一口でちゅるっといけてしまう一万文字

 見知らぬ他人になりすます行為を趣味とする主人公が、たまたまカフェで見つけた鬼龍院さんになりすました結果、鬼龍院さんが三人になってしまったお話。
 面白かったです。本当に前の一行にまとめた通りの導入で、この時点でもうこんなの面白くないわけがないという予感でいっぱいだったのですが、その通り開幕から終幕まできっちり面白い作品でした。すごい。勢いっていうか流れるような本文の流麗さ、その醸す魔力がすんごい。気づけばすっかり幻惑されていて、一万字が一瞬の如しでした。魔法かな?
 好きなところやいいところはそれこそ数え切れないくらいあるのですが、とりあえず冒頭がすごいです。内容的にはどう考えても布石、直接本筋そのものではない要は話の枕そのものなんですが、にもかかわらずものすごく惹きつける力がある。文章が走っているのもあるのですけれど、でも興味の誘導の仕方というか、読み手に「はてなんの話だろう?」と思わせる自然な話の組み立てがすごい。きっちり「主人公の趣味はなりすましである」というところに繋がるその流れというか。いや話の枕ってそのためのものでしょと言われたらそりゃそうなんですけど、この話ってその直後に鬼龍院さんが三人になるんですよ。そんなロケットエンジンみたいな話を書いているのにこの自然な助走から入って、しかも十分加速がついてるって、並大抵のことではない気がするんです。
 あとはまあ、もう言うまでもないというかどうせ実際読んだ時点で嫌でもわかるんですが、文章の技巧。文体というか語り口というか、主人公の内面にぴったり寄り添った口語体の、きっちり一万文字ノーカットの長回し。一切つっかえるところがなく、スムーズかつハイペースに流れながらも(これだけでもう相当気持ちいい)、しっかり起承転結してくれる物語。なにより惚れ惚れするのが周囲の異常な状況に対する主人公の指摘、いわゆるツッコミ的な言葉や独白に、一切の余計な力みがないところ。どこまでも自然で、本当に作者の意図した通りに笑わされているとわかる、この作品にすべてを委ねる感覚の心地よさ!
 最高でした。明るくテンポのいいコメディで、肩の力を抜いて楽しめます。とても面白い作品でした。