。


 楽しいこと、ツラかったことすべて私に話してください。貴方の話が聞きたい。


 貴方の土産話楽しみにリヒトと待ってます。


 前向いて、空見て、月に泣いて、星に願いこめて、生きてください。




   “20億回”

 心臓の鼓動が20億回拍動し終えるまで、しっかりと刻んで生きてください。



 貴方に愛された素敵な人生を歩んだ私より。



 




 いい天気です。まるで、リヒトとルーチェを拾った、あの日のような綺麗な空です。あの日の私は絶望という言葉に浸っていました。それを救ってくれたのは間違いなく子猫たちです。あの子たちは本当に私の光です。今もなお、リヒトは私の光となりルーチェは彼の光となってくれています。神様の粋な計らいには感謝しかありません。

 私の“20億回の運命”はもう終わり。

 人はきっと何かに縋って生きることしかできなんだと思います。自分は自分、他人は他人とわかっていながらも比較し優劣をつけ、統計学上の数字で決めた常識や普通というモノに縛られ、その中で何かに固執し生きています。

 ニンゲンは形のないものに固執することが多くあります。【愛】【友情】【天国】等々、目には見えないモノばかりに縋り、求めてしまいます。私もやはりニンゲンでした。彼からの愛情を求め続け、今も彼に縋っている。

 リヒトを取り上げられた運命を【憎み】彼とルーチェを看取るまで生きられなかったことを【悲しむ】。

 それでもリヒトと【天国】で待っていたいと願っています。

 それはニンゲンらしく素敵な思いだろう。私にとっては。

 彼はこれからどう生きるのだろうか。彼の“20億回の運命”が終わるまで彼は私を忘れられないかもしれません。彼にとってはツラいことだと思います。もし私を忘れることができて、誰かと恋をして新しい人生を歩めるのならその方がいいのかもしれません。それでも私は彼に忘れないでほしいとそう思ってしましいます。いつまでも私を愛している彼でいてほしいと思ってしまいます。

 貴方の“20億回の運命”はあと何回残っているのでしょうか。貴方はこれから私が見れなかったものをたくさん見ることでしょう。それを聞かせてくれる日を楽しみに私は雲の上、貴方のそばで触れることのできない距離で待っています。



 私は貴方と生きれて“幸せ”でした。


 本当の幸せは誰が決めるのかわからないけど


 私の幸せは私が決めました。


 貴方は幸せでしょうか?

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20億回の運命 瀬田風羽 @fuu2167610

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